第95話 貴女の為の信じる狂気を

「ティール王子。如何されましたか?」


 ギヌスの剣を受け止める王子に、彼は笑いかける。

 それは、本当に、純粋に、そして何も変わらぬいつもの日常かと言うほどに、ギヌスの笑顔は何も変わらぬものだった。

 たった今、我々の仲間を殺そうとした。

 たった今、我々の仲間を殺した。

 たった今、我々の仲間を殺そうとしている。

 そんな事など、微塵も感じさせない、普通の口調に普通の笑顔。

 そして、本当に、何かあったのかと疑問に思う色も残している。

 サイコパス野郎だろ。

 これでも、王子を騙せるとでも思っているのか?


「ギヌスっ! お前が言っていたのは、ローラの言う様に嘘だったのか!?」

「そんな訳がございません。何処に俺が嘘をついた証拠があると?」


 大人を舐めた餓鬼のような言葉がギヌスの口から吐かれる。


「お前はアリスを殺そうとしただろっ!? そして、シャーナを……っ!」

「何を仰る。救いですよ、救い」

「殺す事が救いと言うのかっ!」

「ええ、勿論。貴方がローラ・マルティスを殺して救おうとしたのと何が違いますか?」


 ギヌスの言葉に王子の力が緩みそうになっている。

 こざかしい。最後迄ござかしい男だ。

 王子を惑わせるには十分な言葉を使ってくれる。

 だが、彼の言い分は尤もだ。

 王子は、彼の中では欠陥品になってしまった私を死と言う名の救済を与えようと考えた。

 恐らくは、彼に元々備わっている思考ではないだろうが、唆されるがまま、彼は死と言う名の救済を受け入れてしまったのだ。

 確かに、この救いが私には適用され、アリス様方には適用外と言われれば、そんな都合のいい話がある訳がないと声をあげるのは筋である。

 そうだ。

 確かに、おかしい事なのだ。

 該当者である私が弾糾すべき事であるのは明白だ。

 だがしかし、今我々の救いは王子しかいない。

 庇うのも、背中を押すのも随分と釈だ。

 しかし、もう残された手がないと言うのならば、私は喜んで背中を押してやろうじゃないかっ!

