第86話 貴女の為の絵本を一冊

「逃げ出す準備もお兄様に手伝っていただけならば満足に出来ないのですか?」


 フィンが連れてきたアクトはまるで迷い猫の様に静かに私を怯えながら見据えている。

 まったく、頭が痛い。

 本当に、逃げ出そうとしていたと言うのだから。


「逃げてもいいと言ったのは、貴様だろ!」

「いや、別にいいけど、本当に逃げる人初めて見たわ」


 普通色々あるだろう。葛藤とか。究極の二択なんだぞ? 何もないのか。お前には。


「しかも、本を持って逃げようとしたなんて、嫌がらせの塊だな。フィンではなく騎士生徒や王子達に捕まったらどうするつもりだったんだよ」


 別に困らないけど。此方は。

 学園外に持ち出す事は高く禁じられてる本だろ。これ。

 罪が増えるばかりじゃないか。


「お前、何? 自殺志願者が何かなの?」


 パラパラとフィンが取り上げた本を広げながら、私は深いため息を落とした。


「いつでも首は刎ねる準備は出来ております」

「ひぃ!」

「怖いなら大人しくしてろ。フィン、少しでも逃げる様子を見せたら殺せ」

「承知いたしました」

「貴様、人の命をなんだと思ってるんだ! それでも人間かっ!」

「お前の特技はブーメランなんだな。知りたくない知識を増やしてくれて感謝するよ。それが無駄な容量を増やすゴミファイルでもな。まったく、クソ下手なブーメラン回してる前に自分の心配でもしてろ。このまま死ぬか騎士生徒に差し出すかお前はまだ渦中にいるんだからな」


 どう考えても、ゴミのように人の人生を捨てさせようとした奴のセリフじゃないだろ。

 呆れも此処までくると一周して関心に色が変わるのかと感動を覚えそうになる。


「そんな事をしてみろっ! 僕だって、正当性を主張するっ!」

「成る程」


 私は顔を上げてアクトを見た。


「お前の提案は実に素晴らしい。天才だな。騎士生徒に引き渡せば、正当性を主張するのか。実に名案だ。天才じゃないか。そんな事をされては騎士生徒に引き渡す案を廃止ざる得ないな。では、ありがたいお前の忠告通りに選択肢から外させてもらうよ。よし、ではフィンそいつの首を刎ねろ」

「なっ!」

「馬鹿か。自分の言葉の意味すらわからんのか? 信じられないな。自分自身で騎士生徒に引き離す可能性を潰したんだろ? 当たり前の判断だ。来世はもう少し賢く生きて行けるといいな」

「や、やめるっ! 僕は何も言わないっ!」


 お?

 少し進化したな。

 嘘でも誠でも、今言うべき言葉を言えるようになったじゃないか。


「ほう。フィン、剣をおろしてやれ。もう少し考える時間を取ろうじゃないか」


 私が笑えば、アクトはほっとした表情を見せる。

 分かりやすい奴だな。

 そんなに露骨にされては、やはり止めだと言う輩もいるだろうに。

 少しばかりの悪知恵は必要だ。生きていくためだけに。


「そうだ。アクト、生きてるついでに聞きたいことがある。嘘だとフィンが思えば首が飛ぶからそのつもりで答えてくれ」

「な、何だよ! それは!」

「嘘を混ぜたいなら、なるべく正しそうに答えろよ。まあ、嘘だと分かった途端お前の首は飛ぶわけだしな」


 プライドを傷つけられ、一矢報いたいと思うならば機会を狙うべきだと言うのに。

 直ぐに事に移したところで、仕損じるのが目に見えているだろう。そこに何故気付かないのか。


「メイドの部屋の話だが、お前が来た時に荒らされていた跡はあったか?」


 これの答えはわかっている。

 答えはノー。

 何故なら、荒らしてあればアクトが本を見つける前に本が回収されているし、アクトが本を探せる状況ではなくなってしまう。だってそうだろう。誰かが、ロサを殺した犯人がまだ部屋にいる可能性が高いのだから。

