第75話 貴女の為の壺の中の蟲螻を
私に残された時間は、新品の蝋燭の炎よりも短いらしい。
タクトが帰った後、一人でベッドの上に沈む。
フィンを呼び寄せようとも思ったが、悪いが今は一人になりたい。
無くなった片腕の痛みよりも、何よりも。私はこの小さくて狭い世界の痛みを感じた。
革命。
教科書の中の話だ。
私が思い浮かべるのは、恐らく私が住んでいた日本で一番覚えがあるフランス革命。思い上がってくる絵は、革命戦争でも、国民会議でもない。その後。
ルイ十六世とマリー・アントワネットの処刑だ。
革命が起こればタクトが言う様に、王族は処刑台に立たされる。
王も妃も、あの王子も、ランティスも、学園長も。
本流の血筋の者は全員だ。
例外は無い。
しかし、この国はそれ程まで貧しかっただろうか?
中世と言っていいか分からないが、うろ覚えな教科書の記憶では革命は大概が国の経済難により貧困を極めた市民達による下克上。
日本の一揆も一種の革命運動だ。
私が貴族だから、下層の人間の生活は分からない。と、言ってしまえばそれまでだが、少なくともこの学園に通っている平民達に貧困さは見られない。
書物や父の話で聞いた限りでは諸外国と比べればどちらかと言えば豊かな方だ。
土壌豊かな土地柄もあり、近年では天変地異だって起きていない故、飢饉の話は聞いたこともない。
何故、革命が必要なんだ?
そして、何故、その革命にギヌスが乗る必要があるのか。
黒幕は、恐らくアイツだろう。
だが、何故、アイツが革命を?
答えが分かったのに、求める式が分からない。
タクトは、問い詰めれるだけの証拠を探すと言っていたが、アテはあるのだろうか。
下手な証拠では、こちらが押し負ける可能性だって大いにあるのだ。
何故なら、アイツにはひとつだけ、絶対に不可能な事がある。
事前にギヌスとロサを使って行った、またはギヌスの独断で動いた事だと思うには無理がある。
あの謎を解かねば、大凡私達に勝ち目はない。
タクトはどう考えているのか。
再度呼び出して話を聞きたい気持ちもあるが、彼の目を見た後だ。彼の決意を止める事は私には出来ない。
保険をかけて、そこだけは私が考える他ないだろうに。
それに気になるのは、あの夢だ。
私では無いローラ・マルティスの、あの夢。
どうも、釈然としない。
どうも、納得いかない。
あの夢では、ギヌスではなくキルトが生きていた。
実際、キルトに会ったことはないので、彼だとは断言は出来ないが、逆にあの声、動き。ギヌスではないと断言出来る。
キルトはギヌスに殺されなくても、聖騎士団を抜ける運命だったのだろうか。
何処で、何があの夢から狂ってるいんだ?
矢張り、私とギヌスの存在?
