第90話 貴女の為の反旗を一つ

「ローラ、様?」


 振り返れば、不安げに両手を重ねて立ち竦むフィンの姿が見えた。


「フィン、貴女は私ごと王子を斬りなさい。私は婚約破棄に異議を唱え王子の動きを束縛します」

「わ、私の腕ならば王子だけを斬ることが十分可能性ですっ!」


 フィンは必死に私を説得しようと自分の実力を私に示そうとする。

 そんな事、分かっているんだよ。

 分かり切っている。

 私は、誰よりもフィンの能力を買っているし、誰よりもフィンの剣の腕を知っている。

 だからだよ。

 フィン、貴女は外さないでしょ?

 絶対に、斬れるでしょ?

 私を。


「失敗は許されない。確実に、確かに、王子の息の根を止めなければならない。分かるでしょ?」


 嘘だ。

 こんなもの口から出任せだ。

 フィンに王子は殺させない。

 私が何としても王子を庇って、王子だって殺させない。

 死ぬのは、私一人で十分だ。

 私が死ねば、私に対して全てのヘイトが向けられる。

 また、私が死ねば混乱の中で婚約式に流れられる訳がない。

 私の死で、今回の動きを抑える事が可能なのだ。

 そして、私に斬りかかったフィンは王子を助ける為にとタクトが保護をしてくれる筈。フィンには罪が掛かることはないだろう。

 私だけが死ねば、皆が助かる。

 言っただろ?

 私は、私が死ねば皆が助かる道を選ぶ、と。


「私は、命を掛けます。フィン、貴女も死ぬ覚悟があると言った。紙屑の様に捨てられる覚悟が。今がその時よ。私を殺して、貴女も死になさい」


 死なないで。

 誰も、死なないで。

 私が絶対に守るから。私が絶対に、助けるから。


「タクトはあの塔に入り次第アリス様の保護を。シャーナ様達に直ぐにこの場から立ち去り寮の私の部屋に行く様に指示を出して下さい。私の部屋の鍵はこれです。頼みましたよ」

「……本気なのかっ!?」

「勿論。私は、この為にこの世界に、いや、この国に産まれて来たんです。戦争が始まればこの国の多くの人が死にます。それに比べれば私の命ぐらい、何だというのですか」


 私はタクトに気丈に振る舞う様に笑いかけた。

 怖くない訳がない。

 死ぬのだ。

 私はこの世界から居なくなるのだ。

 決められていた事と言え、恐れない訳じゃない。

 けど、私の大切な人達が死ぬぐらいなら、消えるぐらいなら。

 私の命など、それこそ紙屑よりも劣る価値に成り下がろう。


「他に、道はないのかっ!?」

「考える時間があるとお思いかっ!」


 まるで駄々を捏ねる様なタクトに、私は喝を入れる。


「もう、時間などないでしょうに! 貴方も分かっている事でしょうっ! 私達は、私達の出来る事をするっ! 我々は今日までそうして来たっ! そして、誰かを救って来たっ! それは、今からもっ!」

「ローラ……」

「私は、アリス様が幸せになれれば、それでいい。そう思って行きて来ました。けど、今は違う」


 私はタクトの頬に手を寄せる。


「貴方も、誰もが、幸せに、いや、幸せにならなくてもいい。だけど、生きていて欲しい。自分勝手な押し付けなのは百も承知です。けど、それでも。私は、私を愛してくれた人達に一秒でも長く生きて欲しい。そして、願わくば少しでも笑って、生きて欲しいんですよ。その機会を私は私の為に皆に渡したい」


 こんなもの、自己満だ。

 私の為の私の勝手な譫言だ。

 勝手な願いだ。

 けど、それでも。そんなクソみたいなちっぽけな願いでも。私から動かなければ叶えられないんだよ。

 だって、こんな、いや、どんな世界にだって、神様なんていないのだから。


「フィンっ」

「……ローラ様っ、私っ」

「私は、貴女を信じている。私の誇り高い騎士様。どんなに遅くても、私は待っているから。貴女は、私を誰よりも愛して信じてくれたのを知っているから。だから、最後のわがままを言うわ。私を斬って。私を、殺しなさい。そして……」


