第108話 恋人達の為にエルドラインの鐘が鳴る

「まだ、邪魔をする気かっ! この死に損ないがっ!」


 学園長がそのままローラに突き刺さった剣を下へ。

 下へ下げようとした。

 その瞬間、学園長の胸にランティスの剣が突き刺さり、その反動で彼の手は剣から離れた。

 何故、剣が自分の手から離れたのか。

 何故、自分は後ろに下がるのか。

 彼は一瞬、何が起きたかすらわらない顔をして、ゆっくりと自分の胸を見た。

 そして漸く、彼の可愛い甥が己を貫いた事に気付くのだ。


「……なぜ、だ、ラン、ティス……?」


 決して、そんな事をしない男の筈なのに。

 決して、そんな事が出来ない男の筈なのに。

 学園長が見たランティスの顔は氷の様に冷たい顔をしていた。

 心優しい弟王子。

 自分の残酷な生贄の様な運命すらも、受け止めた程の優しさを持つ彼なのに。

 だけども、愛する人の死は彼を鬼にする。

 きっと、学園長もそうなのだ。

 心優しい人間は何をしても許す訳ではない。

 いくら清く正しく生きようとも、どれだけ心は美しくいようとも、その穏やかに琴線がない訳ではない。

 竜の逆鱗だ。

 数ある鱗の中で、唯一逆に生えている鱗。

 人を襲う事がない竜でも、その鱗に触られたら忽ち怒り狂い人を襲う。

 それは決して竜だけの話じゃない。

 人にもある。

 人にも逆鱗と言う名の触れてはいけない、汚してはいけない、絶対的な聖域があるのだ。

 学園長は、息子だった様に。

 ランティスには、ローラと言うたった一人の愛すべき人間だった。

 それだけだ。


「ラン、ティス……」

「ローラっ! しっかりしろっ! ローラっ!」


 やっと、優しい彼が全ての終わりを告げたのだと知った彼女は血を流しながら愛しい人に抱かれ口を開く。


「もう、私は、駄目です」


 はっきりとした口調。

 彼女の人生で二度目の死が、目の前に訪れようとしている。

 おかしな話だ。

 経験者だから分かってしまう。

 もう自分は助からない。

 二度目の絶望。

 二度目の終わり。

 それでも、一度目とは違う。

 一回目と同様に、人に殺されたというのに。

 一度目の死際とは違う。

 冷たいアスファルトの上で一人蹲って、何が起こったかわからないまま目を瞑ったあの日の最期とは、違うのだ。

 好きな人の為に抱かれ、暖かさを噛みしめながら彼の為に死ねるのだ。

 これが、幸せか。

 これが、幸福か。

 あの日凍える様に流れる涙すら、今は暖かいと感じてしまう。


「ローラっ!」


 必死に私の名を呼ぶ愛しい人。


「良かった……」


 私は人が嫌悪を覚える程、醜いのに。

 今この時だけは、きっと誰よりお姫様になれたと思う。


「ランティスに、会えて、良かった……」


 ランティスだけじゃない。

 フィンも、タクトも、アリスもシャーナも、皆んなに出会えて良かった。

 一度目にの人生では決して歩めぬ夢の道を、彼女は辿ったのだ。

 本に夢見た冒険も、激しく燃え上がる恋も、誰もが敬う力も、何も、何一つとなかったのに。

 ただ、生を全うした。

 ただ、愛しい人の命を救えた。

 それだけなのに。

 前世でも手に入れる程の有触れた事が、これ程までに嬉しいだなんて。

 彼女の幸せは、主人公でもお姫様でも何でもない。

 ただ、自分の大切な人を救いたい。それだけだ。

 だからこそ、その願いが叶った今。

 彼女は幸せの中にいるのだ。


「ローラっ! 駄目だっ! いくなっ!」


 初めて見るランティスの泣き顔に、彼女は微笑む。


「綺麗な、顔が、台無しよ……?」


 折角の美人が、子供の様に涙でぐちゃぐちゃの顔を見せるなんて。

 そんな姿すら愛おしい。

 痘痕も笑窪。正しくその通りだ。

 泣かないでなんて、言わない。

 彼女は、自分が何て残酷な事をしているのかわかっている。

 お互い、想いあっていた。

 お互い、愛し合っていた。

 それが分かった瞬間、彼女は全てを過去にしたのだから。

 なんて悲劇だろうか。

 なんと自分勝手なのだろうか。

 だから、泣かないでなんて、言わないわ。


「ローラっ! 俺は、まだ、お前に何も返してないっ! お前の為に、何もしていないっ! まだ、まだだっ! お前が死ぬなんて、俺は許さないっ!」

「要らない、よ」


 ローラは笑う。

 だって、そうだろ?