不協和音を奏でれるのは、この世界にとってイレギュラーな存在の私とギヌスだけ。
ギヌスが私の見立て通り転生者だとしたら。
そして、私がギヌスを止められなかったら。
歴史は、変わってしまうのだろうか。
私が残してきた大切な人も、消えてしまうのだろうか。
私はシーツを強く握りしめた。
最悪の結末が、頭を過ぎる。
考えすぎだと思いたい。
この世界は過去なわけがないだろ。ゲームの世界だろ? なあ、誰かそう言ってくれ。
しかし、答えてくれる人間なんて何処にもいない。
最初は、アリス様を守る為にこの世界に生を受けたと、そう信じて疑わなかった。
だから、アリス様を守る為だけに私は命を掛ける。
けど、今は違う。
仲間が出来てしまった。
護りたいものが増えてしまった。
そして、あの世界に置いてきた私の大切な人。
あの人の未来さえ、私の一本仕方ない腕で守らなければならないのか。
重すぎる。
抱えきれない。
無くなった片腕が疼く。
私は、一体どうすれば……。
「ローラ様」
そっと、私の手を握る白い手が、私の顔をあげさせてくれる。
「フィン……」
「如何致しましたか? 傷がまだ痛みますか?」
心配そに私の手を握りしめてくれるフィン。
彼女を見て、私はそっと肩に入った力を抜く。
そうだ。何を言っているんだ。私は。
私は、片腕ではないだろう。
左腕が、居るじゃないか。
私はぎゅとフィンの手を握り返す。
「いいえ。大丈夫よ。貴女が居てくれるから」
私は、一人じゃない。
昔みたいに、一人ではないのだ。
「本当ですか? 余り、顔色が優れない様に見えますが……。無理をなさっているのでは?」
「いいえ。そんな事はないわ。心配してくれてありがとう。タクトが帰ったのに呼びにも行かず、ごめんなさい」
「いえ、私も自分の判断で戻ってきてしまい申し訳ないです。何か考え事をされている様でしたのに、お邪魔をしてしまいました」
「そんな事は、ないわ。貴女が来てくれなかったら、私はきっと……。うんん、何でもないわ。フィン、帰ってきてくれて有難う。おかりえなさい」
私は物語の主人公でもない。
英雄でも無い。
魔法だって使えない。剣だってふるえない。力だってない。
普通の人間だ。
特技も特別も何も無い。
前世から何一つ変わらぬ、何も持ってない人間だ。
他人と比べる事さえ烏滸がましいと感じる程、自分を卑下することを怠らない、自分の事が嫌いで嫌いで、仕方が無い醜い人間だ。
それでも。
過ぎたる願いかもしれないが、私はこの手で守りたい。
大切な人を。
私は、未来を救いたい。
何も無い弱い人間だけど。
そんな事を理由にする事は、したくない。
出来るかどうかは分からない。でも、もう怯えて逃げるだけの自分には戻りたくない。
だから、私は私のやるべき事をするのだ。
胸を張り、誇りを掲げ、前を向いて。凡人でも、生きていれば出来ることを繰り返すしかない。
「ただいまです。ローラ様」
フィンが私を見て微笑む。
彼女が私の左腕ならば、私だって彼女の一部だ。
「フィン、早速で悪いのだけど、少しだけお願いをしてもいいかしら?」
「はい。喜んで。何を致しましょうか?」
「ある人物に会いたいの。でも、流石に明日直ぐには無理よね?」
「そうですね。医者も動く事は許さないでしょう。勿論、こればかりは私もです」
「わかっているわ。今は、自分勝手な無茶はしない。それに、その人物をここに呼び寄せたい訳じゃないの。出来れば、私がこのベッドからでれた後に、自然な形で会いたいのよ。そのための工作をお願いしたいわ」
「ええ、それなば。では、その人物の名をお聞きしても?」
「その人物は……」
私がその人物の名を告げると、少しばかり彼女は眉を寄せたが、それ以上は文句ひとつなく快諾してくれた。
段取りは、フィンに一任させてもらおう。
私の中で、一番最初に潰して置かなければならないカードだ。
白でも黒でも、私にはとてもありがたい。
「わかりました。では、此方で進めさせて頂きます。さて、ローラ様。私からもひとつお願い事が」
「あら? 何かしら?」
私が首を傾げると、フィンは私に布団を被せる。
「夜も更けてきました。どうか、お休みを」
どうやら、早く寝ろと言う事らしい。
まったく。心配性め。