 それに、そんな状況を見ていくら倒れていた、外傷がなかったと言っても、部屋が荒らされていたら誰もが殺人だと思う筈だ。

 よって、アクトの中ではロサの自殺ではなくなってしまう。

 そして、もし殺人だとしたらロサは誰かに指輪を嵌められたと言う事になる。無理矢理指輪を嵌められようとも、ロサの手には傷が残る筈だ。

 少なくとも、彼女の死体にはそんな跡はなかった。

 そして、わざわざ指輪を毒抜きしようとロサ以外の人間が考える訳がない。

 しかも人を使ってだ。

 だから、答えはノー。

 分かりきっている質問をしたのは、アクトの事を試しているのだが、残念ながら答えはわかり切っている。


「あ、ああ! 思い出したっ! 荒らされていた! 確かに荒らされて……」


 ほらみろ。

 必ずアクトは嘘をつくと思っていたが、この有様だ。


「……残念だな。誠意のある嘘ならまだしも、そんな分かりやすい嘘ではな」


 フィンは素早く剣を抜くと一瞬にしてアクトの顔に剣を振るう。

 答えはわかり切っていた。

 どうせ、嘘を吐くだなんて事は、こちらも計算内だ。


「……ひぇ?」


 なんの生き物の鳴き声だと聴きたいぐらいに間抜けな悲鳴だな。

 パラリと、アクトの前が真っ直ぐに斬られ地面に落ちる。


「次は鼻でも削ぎ落としてやろうか?」

「……ひ、ヒィっ!! う、嘘だろっ!? こ、こんな、こんなっ! な、何で!? 何でっ!?」

「お前が嘘をついたからさ。次は鼻だと。名案ね、フィン。間違えたら一つ一つ削ぎ落としていくなんて、素敵じゃない」

「ローラ様にお褒めいただき光栄でございます」

「狂ってるのか!? 頭がおかしいんじゃないか!? 僕は公爵家のっ!」

「うるせぇな。質問もなしに喋るな」


 私がそう言えば、フィンはまた直ぐ様剣を抜き、アクトのネクタイを切り落とす。


「次に許可なく声を出してみろ。私とお揃いにしてやるぞ」


 私はそう言って、服を脱ぐ。

 一瞬、また身体に触れさせようとされるのかとビクついたアクトの目が大きく見開かれた。


「お前の左腕、替わりに頂こうか?」


 腕が斬り落とされた痕を見せたからだ。

 完全に、アクトの動きが止まる。

 目を見開き、声さえ出ない。

 こいつの弱点は自己評価の高さと危機感の欠如だ。

 いつでも誰かが助けてくれる。

 いつでも誰かが庇ってくれる。

 本当に危ない場面なんて、今までその家柄から来る立場上会ったことすらない。

 だからこそ、本当に危ない事と、まだ若干助かる余地がある事の見分けがつかない。

 そんな奴は前世でも腐る程いた。大人も子供も。本当に危なければ、誰かが言うだろう。やってくれるだろう。そんな馬鹿のような楽天家が。

 そんなわけが無いんだよ。

 誰もいない。

 誰もしない。

 自分の命を命がけで守れるのは自分だけだ。

 少しずつ、少しずつ、アクトの中で悪の中の恐怖が具体性を帯びてくる。

 恐怖の影が、暗闇から姿を見せる様に。


「フィン、こいつの腕も切り落とせ」


 私がそう言うと、フィンはゆっくりと剣を構えた。


「ローラ様の腕に当てがわれる事を幸福に思えよ」


 フィンが剣を抜こうとした瞬間だ。


「や、止めてくれっ! 僕がっ! 俺が悪かった! 嘘をついたのは謝るっ! 少しだけ、痛い目を見ればいいと思ったんだよっ! 本当に、騙すつもりなんて無かったんですっ! 本当ですっ! 俺を信じてっ!」


 騙すつもりはない。

 悪戯のつもりだった。

 子供ならではの理論だな。

 震えながら助けを求めるアクトを見ていると、呆れたがまた顔を出す。深く考えて相手にしていると聞いていて更なる頭痛が私を襲ってきそうだ。

 

