第三章

第三章

パトカーの中で、華岡は、悩んでいた。

「一体なんで、あんな、善良な男が、通り魔事件なんか起こしたんだろうか。俺は、どうしてもわからないんだよ。」

たしかに、父親の話を聞いても、職場である村井建設で話を聞いても、皆、たしかに知的障害こそあるけれど、しっかり働いてくれるよい奴だと口をそろえていうのだった。

「もう、だけど、決まっているじゃありませんか。それ以来、あの地域で通り魔が出たという情報は、なくなりましたでしょ。警視!」

部下に言われて、それはそうなんだが、、、と華岡はまた座席に頭をつけた。

「そうだけど、、、。そんないい奴と言われた男がだよ。なんで、通り魔をしなきゃいけなかったんだろう。」

「だからあ、そういう知的障碍者なんですから、単純素朴な動機ですよ、きっと。お金が欲しかったとか、食べ物を欲しかったとか、そういうことですよ。」

「いや、俺はそうではないと思う。そういう奴ほど、いいことと悪いこととの区別はしっかりついている。特に、ああして、父や兄から、愛情をしっかりもらって生きているんだったら、そういうことができると思う。」

華岡は、それをしっかり、発言した。それは、以前担当した事件で、そう感じていた。

「たしかに、お兄さんに関しては、可哀そうすぎるくらいでしたね。お父さんとはまた違う会社で仕事をしていたようですが、ずいぶんひどい嫌がらせを受けていたようです。お兄さんは、弟を良い学校に行かせたくて、そこの会社を辞めることはできなかったとか、、、。」

「うん、だから、そういうことを、あの男はしっかり知っている。障碍者であれば、なおさら家族のありがたさというものは、感じていると思う。だから、そういう男が、犯罪に走るなんて、動機がどうしても見えて来ない。それに、亀山栄蔵にしても、精神錯乱で、俺たちは話ができないし、、、。あーあ、どうしたらいいんだろう。」

「だからあ、警視。警視が優しすぎるから、そうやって踏ん切りがつかないんじゃないですか。知的障害とかなんだとか、そういうことにこだわりすぎて、肝心の事件を解決に導けないんじゃありませんか!」

部下は、あきれて言った。

「もうちょっと、事件についてしっかり見るようにしてくださいよ。犯罪者を捕まえる刑事が、そういうことに、目を盗られていたら、犯罪も防げませんから!」

「あーあ、全くねえ。」

華岡はおおきなため息をつく。

「だからなあ。絶対誰かにそそのかされて、通り魔をしたんじゃないかとしか思えないんだ。家族以外の関係、それは社会だろ?まあ、とりあえず、親元を離れて社会に出ることは、喜ばしいことでもあるけれどさあ。それは一応、家庭から、出ちゃうという事にもなるからな。社会の人たちは、何も知らずに、平気で冷たいことをいう。其れには、ある程度、強さというものがないとやっていけないんだ。だけど、知的障害者というのは、そういうものが、ほとんどないから、、、。」

「うーんそうですけどね。じゃあ、どこの誰が、あの須田幹夫をそそのかしたんですか?だって、お父さんもお兄さんもいたわけですし、村井建設の上司だって、ちゃんとわかっていたんでしょう?」

「だからあ、それ以外の人間もいっぱいいるよ。通りすがりの誰かにちょっと太ったと言われて、ダイエットジムに通いだすこともあるじゃないか。それくらい、人間は、ちっとやそっとのことで動き出せるし、そのくらいでも、壊れるものさ。」

「うーん、警視のいう事は、いつもきれいすぎて困りますね。」

華岡の発言に、部下は理解ができなかったようだ。あーあ、全く、警視の悪い癖は、いつまでたっても治りませんねえ、と言いながら、とりあえず部下は、運転を続けた。まあ、癖はなかなか治らないので、と、、華岡も、そう呑気につぶやくが、結局、事件解決にはどっちにしろ至らないのである。

華岡は、もう一度カバンを開けて、資料に書かれた須田幹夫の経歴を読んでみた。生まれたときから、知的障害を持っているようで、小学校に入る前から確実視されていた。大人になっても、知能は七歳ほどであるという。幹夫は、障害者であったので、普通教育は受けられず、養護学校に通った。ただ、幹夫が住んでいたところには、公立の養護学校がなく、高額な教育費がかかる、私立の学校に通うしかなかった。幹夫が、養護学校の中等部の三年生のときに母が亡くなっているが、兄が代わりに働いて、学費を賄っているので、そのまま高等部に進んでいる。そして、高等部を卒業後、大学には進学しないで、大工見習として、村井建設で働き始めた。村井建設に入社して数年後、兄が倒れるという悲劇もあるが、そのまま、村井建設で働いている。ほんのわずかな給金だけど、兄の療養の足しにしてくれとばかり、月に一回、実家にお金を送ってもいるという。

「あーあ、善良そのものじゃないかあ!なんで、そんなのが通り魔なんかあ!全くあり得ないぞ!」

「確かにそうですね。まあ、確かにそれはそうかもしれません。そう考えますと、これまでの通り魔で、大けがをした人は一人もないという報告もされてますし。本気で殺意があったという気は、どこにもなさそうですね。」

たしかに、被害者のけがの程度を見ると、顔を少し縫ったとか、その程度のけがであると、聞いた事がある。それを考えると、確かに、誰かにそそのかされて通り魔をさせたのかもしれない。

「そうですね。警視がいうことも間違いじゃないかもしれませんよ。ですけどねえ、犯罪は、犯罪ですからねえ。」

部下は、あたまを抱えている華岡を、やれやれという顔で見つめた。ほんとうに人の良すぎる者が、警察で働いているんだから、日本の治安はどうだろう?

一方、小久保さんを、電車に乗るように送り出した直後、由紀子のスマートフォンが鳴った。

「はいもしもし、はい、あ、弁蔵さん。あ、はい。え?水穂さんが?あ、わかりました。すぐいきます。」

「何だって。水穂さん大丈夫?」

「ええ、お話している間に、咳き込んでしまったようよ。すぐ戻りましょ、杉ちゃん。」

弁蔵さんから連絡を受けて、杉三たちは急いで亀山旅館に戻ってきた。

「いまは、眠っていらっしゃるようですが、一時はかなり悪かったようです。」

と、玄関先で重子さんが杉三たちを出迎えながら言った。

「そうなのねえ。また派手にやったのね。まさかと思うが、床とか布団とか、汚したりしなかっただろうな?本当に。」

「いや、そこは気にしなくてもいいんですけど、とにかく、水穂さんの具合が心配で。いま、弁蔵が、床を拭いてくれていますけど。」

「あー、すまんすまん。もうさあ、悪い癖が出たと思ってよ。ほんとにこれは、しようがないのよ。」

杉ちゃんは明るく言うが、由紀子は心配で仕方なかった。水穂さんのことが気になった。

とりあえず、重子さんに連れられて、なすびの間に入る。

弁蔵さんが、床を丁寧に拭いていた。

「あーあ、結局やったのかあ。もう、弁蔵さんにまで迷惑かけんなよなあ。申し訳ないぞ。」

杉ちゃんは、面白おかしくいうのだが、由紀子は水穂さんの枕元へ駆け寄って、そっと大丈夫、?と声をかけた。

「弁蔵さんごめんね、なんだか迷惑かけちゃって。」

「いいえ、気にしないでください。僕も体調が悪い時は、本当にこうやって、迷惑をかけましたので。」

「そう?なんだか悪いなあ。器物破損と言われてもおかしくないのにね。」

「こんな時に、変な冗談はよしてよ、杉ちゃん!」

由紀子にいわれて、すまんと杉三は小さくなった。

「本当に、かまいません。弁蔵のときも、そうでしたから、気にしないでください。旅館のことは、久子さんもいることだし、なんとかなりますよ。」

「ああそうだ、栄蔵さんね。小久保さんの話によると、かなり精神をやられたみたいです。精神ってのは、一番治すのが大変なんだよ。だから、代役を立てたほうがよろしいかと。」

重子さんの話に杉三が口を挟んだ。

「そうなんですか?」

「ええ、殴られて命を狙われそうになった時のショックで、今大変みたいです。」

「わかりました。」

と、重子さんは言った。

「多分長期になるだろうから、考えてみます。」

「全く、こまりますね。無関係な栄蔵までが、通り魔に襲われるなんて。あいつもともと、強いやつではありませんでしたから。」

弁蔵さんが言うとおり、栄蔵は細やかで繊細な男だった。時折、男らしくないと言われることもあった。気は強かったが、体の弱かった弁蔵さんと、体は良いが気が弱い栄蔵とはよく比較されて、学校でもさらし者になったことがある。