「ええ。そうするわ。でも、ギヌスは大丈夫かしら?」
「私が居りますよ。それに、ギヌスも無知ではない。リスクをこれだけ背負ってわざわざアスランに止めを刺しに来るとは到底考えられません」
確かに。
私が依頼してから、王子の行動は実に迅速であった。
今は、王子命令でフィンの他に騎士生徒達の保護が付いている。数は、王子の護衛に当たった倍以上はいる事だろう。
勿論、彼等ではギヌスにとってはいいおもちゃ程度の力しかなくても、彼は顔を割れるのを恐れている。いや、彼だけじゃない。彼の後ろについている奴もだ。わざわざ、そんなリスクを背負ってまで、アスランのとどめを刺しに来るとは確かに考え辛い。
こう言っては悪いが、アスランの保護の件については随分と渋られるのではないかと私は思っていたのだ。
多方面で、この件は色が悪い。
王子の婚約者が、知らぬ男と二人で迄襲われたと言うだけでも、随分と問題視される事だが、襲った人間が学園外の人間、またアスランは傷を負ったものの、次期女王は片腕を失った。他にも色々と問題点はあるが流石に割愛しよう。
その為、私の懇願に王子は難色を示してもおかしく無い状況であったのだ。
なのにも関わらず、王子は顔色一つ変えずに二つ返事でアスランの保護を快諾してくれた。
昔の私達では考えられない。
彼の中で、せめてもの私への罪滅ぼしと考えてくれるのならば、かの嫌われるばかりの私の人生も無駄ではなかったのかもしれないな。
思わぬ幸運は、これだけではない。
王子はすぐ様城への手紙を投げ、すぐ様アスランを白で保護する手配をしてくれた。
明日にはアスランは王宮の医師の元へ向かう。
普通であれば、輸送中の奇襲が悩みどころとなるが、今回の事に限っては輸送中の方が安全である。
何故なら、アスランが狙われる理由を持つのがギヌスだけであるからだ。
組織的な目的であれば、勿論そんなことはない。
しかし、ギヌスの不要な物は捨てる。その考えに則れば、それは彼の価値観に沿ったものでしかない。
ギヌスはこの学園から離れることは出来ない。
いや、これは流石に言葉足らずだ。彼ぐらいの強さを持つのならば容易だろう。
しかし、出て行けば再度この学園に戻る事は極めて困難になる。
何故なら、私とフィンはギヌスの顔を知っているのだ。
彼がいない間に、彼の事を触れ回る危険性がある。そうなれば、早々に国から手配書が出る事だろうに。
その為彼は、この学園で私達を監視しなければならない。この学園から出て行く訳には行かない。
私とフィンがこの地を離れない限り、ギヌスはこの学園に縛り付けられる。だからこそ、アスランはこの学園から離れた方が安全なのだ。
だが、それは此方とても同じ。
ギヌスがいる限り、私達はこの学園から離れられない。
ふと、昔読んだ本に出てくる古代の呪い、蠱毒を思い出した。
蠱毒とは、蛇や百足等を同じ壺の中に入れ、共食いさせ、最後に残った一匹を祀りあげる一種の呪術。
最後に残った一匹の毒を取り出し、食い物に混ぜる。
そして、人を殺したり、思いのまま幸福を手に入れるのだ。
ここは、この学園は、蠱毒だ。
誰かの為の、蠱毒だ。
悍しい。
誰かが誰かを殺す為、誰かの福を得る為に、私達蟲達はこの学園で共食いし続ける。
私も、ギヌスも、誰も彼も、壺に入れられた蟲なのだ。
ただ、一つ残った蠱の毒があるのらば。
「ローラ様?」
「ごめんなさい。どうやら、本当に私は疲れている様ね」
私が笑えば、フィンは私に寄り添ってくれる。
「気が焦る気持ちも、分かります。だけど、今は休まなければ」
「ええ、そうね」
諭す様に優しいフィンの声音に、私は頷く。
ここは禍々しい蠱毒の壺の中。
生きる為には、同じ蟲を喰い殺すしかない。
ギヌスの様な強い蟲で蠱毒をつくる為に、私の様な弱い蟲はただの供物なのだろう。
でも、どんな蟲にも魂がある。
一寸の蟲にも五分の魂がある様に。
果たして、どちらの一寸先が闇なのか。
「おやすみ、フィン」
暗闇の中で、私はそう呟いた。
_______
次回は10月29日(火)23時頃に更新予定となっております。お楽しみに!
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