第106話 貴女の為の貴方を

「フィンが心配か?」


 如何しても後ろを何度も振り向いてしまう私にランティスが問いかけた。


「いえ、信じてますから」


 反射的に模範解答が口を吐く。

 勿論、私はフィンを信じている。

 フィンは、絶対にギヌスになんか負ける訳がない。これは、確信だ。彼女は、決してギヌスに負ける筈はない。

 いつだってフィンは何度もピンチを切り抜けてきたのだ。

 彼女は優秀でいて冷静で誰よりも強い。

 だから、大丈夫。

 でも……。


「……御免なさい。嘘を言いました。少し、心配です」


 彼女は、強い。

 信頼している。信用している。

 でも、それでも。


「ローラの気持ちはわかる。アイツは確かに強い。信頼の置ける人間だ。でも、それでも。絶対なんてないもんな」

「……ええ。彼女は優秀が故に、少しだけ無茶をしてしまうのではないかと思ってしまう。信じてるのに」

「無茶をしでかす所は主人に似たんだろうな。信じることと心配する事は、何も相反してる訳じゃない。信用してても、心配はするもんだ。だって、あいつはお前の一番の友達だろ?」

「……ええ」

「友を心配しない奴なんて、いないさ」


 ランティスは、そう私に笑いかける。

 そうだ。

 私は、この心配が酷く後ろめたいものだと思っていた。

 出来ないから心配するのだろ?

 上手くいかない場合の事を考えてしまうから心配してしまうのだろ?

 自分の小さな物差しが、そう私に囁くから。

 だけど、ランティスが言うように私の心配は彼女の出来高についての心配ではない。

 結果なんて、どうでも良い。彼女が無事なら、それだけでいいのだ。

 友として、大切な人として。

 可愛いあの子にもし物事があればと、私は心配しているのだ。


「ランティスは、凄いな」


 思わず、そう呟いた。

 だってそうだろ?

 たった一言だけで私の物差しを壊してくれる。

 凝り固まった塵と塵だらけの汚いばかりの固定概念が、彼の言葉一つで砕けて散ってゆく。

 疑って、誰の言葉だって素直に飲み込めなかった筈なのに。

 きっと、彼がいなかったらフィンもタクトもシャーナも、そしてアリス様でも。

 彼らの言葉を素直に聞き入れるなんて出来なかっただろう。

 心の何処かで疑って、本当は私を騙そうとしているんだろうと心の奥底で決め付けて、それでも真実を問い詰める強い心なんてなくて、噯気にも出さずに貼り付けた仮面の様に笑っていた事だろう。