 それに、これは牽制逆転の大きな起点になり得る。

 その気にさせるなら、何が必要か。

 本の世界で嫌と成る程読んできたんだ。


「王子っ! ギヌスの言葉に耳を貸してはなりませんっ! 私は、貴方が救おうとした気持ちが嬉しかった!!」


 人の命を、人の誇りを穢そうとしていた輩にそんな事を思う訳がない。

 例え、死を覚悟していても、こちらにとっとはお前に殺される通りも義理もないのだ。

 普通に腹は立つし、遺憾の意を表明したい所でもある。

 しかし、今回ばかりはアリス様を救ってくれれば不問にしてやる。


「ローラ……」


 私の名を軽々しく呼ぶなよ。

 殺そうとした相手なんだぞ。

 正気を疑いたくもなるが、ここはぐっと堪えなければならない。

 全ては、アリス様を救うためだ。


「王子、貴方とギヌスは違うっ! 貴方は、私の為を思ってです! ですが、その男はアリス様を道具としか思っていない! 貴方と一緒である筈がないっ!」


 こんな言葉、言いたくない。叫びたくない。

 しかし、正気に戻った方が負けだ。

 所詮この世は狂気と狂気のマウンティングだろ。

 狂わない方が負けだ。


「私は、どんな時でも貴方を、ティール王子を信じていますっ!」


 信じて馬鹿を見て、それでも人を信じてみようと思うなんて、私に言わせれば何と言う狂気の沙汰だと思う。

 しかし、世界は人はそれを称賛するのだ。

 狂っている。

 実に狂っている。

 だが、狂気は力なのだ。

 狂いは、力だなのだ。


「……ローラ……。そうだっ! 俺は、皆んなを救いたいだけなんだっ!」


 捻れた、テンプレの様な正義。

 ギヌスが吐き気を覚える程嫌う気持ちが少しは分かる。

 しかし、物は考えようだ。


「王子、どうか、どうかっ! 貴方の正義を貫いてっ! 負けないでっ!」


 テンプレの正義は吐き気を覚える程薄寒く、私の様な捻れた人間には狂気の沙汰である。

 だがな、テンプレだからこそ、分かりやすくもある。

 耳障りがいい言葉を、並べれば簡単に使える。

 コントロールと言う点に置いては、最高のコントローラーを用意出来るのだ。


「単純な奴だなっ!」


 ギヌスが言葉を吐くが、その通りだ。

 単純ない言葉で、彼の力は軒並み上がっていく。

 げんに、迷っていた時よりも王子はギヌスを押し返す寸前まで持ち堪えているのだ。

 使わない手は無い。

 そして、簡単な言葉の羅列は、王子だけではなく周りをも動かすのだ。


「……お前らは、いいのか?」


 私を捕まえている騎士生徒たちに、私はそう呟いた。


「え?」


 突然話しかけられた彼らは呆気に取られるように私を見た。

 それもそうだ。

 ランティスやタクトは必死にこのクソみたいな捕縛に抗っていると言うのに、私は今離せとも言わず、暴れず、まるでギヌスの様な何一つ日常と変わらない声音で彼等に問いかけたのだから。

 彼らには分かるまい。

 次には私が何を言うのか。

 泣きながら助けてと、暴れながら離せとでも言えば、少なからず彼らの混乱は避けれたかもしれない。

 心優しい人間ならば、そこからスタートをしていくかもしれない。

 だけどな、私は心優しい人間でもなければ、お前らにそんな義理を一ミリも感じていないんだ。

 当たり前だろ?

 私にとっては王子共々、お前らは加害者なんだぞ?

 だが、致し方ない。今回限りはこれで許してやる。

 精々困惑しながら脳味噌を死ぬ程動かせ。


「王子が剣を抜いているんだぞ? 貴様らは加勢しなくてもいいのか?」

「な、何を。我々の王は」


 はっ。

 思わず、鼻で笑ってしまった。


「何だ? 新しい王にでも仕えるつもりだったのか?」


 私の言葉に、騎士生徒たちはバツが悪そうに顔を背けた。

 おいおい。

 生半可な覚悟なんてしてんじゃねぇーよ。

 だからこそ、ギヌス達は彼らを使っているんだろう。

 直ぐに折れる覚悟。

 物語ではいらない、語られもしない価値のない覚悟とされるが、現実ではそうでは無い。

 生温い折れやすい覚悟は、実に効率的なのだ。

 そう。

 使い捨てには実に有効だ。


「お前らは、馬鹿なのか? 私を見て、何も思わなかったのか? かの悪名高い令嬢であるローラ・マルティスがギヌスではなく王子に付き従い、剰え信じていると言ったんだぞ?」


