終章

終章

華岡たちが、亀山旅館に戻ってきた。

「亀山久子さんは、いらっしゃいますか。」

華岡は静かに言った。

「いま、弁蔵さんが、事件のことについて、お話してくださいました。それで亀山久子さんにもお話を伺いたい。」

「やっぱり、仕組んだのは、久子さんだったわけか。」

夕食を食べ終わった杉三たちは、ほっとしていった。

「ええ、亀山久子さん。弁蔵さんは、あなたが仕組んだのは、自分のせいだと散々おっしゃっていましたが、彼の供述だけでは、つじつまが合わないので、やっぱりあなたが仕組んだんだなと確信いたしましたよ。」

やっぱりそうか。

「ごめんなさい。お母さん。やっぱりしらを切り通すのは、難しいものでした。」

弁蔵が、また悪い足を引きずり引きずりして、なすびの間に戻ってきた。

「もういいわよ。弁蔵。久子さんが、悪いわけじゃないのは、よくわかってますから。」

「つまりどういう事だ?」

と、杉三が聞くと、

「私も、悪かったんですよ。久子さんが、ここを改築しようと言ったときに、久子さんは久子さんなりに真剣にやっていたと思うのに、彼女の意見を無視してしまっったんですから。」

と、重子さんは静かに答えた。

「それはね。私だって、思いはあったわよ。ここは、奥大井の自然を売りに、日本の伝統を守ってきたんだという自負心があったからね。久子さんは、今までのおかみとは違うから。其れよりも、明るくて一本気で、新しいものが大好きで。そんな人をよくこっちまで連れてきたなと、私もびっくりしたところがあって、漠然と不安だったわ。私は、初めの頃はここのことを嫌っているのかと思ったけれど、意外にそうでもなかったのね。彼女なりに、一生懸命何か考えていたのよ。それを、くみ取ってやれなかったのが、本当に残念だわ。」

「つまり知っていたんですかね。重子さん。久子さんの計画を。」

華岡が尋ねると、重子さんは静かに頷いた。

「知ってましたよ。ただ、自分の手を汚すのはいやだったんでしょうね。だから、誰かを使おうと思ったでしょう。昨年、久子さんの半分脅かすような後押しで、この旅館を和洋折衷に改築しました。その時に、例の、須田幹夫さんがやってきたんです。」

華岡は部下に記録を書かせ始めた。

「そうですね。僕は、名前もなにも知りませんでしたが、、、。」

弁蔵さんが、静かに口を挟む。

「ええ、そうだったわね。須田幹夫さんは、確かに知的障碍を持っていると聞かされていたけれど、とても、一生懸命で、簡単な仕事だけど、それを一生懸命してくれました。ただ、上の人のいう話にはことごとく弱くて、すぐに泣いてしまうような一面も見られました。」

なるほど。そうだったのか。それで久子さんはその弱みに付け込んだという訳か。

「ええ、でも、決して悪い人ではありませんでしたよ。私にも、お父さんやお兄さんのことを散々話してくださいましたもの。それは、本当に楽しい話でしたよ。彼が本当ににこやかに、その話を語ってくれましたもの。」

やっぱり、須田幹夫は、善良極まりない男だったのは、本当であるようだ。

「それでは、やっぱり、須田幹夫を利用したのは、亀山久子さんというわけですね。それではお母さん、どういう手口で、亀山久子が、須田幹夫を利用したのか教えてくれませんかね。」

華岡はでかい声でその真相を聞き始めた。

「あたしたちは、須田さんについては、なんとも思いませんでしたよ。ただ、久子さんは、違ったみたいですね。それでは、ずいぶん楽しそうに家族のことを話す、幹夫さんに、結構な嫌悪感はあった様です。何かあるにしては、幹夫さんについての仕事ぶりを、怠けているとか、のろまとか罵倒しておりました。それではいけないと、私も注意したんですが、一向に聞かなくて、そのうち、須田さんは、なかなか仕事に来たがらなくなりました。そうなると、久子さんは、須田さんに、意気地なしとか、こんなこともできないのかと嫌がらせをして、男なら、通り魔でもしてしまえと、言い出したんですよ。始めは、冗談で言ったと思うんですが、それは、わからなかったんでしょうね。あんまり何回も、ダメだだめだと言い聞かせていると、人間、従わなければならないという風に、思い込んでしまうようですね。それを利用して通り魔に仕立てるなんて、なんともひどいことですけど。」

