第32話 山吹御前試合の巻 弐~牛肉がなければイノシシを食べればいいじゃない

 できるだけ新鮮でよく血を抜いた山鯨の脂ののったとこの塊肉。

 うわーおいしそう。桜と梅、超有能。マジ有能。

 値段はちょっと高かったけど肉を求める心には変えられない!


 飯炊き場からからっぽの梅干し壺を借りてきて、ついでに飯炊き場も借りて、粉山椒、擦った生姜、刻んだネギ、ほんの少しだけのたたき梅を入れ、そこにお肉をドン!


 それからお肉が完全に浸るよう日本酒を入れて、愛をこめて揉みこむ。


 久しぶりにローストビーフゆーかイノシシだけど、とにかくローストなんかを食べたくて、ハーブ類とワインの代わりにこの時代でも手に入る香辛料と日本酒を使ってマリネ液を作ってみたのです。


 うんうん、山椒と日本酒の香りが合ってよきじゃん?


 ちな、桜と梅はもうツッコむこともせず、悪魔の所業を見るような目で見てました。

 大丈夫だよ。怖くないよ。


「山吹どん……それはなんのまじないでござんすか」


 桜の口から出てきた言葉に思わずあたしは吹きだす。


 確かに、生肉を微笑みながら揉んでいたのは客観的にみると不気味だったかもしれない。

 うん。否定はしない。あたしも先輩が突然生肉を揉み始めたらいろいろと心配をする。


「違いんす。ローストイノシシのしたごしらえでありんすえ」

「ろおすといのしし。また南蛮の料理でおりんすか」

「あい。精をつけるならこれがいちばんにありんす。わっちはももんじをまんと力が出やんせん」

「味噌漬けやなんやでは駄目なんでござんしょうか……?」


 梅に遠慮がちに聞かれて、あたしは断固として首を横に振る。


 確かに味噌漬けや醤油仕立ての小鍋ならこの時代でも、ももんじ屋でイノシシや鶏肉が食べられる。


 でもあたしはがっつり肉が食べたい。


 ぶっちゃけステーキとかローストビーフとか、たまには和風じゃないものが食べたい。


「のちほど味噌も使いんす。されどわっちはこれが……ももんじをんだと思えるこれが好きでたまらんくてござんすよ」

「は、はあ……」

「さて、焼くまで一刻ほど待たねばなりんせん。わっちはお内儀さんと話がござんす。良い話でありんすから気ぶっせいなことは思いささんせず、そうさの……書の稽古でもしなんし。あとでわっちが吟味しんしょう」







                  ※※※







「御前試合?!」

「あい」

「あんたが?!」

「さよでおりんす」

「またあのお殿様のせいかい……」


 お内儀さんが煙管の灰をコンコンと落とす。

 それから、はあ、とため息をついた。


「受けるほかなかろうねえ……あのお殿様は今じゃうちの上得意だ。金払いだけじゃない。あのおん大名様があんたに首ったけでうちに通ってくるってのがぁ江戸雀の評判になってるんだよ。おかげで巳千歳うちの名もうなぎ上りさね」

「わっちに異存はありんせん。武勇に名高き本多さまに卑しき女の身なれど目をかけてもらえるなど、これほどの誉れはなさしんす」

「……そういえば、あんたは武家の出だったね」


 お内儀さんの目が、一瞬、遠くを見た。


 て、え、マ?!


 山吹、零落れいらく武家出身説キタ!!!


「上役の代わりに親父さんが詰め腹切らされてこんなとこまで流れてきたが、やっぱり血は争えないのかねえ……」


 しかもそんな重い過去?!


 だから桔梗はいつも笑ってたあたしが羨ましくて憎かったなんて言ったのか―……。

 確かにここにはいろいろな境遇で売られてきた子がいるけど、背景の重さはあたしはヘビー級だわ……。

 つか山吹、あんた、あたしと似たような過去を背負ってたんだね……。


「まあそのことに関しちゃああんたに任せるよ。お武家のことはなにしろあたしらにゃあさっぱりだ。それにお殿様はあんたの言うことしか聞かないだろうから」


 お内儀さんが苦笑する。


 それから、きりっと座り直してあたしを見た。


「なあに。何かありゃあ吉原のことなら、まあむ ふらわあがなんとかしてやるよ。あんたは遠慮なく鉄火山吹として暴れといで」




<注>

一刻:江戸時代と現代では時間を表す長さが違いますが、便宜上現代の1時間と考えてください。

江戸雀の評判:江戸の人々の話題になっているということ。この場では現代だとワイドショーで話題沸騰!的な意味で使っています。

零落れいらく:おちぶれる

まあむ ふらわあ:千里の道も一歩から。ナンバーワンになるために で英語で自分の名前を書いてほしいとお内儀さんに頼まれた山吹が書いた名前。おはなお内儀さんなのでまあむ ふらわあです。

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