第25話 髪切りの対価 壱

「山吹、悔しくはないのかい」

「なんでござんしょう」


 まだ指名のない昼見世。


 筆屋伊兵衛さまへ仕掛の礼のふみを書き終わり、国元へ戻られた式部さんへの様子うかがいの文を書いている途中、やり手がだしぬけにあたしの座敷へと入ってくる。


「あんたに惚れた松平のお殿様、今日は桔梗のところへ通うそうだよ。総揚げにしてさ」

「さよでおりんすか」

「気のない返事だねえ。やっとう使いをやり込めたあの意気はどうしたんだい。あたしゃ、お内儀さんと同じでさ、近頃あんたにゃ肩入れしてんだ。良く稼ぐし、あの大騒ぎも三方両得で収めてみせた。粋も稼ぎも器量のうちなら桔梗よりあんたの方が器量よしだ」

「そうも褒め畏まられんすとなにやら座り心地が悪うござんすなあ」

「別に何も企んじゃあいない。今更桔梗に鞍替えされちゃあなかの流儀にも反するしねえ。お殿様のまげを切るのも穏やかじゃあない。だが、あのお殿様、あんたにぞっこんだろ。あんたがひとこと言やあ、あんときみたいに穏やかにすむんじゃないかと思ってね」

「そこまで言いんすなら、上がられたときに申してみんす。聞くか聞かぬかはわかりんせんえ」

「あんたにしちゃあ随分威勢が悪いが、まあ仕方ない。頼んだよ」







                ※※※






 その日の巳千歳は清掻すががきが鳴り響き、大行灯がともる前から大わらわだった。


 何しろ、お殿様がやろうとしている総揚げというのは、目当ての遊女一人指名して遊ぶ普通のやり方じゃなく、みせに所属している遊女や芸者を全員集め、お殿様ご一行だけがその中で思い切り遊ぶことなんだから。


 つまり、現代風に言うと、貸し切り。


 それで当たり前だけど、これはアホみたいにお金がかかる。


 だってキャバクラやホスクラを一晩貸し切りにするのを考えてみ?


 店のランクにもよるけど、なんとなくすごい金額が動くのは想像がつくよね。


 それを聞いて桔梗は喜々として化粧に励んでるらしい。


 そりゃそうだ。今夜の主役だもん。


「山吹どん……ほんに何も申さんとようありんすか」


 桜が遠慮がちに聞く。

 梅も横でこくこくとうなずいていた。


「お殿様はなかのことがようおわかりではないのやもありんせん」


 桜が言いたいのは、同じみせの中で馴染になった遊女を途中で変えるのは半ばご法度になっているということだろう。


「なに、あのお殿様は道中をやるような花魁と普段はあすんでおりんす。わっちの言葉なぞ釈迦に説法でござんすよ」

「そうは言っても桔梗花魁のあのさま、わっちは悔しゅうて悔しゅうて……」

「桜、梅、前も言いなんしたが、わっちが負けたことがありんすか?わっちは鉄火山吹でござんす。

 安心なんし。負けるぐらいなら喉を突きんしょう」





                   ※※※






 大座敷にずらりと並ぶ巳千歳の遊女と芸者たち。

 その中心で桔梗は得意げに笑っている。ときどきちらりちらりとあたしを見ながら。


「山吹どん、山吹どんの座敷に戻りんすか……?」

「戻りんせん。わっちも巳千歳の抱え花魁でありんすからなあ。ああ、お殿様が来なんしたえ」


 この前よりも増えた気がするお供を従えて、お殿様が大座敷へと入ってくる。

 足を引きずったお武家様に黙礼され、あたしはそれに軽くうなずいた。


 桔梗の笑みが勝ち誇ったようにいっそう深くなる。

 そして、お殿様に向かって桔梗が「ござんせ」とお決まりの挨拶を投げかけようとしたとき……お殿様はその前をすっと通り過ぎてあたしの前に立った。


「山吹!恋しかった!」


 桔梗の唖然とした顔。


 悪いね、桔梗。あたしの可愛い桜と梅に卑怯な手を出した対価はここでこれから支払ってもらうよ。






<注>

やり手:遊女を管理する女性です。たいていは年季のあけた遊女がなりました。ときには厳しく罰を与えたり、厳しく当たったりする憎まれ役で、遊女には好かれていない場合が多いです。

今更桔梗に鞍替えされちゃあなかの流儀にも反する:ある程度格のある遊女屋、特に花魁に関しては一度指名したらその花魁を馴染にし続ける永久指名制でした。破った男性はまげを切られる、女装させられて大勢の前で笑いものにさせられるなどの慣習がありました。

清掻すががき:夜見世が始まる合図。輪番で廓の新造たちが三味線などをかき鳴らし道を練り歩きます。

大行灯おおあんどん:夜見世が始まるときにともします。


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