第17話 江戸の遊郭のやり方に現代キャバのやり方で挑んでみる

「お内儀さん、失礼します。山吹、客だよ」


 やり手が障子を開けながらお内儀さんに一礼する。


「ああ、もう昼見世かい。山吹、行っといで」


 おかみさんがそう言うのにかぶせるように、やり手がやれやれと首を振る。


「しかしありゃあ駄目ですよ。浅黄裏あさぎうらのりゃんこです。国元からの御用の旅の途中だから、山吹に会うために昼見世、そのあとは上屋敷に顔出しと、結局二日しか江戸にいられないと言ってました。切り餅は持ってるようだけど、裏を返す気もないとはねえ」


 やり手が眉をしかめた。

 お内儀さんも呆れたように煙管のふちを火鉢に軽く叩きつける。


「なんだいそりゃあ。浅黄裏はあすびも無粋でいやんなっちまう。山吹は先客がいると廻しをあてがわしときな。どうせ夜見世にゃあ山吹目当ての上客が来るんだ。疲れさすこともあるまいよ。

 気にせんでいいからね、山吹。あたしゃあ、あんたを本気で盛り立てる気でいるんだから」


「ちょいとお待ちくだしんす。その御武家おぶけさんはどこの家中かちゅうの方かお名乗りささんしたか」


「中国筋の……松平さまだとか……」

「あれ、ご大身たいしんじゃないか」

「松平さまはご大身でも、客のりゃんこは浅葱裏で御膳奉行なんて聞いたこともないお奉行さんですよ」

「そうさねえ……おまえさんの言うことももっともだ。廻しは誰をつけようか。まあ、松平さまの御家中ならそこそこのをつけてやろうかね」


 いやいやいやいや。そこはそうじゃないでしょう。


 中国筋の松平さまと言えば岡山藩最大三十一万石。治世も安定してて歴代君主にアレなお殿様もいない、徳川家康の御覚えめでたかった良物件なのに。


 このクラスなら上屋敷には従業員は二、三千人?


 しかも巳千歳に寄ったあとに上屋敷に上がるなら、御用の旅だってことだしいろんな人に会うはず=ここでいい接客をしとけばきっと勝手にあたしの話をして宣伝してくれる!


 聞いたことがない奉行だって意外とお金と権力を持ってたりすることがあるのは鸚鵡籠中記おうむろうちゅうきで身にしみてるし!

 

 その御武家さんだって江戸時代で言えば自分が田舎者なのはわかってるだろうから、浅黄裏だのなんだの言われるのは吉原では覚悟の上だろうしね。

 だから、そこであたしが「遠方からあたしのために来てくれてうれしい!」と心を込めたおもてなしをすれば、山吹はどうだった?と聞かれたときに「良い花魁だった」と答えるに違いない。


 逆に、上屋敷に詰めてる人たちは吉原に慣れてるから、その待遇が粋で破格なことに気付くはず。

 山吹に一度会ってみようかというご新規さんも増えるはず。

 この時代では「粋」であることがとても大事だったから。


 だから……その御武家さんが馴染になれなくても、そうやって枝を連れてきてくれれば、あたしの客は増える。


 キャバ時代のテクだけどねー。

 地方からの出張で一度しか店に来れない人にも親切丁寧に対応する→本社で噂を広めてくれて、その会社の接待御用達になったことなんて何度もあったもん!


「いえ、わっちが行きなんす」

「なんだい山吹、藪から棒に」

「そのお武家さまを心底もてなんしたら、わっちの客が増えなんすかと」

「何故だえ」

「……ただ、これからひと月ばかり様子を見てくだしんすとしか言えなんせん」

「ふうん」


 お内儀さんが煙管を口に運び、ふわりと煙を吐いた。


「あんたの頓狂にも慣れてきた。だが一度口にした言葉は戻せはせんよ。いいかい」


 つい、とあたしを見たお内儀さんの目は、もう完全に商売人の目だった。


「あい。承知の上でおりんす。けして夜の勤めも怠りんせん」


 あたしはそれをまっすぐ見据えながらうなずく。

 これも一つの賭けだけど、あたしは負けると思って賽は振らない。

 ナンバーワンの経験則が、あたしに「勝てる」と囁いてる。


「ならいい。せいぜいりゃんこにいい思いをさせてやんな」






<注>

昼見世:吉原の昼営業時間。九つ(昼十二時ごろ)から七つ(午後四時ごろ)まで。

夜見世:同夜営業時間。暮六つ(午後六時ごろ)から八つ。大門が名目上閉じるのは鐘四つ(十時ごろ・鐘を打って知らせたので鐘四つ)でしたが実際は夜十二時ごろまで出ることはできました。こちらが実際の終業時間で拍子木を鳴らして知らせることから木の四つと呼ばれました。(木の四つ=九つ)また、朝まで居続けることも可能でした。その際は明六つ(午前六時)に大門が開いた際に帰ることになります。大門はこの時間から開きっぱなしですがもちろん遊女は出ることはできません。

浅黄裏あさぎうら:国元から来た田舎武士を嘲った言葉。転じて野暮な侍を笑う言葉にも。田舎侍は着物の裏地が浅黄色だったことが多かったためこの名がつきました。

りゃんこ:意味はいくつかありますが、ここでは武士を馬鹿にする言葉として使っています。りゃんこ=武士ですが武士の前で使ったら喧嘩になると思います。

切り餅:一分銀百枚を紙に包んだもの。二十五両相当。現代の貨幣に換算すると約二百五十万円。形と色が餅に似ているので切り餅です。

裏を返す:初回買った遊女をまた買うこと。ただし山吹のいる時代では昔ほど厳格ではなくなり、初回での床入れもするようになってきました。(諸説あります)

あすび:遊び。江戸言葉です。

廻し:指名した遊女に先客がいたときに他の手の空いた新造などが一緒の床で寝ること。あくまで一緒に「寝る」だけで客は手を出してはいけない、新造などもいちゃついてはいけないという掟がありました。

中国筋:中国地方

中国筋の松平さま:岡山藩藩主池田氏。家康の娘を妻にした藩主がいたためか、松平姓を賜った。最大31万石。外様です。

上屋敷:参勤交代時の大名の江戸での屋敷。

鸚鵡籠中記:尾張徳川藩に仕えていた武士、朝日文左衛門の残した日記。徳川吉通の母が色狂いだったことから市井の決闘事件まで、どうでもいいけど生々しい江戸時代の生活がこまごまと書かれた貴重な記録です。

枝:現代水商売用語。他の従業員指名のお客様が連れてきたフリーのお客様や、なじみの客に紹介されて一人で来たフリーの客を指す。指名嬢・ホストがいるお客様を木に例えて、そこから伸びてきたものとして枝と呼びます。

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