第35話 山吹御前試合の巻 伍~到着

 さて、おなかもいっぱい、お肉にも満足したあたしはお殿様から届いたトンファーのどれを使うか考え始める余裕が出てきた。

 これからは「山吹焼き、くだしんす」って言えばいつでもローストイノシシが食べられるしね!

 やっぱ人間、食が満たされないとダメだわ―。


「つってもこの数どうよ……」


 蔵の床を埋め尽くすトンファー。

 どこの巨大連合を襲撃するんですかって感じ。現役時代なら喜んだかもしれないけど今こんなにもらってもなあ。


 とりあえずグリップを握ってみてピンと来ないのをよけて……その残りから選ぶしかないか。





                  ※※※






「山吹どん、恋秘を持ちんした」

「ああ、桜、ありがとうござりんす」


 助かった。トンファーが視界の中でゲシュタルト崩壊しかけてうなぎに見え始めてた。


「あまたありんすなあ。これをすべて使いんすか」

「いやいや、使うのは二本のみでござんす」


 その言葉と床の惨状とあたしの表情から桜も何か察したらしい。


「わっちらは何もすけることができず申し訳ありんせん。……無理だけはせんでおくんなんせ」と気の毒そうな顔で蔵から出て行った。


 でも熱いたんぽぽコーヒーを飲んだらだいぶ回復したし!

 もうトンファーもうなぎには見えないし!


 冷静になった頭で最終候補に残ったトンファーを握り直す。


 アームガード以下の部分は小回りが利くようにできるだけ短く、逆にその上の部分はあたしがいつも使ってた特殊警棒みたいに長く。

 真剣でも簡単に両断されないくらいの太さと強さで、でもあたしが使いづらくないくらいの重さで。


 立ち上がって、目の前の仮想敵に向かってあたしはそれを構えてみる。


 今度の相手はただ頭に血が昇って剣を取っただけのお武家様じゃない。はなからあたしを冷静に殺しにかかってくる、その家いちばんの相手だ。

 だから、もちろんこれだけで勝てるなんて思ってない。

 花魁に負けるなんて大恥だろうから相手も必死に決まってるしね。


 でもあたしだって死にたくないし、なにより負けたくない。勝ちたい。本多さまの前で。

 そのためにあたしはなんとか御前試合のルールの穴を見つけた。


「申し訳ありんせんが、これも苦界の女の戦い方でござんすよ」


 あたしはぬるくなったコーヒーを一気飲みし、誰にともなくつぶやいた。




               

              ※※※





 御前試合当日、四郎兵衛会所であたしに切手が出された。

 年季明け前の遊女がまともに吉原から出るにはこれしかないという切手。

 もちろん、お殿様の言いつけだから今回は快く発行されただけで、普通ならば年季前の遊女には絶対に渡されたりはしない。

 なぜなら、これがあれば吉原から合法的に出られるから。


 それを見せて大門を堂々と出て、あたしはお殿様が仕立てた駕籠に乗る。


「山吹、駕籠の具合はどうだ?布団は足りておるか?駕籠者は乱暴ではないか?」


 前の駕籠から首を出して叫ぶお殿様のテンションはいつものままだ。

 でも、それに返答するあたしの声音はすこし固い。

 だって、わくわくもするけど緊張もしてる。


 推しの前でする真剣勝負。無様な姿なんか見せたくないから。


「委細ないでおりんすよ。お殿様こそ駕籠から首を出すのは危のうござんすからやめてくんなんし」

「そなたの言うとおりだな。これで控えよう。よいか、駕籠者、山吹は大事な身だ。わしより気を付けて運べ」

「し、承知いたしました」


 お殿様より花魁を大事にしろと言われて駕籠かきは目を白黒させてる。


 てゆーか大事な身ってなによ?!

 おなかに殿さまの子どもでもいるみたいじゃん!


 あ、ツッコんだらすこし気分がほぐれた。

 なるほど、このお殿様にはこんな効能があったのか。


 くすっと駕籠の中であたしは笑う。


 そのまましばらく駕籠に揺られて……。


「ついたぞ、山吹」


 その声と一緒にあたしは本多さまの大きな江戸屋敷の前に立っていた。






<注>

どこの巨大連合を襲撃するんですか:不良の世界ではいくつかのギャングやヤンキー、暴走族などがさらに強くカリスマ性のある組織の下に付き、普段は別に動きながらいざとなるとトップを中心に連合を組むことがあります。

恋秘:山吹がたんぽぽの根で作ったなんちゃってコーヒー

すける:助ける、の江戸言葉。すけっと、などの言葉に痕跡が残っています。

特殊警棒:固くて強いヤンキー御用達の棒状の武器。警察官も携行しています。(所持は法に触れる場合があるのでご注意ください)

苦界:吉原のこと。苦しい世界であるから。

年季明け:遊女は奉公人であると位置づけられていたため、27,8歳になると奉公の年季が終わったということで表向きは自由の身になりました。ただ、体を売ることしかできない遊女も多かったため、その年齢を越えても吉原に自分の意思でとどまる遊女も多くいました。

四郎兵衛会所:大門近くにある、吉原に入るための入退場券を販売している場所。遊女でない一般女性はここで切手(入退場券)を買い吉原に出入りしました。商売のために出入りする女性、新しい流行を知りたい女性など、普通の女性も多く吉原を訪れていました。

切手:四郎兵衛会所で販売している吉原の入退場券。山吹はもともと吉原に住む遊女なので出る際の切手のみお殿様が手配してくれました。

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