第54話 貴方の為のローラ・マルティスを
「王子はいいのですか?」
「いいよ。兄貴も、少し考える時間が必要だろ?」
そう言って、ランティスは笑った。
その笑顔に、今だけはほっと胸を撫で下ろさせてくれる。
「お前は大丈夫か?」
「ああ。先程はお見苦しい所をお見せしましたね」
「いや、見苦しいとかじゃなくて、いつも冷静に受け答えしてるローラがあんなに声を荒げるなんて会った時以来だと思ってさ。どうしたんた?」
「そんな事ないですよ。アクトにも声を荒げてしまいました。最近は、駄目ですね。昔の傷が、出てきてしまう」
あの牢で、先輩の夢を見て以来だろうか。
昔の記憶が、今になって傷口の様に痛み出す。
庇えば庇うほど、痛みを伴い、忘れない様にと声を上げて膿んでいく。
もう、過去の話だと言うのに。
「昔? 何処か痛いのか?」
私の戯言に、ランティスは真剣な顔をして心配して来た。
可笑しいな。
それだけであれ程騒ついていた心が、穏やかな波に変わっていた。
「……馬鹿な話ですよ。心が、痛いんでしょうね。前の世界で、私はとても見窄らしい人生を送っていたんです。この世界のローラの様に、醜くて、誰にも愛されず、誰にも必要とされず、誰にも声が届かず、誰にも見てもらえず。心が捻れ、折られ、縋る藁も無くて。そんな時に、王子達に出会ったんです」
「ゲームとやらに?」
「ええ。その時の私は社会人で働いていて、上にいる上司や同僚達に仕事を押し付けられて、嫌だと断ったら好かれてもいないのに、嫌われるんじゃないかと怯えながら奴隷みたいに働いて、必死に自分の居場所ではないのに、自分の居場所はここしかないと無い物にしがみ付いていたんです」
惨めな人生を、見られたくないはずの傷跡を、何故か私は彼の前で口にしている。
止めた方がいい。やめた方がいい。
分かっているのに、口が止まる事を拒む様に動き続ける。
「上司に至っては酷いもので、私に仕事を押し付け、それを攫い自分の手柄に。失敗だけは私の物に。事ある事に、私の醜い顔を貶めては笑って、私が女である事を勝手に悲願して。人だと、きっと思われていなかったのでしょうね。何度も目の前で心を壊されたお陰で、彼に逆らう事さえ出来ず、口に出るのは謝る記号だけ。そんな日常から、アリス様や王子は助け出してくれたんです」
私が人間である事を取り戻してくれたのは、彼女達だ。
「アリス様や王子が近くに居てくれる。会いに行けると思えば、上司に怒られるのも、馬鹿にされるのも、何でも平気で、彼女達が居てくれるなら、自分なんてどうでもいいって、存在もしない画面の向こうの人間に、入れ込んで。でも、そのお陰で友達ができたんです。アリス様達を通じて、人生で初めて、友達ができたんです」
それが、先輩だ。
「隣の部署の先輩だったんですが、私なんかに親身になって下さって、私の仕事を褒めて、周りに認めさせてくれて、そのせいで、私の上司は立場を追われました。私に行なっていた横暴が周りに知れ渡ると、彼は味方もなく会社を去って行ったんですが、私の人生の最後に再会を果たしたんですよ」
最悪の、再会を。
「その日は、そのゲームのイベントがあって、私は仕事もあり行く予定ではなかったんですが、先輩の妹さんがどうしても外せない用事があって、代わりに行って欲しいと頼まれました。仕事なら任せてと、周りにも言われて、前の上司なら絶対に許されなかった有給が簡単に降りて。ちょっと楽しみだったんです。だから、とても浮かれてて。そのイベントでは、ゲームを作った人達のお話が聞けると知ってたから。私を救ってくれたゲームを作ってくれた人達に興味があって。イベントは凄く楽しくて、興奮冷めやらないまま、雪が降る中を一人歩き、信号を待ってたんです」
寒い、寒い夜だった。
息は白く、周りは傘色。
赤かったのは、私の頬ぐらいだ。
「ずっと、浮かれてたんです。だからね、信号待ちで後ろに人が立ったのも気付かないで、帰ったら、先輩にメールしてとか、色々馬鹿みたいに楽しそうに考えて。でもね、そんな未来なんてすぐ無くなるんですよ。私を人間だと思っていたなかった上司は、私のせいで自分の立場を追われたとずっと思っていたらしくてね、私のせいで会社を辞め、私のせいで離婚をして、私のせいで人生が滅茶苦茶になったと、喚きながらね、トラックの前に私を突き飛ばしたんです」
一瞬の出来事だった。
「気が付いたら、身体は動かなくて、意識も遠のいてきて、あ、死ぬんだと思った瞬間に見たのは、その上司の顔でした」
ずっと、私を人間だとは思わず、馬鹿にしてきた男の顔だった。
「その時ね、彼は笑って言ったんですよ。ざまあみろと」
何が、ザマアミロだと言うのか。
