第85話 貴女の為の塵紙に

「良かったのですか?」

「何がかしら?」

「あの愚人を行かせても」

「ええ。このまま逃げても構わないし、多分彼は逃げないわ。本当の恐怖を味わったんですもの。それから逃げるほど愚かではないでしょ? ねぇ、兄君様」


 私が笑えば、ガタリとカーテンの締まった隣のベッドから物音が鳴る。

 招いてもいない訪問者が、苦い顔をしてカーテンを引き開けた。


「……あそこ迄、愚弟とはな」


 呆れた顔のタクトが、なんとも言えない声音でボヤいている。


「他所様の躾に口を出す趣味はございませんが、少しばかり如何なものかと思いますわよ」

「流石に言い返す言葉もない。愚弟の代わりに無礼を詫びる。ローラ・マルティス」

「私は……、いいのですよ。慣れておりますから」


 サンドバッグにしている感も否めないしな。

 謝られた謝られたでバツが悪い。

 それにしても、何故彼がここに居るのか。

 それは、アクトがここを訪ねる前に遡る。




「タクト様」


 フィンに化粧を施され、彼女と今回の計画について打ち合わせが終わった頃、タクトが私のベッド迄訪ねて来たのだ。


「怪我の加減はどうだ?」

「加減も何も、腕は生えてはきませんから。私の怪我の加減よりも、何かご用で?」

「随分と辛辣だな。生えない腕に変わって急ぎの用でも?」


 どちらが一体辛辣なのか。

 いや、タクトと私の間柄だ。下手に腕を気にされても困る。これぐらいエッジを効かせてくれた方が気が楽だ。


「ええ。少し聞きたいことがあり、人を呼んでおります」

「聞きたいこと?」

「貴方の用件と重なる事かもしれませんね」

「随分と野暮用だな」

「ええ。最高の野暮用でございますよ」


 私が笑えば、タクトはそんな私の態度を鼻で笑う。


「野暮用ついでに世間話でもしていこうか。手土産もないなんて、それこそ野暮だ。向こうが、動き出したぞ」

「向こう?」


 私が繰り返せば、アクトはああと低い声を出した。


「本日付で、名誉の返還が行われた」

「なっ! それはまだ先の話では!?」


 私はタクトの言葉に声を上げた。

 すぐ其処迄アクトが来ている可能性だってあるのに。

 しかし、そんな事は言ってられない。

 タクトの情報から導ける真実は一つしかないのだから。


「向こうの準備が全て整ったわけだ」


 そう。

 名誉の返還を行ったという事は、革命の、いや、彼らの言う新しい世界の開幕が始まったと言う事。

 今の平和にラッパの音が鳴り響いている。


「何も知らない大人達は王の偉大なる功績と祝いの声を上げている頃だろうな。疑う者など誰もいない」

「……お父様には?」

「貴様が一番分かっているだろ。この国は、まだ革命前だ」


 聡い子供だ。

 そうだ。

 今回の件をいくら親に訴えた所で、所詮今の世界は革命前の世界だ。私達子供が訴えた所で悪戯に親の立場が悪くなるだけ。

 王はまだご健在で、王の力は何一つ衰えていない。

 そんな所で声を上げろと親を唆した所で、わざわざ殺すようなものだ。


「御賢明な判断でございます」


 もし、タクトが親に密告すると言っていたら私は止めていただろう。

 いくらこの国が血に塗れても、親を殺すような事を彼にはさせたくない。


「向こうの手筈が整ったが、此方は未だ足踏みだ」

「矢張り、あの晩の証拠が取れないと?」

「ああ。流石だとしか言いようが無い。全て計算し尽くされている」


 本当に、そうだろうか?


「タクト様。今からアクトがここを訪ねに参ります」

「アクトが?」


 私はタクトの質問に頷いた。


「あの一連の騒動を覚えて居られますか?」

「睡眠薬の投入から貴様の投獄、それから王子への奇襲だろ? 覚えてるも何も忘れられるものか」

「あの騒動のイレギュラーは、誰だと思いますか? 私? それとも、王子?」

「……王子だろ? 何が言いたい?」

「私の投獄は、計算されたものだったのでしょうか?」

「あれは……。確かに、何故あの時アクトは貴様を投獄したんだ?」

「アクトは、白か黒か。これが分かるだけでも、随分と先に進めると思えませんか?」


 あの時、イレギュラーは王子だけの筈だ。

 だとすると、私の投獄は既に決められていた事の可能性は高い。

 では、私の投獄を決めたのは誰だ。

 アクトだ。 

 私と言う存在は、敵側に取っては随分と都合が悪い。

 なんせ、私はことの一部始終を見ていた。そして、毒を飲まされた学園長、ならびに王子と交流がある人物。

 もし、王子殺害を企てているのならば、私と言う存在は非常に厄介になる。なんせ、私は二人の様子を見ていてもおかしくない立場にいるのだから。

 私が彼らの様子を伺いに行った所で、周りの人間は私こそが王子殺害を企てている危険人物だと思うかもしれない。

 それでは、犯人は困るのだ。

 だって、犯人は私か犯人ではない事をその時唯一知っている、いや、断言出来る人物なのだから。

 睡眠薬を飲まされた二人を心配し、私が二人を見舞うのは計算の上だろうに。もし、私が本当に婚約者としての振る舞いをしようと思っていたのならば、私は献身的に王子の側から離れない。私が離れなけば、ここの生徒は皆知る悪名高い令嬢を野放しには出来ない。当然、私の監視に人が入る。