「やーれれ。それを、止められる奴はいなかったんか?誰かが、権力で止めるという事はできなかったんですかい!」

杉三があきれた顔で言った。

「すみません、僕は、その当時、何も知らなかったんです。もう、自分の将来の事とか、これからどうなってしまうのか、先が見えないことで、不安で、それを考えることだけで精いっぱいで、何も出来ませんでした。僕が妹にそんなことはしないようにと、注意していれば、、、。」

弁蔵さんは、申し訳なさそうにいったが、

「いや、無理なものは無理ですよ、弁蔵さん。それはしょうがないことでしょう。」

と、部下の刑事が弁蔵さんに言った。

「なら、栄蔵さんはどうなんだろう?久子さんをここへ連れてきたのは栄蔵さんだし、結婚したのも栄蔵さんだ。今までの責任は栄蔵さんにあるのでは?」

杉三は、もう一回、念をおすようにいう。それは確かにそうだ。たぶんきっと、栄蔵のほうが、ここへ来ようと言いだしたのだと思うから。

「ええ、たぶんきっと、栄蔵さんは、久子さんにこの家にはない魅力みたいなものを感じたんでしょうね。それで、一緒に暮らしたくなったんでしょう。栄蔵は、よく、この地域の人と、トラブルを起こしていて、何とかして、それを、解消したかったでしょうね。それが、久子さんを結局苦しめるだけだったと思うのですけど。」

いつの間にか布団に座っている水穂がしずかに言った。

「たぶんきっと、繊細な栄蔵さんは、この地域に溶け込めなかったのではないでしょうか?それをどうしても変えたくて、久子さんを連れてきたのでは?あの、命をねらわれた恐怖に、いまだにたちなおれないところが、一番の証拠です。それくらい、非常に難しいと思います。」

「そうだよな。心が病んじゃうくらいだからな。いろんなことでこのままでいいのかと不安だったんだろうね。栄蔵さんも、久子さんも。そして、それぞれのやりかたで解決しようとしたんだよ。それは、悪いことじゃないけどさ、こういう風に、凄惨な結果になっちゃうこともあるってことだよな。」

杉三が、水穂に続いて、腕組をしてそういうと、ああなるほど、と、皆それぞれにいった。

「結局、この家を、こういう悲劇に巻き込まないで静かに暮らさせてやるようにするには、どうしたらよかったのかなあ?」

華岡が、思わずそう呟くと

「その漠然とした不安ってのを共有できればよかったのにね。それを解決できるように、相談できればよかったのにね。そのために人間集まっているのによ、これじゃ、何のために集まっているのか、正直わからんね。」

と、杉三が、ピシッと言った。

暫く、沈黙が流れる。

水穂が二、三度せき込んだため由紀子は、横になったほうがいいのではないの、と彼にそっといった。

「本当ですね。何のために私たちは、集まっていたんでしょうか?」

重子さんは、静かに、でも悲しそうに言った。

「知らない。」

ぶっきらぼうに答える杉三。

「でも、一匹では生きては行かれないことは、確かだぜ。」

それでは、なぜ集まっていたのだろうか。

「それならなぜでしょうか。僕は確かに足が悪いから、ここで暮らして行かなければならないですけど。」

と、弁蔵さんは言った。それはたしかなのだが、ほかの人はどうだろう?

不意に、華岡のスマートフォンが鳴る。

「はい、華岡です。あ、お父さんが?ちょっと待ってください。ああ、わかりました。それでは、今連れてきてください。お願いできますかね。」

「どうしたんだよ。華岡さん。」

「いやあ、それがね。須田幹夫さんのお父様が、どうしても皆さんに話したいことがあると言っているのです。」

全員、顔を見合わせた。

「そうか、ぜひ、連れてきてもらえ。お手本は、彼の家族かもしれない。」

数分後、亀山旅館の前に、もう一台パトカーが止まった。何人かの刑事に連れられて、須田幹夫の父親である須田昭男さんが、亀山旅館に入ってきた。

「初めまして。須田幹夫の父親であります、須田昭男と申します。」

と、昭男さんは言った。なんだか厳かな雰囲気のある口調だった。と言っても顔は普通のサラリーマンのような顔をしているのに。

「うちの幹夫は、確かに多くの人に対して迷惑をかける存在だったかもしれませんが、、、。」

昭男さんは、静かに言った。

「もちろん、それは分かります。私も、何回も似たような迷惑を被ってきました。でも幹夫は、迷惑をかける代わりに、誰にもできない笑顔というものがありました。あれだけはぜったい誰にもまねできないという、笑顔がありました。其れのために、私も、兄の昭典も一生懸命頑張ろうねって、言い合って生きてきました。幹夫は、たしかに社会的に言ったら何も役に立たない存在なのかもしれません。でも、あの顔をされたら、やっぱり頑張らなければならないなと思いました。もしかしたら、私たちが生きているのではなくて、私たちが幹夫に生かされている状態なのかもしれません。いつの間にか私はそう思うようになりました。それは、行けないことというのでしょうか。どうか、お願いです。あの子をこの世から消し去ってしまう事だけは、やめていただきたかった、、、!」