 私はフィンを抱きしめて、額にキスを送る。


「この世界を、救って。私を英雄にしてあげて。私の愛した騎士様」


 それが、貴女の最後の仕事よ。


「……ローラ様」

「さあ、向かいましょう」


 大丈夫。

 私は、大丈夫。

 私だけは、大丈夫でいなきゃ。

 震えるフィンの手を引きながら、目の奥から涙が溢れそうになる。

 でも、私が泣けば全てが止まってしまう。

 私だけは、大丈夫でいなきゃ。

 私だけが、救えるんだ。

 この絶望から。

 ああ、ランティス。

 いつも背中を押してくれる、私の大事な人。

 今だけは、貴方がいなくて良かったと心の底から思うよ。




 私達が塔にある祈りの場に入れば、生徒達が所狭しと祭壇に向かって膝を折っていた。

 まるで何かに祈る様に。

 その先にいるのは、私のよく知った顔だ。


「……王子っ」


 その祭壇には、正式な王族のみが許される赤いマントを纏ったティール王子が立っていた。


「ローラ……っ、何故君がここにっ!?」


 私に気付いた王子が声を上げると、生徒達が一斉に私を振り向く。

 おいおい。

 随分と驚いてくれるじゃないか。

 主役のご入場だぞ?

 拍手喝采でもしてくれよ。

 この茶番の幕引きに。


「王子、これは一体、どう言う事なのですかっ!」


 私は生徒達をかき分け、祭壇へ向かう。

 時間を稼がなければ。

 タクトがアリス様達を安全な場所に逃す時間を。


「王子っ!」


 祭壇の上に立ち、王子を睨みつける。


「これは、どう言う事なのですかっ! 説明をっ!」

「……何故、ここに来てしまったんだ」

「私が来てはならない理由は何です? 何を、されるおつもりなのですか……っ!」


 全部分かっている。

 王子の優しさが、今は酷く疎ましい。


「ローラ、君は、此処に来るべきしゃないんだ……」

「何を仰っているのですか?」

「ローラ……。君は、あのベッドの上で安静にしてなければならないのではないのか?」

「……ええ。そうです。貴方が、こんな馬鹿な事をしなければ」


 私は王子に向かって大きく口を開いた。


「貴方が、私に婚約破棄をしなければこんな場所に出向く事はなかったのですよっ!」

「なっ! 何故、それをっ!」


 何故それを?

 おいおい。それは何と言うアメリカンジョークだ?

 日本人である私には理解不能過ぎる高度なジョークだな。

 王子は、本当に私が何をしに来たのか、また、何故此処に来たのか全くもって知らないらしい。

 本当に、無垢で無知なローラは、何も知らずにここに迷い込んだと思っているのだろうか。

 アホか。

 んなわけねぇーだろ。

 お前は私に何もかも知らせずに、事を済ますつもりだったようだが、そんなもん優しさでもなんでもない。

 救いでも、助けでも、なんでもない。


「随分と、残酷な事をなさるなっ!」


 ただの、残酷な刑だ。

 私は何も知られずに首を斬られるだけじゃないか。

 喚く時間を与えず、安息な時間を少しでも与えたら優しさか?

 馬鹿な事を言うなよ。

 そんな権利すら与えられない、哀れな畜生そのものだろっ。


「……では、どうしろと言うんだ。君の腕はもうない。そんな無様な姿のまま生きるのかっ!?」

「そんなもん、お前が決める事じゃないだろっ! 私が決める事だっ! 何が無様かっ! これは友人を、この国の民を守った誇りだっ! 何も出来ない無力なゴミが、必死に誰かをっ、誰かの大切な人をっ! 守りきった証だっ! お前如きに無様と言われる謂れはないっ!」


 何が無様な姿で生恥を晒すのかだ。

 巫山戯るな。

 お前の価値観で、私の腕を語るなっ!