 沢山貰った。

 勇気と言うなの、力を何度も。

 彼女が挫けそうな時、折れそうな時、何度も立たせてくれたのは、彼の言葉だ。

 彼女が止まりそうな時、倒れそうな時、何度も背中を押してくれたのは、彼の言葉だ。

 何もしてない、返してないなんて言わないで。


「もう、受け取れない、よ……」


 だって、貴方は最後に私に愛をくれた。

 もう、十分だ。

 もう、抱えきれないよ。


「ローラ……」

「ラン、ティス……」


 血塗れの手が、美しい白い手に重なる。

 離さないと誓い合った手が。


「貴方の手、好きだった……」


 初めて触れた、大きな手。包み込む様な大きな手が。

 大好きだったよ。

 そう、ローラは笑うと一粒の涙を流し瞳が閉じる。


「ローラ……。ローラ……っ!」


 彼が愛しい名前を何度叫んだところで、彼女の目が再び覚める事はない。

 硬く握った手は、次第に暖かさが消えていく。


「何で、何でお前が……っ」


 嫌われ者だった。

 誰からも疎まれていた。

 醜く、心まで腐敗した悪役令嬢。

 最後の最後まで、彼女は本当の姿を誰にも見せなかった。

 誰にも、自分の姿を正さなかった。

 多くの人は、彼女を今尚悪役令嬢だと思ってる。それが彼女が救った命なんて、誰も知らずに。


「ローラ……」


 まるで、聖人の様な人だった。

 だけど、彼女は笑って、怒って、叫んで、喚いて。そして、誰よりも暖かい涙を流すごく普通の少女だった。

 そんな少女を、彼は好きになったのだ。

 誰にも、取られたくないと思った。

 初めて、なんて自分が小さな男なのかと、知った。

 必死で追いかける彼女の背中は、誰よりも大きくて、誰よりも儚げで、誰よりも心強くて。

 それに見合うだけの人間に、大人に、早くなりたいと思ったりなんかして。

 本当は、もうアリスの事なんてどうでも良かった。

 ただ、ただ、彼女の隣に居たかった。

 彼女が自分だけを共犯者だと笑うのならば、その場所を守る為だけにどんな矮小な自分になっても構わなかった。

 それ程迄に、彼は彼女を愛していたのだ。

 深く深く。

 一途に、ずっと。


「置いてくなよ、ローラ……」


 子供だと笑われてしまうと、怯えていた心の声を彼は吐き出す。

 でも、きっと、もっと早く彼女の手を引いていたら、こんな事にはならなかったのではないだろうか。

 後悔が波の様に寄せては返す。

 抱き締めいる彼女の体の温もりだけは、離したくないと子供の様に。

 その時だ。


「おわ、終わらぬ、終わらぬぞ……」


 蠢く声が、部屋に響く。


「っ!?」


 ローラの遺体を抱きしめていたランティスは顔を上げた。

 そこには、彼が胸を貫き倒れた筈の学園長が壁伝いに這い上がっていたのだ。

 最早、そんな力などない筈なのに。

 そうだ。学園長は、胸を貫かれている。立てる程軽い傷な訳がない。

 けど、立ち上がる。

 まだ、死ねないと立ち上がる。

 何が命短し老人を駆り立てるのか。

 それは、ただの信念、いや、執念としか言いようが無い。

 老人はただ、気力とか、根性とか、気持ちとか、糞のような根性論に付随した感情だけで体を動かしていたのだ。

 ローラと同じ、ただ死ぬだけしか残されていない老人の、最後の悪足掻き。

 学園長は自分に深く刺さった剣を抜き、ランティスを見る。


「アレグスっ! 俺は、お前だけは、許さないっ!」


 最早、今目の前にいるのはそのアレグスの息子であるランティスだと言う事すら、この老人には分からない。


「俺の息子をっ! 俺の、ニースをっ!! 返せっ!」


 ランティスは咄嗟にローラを庇い学園長の剣から体を避けるが、避けきれなかった足に剣が突き刺さる。


「っ!」

「痛いかっ! アレグスっ! しかし、ニースはそれ以上に苦しんだのだっ!」


