第71話 貴女の為の騎士道を
今、私の目の前で奇跡が起きている。
私の人生では神なんて紙の様に薄っぺらい宗教観の世界しか無かったはずなのに。それなのに。
今、私は神の信託を受けた子羊の様に、小さく震えながら奇跡を目の当たりにしている。
フィンが来てくれた。
私の誇り高き騎士が、この吹き荒れる嵐の様な運命に、いとも容易く消えてしまいそうな命の灯火の前に、まるでその嵐から守る様に立ってくれている。
命が今、繋がろうとしている。
私をまだ、この世界に留めようとしてくれている。
まだ、お前にはやるべき事があるのだ。そう、居るはずもない神に言われた気がした。
命がある。
まだ、息をしている。
まだ、生きている。
私まだ、生きているのだ。
これを奇跡と言わず、何が奇跡だと言うのだ。
「フィシストラ……」
ギヌスがフィンの名を呼ぶ。
「フィシストラじゃないか。ああ、なんて久しいんだろうか。少し会わないうちに見違える程美しくなって……」
実の弟を殺そうとしていた人間だとは思えない程穏やかに、そして嬉しそうな声をギヌスが上げた。
これが本当に血の通った人間のする事なのか。
優しくはない世界を私だって無駄に五十年余りを過ごして来てはいないのに。
これだけの巨悪を目の前にすると、今尚その存在を信じられない気持ちになる。
「……ギヌス、貴様……。ローラ様とアスランに何をした?」
血塗られた私達二人を見ながら、フィンがギヌスに問いかけた。
「何もしてないよ?」
ギヌスは首を傾げる。まるで、何の質問か本当に分からない様に。
彼にとっては何故雑草を抜いたのか。フィンの質問はそれと同意なんだろう。
私達は彼にとっては家の庭に生えた望まない雑草なんだ。
最早人ではない。
だからこそ、死ぬや殺すなんて相応しくない。
ただ、引き抜いただけの感覚。
ああ。あのクソ上司と同じだ。
人を人だと思えない、認識出来ない、クソ野郎。
「何もしてないだと?」
フィンは剣を抜きギヌスに剣先を向けた。
「巫山戯るなっ! アスランを殺そうとしていただろうっ!」
夥しい程のアスランの斬り付けられた傷。
現に彼の剣には血が滴り落ちている。
これは動かぬ証拠だ。
いくらギヌスが嘘を重ねたところで、これでは誰も信じるはずもない。
しかし、ギヌスの答えは我々の想像を遥かに超えていた。
「それが、どうしたの?」
そう、首を傾げながら彼はフィンに問いかける。
「っ!?」
その異様さに、思わずフィンも息を飲む。
言い訳を並べるわけでも、見抜かれた事を褒める訳でも、何もない。
それは事実を告げられた事に彼は何の疑問も持っていないと言う証拠なのだ。
「アスランはね、悪い子なんだよ。アスランはね、俺を裏切っていたんだ。ずっと、ずっと。嘘つきで弱虫で、何も出来なくて、それでも可愛い弟だと思って手を差し伸べ続けた俺をね、アスランはずっと裏切って居たんだ」
アスランが裏切っていた?
「アスランに、フィシストラ。君を探す様に頼んだのに、彼は何一つ動かなかった。君を探すだなんて、簡単な事だろ? この学園に存在しないはずの俺でさえ、君の居場所は知っていた。なのに、アスランは誰にも聞かず自分の足だけで探すと怠慢な意地を張り、努力を怠った。俺はアスランを守る為に、いや。この世界の人を守る為に日々頑張っているのに、アスランときたら。流石に、俺だって気付くよ。アスランは俺の邪魔をしているんだって事にね。アスランはね、この世界を滅ぼそうとする敵なんだよ」
「何を、言っているんだ?」
まるで、夢の話かの様な言葉ばかりをギヌスは並べる。
世界を?
守る?
敵?
何だ? 何のゲームの話だ?
この世界は、そんな言葉など必要ない事ばかりじゃないか。
「そうか。理解できないか。フィシストラには、まだ難しいかもしれないな」
「何を?」
「俺がこの世界を救わなきゃいけないって事が、まだ子供の君にはわからないかもしれないって事だよ」
どういう事だ?
