第60話 貴方の為に血塗られた過去を

 結局、あの後粘った割には有益な情報を手に入れる事は出来なかった。

 王子は以外にも話が終わると退場を許し、私は約束通りにあの中庭の奥でフィンと合流したのだが……。


「ローラ様」

「フィン、お疲れ様」

「ローラ様もですよ」


 王子の話を聞く限りでは、ギヌスは生きている。

 そして、今回の件に間違いなく関与している。

 少なくとも、私はそう確信を持った。

 しかし、この事実をフィンに言うべきなのかを、私は今も尚悩んでいる。

 フィンは随分とギヌスに狂酔している様に感じているからだ。

 フィンに協力を依頼したのは、ラストの敵がキルトだから。キルトはかの聖剣ゴードンよりも腕が立つ程の剣士である。フィンは、そのゴードンに幼いながらも勝った事があると、その腕を買った。

 しかし、蓋を開けてみれば本当の敵は、キルトではなく、キルトを名乗るギヌス。

 彼女にこの事実は、どうしても重すぎる。

 やっと、ギヌスの死を乗り越えたのかもしれない。ギヌスの弟であるアスランを気にかける程の熱が、まだ彼女の中にはあるのかもしれない。

 そんな事を考えていると、とても真実を告げられる気なんて沸いて来るはずがなかった。


「取り敢えず、こちらは手当たり次第に吊るし上げて来ました」

「手当たり次第って……」

「ローラ様の命です。命を掛けて果たしますよ」


 こんなにも私を慕い、力を貸してくれると言うのに。私は彼女に何もしてあげられない。


「ありがとう。でも、ごめんなさい。私は、一人がやっとだったわ」

「何を仰ります。その為の別行動でしょう? 何かローラ様側には分かった事が?」

「分かったと言うよりも、気になる事があったわ」

「それは?」


 隠し事は苦手だと、アリス様やシャーナ嬢に対して言葉を出しだが、私も大概だ。

 致し方ない。

 王子と会った話はしなくてはならないだろう。


「私の場合、途中で王子が割り込んで来たのだけど」

「ローラ様はご無事で!?」

「ええ。大丈夫よ。ただ、その時に気になる事が起こったの。最初、アリス様の事を問い詰めていた時には、本当にアリス様の素晴らしさを思い知ったのかと思う程の回答しか得られなかったのだけど、王子が私を庇った時に彼女はこう呟いたわ」


 私は声を潜め、フィンに囁く。


「話が、違う。と」


 確かに、あのツインテールの日公爵令嬢はそう口にした。

 何故、そんな言葉が飛び出たのか。

 未だに推測すら立てられていないのが現状だ。


「……矢張り」


 しかし、フィンの態度は驚く事もなく、首をかしげる事もなく。ただ、頷いていた。


「矢張り?」


 どう言う事だとフィンを見れば、今度はフィンの報告の番になる。


「私が問い詰めた令嬢も、最初は身分の差別やアリスの素晴らしさを、まるで本を読み上げる様に叫びました」

「私の時と同じね」

「ええ。でも、その後で必ず言うのですよ。今だけは、彼女が婚約者だと」

「……どう言う事?」


 随分と含みのある言い方だ。


「余り、ローラ様には聞かせたくない言葉を並べる事になるので詳しくは言えませんが……」

「いいのよ。悪口なんて、慣れてますもの。真実を教えてちょうだい。私達は仲間でしょ? どんな言葉を貴女が聞いたかを私は聞きたいの」

「……そう、ですね。申し訳ございません。ローラ様を思う余り、大切な事を忘れておりました。もう、ローラ様に隠し事をする様な事は二度としないと決めていたのに。ローラ様を信じると言った側から、申し訳ございません」

「い、いいのよ。そんなに責めないで」


 フィンの言葉がすぎりと胸に刺さる。

 私だって、フィンを信じてる。フィンの事を信用している。

 私とフィンが歩んだ時間は確かに短い時間だが、その中でもフィンは私に信頼と信用を与えてくれた。

 私は、それに答えられているのだろうか? 彼女に、ギヌスの話をしてよいものかと思い悩んでいる私に。


「彼女達の話では、私がローラ様に付いて良い事はない。ローラ様は近いうちに必ず婚約破棄にあい、そこでアリスの婚約が宣言されると。自分達はそれを支持すると言ってました。身分が足りないのは罪ではない。差別は悪しき古い考えで、新しい時代が来ると」

「悪しき古い考えは、私の方でも聞いわね。でも、新しい時代は初耳だわ」

「八人程手当たり次第に吊るしましたが、要約すれば、この様な事を言っていたぐらいに捉えて下さい。新しい時代が来るとはっきり明言したのは一人です。ただ、全員が一貫して身分違いの婚約を支持する。いや、アリスを支持すると宣っていました」

「心の底から?」

「流石にそこまでは分かりかねますが、何処かに教科書があってもおかしくは無い程の一致ぶりでしたね」

「教科書ね。確かに、私の方でも嘘を言っているとは違った印象を受けたわ。これは、つまり……」

「アリスを支持する事により、彼女達は何らかの利益を貰えると言う事でしょうね」

「ええ。そして、皆が同じ事を教え込まれている。これはただの噂の共有ではないは」


 噂の良い所は、勝手に大きく拡散されると言う利点がある。

 しかし、その利点の反面、徐々に人の言葉を返して内容は多少なりとも違ってくると言う側面を持つ。

 今回の特徴を考えれば、今回はただ噂が広がったと言うわけではない。

 確実に誰かが、令嬢達に何らか情報を教え込んでいる。そして、彼女達はその情報で、自分に何らかの得があると思い込んでいる。


「フィン、先ほどの今だけは彼女が婚約者だと言う事についてはどう言った経緯なの?」

「はい。アリスに賛同し、彼女の功績を称えて、ローラ様を貶した後に、私に自分の立場を今一度見つめ直せと諭して来るんです。ローラ様に付いていても、良い事はない。自分の手を取らないかと」

「フィンに?」


 所謂、スカウトと言う奴か。


「ええ。でも、何故私を勧誘するかは謎です。私の正体を知っているとは思えない。知っていたとしても、たかが伯爵家の末娘。私を得て得をする事はないでしょうに」

「私は色々と助かっているけれど、それを彼女達は知る由もないはずだものね。でも、フィンは絶世の美少女だし、確かに侍らすだけでも価値は高いのかしら? うーん。令嬢の感覚が未だに、私にはよく分からないわ。確かに、少し不思議ね」

「私が公爵令嬢ならば迷わずローラ様を侍らせます」

「それは、光栄ね。フィンが私の主人なら……。ふふふ。今とそう変わらないかもしれないわね。きっと、立場が逆でもフィンとなら素敵な相棒になる事でしょう」

「ローラ様っ! はいっ! 私も、そう思いますっ! ですから、下らない勧誘を足蹴にしたんですよ。私には、ローラ様以外考えられないので」

「それで?」

「私が断ると、アリスをかさに非難を叫び、それならアリスに付くと言うと、あの言葉です」

「今だけは、彼女が婚約者だ、と?」

「ええ。大凡の下りは皆同じです」

「今の話では、二点が特に気になるわ」

「それは?」

「一つは、フィンの勧誘。先程も言ったように、令嬢の感覚がわからないから貴女の様な美しさに価値があると考えてもいいかもしれないけども、八人が八人同じ美的感覚や価値観を有するのは考えにくい。もう一つは、フィンにアリス様側に付いて欲しくないと思われる最後の言葉。私にフィンが付いている事が気に食わないだけならば、アリス様に付こうが、自分に付こうが関係ない話よね? なのに、フィンがアリス様に付こうと言えば、随分と脅しに似た言葉を投げる。しかも、その言葉は全て同じ。何かの根拠があって言い放った言葉と考えるのが普通ね」

「私、ですか。しかし、先程も言いましたが、私には価値がない。ローラ様がこの容姿を褒めて頂いたいているのは光栄ですが、それ程美しさを持っているとは自分では思えません。また、伯爵家の出の娘を自分に取り入れた所で、公爵令嬢の名が上がるわけでもない。私に、何があるだなんて少し考えすぎては? と、思ってしまいます」

「そうね……」


 いや、待てよ?

 彼女の価値とは、別に公爵令嬢に対してだけの話ではないのではないだろうか。

 そうなると、矢張り後ろが出てくるな。


「フィン、ギヌス様は貴女を愛していたのかしら?」

「え? 突然、如何したのですか?」

「歳が大分離れていた様だけど、ギヌス様に貴女は愛されていた?」


 フィンの価値を見出すのは、何も公爵令嬢の考えではないかもしれない。

 後ろにいるかもしれない、ギヌスがフィンに価値を抱いている、とは考えられないだろうか?


「そうですね。気には掛けて頂いていたとは思いますが、愛されていたかと言われると少々疑問が残りますね。私は、愛しておりましたが、ギヌス様にとっては手のかかる妹の様な、弟子の様な存在だったかもしれません」

「弟子?」

「はい。今の私の剣術は、ギヌス様に教え込まれた物ですから。自分の今の全てを弟子の様な存在だったかもしれないですね」


 ギヌスが、師か。

 まるで、ゴードンとキルトの様だ。

 しかし、そうなると、ギヌスはフィンの実力を知る数少ない人間の一人だと言う事だ。

 愛や恋やの話ではない。

 フィンの並外れた運動神経に、聖剣を凌いだほどの剣の腕。

 その実力を知っていると言うのならば、違う意味で喉から手が出るほど欲しくもなる。

 価値の塊ではないか。

 私と一緒だ。

 ギヌスは、私と一緒なのだ。私と同じ考えで、フィンを手に入れようとしている。


「ローラ様?」


 フィンが私の名を呼ぶ。

 分かっている。今、私は随分と酷い顔をしているのだろう。

 繋がってしまう。

 どうしても、繋がってしまう。

 令嬢達の言葉と、ギヌスの存在が、ここで一つに繋がってしまうのだ。

 ギヌスは、私と同じ様に、彼女の力を利用しようと考えている。

 そうなると、私はフィンに伝えなければならない。

 彼女が敬愛する男が、今回の黒幕だと、酷い現実を、彼女に言い渡すしかなくなってしまう。


「ローラ様、如何致したのですか?」


 私が、彼女を。

 フィンを、傷つける。

 それが分かっているのならば、言ってどうするんだ。

 そして、敬愛する男と戦えと、私は言うつもりなのか?

 出来ないとフィンが言ったら、私はフィンの手を離すのか?

 ああ、駄目だ。

 どうしていいのか、分からない。


「ローラ様」


 ぐるぐると、目を回している私に、冷たいフィンの指が触れる。


「何か、お辛い事でも?」

「そんな事っ」


 無いわと、叫ぼうとした口を、フィンの冷たい指が触れる。


「嘘は、駄目ですよ。私は、貴女の騎士なのですから。全部、お見通しです」


 少し照れた様に、フィンが笑う。

 最初は無表情で淡々と話す事が印象的だった。フィン。

 でも、今は、こんなにも可愛く笑って、こんなにも暖かい言葉を私にくれる。


「今日は、部屋に戻りましょうか。私がお茶を淹れましょう。美味しいお茶を。大丈夫ですよ、ローラ様。私が居ます。ずっと、お側に。だから、何も心配なさらないで?」


 フィンが隣で笑ってくれる。

 大丈夫だと、手を握ってくれる。


「違うの」


 私は、彼女に何を言うのか。

 これから、ずっと一緒に戦って欲しいと言うのか。

 それが、愛する男が相手でも。

 アリス様の為に剣を振るって欲しいと言うのか。

 アリス様を守る為なら、自分をどれ程犠牲にしてもいいと、その為にこの世界に来たのだと、信じていた。そして、今も信じている。

 でも、フィンは?

 彼女の気持ちは?

 私は、この綺麗な白百合の騎士を差し出して迄、アリス様を守りたいのか?

 

「違うのよ。フィン。私は、酷い事を思っているの」


 信じてくれるフィンに対して、私は今、裏切りにも近い感情を抱いている。

 恐怖を、抱いている。

 手放すのが、遅すぎた事を後悔している。


「私は、自分のエゴで貴女に酷い事をさせようとしている……」


 私はフィンに、何を望む?


「私は、貴女に幸せになって欲しい。でも、それを私のエゴが許さない」


 怖い。

 ただ、ただ、怖い。

 これは、フィンが可哀想だと思う感情ではない。

 私一人が、可哀想になってしまう事を恐れているエゴの塊だ。

 貴女が離れてしまう事を。貴女が、居なくなってしまう事を。貴女が私を拒絶する事を。


「ローラ様」

「私は……」

「何を怯えているのですか?」


 フィンは、私の手を引き抱きしめる。


「怯えないで。貴女の恐怖は私が全て払います。何のための、騎士だとお思いで? 私を騎士にしてくれたのは、ローラ様なのですよ」

「フィン……」

「貴女が望めば、このフィンは空をも飛びましょう。貴女が望めば、貴女の為に喜んで死にましょう。私は、貴女の為のフィンなのです。ローラ様、だからそんなにも怯えないで。大丈夫。私は、どんな貴女でも受け止めて守りますから」


 まるで、ロマンティックな、恋の歌を歌う様にフィンは私に囁いた。

 そんなフィンに、私は……。


「……私は、これから貴女に酷い事を言う」

「仲間ですよ。どんな言葉でも、受け止めますよ」

「でも、私は、貴女を手放したくない。貴女に嫌われたくない」

「そう思って、黙っていた私を受け止めてくれたローラ様が何を仰るんですか」


 フィンは静かに体を離すと、私に笑いかける。


「次は、私の番でしょ?」


 まるで、その顔は誇り高き騎士の様に、それでいて、全てを許す女神の様に。

 フィンは私の手を握る。

 もう、これ以上逃げれない。

 言い訳も、隠し事も、何もかも。

 だって、フィンは全てをわかってしまうのだ。

 私の騎士なんだから。


「……ギヌスは、生きている」


 諦めの様に私の口から出た言葉は、彼女の顔を氷の様に固めて始めた。

 そんな顔をさせたくなかった。

 見たくなかった。

 でも、もう迷いも全て意味がない。

 彼女に全てを話すしか、ないのだ。


「ギヌスは、このロサの事件も、アリス様の事件にも裏で関与している可能性が高いわ」

「……ローラ様、詳しくお聞かせ願います」


 彼女の声は、いつもよりも冷たくて、硬くて、無機質だった。

 どれ程、私が嫌だと顔を振っても、彼女が望むなら。

 手放す事しか出来ないのなら。

 その時は、私のわがままを聞いて欲しい。

 どうか、貴女に縋り付くこの手を切り落として欲しい。


「王子にギヌスの話を聞いたわ。その時の話を、貴女にも伝える。聞いて頂戴」


 私は、フィンに王子から手に入れた情報を全て話した。

 その間、彼女の顔は少しだけ色を変えたが大きな変化はなく、ただ淡々と私の話を聴いてくれた。


「キルトの死体とギヌス様がすり替わっていると、ローラ様は思っているのですね」


 私はコクリと首を振る。

 首を振りながら、そんな事有るわけがないと、フィンが怒ってこの場を出て行くかもしれないと、私は一人怯えていた。


「そうですね。その可能性は高い。殺す為ならわざわざ顔を切り刻む必要はないですし、キルトの剣の実力と傾向を見るなら、そんな事は許さないでしょうに。彼は、剣には愚直で誠実だ。そんな辱めを剣で行える訳がないでしょうに」

「……え?」


 しかし、私が思い描く様な反応をフィンは何一つしなかった。

 思わず、呆けた顔の私を見て、フィンは小さなため息を一つ吐く。


「確かに、私はギヌス様を愛していましたが、私を救ってくれたのは、ローラ様。貴女ですよ。そして、私を騎士にしたのも、貴女だ。今更手放すなんて嘘でもやめて下さい。私は、貴女の剣であり、盾であり、手足でありたい。切り落として下さらないで。手足だけ残った私は、何処にも行けないのだから」

「……うんっ!」


 私の手足は、フィンだ。もう、フィンは私の身体の一部なんだ。


「ごめんね、フィン。私、貴女に、ギヌスと戦えと言うのが、怖くて、怖くてっ」

「いいのですよ。名を隠していた私だって、貴女に捨てられるのが怖かった。お互い様ですね」

「それでも、酷い事をしていると私は思うの。貴女が、ギヌスを愛している事を知っているのに……っ」

「そうですね……。愛しているけど、きっと、ローラ様が考える様な者は一つもないですよ。ローラ様は少し勘違いをしているのかもしれないですね。ローラ様、少しだけ私の昔話を聞いて頂けますか?」

「……フィン?」

「私と、ギヌス様との出会いです。楽しい話ではないのですが、少しだけお付き合いを」

「……ええ」


 フィンは私から離れると、その美しい形をした唇を開く。


「私の一族は、元々騎士貴族で、伯爵の位は金で買ったものです。地位を買うには、大きな資金が必要となる。私たち一族は、その金を用意するために、違法の賭博決闘を開いていたんですよ」

「え?」


 前にも言ったが、この国での私的な決闘は全て違法だ。

 その罪は、国家反逆と同等のものだと言う。

 まして、それが貴族が主体で?


「そんなっ」

「一部の聖騎隊長認可の元、行われていました」

「聖騎士ですって!?」

「だから言ったでしょう? 私にとっては、フィシストラ・テライノズという名すら恥なのです。汚い金を貪り食べる、あの一族に席を置いていると言う事自体が、私の恥なのです」

「でも、フィンが賭博決闘をしていたわけではないでしょうに!」

「……そうだと、良かったんですがね」

「……まさか」

「私が剣を握ったのは、三歳の頃。二人目の兄が、賭博決闘の戦士になると練習していた時に、そんな練習だとも知らず私も彼を真似て剣を振っていました。賭博決闘はローラ様もご存知の通り、重罪。一族も、部外者を関わらせて情報が漏れる事を恐れ、戦士は自分の一族で賄っていました。しかし、爵位のある大人は参戦出来ない。また、後継である長男も真剣同士の戦いに投下出来るわけがない。白羽の矢が立ったのは、各一族の次男、三男。兄は、気弱で臆病な性格にも関わらず、男と言うだけで駆り出されました。でも、剣の腕は私の方が随分と上で、私に無関心な大人達が私が剣を握れば、将来は騎士になると囃し立てる程。稽古を付けていた大人達もそれが分かっていた。既にその時は多くの一族の少年達がその賭博決闘により命を落とした後。これ以上不自然な死が蔓延したら王族に気付かれる。そして、兄は明らかに弱かった。残った選択肢はその時、同時に剣技を習っていたのがアスランと私でした。アスランは、兄と同じぐらい臆病で、剣を触ることすら嫌う程の心優しい少年でした。それでも、彼の父は一族の長である自分の息子を戦士として育てたかった。でも、彼には兄であるギヌス様のような剣の才能は無かったのです」


 フィンは溜息を一つ。


「私が四つの時、兄とアスランと戦う事になりました。戦士が一人無くなったから、補充がどうしても必要だった。弱くても、直ぐ死んでも、あの舞台に立つ人形が必要だったのです。二人は泣きながら剣を握っていました。立てなくなった方の負け。そんな馬鹿馬鹿しいルールを聞いて、怯えない子供はおりません。私は大人に抗議したんです。自分の立場も弁えぬ歳だったのもありますが、兄がこのままだと死んでしまうと思ったから。また、アスランも、このままだと死んでしまう道しかないのを幼子ごろに分かっていたのでしょう。すると、アスランの父君が私に剣を渡しました。二人を倒してこい。そしたら、お前を戦士にしてやろうと。父も母も誰も止めなかった。薄々、他の大人たちも使い物にならない二人を賭博決闘に出す結果は分かっていたのでしょうね。少しでも、才能のある剣士を、彼らは欲しがっていた。私も、馬鹿な子供で、普段誰一人私に見向きもしない大人が、剣を持つ度私を褒めてくれる事に、見てくれる事に、女なのに兄よりも優れていると褒められる優越感に喜びを見出していた。愚かな私は、大人に言われるまま剣を振るい、戦士の座を勝ち取ったのです。それから、私は戦士として生かされて続けました。女として育てて貰う事もなく、ずっと、厳しい剣の修行に身を置いて、夜毎行われる賭博決闘の駒になり、愚かにも勝ち続けた。そんな私を、ギヌス様は案じて、止めてくれた。だけど、私には、その時にしか貰えない大人達の賞賛に酔いしれ、彼の言葉に耳を貸さなかった。愚かですよね。私は何人もの男達を自分の剣で沈めて来た。大人に褒められようと必死に、普段兄しか見ていない父や母が、私を抱きしめてくれる腕を必死に、血で汚れた汚い腕を伸ばしてしがみついていたのです。ギヌス様は、そんな私を見て、止めるのは辞めて自分の剣技を私に教えるようになりました。私の身を守る為に、致し方ないと、彼は言っていました。今なら、その言葉の意味がわかる。私は、いつ殺されてもおかしくない相手に、戦っていわけなのですから。いつの間にか、私は令嬢としての存在は隠され、剣士としての私しか居なくなった。そんな私でも、ギヌス様はずっと救いの手を差し伸べ続けてくれた。もう、戦うのが嫌ならやめて良い。自分がなんとかするからと、私を何度も抱きしめてくれました。でも、愚かな私には、矢張り捨てられなかった」


 悲痛なフィンの顔をに、思わず手を伸ばす。


「無理、しないで?」


 話したくないなら、無理に話さないで。

 辛いのならば、全て捨てて、忘れて。

 自分勝手な願いが口を吐こうとする。

 でも、そんな言葉を飲み込んでしまうほど、フィンは優しく大丈夫ですと言って、私の手を握りしめた。


「しかし、そんな事は長くは続かない。年を重ねる毎に、私の身体は女になって行きました。どれ程強くなっても、どれ程身体を鍛えても、女になって行きました。女が決闘の舞台に上がったと知れば、相手である聖騎士達は黙っていない。いつしか、膨らみを持った私の身体を鎧が拒絶しました。愚かな私は、お払い箱になったのです。残ったものは、ギヌス様が与えてくれた剣技と、血に汚れたこの腕だけ。利用価値のない私を両親は直ぐ様この学園に入れました。それでも、ギヌス様は私を気遣って、励ましの手紙を送ってくれて、ギヌス様だけが、まだ私の事を覚えて居てくれるように接してくれて、嬉しかった。いつしか、ギヌス様は騎士になって、私を迎えに来てくれる。そう思って、ずっとこの学園で私は一人で、居たのです」

「フィン……」

「ずっと、なれる訳がないのに、大人に担がれた夢なのに、ずっと、騎士になるのだと毎日怠らず一人でギヌス様に教えられた様に剣を振るって来ました。私は、とても愚かだった。とても弱い人間だった。ギヌス様が死んだと知った時、心の何処かで剣の稽古を続けていれば、また大人達が私を拾ってくれるかもしれないって、思っていたんです。でも、もうきっと、大人達の記憶に私はおらず、私の事を見てくれる人なんて、いないのに。抱きしめてくれる人なんて、いないのに」


 フィンの寂しそうな声を聞いて、私は彼女を力一杯抱きしめた。


「私がいる。私が、側にいる。いつでも、抱きしめてあげるっ!」


 そんなクソみたいな大人の食い物に、ならないで。

 そんなクソみたいな大人を必要としないで。

 そう、叫ぼうとすると、フィンが私の腕を力強く掴み、微笑んだ。


「ええ。そうなのですっ! そんな時、私は貴女に出会ったのですっ!」


 くるくると、フィンが私を抱きしめながら回り出す。


「私を見てくれる、優しく抱きしめてくれる、夢を叶え、騎士にしてくれた、ローラ様にっ!」


 まるで子供の様に笑うフィンの顔は、今迄見てきた笑顔の中で、一等に可愛らしかった。


「今の私を救ってくれたのは、貴女です。ローラ様。ギヌス様は私に生きる力を授けてくれた。でも、貴女は私に生きる意味を与えてくれた。だから、ローラ様。私は貴女に付き従います。この命果てるまで。誰が敵であろうと。この気持ちに、嘘はございません」


 枯れない花は無い。

 でも、咲いた花は蕾には戻らない。

 ならば、命の限り咲き狂うのが花だろう。

 私が水を与え、探してしまったと言うのなら、私は最後まで責任を持って見届けよう。

 迷いは、もうない。


「私は、貴女に酷い事をお願いする。愛する人と戦えと言う最低な事を。でも、それでも、私は貴女を手放さない。側にいて、フィン。私の側に。抱きしめられる程の側にいなさいっ」


 私がそう言えば、彼女は膝を土につけ、私の手の甲に唇を当てる。


「勿論です。この命に変えても、誓いましょう」




_______


次回は8月31日(土)23時頃に更新予定となっております。お楽しみに!

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