第91話 貴女の為の婚約を
「アリス、様……?」
純白の衣を纏った私の女神が、そこにはいたのだ。
何故だ。
何故、彼女がここにいるのだ!?
可笑しいじゃないかっ!
だって、だって……っ!
「な、何故っ!? ゲームと違うじゃないかっ!」
ゲームと話が違うっ!
アリス様は群衆の中から選ばれるんじゃないのかっ!?
「……ゲーム?」
私の叫びを聞き、ギヌスが再び私を見る。
しまったっ!
アリス様に驚き、今の状況が頭から抜け落ちてしまっていた。
「お前、今、ゲームと言ったな?」
「……何の事だが……」
「お前、何を知っている? ゲーム? この世界はゲームの世界なのか?」
矢張り、ギヌスはエルドラインの鐘が鳴ると言うゲームは知らないのか。
しかし、だからどうした。
今、その情報があった所で有益に使える場ではないのは確かであろうに。
寧ろ、向こうが興味を示してしまった事により、より状況は悪化してしまったではないか。
「そうか。これは、ゲームの世界なのか……」
まずい。
この事実が、どうギヌスに影響を与えるのか全く持って見えないぞ。
「……やってたゲームに転生って、良く聞く話だよな?」
ギヌスの口が大きく歪む。
まるで、こいつの心、そのものの様に。
何がよく聞く話なんだ。
そんな事が良くある話であってたまるかよ。
「ああ、ダメだ。これは」
「何を……っ」
「お前は今ここで殺すしかなくなった」
「……え?」
「そうか。お前が原因か。そうだよ。じゃなきゃ、可笑しいよ。俺が大人になってしまったのも、お前が原因じゃないか」
「……何を、言っているの?」
「俺が、主人公から外れたのも、お前のせいだって話だよっ!」
ギヌスが剣を抜き、私に鋒を突きつける。
主人公?
大人になった?
何の話だ。そんな事、私は何一つ知らないぞ!?
「ギヌスっ!? 何をしているんだっ! 今は神聖な婚約の場だぞっ!」
ギヌスの振る舞いに慌てる王子とは裏腹にアリス様は何の表情もなくただ、私を見ている。
アリス、様?
今迄にない、恐怖を感じる。
嘘だろ? アリス様に、恐怖を感じている……? この、私が?
あれ程慕って、命まで投げ出す程愛した人に、背筋が凍るような恐ろしさを、私は今感じているのだ。
それもそうだろうに。
いつもならば、表情豊かに私の事を心配なさるアリス様が、今この場で何の表情も変えずに、ただ殺されそうになっている私を見ているのだ。
観衆の様に湧き上がる事もなく、また王子の様に驚き私を心配する事もない。
その無表情なお顔は、普段のアリス様からは想像もつかない程冷たく、そして、驚く程に正気がない。
お会いした時もお身体が余り良くはなさそうだったが……。
恐る恐る彼女の瞳を見れば、何の色も映さないその瞳が虚無色に染まっている。
ま、まさか……っ!
「王子、この物には悪魔が取り憑いております。婚約の場をこれ以上汚さない様、此処で禊を行わなければ」
「悪魔と言うのならば、お前らの方だろっ! 罪のない人間を何人殺す気かっ!」
「罪のない人間?」
「そうだ! ロサも、キルトも、私の知らない誰かも、貴様らの理想郷の為に何人殺す気だっ! アリス様さえも、その犠牲にするなんぞ、許される訳がないだろっ!」
「アリス?」
私の言葉に、王子が少ながらず反応を示す。
そうか。王子には、何一つ教えられていないのかっ!
「王子っ! コイツらは……っ!」
「ティール王子、悪魔の言葉に耳を傾けてはなりませんっ!」
「王子、聞いて下さいっ! コイツらは、貴方にアリスを殺させる為にこの場を設けたのですっ! その婚約指輪には……っ!」
「ティール王子っ! この者の首をはねますので、お下がりを。穢れた血が花嫁に付いては悪魔は再び舞い戻ってしまいますので」
「王子っ! 早くアリス様を連れて逃げてっ! ここには隣国の兵に囲まれてますっ! この学園の外に、早くっ!」
せめて、せめてっ! この場からアリス様をっ!
「往生際が悪いな。もう、手遅れだと言うのに」
「……何もしないよりはマシでしょ? どうせ、死ぬなら、大切な人を守って死ぬわ。お前と違って、どうやら私はこのゲームに選ばれた主人公の様だからな」
「……貴様っ!」
そんなわけねぇだろ。
主人公なんて、居るわけねぇだろ。
皆、自分の人生の主役だけで手一杯だ。どこぞの物語の主人公が出来る程、片手間で人生生きてるわけねぇだろ。
自分だけが特別?