 犯人にとって、それでは随分と都合が悪い。

 もし、婚約者としての自覚がなくても、目の前で人が倒れたのだ。責任からの看病もあれば、人として気分が変わり王子の愛目覚めたと血迷う可能性もある。私が一体どんな行動を取るのか誰も予測は出来ない。

 もし、私が王子と学園長の側を離れないと決めた時、それは敵にとっては最悪の事態となるのだ。

 私一人ならば、何の問題もない。しかし、私の悪名が問題なのだ。私の動きは大きく人を動かす。良くも悪くも。私の動きを見る為に、人が動くのだ。

 そうなれば、犯人は王子に手出しなど出来なくなる。

 そう。犯人にとっては、どう動くか分からない私もイレギュラーなのだ。

 犯人の狙い通りにお茶を飲まずに、ベッドの住人にならなかった私も。

 最初は、王子一人がイレギュラーであると決め付けていた。

 しかし、本来ならばあの場でお茶を出されて、そして勧められるまま口に運ぶ筈だった。王子が居なければ。

 そして、その私を監獄に入れたアクトもまた、イレギュラーの可能性がある。彼が向こうの仲間でないのならの話だが。

 本当に、あの事件は犯人の狙い通りの行動を誰か一人でも取っていたのだろうか。

 本当に、綿密に組まれた企てだったのか。

 もし、アクトがイレギュラーならば……。

 必ず犯人は証拠を残している。

 何処かは分からない。だが、確実に。そして、その馬鹿のような広い範囲をアクトの証言で狭める事が出来るのだ。


「私は、自分の為に早くこの事件を解決しなければならない。もう、私には時間がないのです。タクト様の弟君だと存じ上げていますが、私はなりふり構わず、彼を奈落の底に陥れます。彼が誰に着こうとも。もし、タクト様にの覚悟があるならば、此処でお話を聞いた方がいい。しかし、無いのならばお帰りを。明日にでも詳細をフィンに届けさせます」


 私がタクトを見れば、彼は少しだけ迷うそぶりを見せて大きな溜息を吐く。


「貴様がいた世界は、人質になった人間はどんな末路を辿った?」

「ひと、じち、ですか? 申し訳ないのですが、言葉の意味が……」

「そのままだ。人質になった人間の末路を教えてくれ」

「物にもよるとは思いますが、開放されたり、殺されたり……、ですかね? 一様にはなりませんよ」

「そうか。それだけ発展を遂げている貴様の世界にも、まだ人質を取る馬鹿はいるのか……」

「ええ。おりますよ。誘拐だってありますし、犯罪は無くなりませんよ。人がいる限り」


 人とは、そういうものだろうに。

 愚かで、馬鹿馬鹿しくて、そして薄汚い。


「見せしめに、人質を殺していく輩も未だおりますよ」

「見せしめに、か。そうだな。その可能性は高い」

「タクト様?」


 まるで独り言の様に呟いたタクトに怪訝な顔をすれば、彼は隣のベッドに腰掛ける。


「覚悟は出来ている。時間がないのはお互い様だ」

「……では、何があっても出てこないで下さいね。出た瞬間、貴方は死にますから」


 私はフィンに頼み、タクトのベッドのカーテンを閉める。


「邪魔立てされるならば、容赦なく切り捨てます。貴方でも。私は、もう止まれない。どうか心に残して下さい」


 もう時間がないのだ。

 私も。彼女も。

 

