第87話 貴女の為の童話を一つ

 ロサが命を賭けて守ったアリス様が危険に晒されている。

 我々は初めから一刻の猶予すらも与えられていないのだ。


「フィンっ! 今すぐにランティス様をここに呼んで頂戴っ!」

「……わ、分かりました」

「フィンっ!」


 顔面が蒼白になっているフィンに私は顔を近づけ、口を開いた。


「ロザリーナの死は、無駄死にさせないっ! 絶対にっ! 彼女が私達に真実を教えてくれたのよっ! ここで私達が動けるか動けないかで、彼女の死が決まるっ! 私は、絶対に彼女の死を無駄にしないっ! そして、貴女もっ!」


 戦意喪失している場合ではないのだ。

 アリス様の為にも、ロサの為にも。


「今を決めれるのは、生きている私達だけだわ。フィン、怯えないで。私は、何時でも貴女の味方よ。そして、貴女の思いも私は全て救ってみせる。私を信じなさいっ! フィンっ!」


 彼女の最期を活かすも殺すも私達次第だ。

 価値のある死なんて存在しない。死は全て置いて平等だ。しかし、今回だけは、今回だけはっ!

 私達によって彼女の死の価値が変わるのだ。


「ローラ様……っ。はいっ!」

「時間がないわ。急いで頂戴っ!」

「分かりました。少々お待ちを」


 フィンはすぐ様私の命通りにランティスの元へ走って行った。


「……時間が、ないっ」


 私は直ぐに毒薬のページを捲りサロヌローリエとやらを調べに入る。

 即効性の毒だ。

 あってくれとは思うが、私の欲しい情報は書かれても居ない。

 矢張り、解毒剤など存在しない。当たり前だ。体内に摂取したら瞬く間に身体に巡り死に至る毒なのだから。

 他の毒薬には使い方や作成方法が懇切丁寧に書かれていると言うのに、このサロヌローリエにはそれが一切無かった。門外不悉と言うわけか。

 当たり前である。なんせ、王宮が秘密裏に作っている指輪だ。表舞台には決して立たない死神の婚約指輪。

 女王の座を守る鉄壁の毒の処女。

 婚約指輪をアリス様が嵌める可能性は、ロサの行動から見ても、現状の敵陣の駒の進め方からも極めて高い。


「クソったれっ!」


 犯人は、恐らく指輪を既に王子に返却しているのではないだろうか。

 私が嵌める指を失ったのだ。

 正規の場所にはもう嵌める手立てがない指輪を犯人が後生大事に持っているとは考えにくい。

 私の読みが正しければ、ランティスに王子を任したのは此方の敗因。

 彼は、負ける。

 黒幕は、何がなんでもアリス様にこの指輪を嵌めなくてはならない。それも王子の手から。

 王子にトリガーを引かせなければ、彼らの目的は遂げられないからだ。

 残念ながら、王子に黒幕の目論見を跳ね除ける力は皆無なはずだ。

 彼は並外れた良き隣人である。

 良き隣人は、二人の迷い子を見放す勇気は持っていない。

 しかし、天秤に掛けるとなれば自ずと手を引く方が分かってくる。

 分かりやすいんだよ。

 騙しやすいんだよ。

 悪い隣人行動を読むことは困難だが、良き隣人の選択は手に取るように分かる。

 隣人の選択は一つだ。

 両方とも見捨てられないに決まっているだろっ。

 一人の手を引いてもう一人を助けようとするに決まっている。馬鹿な悪魔の口車に乗せられて、それが正義だと、それが優しさだと錯覚するのだ。

 クソったれ。

 先程呟いた言葉が脳内に響き渡る。

 そこにランティスの説得が乗れば相乗効果が働いてしまう。

 つまり、北風と太陽だ。

 北風が強く強く、旅人がコートで暖を取れば取るほど、太陽の効果は絶大になる。

 詰まる話、ランティスが私を可哀想だと煽れば煽るほど、彼は私を救う為に私と言うコートを着込んでしまう。そして、クソったれな太陽はその優しさに漬け込み、私を助けつつもアリス様も同時に救う手立てと言う罠を王子に与えるのだ。