そんな都合のいい設定があるかよ。
自分も他人も皆人間。首斬られりゃ誰でも死ぬし、死ななきゃ生きてる。それだけだ。
何を勘違いしてるかしらないが、特別なんてねぇんだよ。どんな世界にも特別な人間なんて存在しねぇ。
自分の人生は自分しか主役がいねぇんだ。
比べるものなんて何も無い。
それが、人間だろ。
「ここで、死ねっ!」
もうダメだ。
本当の終わりだと、私が目を瞑った瞬間だ。
「ローラっ!」
「ローラ様っ!」
聞き覚えのある声が、この祈りの場に響き渡る。
ギヌスの剣を弾いたのは、銀色の騎士。
私を庇う様に立ってくれたのは、黒髪の友人。
「フィシストラっ!」
「その名前で私を呼ぶなっ!」
キンっと、甲高い剣と剣が弾く音共に、二人が距離を置く。
「……フィンに、タクト? 貴方達、何でっ!?」
「アリスがこの場にいるんだ。作戦は失敗だろっ」
「ローラ様、申し訳ございません。けど、これでは明らかに貴女の無駄死にです。貴女の騎士として、主人の撤退を進言しに参りました」
「けど、これでは貴方達迄……」
「そんな事を言っている場合かっ! 俺達に時間がないと言ったのは、貴様だろうがっ!」
タクトが私の腕を掴む。
「タクト、お前までどうしたと言うんだっ!」
「ティール、友人として最後の警告だ。この婚約を今すぐ止めろっ!」
「何故だっ! 僕のせいでローラは傷付き、アリスは居場所を失うかもしれないんだぞっ!」
「貴様のせいだと? 随分と傲慢な事を言うな。こいつの腕は、こいつの意地で受けたっ! アリスの居場所が無いなら、俺達がまた作ればいいだけの話だろっ!」
「そんな単純な話わけがないだろうっ! 王族が絡む話だぞっ!」
「単純だよっ! 貴様の脳味噌よりもクソ程単純な話だろっ! ティールっ! アリスの手を離せっ!」
タクトが王子に向かってそう叫ぶと、王子はふと顔を下げた。
「タクト……、お前だけは分かってくれると思ったのに……。残念だ」
「何を知った事を……。その気がないならば、力尽くでも止めさせて貰うぞっ!」
「騎士達よ、タクトを捕らえろっ!」
王子が手を上げれば、祭壇に騎士生徒たちが私達を取り囲む。
「な……っ!」
「お前だけは、信じていたんだ。誰に何を言われようと、タクト、お前だけは……、僕の友達だから」
悲しげな顔で王子はそう呟いた。
何を言っているんだ?
友達なら?
友達なら……。
「……と、友達なら話ぐらいしっかり聞けよっ! タクトの事を誰よりも理解してると言うのならば、タクトの話を聞けよっ!」
私はタクトの手を振り解き、王子に掴みかかろうとするが、騎士生徒たちの手によって取り押さえられる。
「ローラ、君も……。こんな事になったのは僕の責任だ。君とは、いい友達になれると思っていたけど……」
「何を勝手な事を抜かしているんだっ! 巫山戯るなっ! 王子、お前は変わった筈でしょ!? 私の事を知りたいと言ったのは嘘なのかっ! 私の話も、タクトの話も、ちゃんと聞けよっ!」
「ローラ、済まない。でも、もう君は苦しまなくていいんだ。今迄、僕のせいで謂れのない罪に身を焦がした呪縛から、僕が解放する。今から此処で宣言しよう」
取り押さえられた私に、王子は口を開く。
嘘だろ。
ここだけ、ここだけが、ゲームと同じじゃないか。
「今を持って、ローラ・マルティス。君との婚約は破棄する」
王子の宣言に、観衆達が破れんばかりの喝采を送っている。
煩いぐらいに耳に響く地獄の底から聞こえてきそうな拍手喝采。
やめろ。
やめてくれ。
そんな事をしている時間は、もうないと言うのに。
「そして、今ここからアリス・ロベルト。君が新しい僕の婚約者だ」
王子は跪きアリス様の手の甲にキスを送る。
そして……。
「永遠の愛をこの指輪に誓おう」
取り出したのは歪な文字が彫られている婚約指輪……。
「君を愛して、守る事を、ここに誓う」
ゆっくりと王子の手はアリス様の指に……。
嘘でしょ?
やめて!
止めて!
そんな事をしたら、アリス様がっ!
アリス様が死んでしまうっ!
もう、誰も動けない。
動けないけど、誰か。
誰かっ!
私のっ、私のっ!!
「ランティスっ! 助けてっ!!」
そう私が叫んだ瞬間だ。私の横を赤い風が横切った。
「兄貴、其処迄だ」
はっきりと、私の望んだ声が聞こえる。
「この婚約は結ばせない」
しっかりと、王子の手を握り、これ以上指輪が進まない様に止めてくれる大きな手。
「ランティス……?」
そう、そこにはあの夜に部屋を飛び出した筈のランティスがいたのだ。
「ランティス……」
私の、私だけの……。
「お前ら、ローラを離せ」
ランティスがそう騎士生徒に言えば、騎士生徒は戸惑いながらも私の上から手を離し、私はランティスの顔を見る。
「ごめんな。待たせて、ごめんな」
そう言って差し出された手はどんな手よりも暖かくて、どんな手よりも力強かった。
_______
次回は12月26日(木)23時頃に更新予定となっております。お楽しみに!
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