第5話 ゆびきりロシアンルーレット

 実は天然痘ワクチンを作るのはペニシリンやなんだを作るのなんかよりずっと簡単だ。


 しょっぱなに打たれるヤツが死ぬ覚悟と引き換えならね。


 文系のあたしだってジェンナーの種痘の作り方くらいは知ってる。


 江戸末期には日本人も種痘を始めたし、明治期になれば政府が種痘を率先して始めた。


 それは、種痘が生ワクチンだから。


 生ワクチンは薄めた病原体を体に接種して小規模な感染を起こし、抗体を作って免疫をつける。


 最初の種痘は、牛痘にかかった牛の乳搾り女が天然痘にかからなかったのを知ったジェンナーが、牛痘にかかった牛の水疱からウイルスだらけの液体を取り出して人間にぶち込んだんだ。


 ただ、生ワクチンの怖いところは、それが本物の病原体だから体の中でどこまで暴走するかわからないところ。


 もちろん現代の日本の生ワクチンはよほどのことがない限り発病しないように不活化調整されてる。


 でも今からあたしがやろうとしてることは、医者も製薬会社もかかわってない、ずぶの素人が人痘の浸出液を薄めて自分にぶちこむ___弾が5発入ったロシアンルーレットの引金を引くようなもの。


 桜の言うとおり疱瘡神に魅入られて死ぬかもしれない。死なずにすんでも顔も体もめちゃくちゃになり花魁どころじゃなくなるかもしれない。


 ヒリヒリするねえ。こんなときやっぱりあたしはオヤジの娘なんだと思うよ。


 極楽への道があるならそれが地獄と二分の一の確率でも進んでく___。





                   ※※※






「山吹どん、桜、梅、入りんす」

「おいでなんし。寮に出養生する手筈はわっちが整えんした。ただ……わっちにもできないことがありんすえ。それを桜と梅におがみんす」

「山吹どん、頭をあげてくんなんし。わっちらは山吹どんの世話をするのが務め。なんでござんしょう」

「桜と梅は疱瘡神にはもう行き会ったかえ?」

「あい。わっちは腕に、梅は肩口にすこぅし跡が残るだけですみんした」


 ビンゴ!


 この子たちはもう天然痘にかかってる!


 天然痘は終生免疫だ。一度かかったら二度とかかるることはない。


 てことは重症の天然痘患者に接しても感染はしない。


「では遠慮なく申しんす。鳥屋とやの中の疱瘡の女郎の吹き出物を切り、中の水をこの中に入れてきておくんなんし。ちょうどこの人差し指くらいまで」


 山吹の棚にあった、当時では高価だろうガラスの小瓶を取り出す。

 化粧水でも入れてあったのか、水を入れて逆さに振ってもほとんど漏れることはないいい品だった。

 きっと上客が山吹の気を引くために贈ったんだろう。


 え、江戸時代に化粧水なんかあったのかって?


 薔薇の花(ゆーてもこの時代には現代みたいな薔薇はないから現代人には薔薇には見えないような野ばらの花だけど)や薬草を蒸留して希釈した高級品から、へちまを絞っただけのへちま水まで、江戸時代にはもう何種類もの化粧水があった。


 自分も女だけど、綺麗になりたいという女の願いは時代を超えるみたいだ。


「疱瘡の女郎……?!」

「あい。疱瘡神は一度行き会えば二度は会わぬ神。桜も梅もかかりんせんから安心なんせ。ただばいどくの女郎と労咳ろうがいの女郎には近寄っちゃあなりんせん。できんすか」


 桜と梅がしばらく沈黙する。


 当たり前だ。この時代ではまだ天然痘の感染や抗体の仕組みなんて解明されてない。


 そうだよね。怖いよね。ごめんね。


「……無体を申しんした。わっちが自身で行きなんす」


 幸い、天然痘ウイルスはアルコールに弱い。焼酎ならこの時代でもあるから、それの超濃いのを買って口元を覆う布と手袋にしみこませてやれば感染リスクは減らせるはずだ。


「行っちゃあなりんせん!!」


「桜?」


「わっちが行きんす!畜生腹ちくしょうばらの鬼子二人拾っていただきんした御恩、わっちは一度も忘れたことはござんせん!」

「桜姉さん……行くならわっちも。山吹どんに御恩を返せる日がようやっときなんした」


 畜生腹……?鬼子……?


 ……そういうことか!


 桜と梅は双子だったんだ。それで捨てられたのを山吹が何かの理由で拾って禿にした、と。


 まあ、その事情はあとで聞くとして……。


「ありがとうござりんした。されど、わっちが先程申しんしたのはまことのこと。桜にも梅にももう疱瘡神は近寄りんせん。山吹花魁、小指をかけて誓いんす」



<注釈>

鳥屋とや:高位遊女は病気になれば環境のいい吉原の外の寮に行けたが、下位遊女は女郎屋の中の鳥屋と言われる一部屋の中にまとめて放り込まれた。(天然痘なら鳥屋にも入れず投げ込み寺に生きたまま捨てられた可能性が本来は高いです)

花魁の小指:遊女が誠意を見せる最後の武器。自分の小指を切って相手に渡す。「ゆびきりげんまん」の語源とも。

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