第39話 山吹御前試合の巻 終~幕間
駕籠から降りて、吉原の大門をくぐる。
正直、生きて帰れないかもと思ってたからなんか嬉しい。
本多さまも男前な性格……てゆーか、このお殿様と気が合うだけあって、あれは変わってるだけか。
勝ったときもメンツを潰した花魁として闇に消されるのも覚悟したもんなあ。
まあうちは勝てば満足だからそれでも笑ってただろうけどさ。
心配なのは梶井さん。
本多さまは、ああ言ってくれたけど、ほんとに腹を切らないか気になって仕方ないよ。
江戸時代にヤンキーはいないし、ボクシングの概念なんかないんだから気にしないでくださいって言いたいけど、まず話を理解してもらう前提条件からして無理があるもんなあ……やっぱいつものノリでアッパーぶち込んだのはよくなかったかなあ……。
「どうした、山吹、気ぶっせいな顔をして。傷が痛むのか」
山口巴屋の前に、わざわざ
「梶井さまが腹を召さんかが気がかりでおりんす」
「ああ、そのことか。心配するな。あれで本多は筋の通った男。やらせぬと言えばやらせぬ。わしが親しくしておるような男だぞ?」
……なんかよけい心配になった。親しいのか……親しくできるのか……この人と……。
ふう、とため息をついたあたしの機嫌を取ろうとしたのか、殿さまが、よし、と手を叩く。
「今日は山吹総揚げといくか!」
「お殿様、わっちは怪我人でありんすよ。いかなわっちとて、今日くらいは養生せねば身がもちんせん」
「ああ、そうだったな、すまぬ。……そうだ、山吹、わしは数珠柄の仕掛など仕立ててやらぬからな!絶対に仕立ててやらぬからな!」
突然、殿さまが立ち上がらんばかりの勢いであたしに食ってかかってきた。
ほんと、この人、しょーもない。
「あいあい。自分で仕立てささんすゆえに心配なぞ無用でござんす。赤の仕掛の仕立て直しも無用でおりんすよ」
「なぜだ。わしはあれは仕立て直す気でおったのに」
「あれには鉄火山吹の武勇伝がつまっておりんす。御前試合に持ち込まれ、その血を吸った花魁の仕掛なぞ、前代未聞でおりんしょう」
「そうか……そう思ってくれたのか。真剣勝負の意味もわかっておらなんだうつけのわしに……」
「わっちは勝負の好きな女。花魁の身ではけして味わえぬあのような場を設けてくだしんして、かえって殿さまに礼を申したい心もちでおりんす。本多さまにも会えんしたしなあ……」
「本多の話はするな!まったく、山吹が本多に入れ揚げているのを知っておれば、はなからこのようなことをせんかったというのに」
「わっちの片恋でありんすよ。それにわっちがほんに好いておるのはもういない忠勝公でござんす」
「わしは忠勝公まで嫌いになりそうだ。ほかに片恋している男はいないか?!正直に申せ!」
「それは野暮というもの……いつかはわっちの口から、殿さまがいっち恋しいと言わせてくんなんし……」
勝手にヒートアップしちゃったお殿様の顔を上目づかいで見て、その小袖の手元を軽く引きながら、あたしは目を細めて微笑む。
「う、うむ、そうだな。また山吹の
だがな、いいか、山吹、わしに好いてほしい女はあまたおる。はようせねば間に合わなくなるかもしれんからな。それだけは覚えておけ」
……ちょろいなあ。現代だったら絶対に変な壺を買わされるタイプだよ、この人。
しかも最後まで変だってことに気付かないという。
「あい。心に刻みんすよ」
「ならばよいのだ」
ふむ、と勝手にうなずいて、お殿様は不意に上を見上げる。
「……空が綺麗だのう。なぜだろうな。そなたといるとつまらぬものが綺麗に見えてかなわん」
それから慌てたようにふるふると顔を振った。耳が赤い。
え、これで照れるの?!
この人の基準、マジわかんない。
「茶を、茶の代わりをはよう持て。
あーもうしょうがな。
そう思いながらも、あたしはそんなにいやな気分じゃなかった。
「そう急がんともゆるゆると、空模様を楽しみましょうえ。わっちの心もあの空のように晴れておりまする……」
<注>
駕籠から降りて、吉原の大門をくぐる:吉原の中にはどんなお金持ちでも大名でも駕籠で入ることはできませんでした。例外は医師だけでした。
山口巴屋:吉原にあった引手茶屋(遊女屋への案内をしたり宴会をしたりするところ)の中でも大門に近く、最も格の高かった店。
気ぶっせい:気づまり
総揚げ:遊郭を一件貸切にすること。とんでもない金額がかかるので遊郭と揚げられた遊女は大喜びです。
いっち:江戸言葉で「いちばん」
野暮天:マジダサ男。
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