 私を足止めする騎士生徒二人は、お互いに顔を見合わせた。

 言っている意味が、いまいち分からないらしい。

 しかし、いい傾向だ。

 自分一人の意思で決める事が出来ない事を表す吉兆である。


「馬鹿野郎。考えろ。今、ギヌスは失敗に失敗を重ねている。アリスすら殺せていない。つまり、彼らの言う新しい世界に続く扉を開ける事は失敗に終わったんだ」


 ギヌスは今慢心している。

 彼唯一の気掛かりであるフィンは未だ足止めだ。

 失敗したアリス様の殺害を、自分の力でフォロー出来る範囲として楽しんでいる。嬲り殺す力が彼には十分あるのだ。

 それは此方にとっては嬉しい誤算。好都合の他ない。

 よく考えて見てほしい。

 力で制圧したいのならば、外にいる砂漠の国の兵を使えば彼ら以上の働きは約束されているのだ。

 なのに、何故、ギヌスは砂漠の国の兵を使わないのか。

 そこにこそ、彼らの折れやすい覚悟が関係している。

 彼らは自分の為だけに流されて生き来た。

 覚悟も信念も、腐り切った木そのもの。

 柔くて脆く、崩れやすい。

 今、彼らはギヌスに乗せられ王子への反乱の片棒を担がされている。この後に起きる悲劇など、知りもしないで。

 そうだ。

 彼らには気付かせたら敵側にとっては非常に不味い事態になるのだ。

 王に少しでも力がある可能性があると知れば、彼らはどう動くか。

 大人しく人質になる可能性は低くなる。

 人質にならなければ、この学園を占拠するためには殺さなければならない。殺したら最後、親の貴族達が王からこちらに寝返る事は永遠に来ないだろう。

 そうなれば、この国と砂漠の国の全面戦争に発展する事は目に見えている。

 全面戦争になれば誰が一番困るか。

 答えは簡単。

 砂漠の国だ。

 彼らが今この国に送った兵は、恐らく三百程。

 三百程ぐらいが、王にも国境を守る辺境貴族にも怪しまれずにこの国に入れる最大値だろう。

 戦争になれば、国境の門は固く閉ざされ、そう簡単には援軍はこの国には入ってこない。

 それに加えてアウェイだ。数でも地理でも正面衝突となると彼等には不利。

 そもそも、正面を切って戦争を起こすわけでもなく、こんな奇策を打って出るのだ。砂の国にはこの国と正式な戦争になれば勝ち目がない証拠でもある。

 だからこそ、彼等は人質がいるのだ。

 しかし、人質とは扱いが非常に難しい。

 抵抗されれば殺すしかなく、騎士生徒まで保有するこの学園では、歯向かってこれば兵も無傷で済まない可能性も出てくる。

 そこで、彼等は折れやすい覚悟を利用しようと考えたのだ。

 つまり、牙を折る方法を。

 担いだ神輿を落とせば、金をやる。

 喜んで担いだ神輿を落とした中に赤子がいたらどうする?

 中は知らなかったと、なんの罪に問われるわけでもないのだと金を受け取る人間ばかりじゃないさ。

 人は悩む。そして、負い目を感じる。負い目を感じたら、動きが止まる。動きが止まった時に、責められれば慙愧の念を思わずにはいられない。

 知らぬ間に共犯者となり、罪の意識に苛まれ、怯えるまま脅され、また更なる悪事に加担し、更なる罪が増えていく。

 負のループの出来上がり。

 そこに、歯向かうと言う選択肢は出てこない。

 今、このアリス様の死を引き金にし、この国の王子を殺す大義名分を勝ち取った後、彼らに王子を殺させる。何も知らない子供達に後戻りをさせない儀式を行う様なものだ。

 可哀想。

 彼等も被害者だ。

 なーんて。

 そんなもん、微塵も思うわけねぇだろ。

 助けてやるが、勿論此方の為にも働いて貰わなきゃ割に合わない。

 救ってやる。

 全てを救ってやる。

 だから、お前らも対価を払え。

 私は主人公でも、正義の味方でもない。

 アリス様や大切な仲間を悲しませたくない。それだけの自己中で動いてるクソ野郎だ。

 使えるものは何でも使う。

 人の気持ちだって、なんだって。

 だって、私は悪役令嬢なんだから。


「もう、新しい扉は閉ざされた。これだけ裏切りを彼の前に露呈したのならば、ギヌス達についても我々は王子に裁かれるだけの道しかない。ならば、ここで家の為に恩を売っておいた方が賢いとは思わないか? これだけの人数が裏切ってるんだ。今のうちに媚を売れば、最悪私は死ななくて済むかもしれない。そうは思わないのか?」


 私がそう囁けば、彼等ははっと私の顔を見る。


「ここで賢く生きなきゃ、死ぬ道しかないぞ。私は、そんなのごめんだね。お前らだけ死ね」


 お前らと、私は違う。

 私は賢い。

 今の状況を見て、正しい選択が出来るのだ。

 ンなわけねぇーだろ。

 最初から、ギヌスが失敗する前からこっち側にずっといただろ。

 ゆっくりと、いや、そもそも普通に考えればそんな事は誰でもわかる。

 だけど、今の状態は普通では無い。

 自分たちは裏切って、敵側についた。

 しかし、その敵側の勝ち目は確かに消えかかっている様に見える。

 そして極め付けに、悪役の代名詞であるローラ・マルティスが一人で助かろうと王子側に寝返った。

 寝返らなければ、死ぬかも知れない事実が彼らの目の前にあるのだ。

 この状況で、誰が普通に考えられる?

