第92話 貴方の為の影が一つ

「いいの……? 貴方は信じたくなかったのに……?」

「うん。嘘なら嘘にしてしまいたかった。けど、俺はお前の事を嘘にはしたくなかったから。ごめんな、遅れて。けど、もう迷わないなから。俺は、お前と進むよ。お前と一緒に、進みたい」


 そう言って、ランティスは私の身体に長いマントをかけてくれる。


「ランティス……っ! お前までっ! 何故だ!」

「何故って、兄貴。あんたは、何を見てたんだよっ。ローラを見てなかったのか? いつでも、ローラは俺達を、この国を救ってきたっ! 俺はローラを信じるっ! 俺の信じる正義は、ローラだからだっ!」

「正義? 何を言っているんだっ! ローラは傷付いているっ! もう、これ以上彼女を苦しめて何になるんだっ! 僕は、ローラもアリスも救うっ! もうこれ以上王族の犠牲者を出したくないんだっ!」

「その為に、ローラはこれだけの犠牲を払って俺達を、アリスを助け出そうとしてんのが、何でわからないんだよっ!」


 ランティスは私を庇う様に王子の間に立ち塞がった。


「兄貴は何も知らないっ! 知ろうともしないっ! この指輪には猛毒が仕込まれてる事すら、あんたは知らないんだろっ!?」

「猛毒……? 何を言っているんだっ! それは由緒正しき王族の婚約指輪だぞっ! そんなものに毒が仕込まれている訳がないだろうっ! それとも、それが偽物とでも言うつもりかっ! 残念だがそれは」

「本物だよ。だから、毒が仕込まれてるんだよ」


 ランティスは高らかに婚約指輪を掲げた。


「これは、正式な婚約者以外が嵌めたら最後、猛毒が体を駆け巡る仕掛けが施されている。ローラがしても毒は回らないが、アリスがしてみろ。瞬く間に彼女の体に毒が駆け巡り死に至るんだっ!」

「何を言っているんだ……? そんな事が……」

「出来るんだよ。これは」


 そう言って、ランティスは指輪を自分の指に嵌めようとする。

 何を……っ!?

 何をしようとしているんだっ!


「ら、ランティスっ! やめてっ! そんな事をしたら貴方が死んでしまうわっ!」

「ローラ、止めるなっ! 俺は、生きていてもただの人形として生きるしかないんだよっ! だったら、ここで、お前達のためにっ!」

「だからって、こんな形で、こんな所でっ!」

「こうでもしないと、兄貴は納得しないだろっ!」

「やめてっ! そんなっ! 絶対駄目っ!!」


 ランティスから指輪を奪おうと、私がしがみ付きもがくと、ランティスの手から指輪がこぼれ落ちた。

 カランカランと、まるで伽藍堂の中に響く音の様に小気味悪い音を立てながら、群衆の中へと指輪が消えていく。


「ゆ、指輪だわっ!」


 誰かが声を上げた。


「王子の婚約指輪よっ!」


 誰かが叫ぶ。


「これをすれば、王子の婚約者になれるのよねっ!?」


 そして、また誰かが叫ぶ。


「よ、よこしなさいっ! それは私のものよっ!」

「違うわっ! 私のよっ!」

「嘘はおよしなさいっ! 確約は、私がしたのよ!」

「私だって!」


 そこには、死体に群がる虫がいた。

 いや、猛毒が仕込まれている婚約指輪に群がる女達の姿が。


「お、おやめなさいっ! それには毒が仕込まれているって言っているでしょうっ!」


 嘘だろ?

 お前達は祭壇の上で何が起きたのか何も見ていなかったと言うのか?


