第189話 仔猫殿下と、はつ江ばあさん・その三十一

 赤く染まった空。


 絶えず響く叫喚に似た鳥達の鳴き声。


 奇怪な枝ぶりの木々が生い茂る森。


 血の川が流れる大地。


 ここは魔界。

 

 魔のモノ達が住まう世界。


 その一角に聳える岩山の山頂に築き上げられた城のバルコニーで……


「今日も楽しい一日中だったねぇ」


 ……薄緑色のブラウスを着て黒いスラックスをはいた老女が、ニコニコしながら景色を眺めていた。


 彼女の名は、森山はつ江。


 パーマをかけた白髪頭とつぶらな瞳がチャーミングな、御歳米寿のハツラツばあさんだ。


 そんなはつ江の隣では……


「なんか、悪かったな……、最後までドタバタしちゃって……」


 ……白いブラウスを着て灰色のバミューダパンツをはいた仔猫が、バスケットを手に脱力していた。


 彼の名は、シーマ十四世殿下。


 ツヤツヤだけどフカフカなサバトラ模様の毛並みや、小さなピンク色の鼻や、白くフカフカ手、その他諸々のキュートさいっぱいの、マジカルな仔猫ちゃんだ。


 十日ちょっと一緒に過ごした二人だったが、今日がその最終日だ。



「気にすることねぇだぁよ! シマちゃんも無事だったし、ゴロちゃんやバービーさんたちにも挨拶できたからね!」


「そう言ってくれると助かるよ……、なんか毎日バタバタしてたからな」


「いつもは一人で暮らしてるから、賑やかなくらいがちょうどよかっただぁよ!」


「縁日に行ったり、お城の地下で遊んだり、シマちゃんのお仕事をお手伝いしたり、毎日たのしかったねぇ」


「もうちょっと遊びに使える時間があればよかったかな?」


「そんなことねぇだぁよ! ……縞ちゃんと一緒にいられただけで、幸せだったよ」


「うん……、ボクもはつ江と一緒に過ごせて、本当によかった」


「……」


「……」


 しんみりとした空気が漂うバルコニーに、二人分の足音が近づいてきた。


「森山様! 転移魔法の準備が整いましたぞ!」


「……というわけなんだが、二人とも大丈夫か?」


 姿を現したのは、リッチーと魔王だった。


「大丈夫だぁよ!」


 はつ江は元気よく返事をすると、シーマに向かってニコリと微笑んだ。


「縞ちゃん、元気でね」


「ああ、はつ江もな。あと、これ」


 シーマは抱えていたバスケットをはつ江に差し出した。


「モロコシとミミと一緒に作ったリンゴのホットケーキと、ユキさんからもらったアップルパイだ。これで、お腹が空いて誰かとケンカになることもないだろ?」


 そう言うと、シーマもニコリと微笑んだ。


「……そうだぁね! 戻ったら娘たちも遊びにくるし、とっても助かるだぁよ!」


 はつ江はバスケットを受け取ると、シーマをギュッと抱きしめた。


「ありがとうね」


「うん……」


「……さてと! じゃあ、帰るとするだぁよ! シマちゃん、またね!」


「ああ! またな、はつ江!」


 再会の約束を交わす二人の頭上には、転移用の魔法陣が輝いていた。




 そして、魔法陣の輝きが収まると……


「むにゃ……、はっ!?」


 ……はつ江は、自宅の茶の間で目を覚ました。


「あれまぁよ……、いつのまにか寝ちゃってたみたいだねぇ……、いたたた……」


 痛む膝をさすりながら、はつ江はゆっくりと起き上がった。


「なんだか、すごく長い夢を見てた気がするねぇ……、ん?」


 あたりを見渡すと、ちゃぶ台の上にバスケットが置かれていた。それを見たはつ江は、ニコリと微笑んだ。


「……さてさて、お茶を入れて、おやつにしようかねぇ」


 そう言いうと、はつ江はヨタヨタと台所に向かった。




 それから、数日経ったある日のあ 朝。


「じいさんや、娘たちも帰っちゃったし、静かになったねぇ」


 はつ江は仏壇に向かって手を合わせていた。


「そんじゃあ、今日も一日みまもってておくれ……、いたたたた……」


 膝をさすりながら、はつ江はゆっくりと立ちあがった。


 まさにとのとき!



  ガタガタガタッ


「兄貴! なんなんだよ、この狭さは!?」


「ゴメン、シーマ……、お兄ちゃん、『不意に魔界へ転移しちゃったけど、元の世界に戻らずこっちで暮らしたい、でも、魔界に上手く馴染めてない人たちむけの学校的なやつ』関係の仕事で徹夜が続いてたから、ちょっと魔術の調子が悪くて……」


「な!? そんな状態なら、早く言えよ、このバカ兄貴! ボクだって手伝ったんだから!」


「殿下ー、そんなに怒らないでー」


「みー、みみみー」


「そうでござるよ、ここは穏便に……、お! 出口が見えてきたでござる!」



  ガタガタガタ


  ポンッ


「あれまぁよ!?」


 仏壇の前に魔法陣が浮かび上がり、シーマ、魔王、モロコシ、ミミ、五郎左衛門が飛び出してきた。


「いたたたた……、みんな、無事か……、ん?」


 尻餅をつきながら辺りを見渡していたシーマは、つぶらな目を見開いたはつ江を見つけた。そして、目をキラキラさせながら、耳と尻尾をピンと立てた。


「はつ江! 久しぶりだな!」


「久しぶり! シマちゃん!」


 ニッコリと笑って挨拶を返したはつ江だったが、すぐにキョトンとした表情で首をかしげた。


「みんなして、今日はどうしたんだい?」


 はつ江の問いに、シーマは得意げな表情で胸を張った。


「今日から魔界は、初夏の大型連休なんだ!」


「だからねー、みんなで遊びにきたの!」


「みっみみー!」


 ふふんと鼻を鳴らすシーマに続いて、モロコシとミミがピョコピョコ跳ねながら言葉を続けた。


「リッチーからは、次は陛下と殿下がバカンスに行くといいですぞ、と言われてな。レトロゲームの買い出……、じゃなくて、異界の勉強も兼ねて来てみたんだ」


「拙者は館長とバービー殿から皆様の護衛を頼まれて、お供したしだいでござる!」


 魔王と五郎左衛門も続くと、はつ江はニッコリと微笑んだ。


「そうかい、そうかい。また、みんなに会えて、嬉しいだぁよ」


「それならよかった。事前に連絡できなくて悪かった」


「そんなことねぇだぁよ、シマちゃん。そうだ、娘たちが昨日カステラをくれたから、みんなでお茶にしようね!」


 はつ江の言葉に、一同は目をキラキラと輝かせた。


「ありがとう、はつ江! ボクも用意を手伝うぞ!」


「ぼくもお手伝いするー!」


「みみみみー!」


「しからば、拙者は母上から皆さんにとらあずかった、銘菓魔界ようかんを切り分けるでござる!」


「ふぅむ、甘いものが二種類か……、なら、味のバランス取るために、お土産に持ってきた小魚煎餅も開けるかな」


 六畳の仏間には、楽しそうな声が響いた。



 そんなこんなで、仔猫殿下とはつ江ばあさんの日々は、これからも続いていくのだった。

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仔猫殿下とはつ江婆さん 鯨井イルカ @TanakaYoshio

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