 何度も何度も、学園長はランティスに剣を突きつける。

 ランティスは、動かぬローラを庇ったまま、学園長の剣をその体で受け止めた。

 もう、愛しい人に傷一つ作らせたくない。

 ただ、その一心で。

 しかし、残念ながら彼女の魂はその器にはないのだ。

 魂のない器はどんなに小さくて華奢な体であろうと、鉛より想い。

 しっかりと抱えていた筈なのに、彼女の腕がポトリと彼から溢れた。


「そんな所に居たのかっ! アレグスっ!」


 最早、学園長に知性も叡知も存在しない。

 彼もまた、ただの器だ。

 彼女同様、魂のない器になったのだ。唯一彼女と違うのは、魂に変わって怨を宿した器になった。それだけだ。


「死ねっ! アレグスっ!」


 ローラの腕目掛け、突き刺そうとした剣が彼女に届く前に止まった。


「あれ?」


 間抜けな声を、老人はあげる。

 彼はまだ気付いていない。

 その剣を、握り締めた手がある事を。

 ランティスがその手で、学園長の剣を止めたのだ。

 剣に流れる鮮血。

 最早二度と使い物にならないだろう手。

 それでも、ランティスはローラを守りたかった。

 彼女が愛してくれた手で、愛した彼女を傷付けるもの全てを。


「アレグス! 何だ! また、お前は何かをしたのかっ!? おいっ! アレ……」


 学園長が取り乱したまま、ローラの手を掴もうとした瞬間、血だらけで、取れかかった指のまま、ランティスが学園長を殴り飛ばしたのだ。


「汚い手で、ローラに、触んなっ!」


 殴られた反動で、壁まで飛んだ学園長が起き上がる。


「……ニース? ニース、生き返ったのかっ!」


 起き上がった学園長は嬉しそうな顔をして、ランティスに手を伸ばす。

 もう、誰が誰なのか。

 それすら、彼には分からない。

 あれ程知徳に富んだ人間の最期は、最早無様を通り越し哀れでしかない。


「俺は、ランティスだっ! あんたの息子は、死んだんだよっ!」

「ニース! ニース! ああ、よく生きていたっ! ああ、ああ。私は、お前が死んでしまったと思ったよ!」

「叔父貴っ! あんたは息子の為に、為だけに、ローラを殺したんだっ! 誰がお前の息子だっ! 俺は、ランティスだろっ!」

「ああ、ニース。ニース……。私の可愛い息子よ」


 駄目だ。

 何を言っても、今の彼には聞こえないし、届かない。


「早く、アグレスを渡しておくれ、その悪魔を、私に渡しておくれ?」


 そして、今尚ローラを己の兄であるアグレス王だと思い込んでいる。

 もう、これしか無いのだ。

 ランティスは、剣を握り切り裂かれた足で立ち上がる。

 愛しいローラを抱えたまま、自分を導いた叔父の前に立つ。


「ニース! ああ、誇りある我が子よ! さあ、アグレスを、さあ!」

「あんたには、ローラは渡せない。変わりにくれてやるのは、これだけだ」


 そう言って、ランティスは剣を振り払う。

 たった一太刀で学園長の首が飛んだ。


「にー、す?」

「もう、終わりだよ。叔父さん」


 ああ。

 これで、本当に終わったのだ。

 ランティスが剣を下げた。

 その時だ。


「ニースぅぅぅぅぅっ!!」


 胴から切り離したはずの学園長の頭が、声をあげる。


「っ!?」


 ランティスは目を見張った。

 頭がないはずの体が、学園長の体が大きく暴れ始めたのだ。

 頭がなければ、立ち上がれもしないはずなのに。

 何という魔法。

 いや、最早これは奇跡。

 最悪の奇跡だ。

 この世界で何一つ、起きなかったはずの奇跡が、この最悪な場面で起こったのだ。


「やめろっ! あんたはもう死んでるんだっ!」


 学園長の体は上も下も前も後ろも分からぬまま暴れるのもだから、すぐそばにある壁に当たると弾かれたように動きを止めた。

 もう、そこから学園長の体は二度と動く事はなかった。

 一体、何だったんだ?