「では、もう一度聞くがお前が入る前は部屋は荒らされてなかったんだな?」

「そ、そうです……っ」

「わかった。次の質問だ。指輪はメイドのどの指に嵌められていた?」

「ど、どの指って?」

「右手? 左手? 親指? 小指? 人差し指?」


 私が問いかれば、アクトは戸惑いを見せる。


「お、覚えてないです……」


 覚えてないか。


「そうか。残念だな」


 私が声を出すと、彼はひどく怯えた様にフィンを見た。

 またフィンに剣を抜かれる。

 次こそ殺されそうになる。

 しかし、嘘は言えない。

 彼の中では恐怖の堂々巡りだ。

 だが、私は嘘は許さないとは言ったが、分からないについては何も言っていない。

 覚えてないのが普通だろ。

 特にどこの指でも私にとっては問題ないしな。

 これはプレッシャーをかける為だけの質問だ。

 何でもいいんだよ。これの答えなんて。


「そう怯えるなよ。挽回の余地を与えてやる。これが答えられなかったら、順番通りに鼻でも削ぎ落としてやろうか?」

「そ、それは……?」

「ああ、質問を忘れていたな。失礼。メイドの部屋に入って、不審な点はなかったか? なんでもいいし、何個でも挙げていい。思いつくまま答えろ。その代わり、何も答えられなかったら……」


 フィンがアクトの顎に手を這わせ、自分の方へ顔を向けた。

 美しいフィンの顔にどきりと胸を躍らせたのかは知らないが、アクトが一瞬フィンに見惚れるが、それも一瞬だ。

 何故なら、フィンの目は彼の鼻に視線を注いでいるのだから。


「なかなか削ぎ落としやすい鼻をしているじゃないか」


 ニヤリと笑う彼女に、アクトの顔が一瞬にして凍り付く。


「さあ、答えろ」


 私がそう促せば、彼は恐怖に引きつる顔で口を開いた。


「鍵が、かかってなかった」

「それから?」

「部屋は綺麗だった。机の上には何もなかったし、綺麗に服も終われていた」

「ほう。それで?」

「死体は、ドアの直ぐ近くに転がっていた」

「それから?」

「本は、その本だけだった」

「他には?」

「他には……、何も……?」

「鼻を削ぎ落とせば、思い出すか?」

「ひぃっ! 止めてくれっ! やめて下さいっ! 他には本当に何もないんですっ!」

「フィン」

「やめてくれっ! ごめんなさいっ! そ、そうだっ! 花の香りがしたっ! 部屋に甘い匂いが……。そうだ、確か、メイドでは買えないぐらいの根が張る香の香りだから、何でって、思って……」

「……甘い香り?」


 待て。そんな香り、しなかったぞ?

 私が死体を確認するために部屋に入った時は。


「……アクト、この毒草の本はどこに置かれていた?」

「え? えっと、机の下に……」

「机の下? どれぐらいこの本を探していた?」

「机周りをみただけで見つかったから、五分も経ってないと思う」


 そうか。

 だから、鍵も開いていた。

 そうか、そうか、そうかっ!

 私が酷い思い違いをしていのかっ!


