徴税官

早瀬 コウ

徴税官

 バーチィはカリューの実を集めることにした。


 まだ7歳だったバーチィにとって、村の木から落ちてくるカリューの実は自分の力で手に入れられるほとんど唯一の食べ物だった。


 しかしバーチィはそれを自分のために集めていたわけではない。


 バーチィは4日前から会いに行っていないクーカバラおじさんにそれを持って行こうと考えていた。4日も会いに行かないというのは、7歳の子供にとってひどいケンカみたいなものだった。つまりカリューの実は仲直りのしるしだったわけだ。


 もちろんバーチィだってわざとおじさんのところに行かなかったわけではない。バーチィのお父さんがクーカバラおじさんとひどく仲が悪くて、そのことでバーチィを怒鳴りつけてげんこつを食らわされたから、行ってはいけないんだろうと思ったというわけだった。


「いい、バーチィ? あの人は裏切り者なの。もうあなたが小さかった頃のクーカバラおじさんじゃないの」


 バーチィのお母さんも、泣きじゃくるバーチィの頭を抱いて、落ち着いた声でそう言い聞かせていた。両親に言われたバーチィは、やむなくそれを4日間も我慢したというわけだった。


 それでもバーチィは毎日クーカバラおじさんのことを遠くから見ていた。だからおじさんがへんちくりんな服を着たヒゲの人たち——イコクジン——に殴られていたのも知っていた。


 そのことをお母さんに伝えると、ただ「そう」とこぼして悲しい顔をしていた。


 そういう表情や出来事から、バーチィはなんとなく事情は感じ取っていて、だからこそ、バーチィはまたげんこつを貰うことをを承知で、カリューの実を集めていた。


 カリューの実は、すぐに小さな手に収まらなくなった。バーチィは少し悩んだあと、体に巻いた布の腹のところをポケットにして、そこに入れることにした。


 カリューの実は濃い赤色の殻に覆われている。お父さんかお母さんに頼んでそれを焚き火の中で焼いたあと、ハサミでカチンと割ってもらう。そうすると、少しだけ甘くて鼻の奥の方でこそこそとした匂いが広がる。


 バーチィがカリューの実を拾ってくると、決まって両親は喜んだ。それを焼いている間はバーチィとたくさん話をしてくれるし、それを食べたときには一緒に「おいしい」と笑ったものだった。


 自分では食べられないその好物をクーカバラおじさんと一緒に食べるのは、きっと素敵な仲直りに違いなかった。


 今までで一番たくさんのカリューの実を集めると、バーチィはそれを落とさないように、ゆっくりとクーカバラおじさんの家に向かって歩き始めた。


 バーチィの村にはたくさんのライ麦畑があった。季節がよければそこら中が小麦色に染まって、夕日なんかよりももっと眩しいくらいだった。


 バーチィは用水路のうえに渡された木の板を慎重に歩いて、雑草で覆われた畑の向こうのクーカバラおじさんの家を見た。


 おじさんの家をあんなに遠くに感じたのは、バーチィにとってはじめてだった。しかし村の人たちにとって、荒れてしまった畑がその距離をよく表していた。



 向かいから、馬に乗ったイコクジンがやってきた。きっとまたクーカバラおじさんをぶったのだろう。


 イコクジンは村のみんなが大嫌いな人たちだった。服が妙ちくりんなのと、ヒゲの色が違うのがその理由に違いないとバーチィは思っていた。


 それにイコクジンは言葉が話せない人たちで、何かよくわからない吠え声をしきりにあげていた。だけど村の人たちは優しいから、そんなイコクジンが村に入ってくるのを許していたし、イコクジンにも村のものを分けてあげていた。


 少なくともバーチィの目線からはそう見えていた。


 だからいま向かいから馬に乗ったイコクジンがやってきても、かわいそうで横暴な人が来たという認識だった。バーチィが気に留めなければ、イコクジンはいつも通りバーチィのことなど気にせず走り去っていくはずだった。


 しかしその日、腹のところにたくさん入ったカリューの実を見ながら歩いていたバーチィの横で、馬が足を止めた。バーチィがそれに気づいたのは、馬の上から例の吠え声で怒鳴られてからだった。


 驚いてそちらを見上げても、何を言っているのかはさっぱりわからなかった。しかしすぐに、となりにいたもう一人のイコクジンがたどたどしい言葉で話し始めた。


「マハリム、家、どこだ?」


「うち。あっち」


 バーチィはそれだけ言って、カリューの実を落とさないように気をつけながら、元来た道を指差した。イコクジンは何も言わずに馬で走り出し、バーチィは土ぼこりに顔をしかめて首を振った。


 マハリムはバーチィのお父さんの名前だった。イコクジンがお父さんに何の用があるのかなど、バーチィは考えもしなかった。いまはただ、いっぱい集めたカリューの実をクーカバラおじさんに届けて、一緒に楽しい時間を過ごすことだけを考えていた。


 やっとクーカバラおじさんの家についたとき、バーチィはすぐに大きな声で謝った。


「おじさん! クーカバラおじさん! ごめんなさい! 来たらダメって言われたから来なかっただけで……ごめんなさい!」


 そう言っても、おじさんは出てこなかった。やっぱり怒っているのかもしれないと思ったバーチィは、カリューの実を落とさないようにしながら、恐る恐る木の扉を押し開けた。


「おじさん、カリューの実とってきたんだ。僕じゃ食べられないから、一緒に食べよ……」


 クーカバラおじさんは目を開けたまま、口から泡を吹いて倒れていた。


「おじさん? ねえ、カリューの実、おいしいんだよ?」


 やっとテーブルの上にカリューの実を並べ終わると、バーチィはクーカバラおじさんを揺すって起こそうとした。もちろん、そんなことは無駄だった。


 バーチィにとっては、おじさんが目覚めないのもきっと自分がケンカしたせいだった。だから仲直りすれば、きっとおじさんは目覚めるはずだった。


 火のつけ方を教わっておけば、自分でカリューの実を焼けたのにとバーチィは悔しく思っていた。




——村の徴税官が服毒自殺したことで、後任の徴税官に任じられたのはマハリムだった。マハリムは前任者と異なり厳格にその任を果たしたが、そのことで恨みを買い、親戚の手によって殺害された。

 こうした事件は頻発したものの、本国から信託統治権を与えられていたグレイディオ交易会社は本国へ宛てて「偉大なるブラント帝国の統治を市民は感涙と歓喜とともに歓迎している。むしろ教育を持たない現地徴税官の横暴について、市民たちはグレイディオ交易会社による引き締めを求めている」と報告している。

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徴税官 早瀬 コウ @Kou_Hayase

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