「わかったよ。お父ちゃん。たしかに憎らしい奴だとは思うけど、殺されちゃうってことは、ないよな。」

杉三が、とりあえずそういったが、ほかの者は皆黙ってしまった。

「はい。そういう逝き方だけはしてもらいたくありませんでした。また、誰かの道具という逝き方もしてもらいたくありませんでした。たとえ何の役に立たない存在であったとしても、誰かの道具として、通り魔をやらされて、挙句の果てに返り討ちなんて、そんなやりかたしかあの子の人生の締めくくりがなかったなんてことは、絶対に、有ってはならないことだと思います!もう一度言いますが、あの子は、確かに役に立たないかもしれません。でも、素晴らしい心をもっている子です。どうか、社会からははみ出たただの使いものにならない石ころではなく、普通の人以上に、本当の人間として見てやってください!」

「そうかそうか。そういう言葉が出るって事は、やっぱり善良極まりない男だったわけか。幹夫君は。まあな、世間様では、ただの石ころにしか見えないんだろうが、少なくとも、二人の人間に愛されたことは十分伝わっているだろう。くれぐれも、お父ちゃんと、兄ちゃんには、生きてほしいと思っているのでは、ないかな。だから、お前さんたち二人も、生きぬいてくれよな!」

にこやかに笑って、そんなことをいえるのは杉三だけであった。

「今の話、久子に聞かせたら、久子も反省してくれるだろうか?」

弁蔵さんがそうつぶやくと、

「いや、やめた方がいいでしょう。多分、彼女には、こういう感情は難しいと思います。一生理解できないまま、終わってしまう人も少なくないかもしれない。それは、悲しいけれど、人間であれば仕方ないことかもしれないんです。そうでなければこんな事件は発生しないでしょう。」

水穂がきっぱりと反論した。

「水穂さんどうして?教えなきゃいけないことはあるのではないの?」

由紀子がそう聞くが、水穂は咳き込んでしまい、返答出来なかった。

「水穂さんも、もう横になったほうがいいよ。僕もそう思うな。もちろん伝えていかなきゃいけないけどさ、でも、どうしても伝わらない奴もいるよ。そういうやつはそうだなあ、事件を起こさないように、誰かが見張っていなきゃいけないんじゃないのか。」

「家族がいるってのは、そのためなのかもしれませんね。」

杉三もそういうと、弁蔵さんがそれを肯定するようにいった。

「それでは、もう連れて行きましょうか。亀山久子はどこに?」

「ええ、事件の報道が減少するまで、暫く離れで暮らすようにと、言いつけてあります。」

重子さんが静かに言った。

「いま、連れてきますから。」

「お願いします。」

重子さんは、静かに部屋を出て行った。

久子の供述により、真実が次々に明らかになっていく。また次第に精神が落ち着いてきた、夫の亀山栄蔵が、小久保さんの接見により、裏付けも取れるようになっていく。それによると、久子は、自身の居場所がない亀山家を、どうしてもわがものにしたくて、まず須田幹夫を通り魔として利用し、意志薄弱な夫を殺害することを思いついたという。もし、これが成功したら、次は義兄、そして次は義母。と、いう順番で殺害していくつもりだったというのだ。なんとも恐ろしい計画だったが、自分の悩みをだれにも相談できるところがなく、いつもいつも悩み続けていると、こうなってしまうのだと、華岡たちは、改めて知らされた。

結局、久子は、離婚を申し出たが、重子さんは、この過疎地域に、精神に異常をきたしてしまったのは久子の責任であるとして、それを認めなかった。そういう訳で久子が出所してくるまで、栄蔵は施設に預けられ、亀山旅館は足の悪い弁蔵さんと、大女将の重子さんが、一緒にやっていくことになった。なぜか、時折、須田幹夫の父親である須田昭男さんが、庭の剪定などを手伝いにやってきたのが、皮肉なものであった。こういう事で助け合いをするきっかけになるとは、皮肉な物ですが、それでも知り合ったのですから、お互いなんでも言い合える関係になりましょうね。と言いながら、剪定ばさみを動かす昭男さんは、なんとも頼もしい存在であった。