ギヌスは、何を言っているんだ?
「敵は、お前だろ……っ!」
私とフィンが困惑した顔をしていると、私の上に覆いかぶさっていたアスランが声を張り上げる。
「お前が、世界の敵だろ……っ。何の関係もない人間を殺して、俺を殺そうとして、俺を守ろうとしたローラの腕を斬り落としてっ! お前が俺達の世界をぐちゃぐちゃにしたんだろっ!」
「ローラ様の、腕?」
「アスランは、子供だな。自分の世界が、世界だって? この世界は皆んなのものなんだよ。だから、それを脅かす奴を俺は倒しただけだ。そのご令嬢の腕だって俺の……」
「ローラ様の腕を切り落としのは、お前かぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
まるで獣の咆哮の様な叫びと共に、フィンの剣が地をかける。
「あの優しい、美しい手をっ!」
ギヌスはフィンの剣筋を交わすと、すぐ様自分の剣で彼女の剣を弾く。
「お前がっ!!」
フィンの素早い剣捌きにも、ギヌスには届かない。
次に撃たれる場所が分かっているのかと疑う程素早く、それも正確に彼女の剣を自分の剣で受け止めて弾いていく。
ギヌスは、彼女の剣の師だ。
彼女の動きは、彼女以上に熟知している。
普通に戦っていれば、残念ながらフィンの方が断然不利な状況になってしまう。
「フィシストラ? どうしたんだ?」
「その薄汚い口を、開くなっ!」
フィンの力を入れて振り上げた一撃でさえ、ギヌスは簡単に避けて彼女の顎に柄を当てる。
ギヌスはどうやらまだ利用価値のあるフィンを殺したくはないらしい。
「少し早くなったけど、剣筋は単純だよ。フィシストラ」
「フィシストラっ!」
いくら刃の部分ではなく柄だとは言え、顎は人の急所の一つだ。
あれだけの速さで当てられたら、脳震盪を起こしても不思議じゃない。
見えた光が。
唯一の私達の光が……。
ここで、終わるのか。本当に、終わってしまうのか。
動けない身体が、絶望に揺れ動く。
「それは良かった」
フィンの声が、微かに笑っている。
「なっ!?」
驚くギヌスの声に、私は目を見張った。
顎に当たったはずの柄は、フィンの左手で受け止められていたのだ。
嘘だろ。
あの速い動作を、フィンは見切っていたのか!?
「幼い頃の私は、小さな貴方だった事だろう。全ての技を、動きを貴方から教わり、貴方の真似をして生きていた。だからこそ、貴方が私の事を知り尽くしている様に、私も貴方のことを知り尽くしている。でも、今は違う」
フィンはすぐ様膝をバネの様にしならせて土を蹴った。
「っ!?」
低い大勢からの足を狙った剣技。
思わずギヌスが距離を取る。
しかし、瞬時に一歩を飛ぶ様にフィンが距離を詰めた。
体勢は低いまま、重心のみを移動させてギヌスの剣を避けると、下からそのまた下に、つまりギヌスの足首を目掛けて剣を振るう。
それほどフィンの身長は高くない。
逆に、ギヌスは高身長。足元を狙った攻撃に慣れておらず、どう避けても服がフィンの剣先に触れる。
あと一歩の所でギヌスは後ろに大きく跳ねて、剣を一本地面に刺した。
成る程、これは今のフィンに対する最大の防御だ。
低い場所を狙えば、あの剣が邪魔で致命傷にはならない。
しかし、ギヌスも大きな痛手だ。
なんたって、自分の武器を盾に使わざる得ない。ここから攻撃に転じようにも、動作は随分と大きく、そして遅くなる。
初めてだ。ギヌスが、後手に回っている。
「騎士として、そんな攻撃は褒められたものではないな」
「騎士? 何を言っておられるんですか? 私は、ただの戦士ですよ。殺せれば、なんでもいい。昔の私は、貴方だったが今は違う。私は、もうフィシストラ・テライノズではない。私はローラ様の騎士、フィンです。彼女の為なら、騎士道だって、剣士としての誇りだって、捨てさる覚悟が私にはあるっ! 彼女の願いは私にとっては命を掛けても叶えるものっ! 私は、ローラ様もアスランも貴様に殺させはしないっ!」
その叫びは、全てを揺らす。
この蔓延った絶望色した空気も、世界も、私達の心も。全てをその一喝で。
揺れ動かす。
「フィシストラ……。君は、世界の敵になるのかっ!?」
