第42話 禍福はあざなえる縄の如し

 あたしは刷り上がった錦絵を前にため息をついていた。

 顔は本人よりよく描けてる。悔しいけど、正直美人だ。たぶんあたしの宣伝効果的にはすごいはず。

 そこまではいい。


 でも火掻き棒……いくら拒否しても「山吹といえばこれであろう」とお殿様が退いてくれなかった火掻き棒……。


 錦絵の中のあたしは、お殿様がくれた赤繻子地あかしゅすじ金襴きんらんの背に金の火掻き棒の柄の入った仕掛を来て、火掻き棒を手に大見得を切っていた。


 しかもこれが爆売れしてるとか。


 江戸時代ヤバい。宇宙ヤバい。よくわかんないけど価値観ヤバい。


 錦絵効果と華鬘けまんのモデルになった花魁っちゅーことで、新規のお客さんもかなり増えたんだけど、素直にお殿様に感謝できない自分がいる。


 だってみんな火掻き棒をかまえてくれって言うんだもん!!!


 もう忘れてよぅ……。相手もいないのになんであんなものかまえなアカンの……。





               ※※※





 今日の夜見世には馴染みの筆屋伊兵衛さまが来てくれた。

 もちろん、伊兵衛さまが仕立ててくれた、白の正絹地しょうけんじ金糸きんしで山吹柄が刺繍された仕掛を着て上座に網を打つ。


「山吹、中村座の芝居、観に行ったぞ。華鬘役が凛々しゅうてな、まるでおまえを見ているようだった。周りに座る者たちにあの華鬘役の手本となった花魁と儂は旧馴染ふるなじみだと自慢したくなったわ」


 なのに、まず伊兵衛さまの口から出たのはその言葉だった。


 ……観に行っちゃったんだ……あれ……。

 

「あれ伊兵衛さま、恥ずかしゅうおりんす」

「自らの芝居があの中村座にかけられるなぞ、これ以上ない誉れだろう。恥ずかしがることはない。

 しかしたいそうな人気でなあ。儂でも良い場所を取るのに苦労した」

「人気……でござんすか」

「そうか、おまえはいつもここにおるから知らないのだな。いま江戸は、華鬘けまん華鬘けまんのもととなった山吹の話ばかりだ。女衆おんなしまで競って錦絵を買い求めておる。ほら、女衆おんなしは廓には入れぬだろう?山吹焼きや景気、あれを亭主の土産にねだるものも多いそうだ」

「それは光栄なことでありんすなあ」


 だから最近お内儀さんの機嫌が妙にいいのかー。

 忙しい忙しいって口では文句を言いながら、なんか足が軽そうだったもんなー。

 ち、現代ならマージンもらえそうなのに、惜しいことした。


「金物屋も火掻き棒が売れて潤っているそうだよ」


 マ?!

 なんで?!

 マジで江戸ヤバいよ?

 冷静になって!火掻き棒だよ?あんなの火の中をかき回すただの鉄の棒だよ?

 なんでアイドルグッズみたいになってんの?!


「大大名のお方が馴染になったのも知っておるよ。それでも儂のようなふるい馴染を振ることもなく、町人にもおごることなくいる山吹は、本当に良い女だという評判だ。

 ……儂もそのような話が耳に入るたびその義理堅さが嬉しくて仕方がない。仕掛のせいだけではない、山吹はもとより天女だな」


 よし!話がそれた!

 せっかくだから仕立ててくれた仕掛にありがとうしよう!


「そんなそんな。伊兵衛さまの仕掛のおかげでおりんすよ。伊兵衛さまの仕立ててくだしったこの仕掛、桜と梅なぞ飽かずに眺めておりんした。いまにも羽が生えそうだと」

「はは、羽が生えて天に帰られたら儂が困る。今度は儂が仕掛を汚してやろうか」

「あれ、ご冗談……」

「本気だよ。おまえは本当に好いたらしい女だからなあ」


 そこで、つい、と伊兵衛さまが座り直した。


「ところで山吹、そろそろ呼出よびだしになる頃合いではないか?なに、多少揚げ代が上がったとて儂の足は遠のきはせんから安心しなさい。馴染の花魁の格が上がったと自慢話の種が増えるだけだ」


 あ、そうかも。

 まだまだ遠いと思ってた呼出だけど、そこまであたしが話題になってる今ならいけるかも……!

 憧れの花魁道中……!

 

「そうでござんすなあ……でもこればかりはわっちの一存ではどうにもできやしやんせん。伊兵衛さまよりこれこの通りお言葉をいただきんしたと、お内儀さんと話をささんす」

「うむ。いざとなれば儂が口添えをしてやろう。ぜひ、話してみなさい」


 やった!

 あんなお芝居を上演したお殿様のことを恨んでたけど、こういう展開もアリなんだ!

 アッパーきめたいなんて思ってごめんなさい、お殿様。

 次に来たときはがっつり素直に感謝いたします。





<注>

禍福はあざなえる縄の如し:幸と不幸は表裏一体。

赤繻子地の金襴の背に金の火掻き棒の柄の入った仕掛:髪切りの対価 弐で山吹にお殿様から贈られ、山吹御前試合の巻で着用していた、お殿様的には「山吹ならこれ!」な仕掛。着物のランクとしては最高級の織となります。

大見得を切っていた:かっこいいポーズをキメていた。

馴染の筆屋伊兵衛:山吹対桔梗の巻 から登場する、50代くらいの品のいい裕福な商家の旦那。仕掛を2枚仕立てるくらい山吹に夢中です。

網を打つ:遊女が着物の裾をばさりと広げながら座るのを、漁師が漁網を海面にばさりと投げる姿に見立てた表現で、遊女ものによく使われます。

景気:ショートケーキがどうしても食べたい山吹が作ったなんちゃってケーキ。江戸時代でデザートを に詳しく登場します。

山吹焼きや景気、あれを亭主の土産にねだるものも多い:江戸時代は既婚者が遊女屋に通っても、財産を食いつぶす、遊女に入れ揚げすぎる、などの問題を起こさない限り、それほど忌避はされませんでした。遊女は女性のファッションリーダーでもあったので、歌舞伎の演目の題材になり、錦絵まで刷られた花魁なら特にです。

羽が生えて天に帰られたら儂が困る:天女伝説の定番、男が羽衣を手にして隠しているうちは天女は人間界に留まり嫁になってくれていたが、羽衣を見つけ手にした瞬間、天に帰って行くということにかけています。

呼出よびだし:見世にも出ず、揚げられたら花魁道中をして引手茶屋まで客を迎えに行く、この年代の最高峰の花魁です。山吹の目標の一つでもあります。山吹は見世には出ませんが道中もしない、呼出の下の見世昼三という花魁です。

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