「僕らは何のためにあの旅館に泊まったんだろうね。」

ようやく、体調の落ち着いた水穂と、杉三と由紀子は、アプト式の電車の中で、そう呟いていた。

「まあ、とんだ長居になっちゃったけど。岳南鉄道には、謝っておくわ。」

「ごめんなさい。由紀子さん。」

由紀子がそういうと、水穂は恥ずかしそうに謝罪した。

「いいのよ。この電車よりもっと乗っかる人は少ないんだから。気にしないで頂戴ね。」

と、言うほどなので、それほど岳南鉄道は、利用者数が少なかったという事だろうと思われる。

「まあ、そう皮肉るな。其れよりも、あの旅館に泊めてもらって、良かったことは何なんだろうな。急に客引きされたような感じで、泊まらされて、一体何をしたんだろうな。しかも客引きしてたのは、加害者である女。まあ、言ってみれば、遊郭みたいなもんだぜ。」

「ほんとね。あたしも正直に言ったら怖かったわよ。」

由紀子は静かに言った。

「一体なんで、そういうところにとまったんだろうね。僕らは何をしに行ったんだろうね。」

杉ちゃんが、再びそういう話をした。多分杉ちゃんは、そればかり考えているんだろうなと、由紀子も水穂もすぐわかる。でも、そういうところを考えてしまうのは杉ちゃん特有のもので、それは誰でも、口に出して言えることではない。口に出して言えるのが杉ちゃんなのだから。

「多分きっと、久子さんの良心がそうさせたのではないのかな。たぶん僕らが、あの旅館に行ったことで、大惨事には至らずに済んだんだし。」

そうか、そうでなかったら、もしかしたら、あと二人犠牲者が出たかもしれないからだ。二人ではなく、もっと犠牲者が出たかもしれない。一人だけでよかったという訳ではないけれど、犠牲者を増やさないことも、大切なことではあるから。

「あたしは、其れもそうだけど、なんだか幹夫君が呼んでくれた様な気がするの。幹夫君に私たちはあったことはないけれど、なんだか、そんな気がしちゃうの。もちろん、あたしが、そんなこと勝手に考えているだけなんだけど。」

由紀子は、にこやかにそういってしまった。

「由紀子さんも案外、詩的なところがあるんだな。」

杉三にからかわれて、由紀子は嫌ねえ、という顔をした。

「さて、もうすぐ見えてくるぜ。」

と、ふいに杉三が言った。

「見えてくるって何が?」

水穂が改めてそういうと、

「おう、名物の奥大井湖上駅よ!」

と、答える。

電車は、ガタンゴトンと、スローテンポで走って、

「まもなく、奥大井湖上駅に到着いたします。お降りのお客様はお仕度をお願いいたします。」

というアナウンスが流れた。

暫く走ると、電車はまた湖を分断する路線が現れてきた。そして、電車は、中央の小さな島の上に到着した。

「なんだかこの駅、湖の上に、ぽつんと立っている、小さな小島という感じだな。ほんとに、おもしろい駅だなあ。変な駅ランキングにも選ばれるのもわかる気がするよ。」

杉三が、そう感想を言うと、電車は、何人かの観光客を乗せて、ドアを閉めた。

「それでは、発車いたします。この先、揺れますのでご注意下さい。」

と、車掌さんの合図で、電車はヨイショと重い腰を上げて、走り出した。

また、この奥大井の自然から外の世界、すなわち汚い人間の世界に、人を乗せていくのだろう。あの美しい奥大井の自然は、静かにこの電車を見つめているのだろう。

きっと奥大井の自然は、人間の手が加えられるのを恐れているのに違いない。だからああいう風にあの老舗旅館の中で事件を起こしたのではなかったか。

多分きっとそうなんだろうな、と思いながら、杉三たちは電車の中から、湖の上にぽつんと立っている、静かな小さい駅を見つめていた。

電車は、杉三たちを乗せたまま、黒い長いトンネルの中に入り込んでいった。まるで、自然と人間たちを、分断する世界に連れて行くための、小さな船のような、そんな電車。

奥大井の自然は、今日も、何を考えているだろうか。

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サスペンス篇1、奥大井湖上駅 増田朋美 @masubuchi4996

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