「勘違いするな。お前の世界の敵だ。ローラ様の世界を、私が守るだけだっ!」
フィンは再び強く土を蹴る。
風の様な彼女の飛ぶ様な一歩は、瞬く間に相手の領域に踏み込み剣を振るう。
下からの攻撃とばかり身構えていたギヌスは剣を捨てて彼女の一撃を交わした。
しかし、間髪入れずに彼女の剣がまた宙を舞う。
早い。
先ほどの攻撃のタイムラグなど無かったかのように、次の一撃から流れる様に方向を変え、ギヌスを追う。
流石のギヌスもその攻撃は読めなかったのか、フィンの剣先がギヌスの頬を掠めた。
ギヌスの頬から流れる様に血が流れる。
だが、拭う暇などギヌスにはない。
再びフィンは剣の動くままに身体を捻り、下から上に突き上げる様な一撃を放った。
ギヌスは、後ろに身体を逸らし何とか避けるが、流石に体勢に無理があったのか若干足がよろめく。
フィンはそれを見逃さず、避けきれないギヌスの足を狙う様に、低く体勢をずらし剣を持っていくが……。
「引っ掛かったな」
ギヌスが薄く笑った。
しまった。よろけたのは、罠か!
「っ!」
ギヌスの靴から、突如刃物が飛び出てくる。
そんなところに、仕込み刀!?
そんなギミックが靴に仕込まれていたのか!
そんな事なんて知りもしないフィンは、何の防御もないままギヌスの足に突っ込んでいくしか無い。
「流石、フィシストラ」
「くそっ!」
どうやらはフィンはギリギリの所は交わしたが、彼女の肩には刃が掠った後が出来ていた。
フィンの肩に負った傷からはじわりと、血が一本の線を作っていく。
「口が悪いのも、主人に似たのかな? 昔はそんな言葉なんてばかなかったのにな」
「ローラ様を、馬鹿に……っ!?」
ぐらりと、フィンの身体が揺れた。
フィン?
どうしたの!?
「この靴に仕込んだ刃には即効性の痺れ薬が仕込んであるんだ。本当は猛毒を仕込みたかったけど、構造上俺にも影響が出るから、こんな些細なものになってしまった。だけど、丁度良かったみたいだな」
「それが、騎士道のやることか……っ!」
「君も言っただろ? 俺にも覚悟があるんだよ。何を捨てても、俺は世界を救うんだ」
「何を、勝手な事を……っ!」
「もう、立ってもいられない筈なのに、本当にこの世界の女の子はそのご令嬢といい、根性がある子が多いな。アスランにもそれぐらいあれば良かったんだけど」
「巫山戯るなっ! まだ、勝負は……」
「終わりだよ。次に君が起きた時には、君も世界を救うんだ」
「誰が、貴様に手を、かすかっ!」
よろけた体でフィンは剣を振り回す。
「無理はいけない。その強さ、僕のパーティには主力になる。大事な体なのだから、そんなに……」
「煩いっ!」
フィンは高く剣を振り上げると……。
「……正気かよ」
思わず、ギヌスが呟いた。
それもそのはず。フィンは高く振り上げた剣を自分の足に突き刺したのだから。
フィン、何で……っ!?
「正気を保つ為だ……。お前の痺れ薬より、最高にこっちの方が体が動いてくれるらなっ!」
フィンは剣を自分の足から抜くと、ギヌスに再び攻撃を始める。
風の様な速さはもう彼女にはない。
だが、磨き抜かれた剣技がギヌスを追い詰める。
自分の剣がないギヌスは、防戦一方、いや。避けるしか術がない。
だが、フィンの一寸の狂いもない剣を避けるのも至難の技だ。
いつしか彼は、彼女の剣筋に気を取られ、足元にあった小石に躓いた。
今度は演技でも何でもない。
フィンはすぐ様、ギヌスの顔目掛けて剣を振り下ろすが、間一髪の所でギヌスは転げて避ける。
しかし、次がないのは誰だって分かっていた。
呆気ない。
実に呆気ない結末。
けど、これでギヌスの、終わりだ。
「フィシストラ、君はどうして……」
「言っただろ。私はローラ様の騎士だ。彼女の願いを叶える為なら、何だってやる」
「君の事だけは、俺は信じていたのに……」
「残念だな。私も、ギヌス様の事は信じていた。けど、それも終わった」
彼女は剣を構え、ギヌスの方へと身体を移す。
「これで、お仕舞いだ。私と、お前の全てがなっ!」
フィンが、剣を高く上げた。
その瞬間だ。
「ぐあっ!!」
私の上でアスランが大きく悶え出した。
一体、何が!?