「でも、その腕で何が出来るんだ?」

「愚問を口にするなっ! 誰かを守るのに片腕で足りぬ事は何一つないっ!」


 そうだ。

 何一つないんだよ。


「私は、この腕でこの国を、いや、ここにいる全員を救う。何処まで憎まれても嫌われても、厭わない。その為なら王子、今貴方に私は反旗を翻そうっ!」


 私は地面を蹴り、王子に掴みかかる。

 この距離ならばっ!


「相も変わらず、勇ましい」


 その瞬間だ。

 私の首に誰かの腕が絡まった。

 この声は……っ!


「ギヌスっ!?」

「また会ったね、勇ましい御令嬢様」

「お前っ、何故此処に!?」


 私の首に腕を回した男、ギヌスがフードもなく私の後ろに立っていた。

 何故、顔を見せているっ!?

 こいつは王子の前に姿を表せれない筈ではっ!?


「何故って、王子様を守る為だよ」

「何を馬鹿なっ! お前は罪を犯したと罪人だろっ!」

「ああ。そうだよ。俺は濡れ衣を着せられた哀れな咎人さ」


 何を!?

 こいつ、何を抜け抜けと……。


「ギヌス、ローラを痛めつけるのはやめてくれ。彼女は、可哀想な子なのだ」


 嘘、だろ?

 今、王子はなんと?

 まさか、この男の事をギヌスと呼ばなかったか?


「王子は随分と心優しいな」


 嘘だろ?

 まさか、王子はこの男の戯言をそのまま信じているのか?

 いや、嘘だろ。

 そんな、馬鹿な話があるか?

 死人が出ているんだぞ?

 こいつは、死んだ事になっているんだぞ? 他の死体を使って、なっているんだぞ?

 摺り替えを、何だと思っているんだ?

 死体を、いや、生きた人間を、それも自分と同じ釜の飯を食らった仲間が、死んですり替わっていたんだぞ!?

 それが、濡れ衣?

 それだけで、濡れ衣?

 信じるに事足りる事が、何一つないだろっ!


「馬鹿かっ!」


 私がギヌスの手に噛みつこうとすれば、首を絞める力が強くなる。


「っ!」

「馬鹿はそっちだろ? 随分と遅かったじゃないか」

「な、にをっ?」

「お陰で十分観客が集まった。俺は、もっとフィシストラ達が早く来ると思って警戒していたのが馬鹿みたいだ」

「……っ、馬鹿だろ?」

「は?」


 ギロリとギヌスが私を睨みつける。

 何か馬鹿な事を言ったか?


「馬鹿だろ。お前も王子も、馬鹿しかいないなっ!」

「俺の何処が馬鹿だって? 俺はお前らの知らない知識だって持っているんだぞっ!?」

「ガキの自慢かよ。中学生か」


 私は、ギヌスを睨みつけながら口の端を吊り上げ笑い顔を向ける。


「中坊は大人しくテレビゲームでもして遊んでろっ!」

「え?」


 私が叫んだ内容に不意を突かれたギヌスの腕が一瞬緩む。

 私は、その好機を見逃さなかった。

 すぐさま下に体重をかけ、ギヌスの腕からすり抜ける。

 今のうちに、王子をっ!

 そう思って床を蹴り上げようとした瞬間だ。


「ぎゃあっ!」


 ギヌスがすぐ様私の前髪を掴み上げ引き摺り倒す。


「お前、お前っ!」

「い、痛い……っ!」

「お前は、誰だっ!」

「は、離せっ!」

「なんで、あっちの世界の言葉を知っているっ! お前は誰だっ!」

「離し……」


 そう言いかけた瞬間、前髪を掴まれたまま突然身体が宙に浮いた。

 醜い悲鳴が、祈りの場に響き渡る。

 最初は、この暴力劇に誰もが言葉を失っていた。

 なのに。

 なのに。

 この宙に浮いたまま見せられた祈り場は歓喜の声に包まれていた。

 生徒達は拳を握り、顔を歪ませ笑い、拍手を送るものさえいた。


「お前、誰だ? まさか、お前が主人公とか、言わないよな?」


 何を言っているんだ。この男は。

 私が、主人公?


「お前は主人公じゃないよな? あの事故にお前は居なかったよな?」


 事故?


「あのおっさんがトラックに突き飛ばしたのは、俺だけだよな?」


 何を、言って……。


「俺が、この世界の、主人公だよな? お前が主人公な訳がないよな? な?」


 ギヌスが何を言っているのか、分からない。

 だけど、これだけはわかる。

 私は、ギヌスに向かって唾を吐き、今まで生きてきた中で一番の笑顔を向けてやる。


「……キモい、主人公だな。作者の選択ミスだ」

「……この、野郎っ!!」

「ぐっ!」


 ギヌスは私の腹に拳を沈めると、もう一発と、また殴られる。


「お前なんて、主人公にもなれないモブのくせにっ! モブのくせにっ! お前がこの世界に召喚されたのがそもそもの失敗なんだよっ! その証拠に、見ろっ!」


 ギヌスは殴るのをやめ、私の首に手をかける。

 何を……?

 その瞬間だ。

 布が裂かれる音がする。


「……っ」


 襟から真っ直ぐに、服がギヌスの手によって引き裂かれた。

 露になるのは、私の裸体。

 観客達の歓喜の声が今一番に湧き上がる。


「腕すら無くす主人公が何処にいるっ!? これ程までに嫌われている主人公が何処にいるっ!?」


 私はギヌスの手によって無理やり、正面を向かれた。


「見てみろっ! ここにいる奴の顔をっ! お前の辱められる姿に喜んでる群衆をっ! この世界の末路をっ!」


 歪んでいる。

 この世界は歪んでいる。

 私が命をかけて救いたいのは、こんな奴等なのか。

 私は、馬鹿だったのだろうか?

 こんな奴等を守りたいと、本気で思った私は……。


「……」

「言葉もないかっ!? それとも、恥ずかしさの余り、舌を噛み切って自害するつもりかっ!?」

「……ヤメて」

「ははっ。何て?」

「もう、ヤメて……っ」

「やめて下さい、だろ?」

「やめて、下さい……っ、ギヌス様っ」


 私がそう言うと、ギヌスは気分を良くしたのか漸く私から手を離した。

 ははは。

 本当、馬鹿だ。

 

「ローラ……」

「王子、さあ早く済ませましょう。この者は王子に謀反を企てた罪人です。この者をこれ以上見せしめにしない為にも」


 何が、これ以上だ。

 馬鹿か。

 本当に、馬鹿だな。

 これぐらいで、すぐに私を離すなんて頭がどうかしているのか。

 謝れば許してくれる? 様をつけて敬えば許してくれる? 心折れたフリをしたなら本当に反省したと思う?

 馬鹿の馬鹿か。

 んなもん、欲しいなら死ぬ程してやるよ。

 こっちは、社会人時代にプライドや人間の尊厳なんてクソみたいなもんは根こそぎ折られてきたんだよ。

 裸になって笑われる?

 中学生時代に経験済みだ。

 辱められて死にたくなる?

 そんなもん、前世で何億回と経験済みだ。

 大人なめんなよっ。

 んなもんで、折れる程弱い決意なんて最初からねぇんだよっ!

 ギヌスの手が私から離れればこちらのもの。

 機会を狙って、ギヌスの隙をつけば王子を捕まえられる筈だ。

 失敗は許されない。

 タクトはアリス様を逃せれたのだろうか。

 いや、今はタクトを信じるしかない。

 私は、私の仕事を全うするだけだっ!


「ああ……。すまない、ローラ。全ては僕のせいだ。僕を憎んでくれ」


 王子が私に頭を下げると後ろを向く。

 ギヌスは私を最早見ていない。

 仕掛けるなら、ここしかないっ!

 今だっ!

 そう思った瞬間だ。


「アリス、待たせたね」


 私の目に入ったのは王子の背中越しの美しい女神が一人。

 ここには、決して居てはいけない女神が。

 この祭壇の上には、絶対に上がってはいけない女神が。


「アリス、様……?」


 白いドレスを纏った、私の大切な人が。

 そこには、いたのだった。




_______


次回は12月24日(火)23時頃に更新予定となっております。お楽しみに!


閲覧、ブクマ、応援、★、コメント有難うございます。とても、励みになります。

どうか最後までお付き合い宜しくお願い致します!

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