「やめろっ! 自分で嵌めた所で、兄貴と婚約出来るわけねぇだろっ! そこを通せっ!」


 ランティスは必死に下に降りようとするが、これ程の生徒が所狭しと肩をぶつけ合っているのだ。上手く目的地まで手が届かない。


「これはっ! 私のよっ!」


 一人の令嬢が高らかに婚約指輪を上げた。

 それは、あのツインテールの公爵令嬢。


「公爵家の私こそが、王子の花嫁に相応しいっ! 下民ども、お前達は指を咥えて見ていろっ!」


 高らかに掲げたそれを、公爵令嬢は自分の指に通して行く。


「やめなさいっ!」

「やめろっ!」


 私とランティスが手を伸ばすが、届くはずもなく、声が彼女に届く事もない。

 公爵令嬢はゆっくりと自分の指に嵌め、王子に向かって見せつける様に手を差し出した。


「今日から私がっ、私が王子の……」


 その瞬間だ。


「あ、れ?」


 突然公爵令嬢が膝を折り床に崩れる様に倒れたのだ。


「……嘘だろ……?」


 ランティスの呟いた様に、嘘だと言って欲しかった。

 公爵令嬢は見る見る床に崩れ落ちると、そのまま激しい痙攣を始め白目を剥き口から泡を出してーー。

 そして……。


「き、きゃぁぁぁぁっ!!」


 人が、死んだ。

 目の前で。


「あーあ」


 私達が唖然と立ち竦む中。

 皆が恐怖で混乱に泣き叫ぶ中、腑抜けた声が聞こえた。


「ギヌスっ! 動くなっ!」

「そう怒るなよ、フィシストラ。まったく、予定通りって、難しいなぁ」


 誰もが死んだ令嬢に近寄らない様に離れる中、ギヌスが彼女に近づき指輪を外す。


「まあ、でも、これは自業自得って奴じゃない? お約束をいい子で守ってたらこんな事にはならなかったんだし。順番を無視したコイツが悪いよ、これは」

「ギヌス……っ!」


 私が立ち上がると、彼は直ぐ様剣を抜いた。


「ローラ様っ! 離れてくださいっ!」

「動くなよ、ババア」

「ババア?」

「テレビゲームって、言うのは大抵俺達の親の世代のババアかジジイなんだよ。お前、前世では俺よりババアだろ?」

「お前は、本当に中坊のガキかよっ」

「高校生だよ。これでも、結構有名な学校に通ってたんだけどね。予備校帰りに走ってきたおっさんの肩にぶつかってトラックに轢かれちゃったけど」

「……それって、渋谷の交差点で……?」

「何だ。おばさんもそこにいたわけ?」


 嘘だろ。

 あの事故で私以外に被害者がいたのかっ!

 だとすると、こいつは……、いや。この子は私のせいで殺されてしまったと言う事……?

 何の私怨もなく、ただ、単純に。

 あの醜い悪の塊に。

 この子は巻き込まれたと言うのか……っ!


「可哀想に……」


 思わず、今の場面には相応しくない言葉が口を吐く。

 私のせいで。

 あんな酷い事に。


「……何を勘違いしてんの? おばさん」


 え?

 ギヌスは薄ら笑いを浮かべて私を見た。


「俺は寧ろ、感謝をしてるよ。あんな世界からこんなチートが出来る世界に飛ばしてくれて、感謝しかない。おばさんはどうか知らないけど、あんな国、未来もないだろ。苦しい事ばかりじゃん。親の言う様に真面目に勉強していい大学入っても、勉強ばかりだと馬鹿にされて。何か抜きんでた事をすれば、小馬鹿にした様に若いっていいねと言う老害や、凄いねと馬鹿にした薄ら笑いを浮かべる奴しかいない。誰も何も認めない。幸せなんて何もない。人も世界も法も何もかも、全てっ! 全てっ!! そんなゴミみたいな世界から、こんな誰もが俺の事を一目置き、手放しで褒めて、俺に救って欲しいと懇願する世界に飛ばされてんだ。最高じゃないかっ!」

「……っ」


 何も言葉が出なかった。

 あの世界で、私も抱いていた絶望を、目の前の男も感じていた。

 見限っていた、許せなかった、あの世界への醜悪を。

 だけど、だけど……っ!


「だから、俺はこの国を救う。俺を救ってくれた国を救う。俺が主人公だ。俺が国を守るんだよ」

「それはっ! 別問題だろっ! 主人公なら、何してもいいのかっ!?」


 だからと言って、何の罪のない人間を殺していい言い訳にはならないだろっ!

 犠牲にしていい言い訳にはならないだろっ!


