第70話 貴女の為の誇りを胸に
「ずっと、誰かに利用されて生きていた」
何をやるかも、全て決められて来た。
自分に選択出来るものなんて、何もない。
父様に言われるまま、生きていた。
剣を握ったのも、父様が怒るから。
剣は怖い。
たった一振りで相手を傷つけてしまう。
初めて、剣を振るったのはフィシストラの兄にだ。
俺のたった一振りで、彼は右眼を失った。あの感触は今でも忘れられない。
だから、人に向けて剣を振るうのが怖かった。
でも、父様はそれを許さなかった。一族の相手にアレだけの傷を負わせられるのならば、騎士相手に心臓を抉り取れるだろ?
そんな事、したくない。
人なんて傷つけたくない。
痛いのは嫌だ。でも、俺以外の人が傷付くのはもっと嫌だ。
泣き喚いた。
あの地獄から助け出して欲しくて、ずっと泣き喚いていた。
誰か救ってくれないか。
今すぐ、ここから出してくれないか。
でも、どれだけ泣いても周りの大人達は気味の悪い笑顔を絶やさずに俺達を見下ろしていた。
このままだと、本当に彼が死んでしまうのに。
大人なら、分かっているのに。
子供の俺でもわかるのに。
でも、そんな叫びは誰にも届かない。
殺せと、まるで呪いのような言葉が降り注ぐだけだった。
一人の少女が、立ち上がる迄は。
助けて欲しいと泣けば、彼女はなんの表情も変えず、誰にも逆らえない父様の前に立ち、大人にだって出来ない事をやってのける。
彼女は俺の英雄だ。
ずっと昔に、まだ母様が居た時に、優しく読んでくれた絵本の中の英雄だ。
悪い奴と戦って、俺達を助けてくれる。
凄く強くて、凄く優しくて、凄く大人で。剣も持てない俺は、彼女の背中に隠れて怯えるしかないのに。それでも彼女は、フィシストラは俺を見捨てる事すらしなかった。
いつしか、彼女は誰よりも強くなった。
子供なのに、大人は彼女をまるで自分たちの王様の様に持ち上げ始めた。
嬉しかった。
俺達の英雄は、本当に名実ともに俺達の、いや、俺たち一族の英雄になったんだって。
だけど、彼女は女で、人間で、まだ子供だった。
当たり前のことなのに、当たり前を忘れてしまいそうなほど、彼女は強くなってしまった。
彼女を唯一守れる筈の兄様は、フィシストラを大人達から救い出す為に聖騎士になった。だけど、兄様はそこで兄様ではなくなってしまったんだ。
誰よりも優しくて、誰よりも強くて、大人達だって兄様には口出し出来なかったのに、死んだと思っていた筈の兄様が俺の前に姿を現した兄様は変わってしまっていた。
最初は、昔の様に優しい兄様だった。
兄様は、こんな世界を変えようと、俺に手を差し伸べてくれた。俺はそんな兄様の力になりたくて、兄様の言われるままに動いた。フィシストラとの婚約破棄は兄様が俺に言った。そんな事でフィシストラは救えないと、教えてくれた。この学園に入るのも兄様が決めた。
この学園にフィシストラがいる。フィシストラを見つけて救い出すのはお前しかいないって。
この学園に入学したての頃もいじめられそうな俺を、兄様は守ってくれた。ずっと、兄様は昔の様に俺を守ってくれていた。
その筈なのに。
兄様は段々とおかしくなって行った。
ロザリーナが、わがままを言えば、世界を救う為だと言うのに、彼女には無茶な要求ばかりしていた。そのうち、ロザリーナも段々とおかしくなって行った。
何が本当で、何が嘘で、何が正しいのか、守りたいのか。
いつしか、俺も分からなくなってしまった。
そんな俺をフィシストラはどう見るんだろうか。
俺の張りぼての嘘なんて、あの英雄だった彼女の目は欺けない。彼女に会うのがただ怖かった。
でも、会わないと兄様は俺を見捨てる。でも、彼女を動かす力は俺にはない。わかっていた。
彼女は誰にも惑わされない。
彼女は俺たちの英雄だから。
だから、ローラがフィシストラと一緒に居るところを見た時、怒りが湧いた。
孤高の英雄を、お前が何て騙したのか、問い正したかった。
でも、それもきっと俺の嘘だ。
お前ぐらいなら俺でも勝てると思って、意気込んだ。
でも、お前は俺よりも強くて賢くて、フィシストラみたいな英雄だった。
真っ直ぐに前だけを見る姿がただただ怖かった。
「でも、それでも、何度でも立ち向かうお前が俺に教えてくれたんだ。怖さに立ち向かう勇気を」
気を抜けば、無くなった腕の痛みと寒さで意識を手放しそうになる。
私を抱えながらアスランの告白を聞きながら、私は彼の服を必死で掴んだ。
勇気なんて、私にあるわけがない。
私は弱い。
まして、英雄ですらない。
私の行動は、ただ、可能性が高い方への行動のシフトだ。
それだけだ。
「感謝なんて、要らないわ。私を、置いて逃げなさい」
感謝なんてされる謂れは何処にもない。
だから、早く私を捨てて逃げてくれよ。
傷ついた私を抱えて走るアスランは、余りにも遅い。
助かる見込みが、そらだけでも格段に下がってしまうと言うのに。
「無理だ、ローラ」
「何故……?」
情か?
情けか?
そんなもの、私と一緒に捨ててしまえ。
お前は、生きなければならないんだ。
今迄、そんな過去を抱きながら、何も望めなかったお前が、漸く生きたいと願ったじゃないか。
その願いを、叶えろよ。
私なんて、まだ辛うじて生きてるだけの、あの焼却炉にあった廃材だ。
後生大事に抱えるものなんかじゃ、ないだろう。
「ローラ」
ぐっと、アスランが私を強く抱き抱える。
「俺の胸には、誇りが今やっと出来たんだ」
「誇りなんて今は……」
「見てくれよ。お前が、与えてくてたんだ。ローラ」
はっと首を動かすと、彼の胸ポケットには私のハンカチが折り込まれていた。
「アスラン、お前……」
「もう、誇りは捨てない」
彼は前を向いて、笑う。
「俺は、俺の誇りの為に生きるんだっ」
馬鹿野郎。
なんて、馬鹿野郎なんだ、お前は。
でも、アスランが初めて自分で決めた事なのだ。
この汚れたハンカチを、死にかけから貰ったハンカチを誇りと呼ぶ事を。
胸に宿す事を。
「だから、お前も諦めるな。お前が、生きてるなら、諦めるなっ!」
ずっと、後ろで震えていたアスランが。
ずっと、傀儡の様に生きていたアスランが。
一人では何も出来なかったアスランが。
私に諦めるなと、叫んでいるのだ。
ああ、私はなんて酷い女なんだ。
そんな彼に、何て事をさせようとしているのか。
でも、私は英雄でもなければ、強くもない。
私はただの、足手纏いだ。
「アスラン、それは諦めなきゃ駄目だ」
私は、アスランの胸を力一杯押し除け、地面に転がる。
「ローラ!?」
同時に、体勢を崩したアスランも地面に転がる。
その刹那、私達がいた場所に生えていた草が剣で刈り取られた。
そろそろだとは思っていたが、こんなタイミングだとはな。
「そのご令嬢は、本当に何者なんだ?」
草を刈り取った男、いや、ギヌスが私を見下ろしながら首を傾げる。
「に、兄様……」
不味いな。
情に絆されたのは私の方だ。
もっと早く、私を捨てさせなければギヌスに追いつかれる事なんて目に見えて分かっていたと言うのに。
ギヌスを前にしたアスランは、蛇に睨まれた蛙だ。
何とか、ギヌスが異変に気付き私達に追いつく前に私を捨てさせたかったのに……。
自分の弱さのせいで、私は……。
「アスラン、駄目じゃないか。あそこから出てはいけないよって、言っただろ?」
「兄様、何で」
「何でだって? 決まっているだろ。燃えるゴミは燃やさなきゃいけないんだよ」
耳を疑う言葉だ。
実の弟に、言い放つ言葉かよ。
フィンもアスランも、この男が優しく、大人も一目置くほどの大物だと言っていたが、本当か?
どう考えても、ただのサイコパスだろ。
「さあ、アスラン。戻ろう」
「戻るって……」
「決まってるだろ? あの焼却炉にだよ」
何言ってんだよ、こいつ。
そんな事を言われて、戻るバカなんていないだろ。
でも、アスランは違う。長い年月を掛けて仕込まれた恐怖と絶対服従と言うシステムが彼の中には存在しているのだ。
アスランは固まったまま、動こうとしない。
けど、それも時間の問題だろう。
クソっ!
どうすれば、どうすればいい!?
もう、死にかけなんだぞ。何でもできる筈なのに、何でこんなにも体が動いてくれないんだ。
ギヌスの前に立ちはだかり、斬られる覚悟で時間を稼ぐ事だって出来るだろ。
もう、死への恐怖なんて何処にもないのに。
今しかないのに。
なのに、何で、動いてくれないんだよっ!
「兄様……」
「アスラン、早く。言い訳は嫌いだよ」
「俺、俺は……」
少しでもいい。
ほんの少しでもいい。
少しでも、体が動いてくれるなら……。
動け、動いてくれっ!
アスランの為に、動けっ!!
「アスラ……」
ポテっ。
まるで、そんな音が聞こえてくる様な、弱々しい力。
「嘘だろ?」
ポテっ。
呆れた声が聞こえてこようが、それでも。
私は震える右手で小石をギヌスに投げつける。
最早、当たってもいないだろう。
横たわったまま、何とか投げている。それだけだ。
「まだ、生きてるだなんて」
煩い。
私だって驚いてるよ。
こんな死にかけでも、こんな小石すらうまく投げられなくても、まだアスランの為に生きてるなんて。
「凄いな。本当に何者だい?」
「う、っせぇ、くそ、やろう」
「まだ口も動くだなんて、大したものだな。でも、とても辛そうだ。見てられないよ」
本当にこいつは悲しげに、そして哀れそうな口調で剣を抜く。
アスランが、今だって、少しでも生きたいと思うなら。
私はお前を救える程、強くもなく、英雄の様に立派でもない。
それでも、お前の願いを少しでも叶えられる糧になるなら。
「今、楽にしてあげよう」
ギヌスの剣先が空高く上がる。
もし、糧になるなら。
この命ぐらい、使ってくれ。
嘘つきは私だ。
死ぬのが怖くないなんて、嘘だ。
一人で大丈夫だなんて、強がりだ。
あの焼却炉に一人残された時、湧き上がる悲しさと恐怖を見えない様に見栄を張っていた。
そんなわけない。
二回目だからなんて、ない。
死は、怖い。
一人は、寂しい。
誰かに助けて欲しい。
だけど、そんな事叫べるわけがないだろうに。
アスランにそんな事を言えば、優しい彼はきっと振り返ってしまうから。
だからね。
嬉しかったんだ。
お前が、戻ってきてくれた時。
生きようと、言ってくれた時。
まだ、二人とも死んでないと叫んでくれた時。
私は、嬉しかったんだ。
だから、アスランの為にこの命を使ってくれ。
生きたいと願うなら、少しでもアスランの胸に私が勇気を与えられたのならば、走ってくれ。アスラン。
もう、怖くはない。
寂しくもない。
もう私は、大丈夫だから。
振り向かなくても、大丈夫だから。
「ローラっ!」
その瞬間、アスランが走る音が聞こえた。
でも、可笑しい。
「何で……?」
遠ざからなくてはならない足音は、私のすぐ近くに来ていた。
青空が広がっていた視界が、急に黒く染まっていく。
「……アスラン、何してるんだ?」
呆然としたギヌスの声。
そうだ。何で……。
「何で、そんな死にかけを守っているんだ? 俺の命令はそれじゃないだろ?」
「もう、俺は命令なんて、きかないっ!」
何処からか赤い滴が私の顔にポタリと垂れる。
私の上に乗った、アスランの体から。
ギヌスから私を庇って負った傷口から血が、ポタリと垂れるのだ。
「遅れて来た反抗期と言うやつかな? アスラン、そこを退きなさい」
「嫌だ!」
「やれやれ。言う事を聞かない子にはお仕置きだよ」
呆れた口調で、ギヌスが剣を振るう。
「痛いだろ?」
「痛くないっ」
「呆れたな。その強がり、いつまで持つんだい?」
何度も、ギヌスは剣を振る。
アスランが私の上から退くまで、何度でもギヌスはアスランを斬り付けるのだ。
「アス、ラン。退け、退いてっ」
このままじゃ、アスランが。
アスランが死んでしまうっ!
私がどれ程力なく叫んでも、アスランは私を抱きしめるだけで退いてはくれない。
「アスラン、退いて、くれ。私は、こんな事……」
望んでないのに。
そう言いかけると、アスランはやっと口を開く。
「俺は誰の命令も、聞かないっ! 俺の意思で、俺の誇りにかけてお前を守るんだっ!」
「はぁ。もう命令も聞けないなんて、ゴミ以下じゃないか。もういいよ、アスラン。あの焼却炉には戻らなくてもいい。お前が戻るのは、この土にだな」
ギヌスが剣を構え直す。
「アスラン、駄目……っ」
逃げないと、死ぬ。
間違いなく、ギヌスはその一撃でアスランを殺す気だ。
「やめて……」
やめてくれ。
私を殺してもいいから、アスランだけは、やめてくれ。
「アスランを、殺さないでっ」
「勿論ですよ」
銀色の風が、私たちの前に降り立つ。
「ローラ様が望むのであれば、このフィン。どんな願いでも叶えましょう」
そこには、銀色の髪の騎士が。
私の騎士が、立っていたのだった。
_______
次回は10月3日(水)23時頃に更新予定となっております。お楽しみに!
諸用で1週間更新お休みします。忘れずにいてくれると嬉しいです。では、また来週お会いしましょう。
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