第43話 はつ恋
とはいってもあたしも忙しい、お内儀さんも忙しい、でなかなか話を切り出す機会がなかった。
遊女の側からこんなん言っていいのかもわからんし。
だからといってその辺の事情を桔梗に聞くのも悔しいし。
うむー……。
まだ指名がついてない昼見世だから、ほんとはお馴染さんたちに営業手紙を書いたりしないといけないんだけど、手につかない……。
あ、指名、来た。
え?土屋さん?しかもお武家様?
一瞬、最推しの土屋さまかと思ってファッってなったけど、その割にはやり手の対応も塩だし、大名なら頼むような台の物なんかも届かない。
同姓の別人かあ……土屋一族って分家も含めたらけっこういるしなあ……そういえば土屋さま、恋文くれたり「会いたい」って手紙くれたのに来てくれないなあ……と思いながら、それでも身支度をしっかりと整える。
どんな身分の方でもお客様はお客様。また来ていただけるように最高のおもてなしを。
それがナンバーワンキャバ嬢だった鉄火のアンナの誇りなんだから。
※※※
「入りんす」
そう言いながら座敷に上がる。
すると、土屋さんというお武家様は、背筋をぴんと伸ばして、もう下座に座っていた。
細身で色白、でも目力のあるあたしの好みど真ん中タイプだ。ザ・サムライって感じが少し式部さんに似てるかな。
「久しぶりだな……山吹。足繁く通えずまことに相すまぬ」
「さようなこと申しんすな。わっちは来てくだしんすだけでうれしゅうおりんすよ」
「おまえは変わらぬな……。芝居や錦絵の評判を聞いたから私など振られると思っていたが、いつものように笑ってくれる」
土屋さんが少しさみしげに微笑んだ。
うーん、この言葉から察するに、この人は細客?
「本当におまえにはすまぬと思っているのだ。私がこんな貧乏大名でなければもっとおまえを盛り立ててやれるのに……」
え?
いまなんとおっしゃいました?
大名?
「されど、土浦藩の台所事情は表向きの
……この人、土浦藩藩主の土屋さまだ……!
ウソ、マ?!
えええ?!
最推しが……!
いちばん会いたかった最推しが目の前にいる……!!はつ恋だとか言ってくれてる……!!
尊い……!尊すぎる……!
貧乏かあ……そういえば土浦藩って呪われてるのかと思うほど水害に見舞われてたもんね。
藩の歴史を調べたとき、水害にあう、の文字の多さに戦慄したもん。
藩がお救い米所を開設した、というのに至っては、江戸との交易で栄えてたはずなのに中身はどんだけ不運なんだよ……って同情したし。
「さようなこと申しんすな。わっちはお会いできんすだけで胸詰まる想い……はあ……今日はほんに良い日でござんす……」
うん、マジで。
息止まりそう。心臓の動きヤバい。最推しが自分の好みのどストライクタイプだったとか歴女的にどうしたらいいの。
しかも、体面を大事にする大名が、好きになったからってわざわざ身分を隠してまで通っててくれたなんて……そのうえそれが土屋さまだったなんて……!
後世に残ってた土屋氏の評判は嘘じゃなかった。
一徹な忠義者。徳川家からの信頼も篤い。
「私も胸が詰まる想いだ。ようやく会えた……山吹」
土屋さまがやっと表情をゆるめてくれた。
あ、ダメ、やっぱ笑わないで。息どころか心臓が止まる。
「ところで山吹、呼出への格上げの話だが、私に遠慮などもうするな。芝居になり、錦絵になり、おまえはもう一流の花魁だ。松平殿がおまえを盛り立てているとも聞いている。私はおまえに幸せになってほしい」
え?
「呼出になれば揚げ代もかかる、私も派手なこともせねばならぬ、ゆえに今よりもっと通えなくなる、とずっとお内儀からの申し出を断っているであろう?だがもういい。私は充分に夢を見た。次はおまえが夢を見る番だ」
そういうことだったのかー……伊兵衛さまに進められた通り、お内儀さんに話なんかしなくてよかった。
そっか、本来なら呼出相当だからあたしは客筋もいいし、天下の山吹なんて言われてたんだ。やっと謎が解けたよ。
……てか、相思相愛かよ!!
道中をするという花魁のいちばんの夢のはずのものを捨てるほど、山吹は土屋さまのこと好きだったのかよ!
どうしよう……あたしだってやっと会えた生きてる推しに「はつ恋だった」なんて言われて、そんな簡単にじゃあ呼出になります。なんて言えないよ……。
<注>
やり手の対応も塩:塩対応(素っ気ない対応の俗語)です。
最推しの土屋さま:歴女だった現代の山吹の真田信之さまに次ぐ推し。信之さまがいない時代と知ってからは最推し。土屋氏。武田家に仕えるなどさまざまな変遷を経ながら最終的には土浦藩9万5千石の中大名となる。譜代。もう一人の推しと謎の箱 で来歴や山吹が推す理由が詳しく語られています。
式部さん:キャバ嬢の意地、花魁の意地 で登場する義理堅いお侍の
台の物:仕出屋からとる食品。通常より高価でした。
細客:現代水商売用語。あまりお金を使わない、あまりお店に来ないなどの細いお客様の略です。
江戸との交易で栄えてた:現代でも醤油を「むらさき」や「おしたじ」と呼ぶことがあるのは、土浦藩の領内にあった筑波山の別名の「紫峰」土浦藩が存在した「
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます