第7話 出会い 『鳴水アキラ』

「なんだ!」


 教室から出ようとしていた本田さんが叫んだ。


 見ると、教室全体がグニャグニャと歪んでいた。


「そんな! この東棟全体に、感知されない魔法をかけていたのに。先生にもらった札が破られるなんて、ありえない!」


 髪をぐしゃぐしゃにして、本田さんは取り乱した。


「逃げるぞ、ユリちゃん! 誰かが結界を破ろうとしている!」


 本田さんはユリ先輩を引っ張ったが、ユリ先輩は動かなかった。

 っていうか、僕のパンツから手を離してくれなかった。


「いや! この子とするの! この子はユリのものなの!」


 断じて違う!


「いい加減にしろ、このドブスがぁ! 捕まりでもしたら、先生になんて言われるかわかんねぇだろうが!」


 本田さんはユリ先輩の顔を思いっきり殴った。

 もはや、さわやかさの欠片もない。


 ルネが素早く牙を剝き、ユリ先輩を守るように威嚇した。


「ド、ドブス……ひどい……ユリの……顔……か、かわいい……のに」


 放心状態になったユリ先輩を、本田さんは乱暴に引っ張った。

 そのまま窓に突っ込んだかと思うと、カーテンの影に吸い込まれるように二人は消えた。


「晴人!」


 とても懐かしく思える声がした。信二だ。


「大丈夫か、ケガは?」

「でゃいじょうびゅ」

「ダメじゃねぇか」

「毒か? 待ってろ」


 衛の声がしたかと思うと、アリエッタが僕の胸にちょこんと乗った。


「キュー!」


 アリエッタの澄んだ高い声が、教室に響いた。

 すると、額の魔石が紅い光を放って僕の体を包んだ。暖かくて、湯船に浸かっているようだった。


「アリエッタの能力だ。魔力で身体の回復能力を上げる。さっき、お前の個性を見せてもらったからな。これで五分だろ?」


 衛の気遣いが嬉しかった。

 しばらくすると、衛の言う通り体の痺れがとれてきた。


「た、たす、かった」

「礼ならおれたちより、この娘に言ったほうがいいぜ」


 目を向けると、僕はまた体が動かなくなってしまった。

 今度は毒のせいでも、使い魔の仕業でもない。


 思わず、見惚れてしまったのだ。


 彼女の美しさに。


 スラっと伸びた長い脚、見事なくびれ。膨らむ胸元に細い指、スッと高い鼻。

 彫の深い目元からは、周りを警戒してか、力強い眼光が光っていた。でも、それが僕を捉えて離さなかった。


 スーツを着ているということは、同じ新入生だということだけど、彼女のスーツ姿はこの日見た誰よりも似合っていた。まるでモデルだ。


「大丈夫? あたしは鳴水なるみずアキラ。アキラでいいよ。まだ毒が抜けてないんだから、安静にしてな」


 毒のおかげで、見惚れたことには気づかれなかったようだ。


「きれいだろ~。どことのハーフだっけ?」

「ママがエジプト人なんだ。っていうか、それさっきも話しただろ」


 アキラちゃんがキッと信二を睨んだ。目力が強い。


「お嬢、下手人はすでに逃げた模様。拙者では、追えなかったでござる」


 渋い声がしたかと思うと、アキラちゃんのとなりに黒い砂が集まり、犬のような頭を持った二足歩行の使い魔になった。


「ありがとう。まぁ、仕方ないね」

「面目ない。お、青年。無事でござったか」


 笑いかけてくる使い魔の姿は、本などで見たことがある。

 だが実際に見たのは、これが初めてだ。


「え、えっと、アキラちゃんの、使い魔、だよね? たしか、アヌビス?」


 なんとか舌が回るようになった。


 アキラちゃんはうなずいた。


「そうだよ。もちろん、アヌビス神そのものではないよ。姿形は似ているけど、数多い眷属の末端の一人さ。この種族も砂になる能力も、エジプトでは割と多いらしいよ。ほら、自己紹介」


「お初お目にかかる。拙者、名はヨイチと申す。以後、お見知りおきを!」


 片膝を付くヨイチは、時代劇さながらの迫力があった。

 黒い身体に纏った金の装飾は、どう見たってエジプト文化なのに。


「見ての通り、日本人の血が入ってるからなのか、変に日本かぶれなところがあってさ」

「拙者、エジプト神話を起源に持つ身なれど、日本の武士道を心酔しているでござる。見た目はアヌビス、心は侍。その名は、使い魔ヨイチでござる!」


 ため息をつくアキラちゃんとは対照的に、ヨイチは活き活きとしていた。


「あはは。よろしく。ヨイチが、結界を破ってくれたんだ?」

「左様。拙者秘伝の宝刀、絵字不刀エジプトウの能力でござる!」


 言うやいなや、掲げたヨイチの手に黄金の刀が現れた。


「絵字不刀はその名の通り、絵や文字の力を断つことが可能でござる。いくつか条件もござるが、此度の結界は斬ることができたでござる。あ、ちなみに刀の名前はただの洒落でござる!」

「うるさい! なに個性をベラベラ話してんだ!」


 強烈なげんこつをくらったヨイチは、鈍い音と共にうずくまった。


「あははは!」


 教室が笑いに包まれると、アキラちゃんは恥ずかしそうな表情を浮かべた。


 かわいい。


「そ、それよりも。はい、これ。落としてたよ」


 差し出されたアキラちゃんの手には、僕の学生証が握られていた。

 長い豊かな黒髪が揺れて、ほんのりいい香りがした。


「あ、ありがとう。落としたの、全然気づいてなかったよ」

「その学生証がおれたちを巡り会わせてくれたんだ」


 笑いながら、信二はここに来るまでの経緯を話してくれた。


 僕が二人を見失ってすぐ、二人も僕がいないことに気がついて、小太郎の鼻を頼りに探してくれた。

 でも、途中でキツイ匂いに阻まれて追えなくなってしまった。(きっとユリ先輩のせいだ)それでもなんとか匂いを追っていると、僕の学生証を持ったアキラちゃんを発見。


 そこからなんやかんやで東棟にたどり着き、ヨイチが結界を破って助けに来てくれたという。


「おい、肝心なところがなんやかんやって、どういうことだよ」

「仕方ないだろ? 本当にいつの間にかここに来てたんだから。魔法で感知されないようになってたみたいだし、見つけたの奇跡に近いんだぜ?」


 信二たちがこの場所を見つけることができた理由に、僕は心当たりがあった。


 が、言い出す前に体を包んでいた光が消え、アリエッタの鳴き声がした。


「どうやら終わったみたいだな。痺れはとれたか?」

「うん。ありがとう」


 何度か拳を作ってみると、違和感はまったくなかった。

 いつの間にか衛の肩に乗っていたアリエッタが、得意げに鳴いた。


「アキラちゃんも信二も、本当にありがとう。おかげで助かったよ」

「おう! 当然だろう! なにがあったかは、学生課に行きながら教えてくれよ」

「そうだね。結界張って監禁なんて、大学側からしても大問題だろうし。っていうかさ、そんなことより……」


 凛としていたアキラちゃんが、急に目を背けて上擦った声で言った。


「し、痺れてないなら、はやく穿いてくれないかな?」


 彼女の長い指が指さす先には、僕の下半身があった。


「ああああ!」


 裏返った叫び声が、僕の口から勢いよく飛び出した。


 涙を浮かべる信二の馬鹿笑いと、堪えようとしたが吹き出した衛の笑い声に晒されながら、僕はギリギリのところで止まっていたパンツを上げ、ズボンを穿いた。

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