「とにかくな。弁蔵さんたちに、めいわくはかけちゃダメだよ。それだけは気を付けておかねば。」

杉ちゃんにそういわれて、水穂は、やっと力なく頷くのであった。由紀子は、やっと反応したので、なんとか大丈夫かなあと思った。

ちょうどそのとき。また、仲居さんがひとりやってきて、

「おかみさん。玄関先に刑事さんがきているのですが。」

と、いった。

「あとは、僕らで何とかするから、応対してきてくれや。」

杉三がそういったため、重子さんも弁蔵さんも、玄関にいった。

「ああ、すみません。ちょっとうかがいたいのですが。」

玄関先にいくと、華岡が待っていた。

「はい、なんでしょうか。」

重子さんも尋ねる。

「実はですね、今回返り討ちにされた人物、身元が判明いたしました。名前は須田幹夫、職業は大工見習い。さらに、非常に大きな特徴として、かなりの知的障害を持っていました。あの特徴的な狐の帽子は、母親に買ってもらったものだそうです。」

「そうですか、わかりました。」

重子さんは淡々といった。

「で、その須田幹夫ですが、父親の話や、職場の親方の話によると、非常に優しく、善良きわまりない男だったようです。まあ、知的障害というのは、大体のものがそうです。愛情をたくさんもらってそだっていますからな。しかしですよ。そういうわけで、その男が果たして通り魔事件を起こすでしょうか?私はどうしてもそうとは考えられないのですよ。確かに知的障害は不自由かもしれませんよ。でも、愛情を感じる能力は、極めて高いはずで、他人を平気で傷つけることはしないはずだ。ですから、誰かに通り魔をするようにと、マインドコントロールされたとしか思えないのです。その、マインドコントロールをした人物は、誰なのか。」

「もう!警視の話は長すぎます。その須田幹夫がお宅の改築をしていたとき、こちらに来ていたそうですね。彼の職場である、村井建設の社長さんにうかがいましたよ。ちょっとそれについて、お宅の誰かに話を聞かせてもらえないでしょうか?」

部下の刑事が華岡の話をさえぎって、そう発言した。重子さんも弁蔵さんも顔を見合わせた。

「どなたか、警察署へ来ていただけませんか?」

「わかりました。僕がいきます。」

再度、華岡が問いかけると、弁蔵さんがいった。

「ある意味、僕の責任でもあると思いますので。」

弁蔵さんは、不自由な足を引きずり引きずり、華岡にてをとってもらって、パトカーに乗り込んだ。その一部始終を、重子さんは、ただ、黙ってみているだけであった。

弁蔵さんは、とりあえず、車で長く走ったところにある、井川警察署、取調室に通されて、椅子に座らされた。

「では、ちょっとお伺いしますが、須田幹夫が、お宅にきたのは、いつのことですか?」

「はい。ことの起こりは、昨年の、建物の改築です。経営改善のため、僕たちは亀山旅館を純和風の建物から、和洋折衷の建物に変えることにしたんです。ただ、インターネットや、通販のようなものが、大嫌いだった母が、信頼のおける大工さんにしたい、といいまして、かつて人脈のあった、村井建設さんに、お願いをしました。」

と、華岡にきかれて、弁蔵さんは答えた。

「それでは、そのときに、須田幹夫も一緒に来たわけですか?」

「はい。社長さんに紹介されました。知的障害があるとも、そのときに話されました。」

「それで、そのときの働きぶりは?」

「あいにく、そのころ、僕は体調がよくなくて療養していたので、あまりどうだったか、記憶がないのです。」

弁蔵さんは、正直に答えた。

「そうですか。では誰かが、須田幹夫をいじめたりしていたということは、しらないということですか?」

「ええ。おもに立ち会いは、妹と、母がしていました。」

「わかりました。じゃあ、とりあえず、あなたは、須田幹夫とは、あまり関わりがなかったということですね。うーん、では、誰が須田幹夫をマインドコントロールしていったんだろう。」

華岡はまだ、その概念から抜けだせないらしく、腕組みをした。

「マインドコントロール、ですか?」

「ええ。捜査として、私はそう考えています。須田幹夫は、父親の話でも、職場の上司のはなしでも、善良すぎるほどの男だったそうですから。よく働いて、病気の兄に送金もしているほどの、やさしい男だったそうです。それが、通り魔をするなんて、あり得ない話だとおもいます。」

