第33話 山吹御前試合の巻 参~オーブンがなければなんとかすればいいじゃない

 お内儀さんとの話も終わり、桜と梅の書いた書もチェックして……。


 待ちかねていた時の鐘が鳴る。


「おにくー、おにくー」


 思わず歌も出る。

 あ、ちゃんと桜と梅が近くにいないのは確認しました。


 だってお肉大好きなんだよねー。


 基本、江戸の食事は悪くない。

 遊郭でもかまど炊きの白いご飯が食べられるし、そのせいで脚気の死者が増えたくらいだし。

 これは脚気だけのせいじゃなくて、古米も食べてたからそこに含まれてるカビ毒のせいで腎臓や肝臓を壊して死んだ人が多かったからとも言われてるけどねー。


 お蕎麦だって今はめずらしい、小さな貝柱をいっぱいに散らした「あられ」とか、現代で食べたらおいくら万円になるの?!な手作りの浅草海苔をお蕎麦の上に贅沢にたっぷり散らした「花巻」なんかがあるし、マグロのトロは下品な魚扱いだったから捨て値で食べ放題。大トロとネギをお醤油出汁でさっと煮た「ねぎま」なんて神様に叱られそうなごちそうまで食べられちゃう。

 当時はまぐろは下魚だからみんな食べなかったなんて知ったかする人もいるけど、そんなことないない!確かに上品な魚の分類には入らないけど、安く手に入る貴重な庶民の味だった。じゃなきゃなんで「ねぎま」を食べて感動するお殿様が主人公の「ねぎまの殿様」なんて古典落語があるのさってね。

 揚げたてのてんぷらも握り立てのお寿司も屋台でささっと食べられる。江戸初期はれずしっていう、匂いの超きついチーズみたいなお寿司しかなかったから、早ずしがある時代に来れてよかった……!


 ……さすがに花魁が屋台でお寿司食べてたらどんびきされるから、桜たちに頼んで買って来てもらってるけど。


 甘いものだって吉原名物竹村伊勢の「最中もなかの月」に煎餅と言いつつクッキーみたいなサクサクの甘いの、こんぺいとう、おはぎ、練りきり、羊羹……全部職人さんが手作りしてて、機械化されてないから本当においしい。


 ケーキ食べたきゃ景気たべればいいし。


 ただガッツリ系が……!!


 ピザ食べてコーラ飲んで体重ヤバいみたいなコンビがいない!


 天然のお出汁と味付けは上品で本当に美味しいけど、たまには化学調味料と人工調味料まみれのジャンクな味が恋しくなる。


 だから今のあたしは期待に満ち溢れていた。

 中身がイノシシだっていいんだ。ローストビーフが食べられるなら。


 また桜と梅を混乱させちゃかわいそうなので、あたしは一人で飯炊き場に向かう。


 うん。梅干し壺に密閉していたお肉はいい感じにマリネされていた。


 よーし、じゃあこれをオーブンに放り込んで百八十度で一刻……オーブン?


 ……オーブン、ない。


 せめて鉄製のかまどがないか見てみるけど、当たり前だけどあるのは純日本式の土のかまどだけだ。


 マ?!マ……マ……。


 ノリノリできた分これはキツい。

 てゆーかなんで気づかなかった自分。

 江戸時代にオーブンあるわけないじゃん。

 いやあるとこにはあるけど吉原の遊女屋の飯炊き場にあるわけないじゃん。


 このイノシシの塊どうすんの。

 むしろおまえの脳はイノシシか。


 放心していたあたしの頭の中に、久しぶりにピコーン!のLINEスタンプが押される。


 オーブンがなければ塩釜焼きにすればいいじゃんな。

 うわすっげ、あたし天才じゃね?

 ね?


 それならさっそく……塩と卵の白身だけなら飯炊き場でもまかなえるかな。


 あたしはその辺をうろうろして飯炊き担当さんを捕まえる。


 はじめはなんか怯えられたけど、無事、大量の塩と卵の白身をもらうこと、かまどの使用許可を得ることに成功しました。 

 あの……誰彼かまわず火掻き棒で襲ったりしませんから……なにげない一言で狂暴になったりしませんから……誤解しないでください。

 普段は穏やかな人間なんです……。






                    ※※※






 まずは塩釜を作るために、塩にときほぐした卵の白身を少しずつ加えて混ぜてねっとりさせる。

 それでもう一度丹念に日本酒マリネ液を揉みこんだお肉の塊をぺたぺたと覆って……下味の塩は塩釜から塩分が出るので省略しました。


 よし!お肉を塩ペーストで分厚く完全に密封できたらできあがり!

 あとはゴンゴン火がついて何かを煮てるかまどの灰の中にそれをそーっと入れるだけ!


 木材の燃焼温度は確か二百度プラマイ五十度くらいだから、それより少し温度が下がる灰の中に入れとけば予定通り一刻でちょうどいい感じにローストされるはず!


 あたしは嬉しさに鼻歌を歌いながら、白い塊を灰の中に棒で押し込んだ___。






<注>

時の鐘:当時は江戸に何か所かある時計を持つ家が鐘をついて時間を知らせていました。鐘付き料は町人だけでなく、武家、大名も徴収されていました。当時の時計は大変高価だったため、徳川幕府、大大名、大寺院くらいしか持っていませんでした。

古米:現代の適切に保管されたお米にはこのような心配はまったくありません。不適切に保存されたお米がカビた際にカビから出る毒素が腎臓がんや肝臓がんの原因となります。

花巻:海苔の散る様子を花びらが散らされたようだと見立てたから花巻という説と、浅草海苔をたっぷり散らした華やかさとかけて花巻とした説があります。東北地方の地名が由来ではありません。

ねぎま:「ねぎ」と「まぐろ」で「ねぎま」です。当時まぐろは腐りやすく、また、さっぱりした味の赤味の方が価値があるとされていたため、トロは安く放出された江戸庶民の食べ物でした。庶民の味に感動する「ねぎまの殿様」という落語、「ねぎま」という冬の季語もあります。季語にはとんでもないものもありまして、春の季語には「虫殺す」があります。

れずし:お寿司の原型です。魚を米飯に漬け込み発酵させます。このことで日持ちが良くなり独特のうまみが出ます。ただ発酵食品であるため、ウォッシュチーズ系の強烈な臭いがするため好みが別れることのある食品です。現在簡単に手に入る熟れずしは琵琶湖周辺で作られるふなずしなどがあります。江戸時代中~後期は熟れずしは発酵に時間がかかるため廃れていき、酢飯の上に生魚を乗せて握った早ずしが普及していきました。

最中もなかの月:最中とありますが、現代では最中かあんこのお菓子かは判然としません。遊女に人気があったのは本当です。

一刻:当時の時間は現在と違い、1時間=60分ではありませんが、便宜上1時間程度と思ってください。

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