 前世の様に。

 でも、今は違う。

 ランティスが、私を変えたのだ。


「そうか?」

「ええ。最初に会った時から、貴方は凄い人だったなって」


 悪名高い悪役令嬢。

 貴方の中では私の名前はローラではなく、ただの意地悪で傲慢な見てくれの悪い邪魔者であったのに。

 そんな私の言葉を受け入れて、手を差し伸べ、ひとりぼっちだった私の壁を尽く壊していって。


「最初? ああ、あれは、俺が最悪だったな」


 照れた様な笑いがランティスから漏れる。


「私も最悪でしたでしょ? あんな分厚い本で、貴方を殴ろうとしてしまったんだから」


 そうだ。

 出会いは、お互い最悪だった。

 ランティスは私がアリス様を虐めいると思っていたし、私はランティスをあの小瓶事件の犯人だと思っていたのだ。

 今思えば笑ってしまう話だが、当時は二人とも真剣だ。

 なんせ、お互いがお互い、自分の愛するアリス様の為を思い、お互いがお互いを倒さなければいけない敵だと思い込んでいたのだから。


「あんなもの、可愛いものだろ? 俺なんてお前の事をブス令嬢呼ばわりしたぞ?」

「有りましたね、そんな事も。でも、事実を言われて怒る様な人間ではありませんもの」


 そう言えば、一番最初に言われた言葉だ。


「俺は、今も凄く後悔してるけどな?」

「意外に小さな事を気にするのね。いいの。私は、その後の言葉の方がずっと大切だから」

「その後?」


 どうやら、言った本人は忘れている様だ。

 何度も何度も、貴方が言ってくれた言葉に救われたと言うのに。


「私の事を凄くいい奴って、言ってくれたわ」


 誰からも否定される人生を送ってきた。

 勿論、それに異論はない。

 私はきっと、誰かにとっての悪だったのだろう。

 私だって、全てが全て正しいと思って生きてきてはいない。

 そんな傲慢さを育ててくれる人は誰一人いなかったのだから。

 当たり前の事だ。

 人が人と関わると言う事。

 私の行動一つで不愉快になる人間もいれば、私の言葉一つに傷つく人もいる。

 私が、誰かをそう思った様に。

 誰かが、私をそう思う。

 そんな事は子供じゃないから分かっている。

 分かっていても、割り切れては居なかった。

 だって、私を肯定する人間は誰一人居なかったのだから。

 勿論、今世の親は私を肯定するが、それは家族という枠組みの中の仕事の一つ。そこからはどうしても抜けられない。

 手放しで認めてくれる人間が、どうしても私には存在してくれなかった。

 先輩だって、その一人だ。

 誰かが、私に後ろめたさがあればある程、その人の言葉が酷く安っぽいものに聞こえてしまう。

 親に至っては、生まれた私に不憫を覚えている事。

 先輩は、私を助けるのが遅すぎたと思っている事。

 そんな事、どうでもいいのに。

 気にしないのに。

 でも、言葉の端々で感じ取る。私に対して申し訳ないと思う気持ちが端々に。

 だから。

 だから。

 だから、ランティスがあの最悪な初対面で私を凄くいい奴だと褒めてくれた事がどれだけ私の救いになったか。

 どれだけ、私の背中を支えてくれたのか。

 きっと彼にはわからないだろう。

 否定され続けた人間にしか、わからない。いや、きっと。これは私だけにしかわからない事なのだ。


「言ったな」

「忘れてたのですか? いい人じゃないと今は思ってないから?」

「あー……。いや、それよりももっと、思う事があったからかな?」

「そうですね。私は、貴方には随分と自分を見せてしまったからかな」


 親の前でも見せない、本当の自分。

 素の自分。

 きっと、嫌な所は沢山見せた。

 気を取り乱したり、本音を叫んだり、汚く人を陥れたり。

 善人のブスのままで居たつもりはない。

 なんせ、私はブスな悪役令嬢なのだから。


「貴方が、共犯者になってと手を握ってくれなければ、きっと自分がこんなにも他人に自分を見せれる人間なんて知らなかったでしょうね」


 あの時、決して話さなかった私とランティスの手。

 お互いにお互いの鎖を巻きつけて、お互いを利用する為に、共犯者になる為に握った手。


「ローラ、俺は……」

「私に利用価値があったかは疑問ですがね」


 余り役に立った記憶はないなと思って口を開けば、何か言いかけたランティスの言葉を遮ってしまった様だ。


「あら? 何か?」

「……いや、利用と言うか、俺だって何度もお前には助けられて来ただろ?」

「どちらかと言うと、実質助けたのはフィンでは?」

「お前のそう言う所、直した方がいいぞ? 実質じゃない方でも。俺だって、お前がいたからここ迄来れたと思う」


 ランティスはそう言って顔を下に向けた。