 誰がゆっくり考えられる?

 悩むのも考えるのも一瞬でなければ。

 時間がないのは、わかっているだろうに。

 折角ギヌス達が用意してくれた裏切りの負い目。

 有り難く此方も使わせて貰うぞ。


「王子っ、私は貴方の味方ですっ! ギヌスを、どうか倒してっ!」


 そして、折れやすい覚悟とは対照的に自分の都合よく覚悟を変えれる王子は彼等を揺さぶるにはとても良い具材になる。


「ローラの為にもっ! 僕は負けないっ!」


 何が私の為だ。

 思い上がるなよ。お前は、アリス様の為だけに負けなければ良いんだよ。

 王子の言動一つ一つに腹が立ちそうになるが、ここは大人にならなければ、齢合計値五十そこそこのババアが廃るってもんだ。

 腹は立つが、王子は私の言葉に力を貰ったのが、先程よりも力強くギヌスを押し返す。

 ギヌスにとっては、これは余興みたいなもの。

 ならば、一度ぐらいは離れて大勢を立て直し王子を瀕死迄持っていく剣技を見せるはずだ。

 彼程の実力があるにも関わらず、こんな生温い劇の様なここにいる理由は、明確。

 それが、彼の仕事でもあるからだ。

 明らかな力の差を。

 誰にも勝てないと思わせる程の剣技を、人質達に見せつけておく仕事を彼は担っている。

 だからこそ、こんな茶番をやっているのだ。

 そうでなければ、あれ程強いギヌスがこんなに手を焼いている理由がない。

 仕事熱心だな、ギヌス。

 現代なら良い社畜になった事だろうに。

 だが、残念だな。

 言われるままに仕事してるだけじゃ、良い社畜にはならねぇーんだよ。


「王子が、盛り返したっ!」


 私が声を上げれば、私を捕まえていた二人はびくりと体を揺らした。

 いいぞ、いいぞ。

 迷い戸惑ってるな。

 さて、最後の一押しでもしてやるか。


「お前ら、兄弟はいるか?」

「え?」

「いるかと聞いてるんだよ。右の奴。お前に兄弟はいるか?」


 私の右に立っていた騎士生徒に問い掛ければ、彼はおずおずと口を開く。


「い、居ないです……」


 本当は、居ても居なくても、どっちでも良いんだけどな。

 そんなもん、どうでもいいんだよ。


「お前一人しかないなら、行け。このままだと、お前のせいで王に一族を根絶やしにされるぞ」

「え」

「私一人生き残っても裏切りが疑われる。数人は生き残って貰わないと、困るんだよ。お前は、一族の為にも私の為にも生き残れ。お前の家はこのマルティス家が必ず助ける。私の父は誰だと思ってるんだ? 公爵家の党首だぞ?」


 選ぶのは一人でいい。


「行け、お前の事だけは保証してやるっ!」


 私は右手で騎士生徒の背中を全力で押し出した。

 戸惑って力の入っていない体は、私の押し出しの反動でぽてぽてと、前に進む。

 さて。

 一押しだ。


「王子、今助太刀致しますっ!」


 私がそう叫ぶと、王子は騎士生徒を見て顔を輝かせた。


「流石は我が国の騎士っ! よく来てくれたなっ! 助太刀、感謝するっ!」


 もう、後戻りは出来ないんだよ。

 ゴクリとまるで音が聞こえてきそうな程、騎士生徒は唾を飲み込む。

 生半可な折れそうな決意を。

 さて、最後の大仕事だ。

 私は、一人残った騎士生徒を見上げて笑った。


「お前はこのまま、謀反の烙印を押され死ぬの? あいつは、生き残るのに」


 私を抑えていた彼が、ゴクリと喉を鳴らした。

 ああ。

 どうやら生半可な折れそうな決意を、また一人飲み込んだ様だ。





_______


次回は1月7日(火)23時頃に更新予定となっております。お楽しみに!

明けましておめでとうございます!今年もよろしくお願い致します!

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