「……入っていた。入っていたんだっ!」

「ローラ様?」

「アクトの前に、一人だけ入っていた奴がいる! そうかっ! あいつは、指輪には触れれない! 全てを知っているからなっ! フィン、全てが繋がったぞっ!」


 私はフィンに興奮げに声を荒げて話すと、フィンはチラリとアクトを見た。

 ここでの発言はそれ以上はいけないと制する意味でだ。

 しまった。

 すっかり興奮してアクトの事を忘れていたな。


「フィン、もう彼の用事は済んだ。殺していいわ」

「なっ!」

「お任せ下さい」

「は、話が違うじゃないかっ!!」

「言っただろ? 保留中だと。決めかねていた答えだよ。アクト」


 フィンが構えると、アクトは尻餅をついて後ずさる。


「次は、もう少し賢く生きろよ。お前のその判断が、お前ばかりがお前の大切な人を殺す可能性もあるのだからな」

「や、やめてくれっ!」

「数々のローラ様への無礼、あの世で詫びろ」

「ひぃっ!」


 その瞬間、フィンの剣がアクトの首に当たる。

 アクトの体が力なく床に崩れ落ちた。


「はぁ。フィン、片付けしましょうか」

「そこらへんに捨てて来ますよ」

「そんな事したら風邪をひいてしまうでしょ。ベッドに寝かしてあげなさいな」


 呆れた様に私が言えば、フィンは面白くなさそうにアクトを担ぎ上げる。


「見事に気絶してるわね」

「鞘がついた状態の急所打ちですからね。このまま朝まで騒がずに寝ていれば良いのですが」


 そう。あの時アクトの首に当たったのはフィンの鞘がついた状態の刀であり、尚且つ前からではなく後ろから回り込んでの攻撃。

 アクトの首は今も付いているし、死んではいないのだ。


「そうね。さて、これでゆっくりと調べられるわ」

「有りそうですか?」

「今は未だお目にかかれてないわ。それにしても、随分と古い本ね。薬草の本以上にボロボロじゃない」

「余程古くからある本なのでしょうね。ここの一部の本は王宮から持ち出された本だと聴きますし、その本も王宮から持ち込まれた本の一冊なのでしょう」

「そうなの? 初めて知ったわ」


 フィンがアクトをベッドに寝かせている間に蝋燭の炎を頼りにページを捲り続けると、一枚のページに突き当たる。

 毒草の本だと言うのに、随分と毒を使った武器の説明が多いな。

 どの武器に、どの毒が一番良いのか。どこに仕込むべきなのか。そんな記述がずらりと並ぶ。


「あった……」


 場違いとばかりに、白と赤の宝石が散りばめられた指輪が目に入る。

 婚約指輪のページがやっと見つかった。


「フィン、見つけたわ」

「伺います」


 フィンは雑にアクトに布団を被せると私の隣に静かに座る。

 まるで、絵本を読んでもらう子供の様に。


「このページですね」

「ええ。ランティス様の記憶通りだわ。矢張り、あの指輪には猛毒が仕込まれている。婚約者以外の者がすれば、立ち待ち死神との婚約が成立するだろうと書かれてる」

「ロザリーナは、アリスをこの毒牙から守ろうと……」

「立派な人だわ。この文をアスランから聞かされても、自らの指に彼女を守るために嵌めたのですもの……」


 並大抵の覚悟ではそんな事は出来ないだろう。


「ローラ様、ここに今迄この毒牙に掛かった者の名が上がっていますね」

「あら、本当だわ。下の方であまり気付かなかったわね。マニス夫人に、アガルト令嬢、ロッタ公爵夫人に……。夫人が多いわね。不倫もここまで来ると文化なのか……」


 呆れている私とは裏腹にフィンが酷く真剣な顔をして私を見る。


「どうしたの?」

「……ローラ様。ここに書かれているのは恐ろしく残酷な事実です」

「恐ろしく残酷な真実?」


 一体何が……?


「マニス夫人、アガルト令嬢、ロッタ公爵夫人にジャケットのメイド。他にも書かれている人物は少なくとも私が記憶している限りでは百年前の人物です」

「百年? 随分と古い……、えっ?」


 随分と古い話なのね。

 そう言おうとした口を、脳が止める。


「……つまり、ここに書かれているのは同じ時代に生きていた人物と言う事?」

「……はい」


 フィンは信じられない顔をしながら、私を見た。


「ローラ様……。この指輪の毒は一回きりだけでは無いのでは……っ?」


 震えるフィンの声に、私ははっと毒の名前を見る。

 サロヌローリエと呼ばれる毒草が、使われていた。

 私は必死になり、サロヌローリエのページを探すとそこには恐ろしい事実が書かれているではないか。


「ごく少量でも体内に入れば死は免れない……。つまり、この指輪は一つの指輪で複数の人間を殺せるって事……っ!?」


 この本に書かれていた犠牲者は一つの婚約指輪で死んだ、女達だと言う事だ。

 つまり、それは……。


「ロザリーナは、無駄死にだったと、言う事ですか? ローラ様……」


 必死に言葉を繋ぐフィンに私はかける言葉が見当たらなかった。

 そうだ。

 ロサが毒を摂取した所で、この指輪の毒全てが注入される訳ではない。

 つまり……。


 アリス様が今あの指輪をつけられれば、死ぬと言う訳だ。


「……こんな事が、あっていいのか?」


 なんて残酷で酷い事実なんだ。




_______


次回は12月11日(水)23時頃に更新予定となっております。お楽しみに!


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る