「俺は、兄貴の様に何でもできる人間じゃない。あの時は、アリスの事が好きで、何か少しでも兄貴を出し抜ければいいと思ってローラに共犯者になる様に持ち掛けたんだ」

「アリス様も、きっとそれを聞けばお喜びになられますよ」

「アリスに言えば兄貴よりも、俺を好きになってくれるって?」


 ランティスが私を振り返る。

 少しだけ、ズキリと胸が痛んだ気がした。


「……ええ、勿論。私がアリス様なら王子よりもランティスの方を好きになりますよ」


 そうだ。

 彼がここまで来たのはアリス様の為。

 私と同じ。

 忘れていた訳ではないのに言葉にされると、随分と私の胸に突き刺さる。


「お前が?」

「ええ、私がアリス様だったら」

「そうか」


 そう呟いて、彼は満足そうに私に笑いかけた。

 一瞬、息を忘れる程の苦しさが私の胸を襲う。


「あ、アリス様にお気持ちを伝えられないんですか?」

「え? あー……、まあ、それはな」


 急いで話題を変えた私の問いに、随分と歯切れの悪い言葉が返ってくる。

 その様子に私は自分の失言に気づいたのだ。

 彼は第二王子。

 この国で第二王子は第一王子であるティール王子が子を成した瞬間に彼は性器を失う事になる。

 骨肉の争いが王族間で起きぬ様、決められた法に則り、彼は動物としての権限を奪われてしまうのだ。

 第二王子は子を成せない。

 第二王子は結婚できない。

 そんな人間が恋をしようと思えるとは思えない。

 待っているのは、目に見える終着だけ。

 愛する人に終わりが見える恋をしろとなんて言える訳がないだろうに。


「……ごめんなさい。軽率な事をお聞きしましたね」

「え?」

「いえ。これは、私の失態です。どうぞ、お責めになられて下さい」

「……え? あぁ。お前は俺の未来を嘆いた訳だ」

「ええ、まあ……」

「タクトみたいな事を言うよな。別に悪い未来だとは俺は思ってねぇよ。確かに、色々変わってしまうけど。けど、悪いとは思わない。俺が変わる事で兄貴や国民たちの安心を買えるなら、安いもんだろ?」

「ランティス……」

「それに、あの時は好きな人が、いや。アリスが幸せになればそれでいいと思ってたよ。別に、兄貴を出し抜いてアリスの目を引きたかったけど、それで如何かなろうとは思ってもなかった。ただ、アリスの記憶に俺が居たって残っててくれれば、それでいいかなって思ってた」


 ランティスはそう言って前を向いた。


「俺が残せるもんなんて、そんなものしかないからな」


 子を残せない。

 私だって、前世では子を残した事はない。

 その事に悔いも後悔も何一つ湧いても来ないが、生まれた時から子を残せないと決められていたランティスとはまったくの別物だ。


「誰かの明日の為に、俺は変わる。意味のある変化だ」

「……そう、ですか」

「ああ。誇らしい変化だと、俺は思うよ。そう、教えられたんだ。自分を変えた人に」

「それは……」

「ああ、叔父貴に。あの時、叔父貴は嘘を言ってる様には見えなかった。だから、今もなお俺は信じたくない。あの人が、こんな事をしたなんて」

「ランティス……。気持ちはわかります。寧ろ、よく私達の所に戻る決心を付けてくれたと、最初は驚きました。貴方は、学園長の事を厚く信頼していたから」

「ああ。俺は、将来叔父貴の様になるだと思ってたぐらい、あの人の事を尊敬していたんだ。身分も関係なく、誰でも困っている人がいれば手を差し伸ばし、自分の子供がいないからと、この学園にいる生徒を我が子の様に愛してくれたあの人がこんな事をする訳がない」

「……ランティス。貴方は戻ってもいいのですよ? この戦いは、私が始めた事。貴方は巻き込まれただけです。無理に進む必要はない」


 そうだ。

 無理に決別しなくてもいい。

 これは、私と学園長の戦いだ。

 フィンとギヌスが戦う様に。


「……ローラ」

「貴方が居なくても、私はきっと学園長を止めて見せます。おかしな事を言うかもしれないが、私は貴方に悲しんで欲しくない。辛い思いをして欲しくない。これから学園長と対峙する重みに貴方の胸が潰されるのならば、私が代わりに致します。だから、如何か……」

「ローラ、手を握ろう」

「……え?」

「手を握ろう。約束だったろ? この手を離さないって。お前が言ったんだぞ?」

「何を急に! 今とは話が……っ」

「一緒だよ。全部繋がってる」


 そう言って、ランティスが私の手を掴んだ。


「俺は、確かに叔父貴を今でも尊敬してるし、信頼してる。けど、それ以上にローラ。お前を信じてる。そして、お前と一緒に居たいと思う俺自身の気持ちを、信頼してる。最初にこの手を繋いだ時から、俺はお前を選んだ。この選択を、俺は信じてる。だから、ローラ。お前も俺を信じてくれないか?」


