第6話 歴女、推しに会うために命がけで種痘する

 よし、道具は揃った。


 桜が集めてくれた天然痘患者の水疱の中の液体、梅が集めてくれたささらにできるほどの大量の長い針、消毒用に吉原で手に入るいちばん濃い焼酎。


 何度かなんてわからないけど江戸時代の焼酎はカストリ焼酎だったはず。つまり、三合飲めばぶっ潰れるきっつーいヤツ。


 それに茶さじと水の入った小皿と懐紙。


 こんなもんでもBCGの真似事はできる。理論上は予防接種になるはずだ。


 だから……あとひとつ必要なのは、覚悟。


 なあに、そんなもの、あんたの娘に産まれた時からとっくにできてるよ、オヤジ。


 あたしは着物の片肌をむき出しにする。


 右利きだから、左肩。


 糸でくくってささらにした針をそこに合わせて、針先が全部肌につくようもう一度調整する。


 それから茶さじでガラス瓶の中の液体をすくい、小皿の水に混ぜ合わせた。


 う、と声が漏れるのがわかる。


 これは現代ならフォート・デトリックとロシアの軍事研究所だけに厳重に仕舞い込まれてる代物だ。


 日本でも……いや、世界中でも、危険すぎて検体の保存すら禁止されたウイルス。


 持ってるのは万が一のパンデミックの時のためと互いの牽制のために二大国だけ。


 日本じゃ東大のてっぺんのお医者さんでも実物は見たことがないかもしれない。


 そんな危険なものがあたしの目の前にはある。


 でも、それでもこれは、これからあたしがここで生きるために、花魁のてっぺん取るために……。


 それに憧れの推しに会うために必要なの!


 真田さま、土屋さま、井伊さま、本多さま!あたし、絶対に会えるようになりますから!


 特に恋文をくれた土屋さま!


 ああ……推しに「会いたい」って言われるなんて!歌を詠んでもらえるなんて!もしかしたら推しに生で会えるかもしれないなんて!


 歴女の悩みはみんな「推しがリアルに死んでる」なのに!


 なのにあなたさまに会えるあたしは世界一幸せです!もう死んでもかまいません!


 いや、あたしも会いたいから死にませんけど!


 土屋さまと仲良くお話しする自分の姿を思い浮かべながら、ちゃぷりと針先を小皿の水にひたす。


 フォート・デトリック?ユーサムリッド?人類最悪のウイルス?あたしの命?


 そんなもん推しに比べたら軽いもんよ!


「さぁて、生きるか死ぬかの大博打、鉄火のアンナの度胸の見せ所だよ!」


 ささらになった針先がぐさぐさと肩に食い込む痛みに唇をかみしめながら、あたしはさらに針を肩へと食い込ませた___。



<注釈>

小女こおんな:使用人の別名。少女でなくても小女です。


フォート・デトリックとユーサムリッド:アメリカ最強の細菌ウイルス研究所と対策部隊


予防接種:基本は皮下注射なので理論的には山吹のした方法でも可能です。

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