 ランティスは呆然とローラを抱きしめたまま学園長の顔を見る。

 すると、学園長の顔は笑い、声の出ない口を動かしたのだ。


『おわらせない』


 そう、確かに口を動かしたのだ。


「っ!?」


 一体、どういう事だ。

 まだ、何かあるのか。

 ランティスが構えようとした瞬間、部屋を照らしていた松明が下に倒れる。

 それは、学園長の身体が暴れた際に不安定になった松明。


「……はは」


 思わず、ランティスから笑いが漏れる。

 だってそうだろ。

 彼は、ローラを抱き締め倒れた松明の火が床に広がるのをただただ見ていたのだ。

 この部屋には、大砲の弾が積まれている。

 火が付けばどうなるか、頭の悪い自分でもわかるとランティスは笑ったのだ。

 最早この足では逃げきれない。

 いや、ローラを置いて逃げる事なんてできない。

 確かに、終わらない。

 彼の叔父は終わらせなかった。自分の命だけで、終わる話にはしなかった。

 息子の仇を取る。ただ、それだけの信念で。

 最後の最後に、叡智を使い果たしとでも、言うのだろう。


「ローラ、俺の叔父貴は凄いだろ?」


 返事のないローラに、ランティスは話しかける。

 きっと、あの狂った姿も彼の執念の演技だったのかもしれない。

 王の息子を一人、奪う。

 自分と同じ苦しみを、与える。

 それだけの為に。

 それ程、彼は息子を愛していたのだろう。


「俺は、あの人をどうしても憎めない。愛した人との子供を失う悲しさは到底、今の俺には理解できない。けど、少しならわかるかもしれないな」


 同じ苦しみはない。

 人それぞれの地獄がある。

 あの人は、地獄を見た。愛する息子を亡くした地獄を。

 そしてランティスは、愛する人を亡くした地獄。

 誰にでも、地獄はすぐ近くにある。


「ローラ」


 ランティスはローラを強く抱き締め笑った。


「もうすぐエルドラインの鐘が鳴るよ」


 春の知らせる女神が鳴らす、あの鐘が。

 恋人達の永遠を願う鐘が。


「知っているか? あの鐘の鳴る音を聞いた時、抱き合っている恋人は永遠に結ばれるって言う伝説を」


 鐘は鳴る。

 春を知らせる為にではなく、崩れ落ちる塔の為に。


「ローラ」


 ランティスは強く強くローラを抱きしめた。


「また、逢おう」


 何があっても、離さないように。


「来世でも、必ず見つけるから」


 何処にいても、誰になろうと、必ず。

 必ず、見つけて見せるから。


「迎えに行くよ」


 絶対に。

 必ず。


「その時はまた、手を繋ごう。今度だって、離さない。そして……」


 ランティスはローラの額にキスを送る。

 安らかに眠る愛する人に。


「今度は絶対に、俺がお前を助けるから」


 ああ、エルドラインの鐘が鳴る。





 あの鐘の音が響いていく度目かの春が来た。


「こうして、この国に平和が訪れ人々は幸せに暮らしましたとさ」


 分厚い本を、パタンと閉めながら青色の瞳を持つ金色の髪の女性が笑った。


「ママ、二人はどうなったの?」

「死んじゃったの?」


 二人の子供が、彼女の服を引っ張りながら、本にない続きを求めて居る。

 その様子に少し笑いながら、女は子供達の頭を撫ぜた。


「そうね。ママはきっと、あの三人で今も何処かで旅をしているのかなって、思ってる」

「旅?」

「うん」

「でも、死んじゃったんのに?」

「そんな事ないよ」


 女は空を見る。


「必ず帰ってくるって、約束したもの」


 あの日と同じ、あの青空を。


「ローラは、立派なご令嬢だもの。約束を破る訳がないわ」

「ママ、ローラの事知ってるの?」

「何言ってんの? これは本の話だよ? ローラなんていないよ!」

「だって、ママがローラと約束したって!」

「えー? ママ、本当に?」


 分厚い本の背表紙に書かれている、リュウ・シュタンケットの文字をなぞりながら彼女は笑った。

 

「ふふふ、それは秘密」


 約束は未だ果たされていない。

 だから、彼女は、いや。彼女達は待ち続ける。


「そろそろ、パパが帰ってくる頃よ。城に戻りましょうか?」

「今日は僕がパパの王冠をしまう係だよ!」

「昨日やったじゃない! 今日は私っ!」


 いつ、ローラ達が帰ってきてもいいように。

 この国で。

 ローラ達が守ったこの国で、待ち続けるのだ。


『アリス様、ただいま』


 そう、笑って彼女達が帰ってくるまで。

 ずっと、ずっと。

 エルドラインの風が吹くまで。




_______


次回は1月31日(金)23時頃に更新予定となっております。お楽しみに!

次回、最終回です。よろしくお願いしますっ!

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