第40話 みんなで仲良く祝勝会
お殿様とも別れて、あたしは巳千歳の入り口をくぐる。
今朝ここから出発したのに、もう何日もたったみたいな変な感じ。
「山吹、戻りんした」
誰にともなく声をかけながら中に入ると___。
「山吹どん!」
桜と梅が顔中に嬉しそうな笑みをたたえて迎えてくれた。
ついでに、いつもの顔のお内儀さんも。
「お殿様の使いの方が来なんして!」
「山吹どんが見事お武家様に勝ったと!」
「この子らの言うとおりだよ、山吹。はあ、あんた、まさか幽霊じゃあるまいね」
お内儀さんが胸の前で手の甲をひらひらとうらめしやのポーズで振って見せる。
「この通り、手も足もついておりんす」
「あんたぁ何者なんだい。相手は本多さまの家中の一番手だったというじゃないかい。まさか色香で落としたんじゃああるまいねえ」
「わっちはただの花魁でござんすよ。色香で落とすほどの器量もありやしやんせん」
「そっちの方がよっぽどことじゃないか。どうやったらただのうちの花魁が御前試合に勝って帰って来るんだい。はあ、これからまた
ふん、と鼻を鳴らしてから、お内儀さんは照れたように笑った。
「……おかえり、山吹。よく無事に戻って来たね」
「あい。行く末もよしなに願いんす」
「肩を切られたというがそれは大丈夫かい」
「
あとはさすがに今日だけはすべて休ませてくんなんし」
「いいとも、それで充分さね。あんたの客はみんないい筋だ。床入りするよりあんたがお武家さんをやりこめた話を聞きたがるだろうさ。それでもなんやかんや
「お気遣い、ありがとうござりんす」
「なあに礼なんて言うもんじゃない。ここにいるうちのお職にゃずいぶん稼がせてもらってるからね。無体を言って
わざとらしく肩をすくめ、お内儀さんは「ああ忙しい忙しい」と内所に引っ込んでしまった。
顔はいつも不機嫌そうだけど、中身は意外と優しくていい人なんだなーと思う。
お水の経営者に向いてるね、まあむ ふらわあ。
「山吹どん、座敷に祝いの準備をささんした。さ、さ、早く」
「あれ、桜姉さん、肩に怪我のありんすお方の腕を引いちゃあなりんせん」
※※※
「これは……!」
あたしは座敷の卓の上に並べられたごちそうに目を見開く。
コーヒー、ケーキ、それにこの前のよりもっと大きなローストイノシシ……!
「景気に恋秘、山吹焼きにささんす!」
「山吹殿勝ち祝いということでたぁんと用意いたしんした!お内儀さんもああ言いささんしたことでおりんすし、わっちらに存分に祝わせてくだしんす」
「すべて二人だけで用意してくだしったのでござんすか」
「あい。わっちらは山吹どんの妹女郎でありんすから」
「お内儀さんもいくらか出そうかと言いささんしたがお断りいたしんした」
「山吹どんをどうでもわっちらだけで祝いとうござんしたゆえ」
え、え。禿って無給だよ?あたしや客からの小遣いでやりくりしてるんだよ?
そりゃあ住居費や食費や光熱費はかからないにしても、習い事や自分が食べたいものなんかは自費なんだよ?
だから、着物だって簪だって、面倒を見るのは姉女郎って決まってるんだから。
あーもう……あたしこういうのに弱いんだよ……。
強く出られたら殴り返せるけど、優しくされると申し訳なくなっちゃう……。
なんとかこの子たちに使った分くらいのお金を返したい。
いや返さなきゃ義理が立たない。
でも、どうしよー……。
……あ。
「ではわっちもご祝儀をやらねばなりんせんなあ」
「え」
「わっちの禿がよう育った祝儀でささんす。よもや受け取らんとは言わぬでござんしょう?」
顔を見合わせていた桜と梅が、あたしの言葉からなにかを察したのか、深々と頭を下げた。
「ありがとうござりんす」
「謹んでいただきんす」
あーもう可愛い。マジ可愛い。
あたしはニコニコするのが抑えられない。
「それでは酒を注いでくんなんし」
「傷に障りやしやんせんか」
「かえって毒消しになりんすえ。ももんじを食べるときはこれがのうては味気ない」
「山吹どんは豪気でありんすなあ」
「なに、花魁になりんすれば度胸など嫌でもつきますえ。ささ、桜と梅も
「あい!」
「わっちは恋秘だけは勘弁してくんなんし」
眉を寄せた梅にそう言われ、最初にたんぽぽコーヒーを飲んだときに苦さにさんざんむせた梅を思い出す。
ほんと、可愛い。
絶対あたしが二人は守るからね。巳千歳一の花魁に育てるからね。
「なにやらやかましゅうおりんすなあ」
「桔梗殿?!」
「ほう、これはお武家様に勝った山吹殿。花魁なぞ辞めて剣術指南でも始めたらどうですかえ。さすれば巳千歳のお職はわっちでござんす」
「よう口のまわること。それでわっちがおらんようになりんして、桔梗殿はお職になってうれしゅうござんすか」
「うれしゅうはありんせんなあ。わっちは剣術ではなくここで山吹殿とお職勝負がしたいゆえ」
……このツンデレめ!
事情を知らない桜と梅は、「どうしよう」「どう止めよう」という顔をしている。
「安心なんし。桔梗殿はこれでも祝いに来てくだしったのでおりんす」
「これでもとはなんでござんすか」
「あの口のききよう、これでもでござんしょうよ。さ、お入りなんし。わっちの可愛い禿らが祝いの準備をしてくだしんした」
「これは豪勢な。桜も梅も孝行な禿でおりんすな」
「あい。わっちにはもったいない禿でおりんす」
「……うちの椿も入れてやってようござんすか」
桔梗の後ろから椿ちゃんがおずおずと顔を出す。
『椿にも好かれちゃあおりんせん』
あのときの切なげな桔梗の声が頭の中に蘇った。
「もちろん。さ、椿もお入りなんし。祝いの席に供に誘いささんすなど、良き姉女郎を持ちんしたなあ。ほら、
「ならば山吹殿も童であると」
「桔梗殿にはケーキはやりんせん」
「冗談、冗談でござんすよ。ほら椿、山吹殿がこう言ってくだしんした。遠慮のう食べましょうぞ」
桔梗と椿ちゃんが座敷に座る。
怪訝な顔をしていた桜と梅も、桔梗とあたしの笑顔のやり取りを見て安心したみたいだ。
桔梗の前にも料理を置いたり、ちょこまかと動き回っている。
死ななくてよかったなあと、今日、はじめて思った。
<注>
お職:その廓内でのナンバーワン。
お茶ひき:客がつかないこと。客がつかない遊女は茶葉を石臼でひく軽労働をしたことから。
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