 私が今一番に行わなければならないのは、王子に太陽の言葉を聞かせない手を考えなければの一点。

 コートを脱がせてはならない。

 脱いだら最後、彼は裸の王様だ。

 しかしながら、それに対する有効な手立ては何一つ思いつかない。

 一番簡単単純で効果があるのは、全てを包み隠さず王子に伝える事だ。

 しかし、私の口からは出来ない。

 一瞬でも、王子が私が身の保身に走っていると思わせて仕舞えば全てが水の泡となる。

 ランティスに……。

 いや、しかし、彼はどうも私の事を随分と王子から庇っている。包み隠さず話すにしても、彼が私と手を組んでと考えるかもしれない。

 では、誰がいいのか。

 誰が王子を説得できるのか。

 それとも全く異なる手立てを考える必要があるのではないだろうか。

 私の思考が揺れに揺れていると扉が開いた。

 蝋燭の炎も遠の昔に消え去り、随分と時間が経っていたのだろう。


「ローラ様、ただいま戻りました」

「お帰りなさい。ランティス様も……、あら? タクト様迄」


 こんな深夜にお呼び立てして申し訳ないと続けようとすると、読んだ覚えのないタクトまでが姿を現した。


「途中で見つけたので、保護してまいりました」

「捕獲の間違いだろ」


 無理やり連れてこられた感が分かる様に、ぐったりしながらタクトが眼鏡を掛け直す。

 確かに、あれだけ騒いで出て行ったのだから形はどうあれ出戻って来たのだ。気まずいものがあるな。


「ローラ、こんな遅くに何があったんだ?」


 中々用件が進まない様子を危惧して、ランティスが私に問いかける。


「件の本を見つけました」


 そう言って、私が二人にアクトから手に入れた本を二人に差し出す。


「持って来たのか」

「一体どうしたんだ?」


 事情を知らないランティスが私に問いかけると、私は後ろにあるベッドを指差し簡潔に述べる事にした。


「あちらでお休みになられている殿方からお借りしました」


 はっとして二人が後ろを向くと、月明かりに照らされてのびているアクトを見る。


「……アクトぉ?」

「……愚弟が世話をかけたな」


 全てを察したタクトが苦い顔をしている。


「どう言う事だ?」

「アクト様が大切に保管されていたのを本人の同意の元お借りしました」

「……本を貸すと気絶する病気なのかよ?」

「残念ながらその様ですね。実においたわしい体質な事で」

「……少しだけ話が見えて来たな。随分と荒っぽいじゃないか」

「そんな事は有りませんよ。平穏かつ穏便さに定評があるフィンですので」

「ローラ様から任されたのです。平穏かつ穏便にと。明日の朝には全て夢の出来事となっている事でしょう」


 そう願いたいものだ。


「で、その本には何と?」

「ランティス様の記憶が正解でした。婚約指輪について書かれております。皆様ここに」


 私が提示すると、ランティスとタクトが本を覗き込む。


「猛毒が仕込まれてるだって?」

「ええ。一度体内に摂取されると数秒で死に至る猛毒です。解毒剤はなし。そして、この毒は一回限りの使用では無くらならない」


 私が名前が書かれている欄を指差すと、タクトとランティスが顔を上げる。


「それがどうかしたのか?」


 ロサの事を知らないランティスは何のことか分からないが、概要を既に話しているタクトは顔色が変わっていく。


「……不味いじゃないかっ!」

「タクトも?」

「ランティス様、詳しい話をさせていただきますので、落ち着いてお聞きください」

「話?」


 随分と改まってどうしたとランティスは言うが、今から伝える真実は実に残酷だ。

 彼がもし、これで事実を解き止めてしまったら……。

 いや、もう心配する時間さえも惜しい。

 私は意を決して彼にロサの死についての詳細を伝えた。

 話を続けていくと、最初は余り表情を変えなかったランティスの顔が段々と曇っていく。

 彼の思いの人は、アリス様だ。

 そのアリス様が食い物にされ、尚且つ今尚命の危機に晒されている。

 しかも、殺すのは自分の実の兄かもしれない。

 そんな事実を、私は淡々と彼に話したのだ。


「……なんだよ、それ」

「少なからず、真実に近い答えです。全ての事に筋は通っている。現状を寄せ集めれば、答えはわかりますでしょうに」

「兄貴が、アリスを殺す……っ!? そんな事、あり得ないだろっ!」

「では、次の婚約者は誰かランティス様はご存知ですか?」

「いや……、それは……」

「お聞きになられなかったのですか? 噂にこれだけ上がっているのは王子も存じ上げている筈です。もし、貴方が質問したとしてアリス様を否定しなかった場合は、その可能性がどれだけ高いか、貴方も分かる筈だ」


 ランティスは下を向く。

 ランティスの事だ。王子に問いただしている事だろう。そして、アリス様の否定もその時にはされてなかった。

 答えは、明白だ。


「タクト様、アリス様が婚約者にならない理由とはなんですの?」

「……俺に質問か?」

「はい。先程、血相を変えて出ていかれたんですもの。答えを教えて頂きたいと思います」

「答えも何も、ないだろ。アリスが次期妃になるんだ。そんな事をしてみろ。他の貴族達はどう思う? 反発は高まるとは思わんか?」


 随分と当たり前の事を言うな。

 そんな事、わかり切っている事ではないか。

 その事実に何を驚き、何を慌てていたんだ?

