第28話 宴のあとの闇
「
大門の前に立ったお殿様が、めずらしく憂鬱そうな顔をする。
「あれ、お殿様ならかようなことさんざん味わっておりんしょう」
「ああ。だが、さみしいと思ったのは山吹が初めてだ。なにゆえだろうな……」
「それはご自身で考えなんし」
お殿様の頬に指を添えてあたしは微笑う。
ほんとはその理由はわかるけど教えてあげない。
それは、自分で見つけないと意味がないから。
「ふぅむ……そなたはわしにいつも手厳しい。また来るからな。……来てもよいな?山吹」
「あい。お待ちしておりんす」
お殿様の手を恋人繋ぎして持ち上げ、互いの小指の指先に軽くキスする。
「ゆびきりげんまん。安心なんし。わっちはいつでもここにおりんすよ」
「不思議なものだ。そなたのその言葉を聞くと安心する」
「ならば何度でも言いんしょう。
わっちはここにおりんす。どこにも行きやしやんせん。ええ、どこにも行きやしやんせん……」
そう言いながら、あたしはお殿様の体を軽くハグする。ここにおりんすからな、どこにも行きやしやんせんからな、と繰り返しながら。
だって、体は大きいのに、そのときのお殿様はなんだか迷子になった小さな子供みたいに見えたんだもん。
お殿様たちのご一行が大門をくぐって駕籠に乗り帰って行く。
あたしはそれを見えなくなるまで見送った。
※※※
お殿様の見送りも終えて、さあ昼見世まで仮眠だー!と無駄に気合を入れて巳千歳に帰ると、あたしの前には理解不能な光景が繰り広げられていた。
これ、どうツッコんだらいいの?
上がり口で土下座させられている桔梗、鬼の形相で竹刀を握ったやり手、苦りきった顔のお内儀さん。
ええええ?
あたしがちょっと出てる間にいったい何があった。
「桔梗に白状させたよ。あんたの禿の髪を切ったのも、あんたの仕掛を汚したのも。
なに、あんたは
「あたしも座敷で話は聞いてたからねえ。山吹、ありゃああんたなりの意趣返しだったんだろう?
ほら、桔梗、礼を言いな。山吹はあんたにも金が落ちるようにちゃあんと落としどころを考えてくれたんだよ」
桔梗の肩がびくっと震える。
「普通の女郎ならその場で髪ぃひっつかんで
「こ、こたびは……お心遣い、ありがとうござりんした……」
「それだけかい、桔梗!」
ぴしゃりとやり手が竹刀を鳴らす。
「こ……このような不心得……二度とはせんと誓いんす。山吹殿とその禿……ほんに申し訳ないことをささんした……」
「まったく本当に不心得だよ!」
土下座したまま細い声で続ける桔梗に吐き捨てるような声を浴びせて、お内儀さんがやり手を見やる。
「仕置きをしとくれ。揚げ代はあんたについたから
「だとよ。来な」
やり手がぐいっと乱暴に桔梗の体を持ち上げた。桔梗はうなだれたままだ。
何をされるかはあたしにもわかる。
仕置き部屋に連れて行かれて竹刀で叩きまわされるんだ。
下手したら縛られて天井から吊り下げられて。
あたしは殴られる痛みは良く知ってる。骨を折られる痛みも。
でも桔梗はきっとそうじゃない。
「その……あまり手ひどうは扱わんでくだしんす」
「うちのお職は情がありすぎんのが珠に瑕だわなあ」
その場を去ろうとしたお内儀さんがそう言って、やり手にくい、と顎を向ける。
「殿さまから山吹宛に金の餅をいただいてるし、まあ山吹の言うとおり、手心を加えてやんな。明日の夜見世にゃあ出られる程度にね」
<注>
やり手:遊女を管理する女性。たいてい遊女上がりです。強い女性が多く、遊女につらく当たることや直接体罰を加えることもあったので恐れられてもいる存在でした。
打擲:ぶんなぐる
仕置き部屋に連れて行かれて竹刀で叩きまわされるんだ。:足抜け(吉原からの逃亡)や抱えぬしの意にそぐわないことをした遊女には竹刀で叩きまくる、天井から縛って吊るすなど「ぶりぶり」と呼ばれる体罰が与えられました。花魁のような高位遊女でも度を越した場合は体罰を与えられました。
お職:その店でのナンバーワンのことです。
金の餅:小判
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