何とか身体を起こそうとするが、そんな力はもうない。
どうにかならないかと思っていると、アスランに強く抱きしめられる。
「ローラ、頭を、出すなっ! 動くなっ!」
アスランの声に私は顔を硬らせた。
答えはすぐ様分かることとなる。
ジュパっと、風を切り裂く音を立てて、私の顔のすぐ横に矢が突き刺さった。
まさか。
「矢っ!? アスランっ!」
フィンは、アスランの方を向かって叫ぶ。
矢張りっ!
アスラン目掛けて、矢が放たれているのだ。
「はははっ。残念だったなフィシストラ。まだ、終わりじゃないらしい」
「ギヌスっ」
フィンがやに気を取られていると、いつの間にかギヌスはフィンの元から這い出ていた。
この矢は、ギヌスの仲間の放った矢だ。
彼を助け出すためにっ!
ギヌスは大きく笑うと、フィンを見つめる。
最早、その目は狂気の目。それ以外の何者でもない。
「でも、これで分かった。そうか、フィシストラ。君は、ヒロインじゃないんだな。でも、そっちの方がいい。元恋人が敵になる。しかも、魔王最高の剣士で倒さなきゃ世界が救えないなんて、最高に名作じゃないかっ!」
ヒロイン?
魔王?
名作?
「待てっ! ギヌスっ! まだ、決着は付いていないだろうっ!」
「修行回は最終回に必要なんだよ。でも、良かった。フィシストラ、君が強くて。やっと、俺も本気で戦える。やっと、やっと、命を掛けて戦えるんだっ! ああ、次に会う時は、最高にいい戦いをしようっ! 俺が君を撃って泣き崩れる程の、最高の戦いにっ! その時迄、君ももっと強くなっててくれよ!」
「次なんて、あるものかっ! ここでその首、切り落とすっ!」
ギヌスはそう笑うと、楽しそうに指を向ける。
「いいの? アスランやローラ様とやらが死んでも」
私の上で、何度も矢を受ける衝撃が伝わってくる。
アスランは、私に矢を通さない為に、私を強く抱きしめたまま動かない。
私を抱きしめる彼の手には、いつしか夥しいほどの血が流れている。
彼は、最後の力を振り絞ってまで私を守ろうとしているんだ。
「っ! 貴様ぁぁぁぁっ!!」
「またな、フィシストラ。いや、フィン!」
フィンは、ギヌスを追えない。追えば、アスランと私は間違いなくこのまま死ぬ事になる。
フィンが私達二人を見殺しに出来ない事を知っていて、こんな事をするだなんて……っ!
許せない。
許せるものか。
あの男を、私は絶対に、許さないっ!!
激しい怒りが私の残りわずかな体力を奪っていく。
身体はもう遠に動かない。頭も、どうやら限界らしい。
薄れゆく意識の中で、私はない左手の拳を強く握り締めた。
正義と言うには余りにも汚く、余りにも幼稚な私怨色の炎が、少しずつ私の命の炎から熱を奪っていく様を、私は意識が消える迄確かに感じていたのだった。
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次回は10月10日(木)23時頃に更新予定となっております。お楽しみに!
今回は長くお待たせしてしまって、申し訳ないです。
家族の風邪、だいぶ良くなりました。まだ自分は鼻詰まりと咳がヤバいですが、比較的何とかなってます。
皆さんも季節の変わり目、気温の変化と何かと大変だとは思いますが、どうかお身体にお気を付けて過ごして下さいね。
優しいお言葉、有難うございました!!
引き続きクライマックスまで走っていくので、お付き合い頂ければ幸いです。
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