第8話 ちょっと待て花魁。ありがとう義務教育

 稽古が一通り終わり、一人で卓の前に座っていたあたしは拍子抜けしていた。


 いい意味で。


 あたしの習ってきたことはちゃんと全部ここ江戸でも通じた。


 いや、むしろ前より垢抜けたと褒められたりもした。


 ちょっと待て花魁。


 きみらは芸事げいごとを極めた江戸のアイドルだったんじゃないのか、とツッコみたくなったあと、あたしは気づいた。


 江戸と現代じゃ教え方が全然違うんだ!


 現代にはきちっとマニュアルのあるレッスン、わからないことは即ググれるネット環境があって、参考文献だって楽譜だってお金を出せばすぐに手に入る。

 教え方だって代稽古なんかない、いつも師範に教えてもらえた。

 あたしは読み書きそろばんはこの時代の人よりできるし、文系なことは大学でしっかり4年間勉強させてもらったし。


 でもここじゃ、技術は見て覚えろで大事なことは口伝くでん、本は木版もくはん刷りで大量生産できないから貸本頼りが主だし……ちゅーか流派の詳細を書いた本なんか普通の弟子には見せてもらえない。しかも師匠が忙しければ番頭が代稽古に来て……。


 勉強だって庶民は普通は手習師匠てならいししょう止まりだしね。


 ありがとう現代!ありがとう義務教育!でも複素数とΣはいまでも嫌いです!文系なんで!


「山吹どん、茶を持ちんした。少し休みなんせ。こんを詰めると体に障りんす」


 高校時代の数学への恨みにつらつら思いを馳せていると、ことりと目の前に茶托に乗せられた茶碗が置かれる。


 桜がにこりと笑っていた。


「ほんに山吹どんの常磐津ときわづはいつ聴いても見事。美々びびしゅうてわっちは羨ましゅうござんす」

「左様でござりんすなあ。わっちはとこに華がないと言われんす」


 梅はすこし寂しそうに微笑う。


 てかあたしに茶托なんていらんしー!ってゆーてもこの子たちは「姉さんの茶でおりんす」とか言うんだろうなあ……。


「梅は声が細いのが珠に瑕でござんす。山吹どんを見習いなんし」

「そうは言いなんしても、何やら声が喉に詰まりんす」


「では、わっちが教えささんすか」


「え」


 桜と梅が顔を見合わせてきょとんとしてる。


「なんぞ不思議でありんすか?」


 梅の、声が喉に詰まるという言い分、なんとなくわかる気がしたから。

 梅は桜に比べて細身。もともと声量が少ないのに、それを補う喉の使い方や腹式呼吸を習ったことがないんだろう。


 あたし?お稽古以外にもアフターのカラオケで鍛えまくってますから!


「山吹どんにそこまでささんすこと、とても、とても……」

「それこそ気ぶっせいなことを申しんすなぁ。わっちでは梅は不服かえ」

「そんな……不服などのうござんす!げにげにありがとうござりんす!」


 それから、なんとなくこっちをじーっと見てる桜にも視線を移して。


「桜もともにささんせんか」


「あい!」


 桜が首がもげそうな勢いでうなずいた。


 寮に来て十日目。


 天然痘の潜伏期間のリミットはあと二日。


 だから、もし賭けが失敗して推しに会う前に五発の弾丸に頭をぶち抜かれても、この子たちに『姉女郎の山吹』として何かを残せたらと……そう思ったんだ。







<後書き>


口伝くでん:口だけで伝えること。

手習師匠てならいししょう:寺子屋のこと。江戸では寺子屋でなく手習師匠と呼ばれていました。

とこ:いつも。

アフター:水商売用語。勤務時間が終わったあと、お店の外でお客と食事をしたりお酒を飲んだりなどして遊ぶことです。ノルマではないことが多いですが、上客へのサービスや客を次に繋げるために行われます。ただしここで性的なことまですると「枕営業」「枕嬢」と呼ばれ、同僚に嫌われ、客にも軽く見られます。

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