 加えて、タクトのこの発言。

 まるで、ここで正解を言いたくない様に感じる。

 いや、この質問の答えが嘘だと言うわけではない。

 タクトの事だ。これが核であり、これが問題なのだ。タクトなりのヒントの出し方。

 何故、こんな回りくどい事を?

 この中に知られたくない人物がいるのか?

 それとも、全員? 私含め煙に巻こうとしている?

 私達共通であるもの? この学園の生徒であること。貴族以上の階級の家柄であること。いや、違うか? もっと当たり前であり触れていて、それでいて、前提な事? 何がある? 何の共通点がある? 私達は、人間であること。子供でもあること……。

 子供で……。

 ある事?

 そして、タクトは私にあの時何を問いかけた?

 人質は、どうなる?

 漠然とした質問が、ゆっくりと形を帯びてくる。

 まさか……っ!


「……タクトっ! お前、何故、今迄隠していたっ!」


 私はタクトに向かって怒号を飛ばす。


「……隠してなんて最初からないだろ。わかり切っていた事実を気付くか気付かないかだ。貴様とランティス達の様なものだろ」

「そんな言葉で納得できるものかっ! 少なくとも、今夜ここに訪れた時には分かっていた事実じゃないかっ!」

「ローラ、どうしたんだ?」

「言って、何になる?」

「タクト、お前っ!」

「では、貴様一人でここから逃げ出すか? この檻から」

「それはっ!」

「それとも、全員一斉にここから飛び出すのか? 誰がそんな命を聞くんだよ。ここにいるのは、嫌われ者の令嬢に幽霊令嬢。政治に口を出せない弟王子に敵ばかりの大臣の息子だぞ。誰が叫べば、誰が従う? もう、手遅れなんだよ。例え王子がそう叫んだところで、既にこの学園は乗っ取られている。従う奴らは誰もいない」


 ぐっと、私は口を結ぶ。


「貴様のそれは八つ当たりだ。俺だって、気付いたのは今日の知らせが来てからだ。もう、既に手遅れだよ。いつ言っても言わなくても、何の手立てもない。俺が止められれば、それで良かったんだよ」


 タクトが言っている事は事実だ。

 そうだ。

 全て八つ当たりだ。気付かなかった私の負債をタクトに押し付けようとした幼い心が、顔を出した。


「……タクト、ローラ。一体、どうしたんだ。話が見えないんだが」


 ぐっと黙る私とタクトの間にランティスが入って声を上げる。


「……ランティス。考えた事はないか?」

「何をだ?」

「アリスが王子の婚約者になり貴族から反発の声が上がるとどうなる?」

「え? そりゃ、まあ、皆兄貴に文句を言うんじゃないか? 親達も黙ってないだろ。婚約者発表は全貴族に伝わるし、親も親父のところに文句を言いに来るだろうな」

「そうだな。一斉に押し掛けるだろうな」

「それがどうした?」

「それが問題なんだよ。それが、いちばんの問題なんだ」

「どう言う事だ?」


 まだ、内容が掴めていないランティスは首を傾げ私を見た。

 タクトの言う様に、最早手遅れだ。

 もし、婚約者の発表があるならば既に手紙は回っている。

 そして、最悪を回避する術も、何処にもない。


「タクト様、先程は八つ当たりだと言うことは認めます。申し訳ない事を致しました。しかし、誰の為に隠し立てする必要がございますか? ランティス様に? フィンに? 私だと言うのらば、そんな馬鹿なことはございません」


 私はタクトを睨みつけながら牙を剥く。


「マルティス家を馬鹿にしないで頂きたいっ!」


 タクトは、私だけを逃そうとしたのだ。

 この事実に気付つくはずの、私だけを。

 私が何も言わなければ、私はこのまま平穏に戦線離脱が出来るのだ。

 これは、タクトにとって私への最後のクモの糸。

 天国へ行くには一人しか通れない。他の人間が糸を掴めば立ち待ち切れてしまうのだ。


「貴方は父に夢を抱きすぎだ。父が止めに入った所で、何一つ止まることはないでしょう。それぐらないならば、内部で私が動いたほうが随分と勝ち目がある。そうは思いませんか?」


 天国なんて何処にもないだろ。

 あるのは、今と言う最悪だけだ。





_______


次回は12月15日(土)23時頃に更新予定となっております。お楽しみに!

 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る