 誰でも良かった。

 私を肯定してくれるなら、誰でも良かった。

 たまたま、私に話しかけたのがランティスだっただけ。

 たまたま同盟を持ちかけたのが、彼だっただけ。

 それだけ。

 それだけのはずなのに。


「勿論ですよ。私だって貴方を選んだんだ」


 貴方を選んだ選択が運命の様に今は感じてしまう。


「行きましょう、ランティス」

「ああ」





 足早に螺旋階段を登った先にある扉を、私とランティスは勢いよく開けて踏み込んだ。

 この部屋に、この部屋に学園長はいる。

 そして、この部屋で、決着を付けねばならない。

 しかし……


「誰も、いない……?」


 扉を開けると、そこはもぬけの殻だった。

 大砲も、弾もあると言うのに、肝心な人間が何処にもいない。


「どうなってるんだ!?」

「ここに続く階段はここだけなのに……?」


 あの狭い階段で人とすれ違って気付かない訳がない。

 それも、件の人間に。


「一体、どうし……っ!」


 その時だ。

 私の首に腕が巻きついたのは。


「ローラっ!?」

「動くな。動くと、この娘の喉元が掻き切られる事になるぞ、ランティス」

「叔父貴……」


 振り向けないが、どうやらこの腕の主は学園長の様だ。

 下に目をやれば、私の喉元にナイフが突き立てられている。

 そうか。こいつ、扉に隠れていたのかっ!


「ついに、ここ迄来てしまったのだな……」

「叔父貴、やめろ。やめてくれ……。一体、どうしたって言うんだ。あんたは、いつもこの国の人のために尽くしてきただろ!?」

「ああ、そうだ。私はこの国を愛していたよ。ランティス」

「なら、何故! 何故この様な愚行に走ってんだよ!」

「この国は、私を愛してくれなかったからだ。ランティス」


 愛してくれなかった?

 学園長は確かに人徳のある人だったと思う。

 その証拠に、皆が彼の慈愛を尊敬していた。

 大人を信じられなくなったフィンも、物語を疑うタクトも。貴族社会に生きる生徒達も、平民であるアリス様も。誰も彼も。

 誰も彼も、彼の慈愛に敬意を払っていた。

 少なくとも、なんの関わりもなかった私でさえ最初のうちは信頼していたのだ。

 だって、彼は人に真摯だったから。

 私がこの学園に初めて足を踏み込んだ時でさえ、彼は学園長という立場を崩さずに私を受け入れようとしてくれた。

 人として、接してくれた。

 すぐに自分の行動を恥、自分の過ちを認めて。

 きっと、私だけじゃない。

 彼は全ての国民に平等に、尊敬の念を込めて真摯に愛を伝えてくれていたからだ。

 なのに。

 なのに。

 彼は、彼の愛していた国民を破滅へと導こうとしている。


「誰も、私を愛してくれなかった」

「そんな事はないっ! 誰だって、兄貴だって! 親父だって皆んな、あんたには一目置いていて、尊敬の眼差しを向けていたっ! 愛されなかったなんて、有り得ないっ!」

「……愛されなかったなんて、あり得ない。か……」


 学園長の引き攣った笑いが後ろから地獄の底から聞こえる笑い声の様に私の耳に届いてくる。

 その音には、禍々しい程の恨みが篭っているのを肌で感じる錯覚を覚えるぐらいに、不気味でいて、そして酷く怖いものだった。


「面白い事を言うな」

「面白いって!?」

「だってそうだろ? 愛されていたなら、何故私から全てを奪うのだ?」


 全てを?


「なぁ、教えてくれ。ランティス。何故、私は奪われた? 愛も、恋も、大切な人も、そして、大切な子供迄。何故、お前の父は殺したのだ」


 え?


「こど、も?」


 可笑しいだろ?

 だって学園長は、王の弟だ。

 子供なんて、居るはずがないのに……。


「教えておくれ、ランティス」


 そう言って、老人は狂った様に笑うのだ。




_______


次回は1月28日(火)23時頃に更新予定となっております。お楽しみに!

三日連続更新成功しましたー!やったー!\\\\٩( 'ω' )و ////

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