「なるよ」

「なっ!」

「じゃあ、おばさんはこのままの世界でいいって言うのか!? 男尊女卑っ! 身分差別っ! 階級社会っ! そのままで幸せだって言うのか!? 革命の為に多くの血が流れるのは当たり前だろ! その犠牲に、人々の暮らしが向上するっ! おばさんは、皆んな不幸になれって言うのかっ!? 苦しんでる人をそのまま苦しんで死ねって言うのか!? それが大人の正義なのかよっ!」

「それは……っ」


 それは……。


「俺は、救いたいっ! こんな世界間違ってる。俺達の世界は正解じゃなかったけど、こんな世界だって間違いだと思ってる。だから、ぶっ壊すんだよっ!」


 どちらが、正義か。

 誰も殺させず、国を滅ぼさず、現状維持を支持する私か。

 それとも、この国の捻れた法を、全てを覆す彼か。

 そんな事、分かるわけがない。

 だって、どちらも正しくて間違いなのだから。


「……君の言う事は正しい。とても、正しい。けど、誰も殺させたくない私も、間違いじゃない」


 そう。

 正しくて間違いならば、どちらも、間違いでも正しくもない。

 私は、キッと彼を睨む。


「それに君は何か勘違いしている。血を流すばかりが革命じゃない。革命の本分は社会構造の覆す事。私も、君も、その社会構造を覆すには十分な立場に立っていただろっ!」


 やり方なんて五万とある。

 確かに、立場のない平民の声ならば届かないかもしれない。取り入って貰えない事もあるかもしれない。

 けど、今、私もギヌスも爵位を地位を持っていた人間じゃないか。

 やり方なんて、死ぬほどあるだろ。

 何のために、異世界からチートで来たんだよ。

 私達には未来の世界の頭脳が入っている。

 それを惜しみなく使えば、血なんて流れない方法はいくらでもあるだろう!

 無双が出来るのがチート? 強くて誰からもモテればチート?

 違うだろっ!

 異世界からきた知識をこの世界に如何に溶かして、如何に利用して、如何に効率よく使うのか。

 それが、本当の異世界チートだろっ!

 この世界よりも元いた世界の方が優れていた、いや、未来から過去に来た人間だからこそ出来る、力じゃないかっ!

 何を勘違いしているんだっ!

 武力を持って武力を制して、何が残ったのか、歴史を学んだ我々は嫌になる程知っていると言うのにっ!


「綺麗事だねっ。元に、この令嬢は自分の強欲の末死んだ。貴族なんて、王族なんてそんな奴ばかりだろ」

「そんな事はないっ! 何をみてきたっ! どんな集団にも、どんな集合体にも異なる奴は一定の確率でいるだろっ! 科学も統計学も、私達の世界で得た知識こそがチートだろっ! それを、使えよっ! 利用しろよっ! 力尽くなんて、ただの原始人だろっ!」

「だから、綺麗事だって。おばさんこそ、頭を使えよ」


 ギヌスは、指輪を高く投げた。


「アリス、拾え」

「え?」


 ギヌスがそう言うと、アリス様は素早く体を動かし、誰一人止める間も無くギヌスの前に躍り出た。

 そして、彼が高く投げた指輪を掌で受け取る。


「少数って、無力なんだよ。前の世界でもそうだっただろ?」


 ギヌスは笑った。


「多勢に無勢。数が少なきゃ敵対する事すら成り立たないって言葉、おばさんも知ってるだろ?」

「……アリス様っ!」

「無理だって。アンタの言葉すらこの女には聞こえないよ」

「貴様、矢張りアリス様にアーガストをっ!」


 あの幻覚剤で、アリス様を操っているのは分かっているんだぞ!


「はは。正解。それに、アンタの敵は俺じゃないんじゃないっ?」

「フィンっ!  ギヌスを止め……」


 止めてくれ。

 そう言おうとした瞬間、剣が弾く音が鳴り響く。

 何事かと振り向けば、騎士生徒がフィンを囲い彼女に斬りかかっていたのだ。

 すぐ様、私も、ランティスもタクトも騎士生徒に捕縛されてしまう。


「なっ!」


 何で、なんて馬鹿な事はもう言うまい。

 こうなる様に、何重にも罠が仕込まれていた事を私達は知らないわけがなかった。

 彼はギヌスの言いなりだ。

 ただ、今すぐそこまで迫った新しい世界のチケットを手に入れる為だけに。

 目の前で起こった惨劇なんて些細な事。


「さあ、式の続きだよ。アリス。君は王子の花嫁にならなきゃ」

「はい。私、幸せです」


 笑もしないアリス様が白いレースの上から指輪を嵌めようとする。


「君によって、新しい世界の扉は開くんだ。君が死ななきゃ、始まらないからね」

「なっ! やめろ! アリス様、やめてっ!」

「やめないよ。おばさんの声も聞こえない」

「アリス様っ!」


 アリス様の指に、指輪が……っ!


「アリスっ! 駄目っ!」


 その時、小さな影が一つ飛び出した。





_______


次回は12月28日(土)23時頃に更新予定となっております。お楽しみに!

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