「私も、覚悟があります。誰にも負けない、覚悟が」


 決して、折れぬ覚悟が。


「ならば、しかと見届けよう。お前の決意を」


 そう言って、タクトはカーテンの向こうに姿を隠す。


「ローラ様」

「何かしら、フィン」

「私も、覚悟を決めております。どうか、私に情けを掛けず、迷われません様に」


 カーテンを閉めたフィンは私の胸元のリボンを直しながら微笑んだ。


「この命、貴女前なら塵紙と同じ価値しかございません」


 そう言って、フィンは花の様に笑った。

 覚悟は出来ている。

 そう、私は、覚悟を決めてしまったのだ。


「ごめんね、フィン。でも、有難う」


 私はフィンの長く美しい銀色の髪に手触れた。

 これが塵紙か。

 何処が塵紙か。

 でも、私は、貴女をきっと……。


「貴女を塵紙の様に捨てるでしょう」


 そして……。


「でも安心して。直ぐに迎えにいくわ。貴女一人では行かせない」


 それ込みでの覚悟だ。

 塵紙など、私も同じだ。

 私は、アリス様の為に死ぬ。塵紙の価値しかなくとも。彼女を汚す汚物を巻き込み、必ず。


「……はいっ」

「さあ、フィン。客人が来る頃よ。用意を」

「お任せください。たかが、二人ぐらい上乗せしようが、私が悪魔に落ちるのは決まっていますもの」


 血に汚れた手は、最早洗った所で綺麗にはならない。

 貴女の為なら血で血を洗い流しましょう。

 歌様に囁くフィンは予定通りの配置につく。

 さあ、鬼が出るか蛇が出るか。

 どうでもいい。

 出なきゃ私が引きずり出すまでだ。

 クソ悪魔野郎。




「さて。タクト様」

「ああ。異物は王子でもお前でもなく、アクトだな」

「結果的には向こう側が得をした形になりましたが、アクトの行動は敵側も把握していない」

「つまり、敵の初動が遅れたのは……」

「私を探していた為だと思われます。あの時は、何をどう動くが読めない私を始末するのが彼らの優先でしょうね。これも結果的ですが、私もアクトに命を救われました」

 

 彼が形はどうあれ、私を匿わなければ私は直ぐ様ゲームオーバーだ。


「そして、ロサだ」

「彼女の死も、これまたイレギュラー。つまり、黒幕が残り香を残す場所は私の居場所の詮索時とロサの自殺工作時だ」

「彼女は、本当に婚約指輪の毒で死んだと思うか?」

「恐らく。あの指輪が一目に触れない意味はそこにあったわけだ。全く、血生臭くて敵わない」

「血塗られた婚約指輪か。貴様が白と赤で作られた指輪と言っていたが、納得がいくな」

「白は純潔。血は汚れ。成る程、確かにあの指輪にこれ以上相応しい色はない、と。馬鹿馬鹿しくて反吐が出ますね」


 あの指輪を送った王子にもだ。

 アリス様がもし気でも迷われ指に嵌めていたらどうなるか。

 あんな危険なものをよくもまあ平然と渡せれるものだな。

 愛した女性に。


「しかし、何故ロサは指輪を?」


 当然の疑問をタクトは口にする。

 確かに、何故ロサは指輪を嵌めたのか。

 アリス様とロサの関係を知らないタクトの疑問は致し方ない。


「……身代わりだ」


 私の代わりに、フィンが口を開いた。


「アリスを唯一の友と認めた彼女の唯一の、アリスの為に出来る事だった」

「身代わり……?」

「ロサとアリスは、この学園に来る前に交流があった。きっと、彼女の人生で誰よりも、深い情を持って。その指輪を嵌めなければならないアリスの運命を知ったロサは、身代わりに指輪を嵌めたんですよ」

「……タクト様。指輪を嵌めるアリス様に毒が回らない様に。ロサは事前に自分の指で毒を出したと、私達は推理致しました」

「……アリスが、指輪を? ……婚約、かっ。次の婚約者をアリスに仕立て上げるのかっ! 奴らはっ!」

「その為の噂でございます」

「しかしっ! いや、しかし……。そんな事になれば……」

「タクト様?」

「……悪いが、席を外す。すまんが、貴様に愚弟を任せたぞ」

「え? あ、はい。で、でもタクト……」


 私が言葉を言い終わらぬ内に、タクトは部屋から足早に去っていた。


「何か、思い当たる節があるのかしら……?」

「恐らくそうでしょうね。あれだけ噂が流れていることを知っていたのにも関わらず、眼鏡はアリスを婚約者の椅子に座ることを考えていたなかった。何かあるのでしょう」


 確かに、フィンの言う通りだ。


「さて。そろそろ、私は男子寮に入りますか。夜逃げの準備をしているのかもしれない」

「あら。まだ蝋燭は半分も減ってなくてよ?」

「何を仰いますか、ローラ様。夜は短いのですよ。それに……」


 フィンは私の胸元のリボンに触れる。


「貴女の覚悟はその時まで取っていて下さい。今の私は、貴女の覚悟を決めてしまわない様にする力があります。ご安心、して下さい。決してアクトは殺しませんよ」

「……フィン、有難う」

「では、少し席を外します。少々お待ちを」

「ええ。お願いね」


 夜は短い。

 そして、私の残された時間も。

 蝋燭の様に溶けていく。

 最後に残るは、何なのか。

 願わくば、何も残らず燃え尽きてくれ。




_______


次回は12月8日(日)23時頃に更新予定となっております。お楽しみに!

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