弁蔵さんが質問すると、華岡はそう答えた。

「そうですか。」

なんだか、申し訳なさそうに肩を落とす弁蔵さん。

「なんですか、心当たりがありますかな?」

華岡が思わず聞くと、

「いえ、それはもしかしたら、僕が原因を作ったのかも知れません。実は、弟から話をきいたのですが、工事が一向にすすまないことに腹をたて、かなり、薄のろの、大工がいて困っていると言っていたんですね。僕はその現場を見たわけではないので、須田さんのことかどうかはわからなかったのですが、ちゃんと仕事をしないやつは、しっかり処罰するように、といってしまったんですよ。」

と、弁蔵さんはいった。

「そのときに、僕は彼のことだとは思わず、他の大工が怠けていると思ったものですから。今思えばもうすこし、柔らかく言うべきだったのかな。」

「しかし、あなたが、それ以外、須田幹夫に、なにかいったことはありますか?それに、今の言葉は、直接いったわけではないでしょう?」

急いで華岡がきくと、

「はい、ありません。それに、今の言葉は、弟が持ちかけてきた話だったので、僕が須田さんに言ったわけではありません。」

と、弁蔵さんは答えた。

ということは、弁蔵さんがマインドコントロールをしたというわけでは無さそうである。その後の取調でも、弁蔵さんは、とろい大工の話をもちかけられたのは、その一度だけであとは、なにも知らないと言った。ただ、なぜ建物を改築したのかは、話さなかった。

その夜、

「御気分、かわりありませんか?」

重子さんが、夕食を持ってきてくれた。

「わるいねえ。女将さんにわざわざご飯持ってきてもらってよ。」

杉三が、ほら、おきろ、ご飯だぞ、といって、布団に眠っていた水穂の体を叩いて起こした。

「弁蔵が、まだ帰らないもので、今日は私が、サービスいたしますよ。」

「ずいぶん時間がかかっているわね。」

由紀子と、杉三は、顔を見合わせた。

「まあ、次板もいるだろうよ。とりあえず、たべよう。」

重子さんは、水穂に用意したお粥をかきまわした。

「はい、どうぞ。」

にこやかにわらって、重子さんは、水穂の顔の前にお粥の匙をつきだした。

「あの、結局この事件で。」

水穂は、食べる前に静かに言う。

「一番得をして、一番てを汚さずに勝利したのは、女将さんではないですか?」

「何を言うのです。私が、そうさせるようなことはできませんよ。ただ、通り魔が勝手に栄蔵を狙っただけではないの?」

「いえ、違うとおもいます。」

水穂は、小さいが、きっぱりとした口調で重子さんに言った。

「恐らく、今回の事件を、仕組んだのは久子さんでしょう。久子さんが、彼に、嫌がらせをしたか何かして、通り魔をさせるように仕向けてしまったのではないですか?たぶんきっと、華岡さんたちがいうように、本当に善良な人であれば、誰かに仕組まれたりしない限り、人を襲うことはしませんよ。多分、仕事ができないことを、脅迫したかなんかして、できるもんなら、やってみろ、通り魔をしなければ、働かせないとか、そういう脅し文句をつけたのではないですか?」

「何を言うのですか。久子さんは、そんなことはしませんよ、水穂さん。ほら、落ち着かないと、また血が出るわよ。落ち着いてゆっくり食べて。」

「いや、そうじゃないね。僕も、聞いちゃったんだ。ほら、最初に警察にいった日さ。お前さんと久子さんが話していたのをな。お前さんが、あのとき、感情的になって、久子さんにかなりの言葉をはいてたよな。僕、知ってるぜ。久子さんは、この建物の工事中に、須田幹夫さんに日頃の愚痴を当たり散らしていたんだろ?」

水穂にかわり、杉三がいった。

「そんとき、お前さんこういっていたよな。須田幹夫さんが、返り討ちに会うとはおもわなかったわ。でも、もう終わったことだし、須田幹夫さんは、知的障害があるし、さほど回りから必要とされているわけでもないだろうから、しらを切ることもできるはずよってな!それ、大間違いだよ。少なくとも、父ちゃんと兄ちゃんは、そいつのために生きようと、努力してきた訳だからな!」

「杉ちゃんも、水穂さんもどうしてそんな話が、、、。」

由紀子は、これまでされてきたことを思い出して言ったが、

「いや、由紀子さん、これは、事実だよ。悪いやつらは、悪いやつが悪いんだ、善良きわまりないやつは、悪いやつにはならないさ!さあ食おうぜ!」

と、またご飯にかぶりつく杉ちゃんであった。

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