「私、彼が辞める前に謝れた時、許したんですよ。もう気にしてないって。文句を言って、波風を立てるのも嫌で、争うもの嫌で、逃げる様に、関わりを持ちたくないから、許すって言ったんです。本心なんて、殺したいと何度も思っていたのに、そんな事もおくびにも出さず、もういいって、言ったんですよ」
なのに、このザマだ。
「死んだ後に、やっと気付いたんです。ああ、私は彼の中で言葉も話せれない人間以下の生き物だと思われていたんだなって。だから、私が許すと言った言葉も、彼には伝わってなかったんだなって」
だから、私は死んだのだ。
「顔が醜いのは、前世からで、人間扱いされなかったのも前世からで、慣れているんです。不細工って、どんな世界でも嫌われてしまうんですよね。人は美しい物が好きだから。理屈は分かっているし、二回目の人生です。諦めだって、生まれてすぐ付きますよ。でも、人間扱いされていなかったのかと思うと、急にあの時、私が死んだ時の上司の顔がチラつくんです。今尚、恨んでるからすら分からない程、一瞬の出来事だったのにも関わらず、あの時の私が今の私に助けてと迫って来る様な、その傷口を今の私に背負わせる様な……。ごめんなさい。何を言ってるんでしょうね、私は。ランティス様にお話しする内容ではないのに……」
「そんな事ないだろ。よく分からない単語も多いけど、お前の心が傷ついてるのぐらい分かるよ」
そう言って、ランティスは私の手を掴み引っ張り上げてくれる。
顔は、笑ってもない。
少しだけ、怒ってる様にも見える。
「そいつ、最低のクソ野郎だな。俺が居たら、一番最初に殴ってるよ」
「……違う世界のお話ですよ」
「それでも、殴りたい程腹が立つな」
矢張り、怒っているのか。
私の為に。
なんだか、心がくすぐったい。
「私が、しっかりしていれば良かったんですよ。人間だって、叫べれば」
「ローラは悪くないだろ。お前はいつも自分の悪い所を探すよな。いい所、俺が教えてやろうか?」
「え?」
「お前はいい奴だからな。意外に優しいし、責任感があるし、頭がいいし……」
「ちょ、ちょっとおやめくださいっ!」
「何だ。照れてるのか?」
「照れるとかではないですけど、その、何か無理やり言わせている様に思いまして……」
申し訳なさが先をつく。
私なんかが、言わせている。
自己評価が低いから来る卑屈な感情かもしれないが、強ち的外れでもないだろう。
人の心なんて分からない。
可哀想な、落ち込んでいる人間がいたら何かしらポーズをしなければならないと思い込んでいる人間だって少なくはないわけなのだから。
そんな言葉で喜ぶのも救われるのも惨めだろ?
「無理に言っても元気を出して欲しい奴もいるんだぜ?」
「……ご自分の事ですか?」
私が首を傾けると、ランティスは少し笑った。
「人の心なんて分からないし、本心だって分からんねぇよ。他人だもんな。でも、他人に何かしてるなら、その人の為に何かしたいって気持ちの表れだろ? いいじゃん。それぐらい、素直に受け取っとけよ。そんで、直ぐに忘れればいいんだよ。辛い事と一緒に。塵紙と一緒で、くるんで捨てろ。それこそ、捨てたなんて、他人には分からないんだから。それに、慰めの言葉をかけてる奴も、それぐらいの気持ちかもしれないし」
「そんな事……」
「申し訳ないって? 真面目だな」
「真面目で、悪いですか?」
真面目だと言われると、なんだか馬鹿にされていると思ってしまう。
生きにくい人間だと、レッテルを貼られている様に感じてしまう。
「まさか。俺は、不真面目な奴よりも真面目な奴と付き合いたいと思うけど? 嫌だろ。そんな人間さ」
「そう、ですね」
「お前は、お前でいいんだよ、ローラ。真面目でいい奴で、だから俺たちは此処まで一緒に来れたんだ。俺だって、真面目だよ。不真面目な所もあるけど、お前の前では真面目だろ? 信頼って、そういう事じゃないか?」
ランティスは、凄い。
彼は私の世界を、簡単に壊してくれる。
くだらない、ガラクタばかりが積み上がって、身動き一つ取れない狭い世界を。
何も見えなかった、ただ怯えて自分膝を折るしかなかった世界に。
そんな私の世界を壊して、光を当てて、手を差し伸べてくれる。
アリス様が振り返って笑ったあの瞬間が、また来たかのように。
「ランティス様は凄いですね。そうですね、私も真面目なランティス様を信頼して、此処にいるんですもの。本当は、ロサの件がこのまま終われば、私はランティス様にお会いするつもりはなかったんです」
「……え?」
「だって、同盟の役目が果たされますでしょ? ロサが今迄の犯人ならば、私達はアリス様を守れたのですから」
「……そう、だよな。俺たちの役目が終わったはずなんだよな」
「ええ。でも、多分終わってはいない」
私は息を吐く。
本題は、ここからだ。
「ロサは、犯人の一人であり主犯格ではない可能性が高い」
「そうすると、アリスを狙うこの事件は続いているのか?」
「そこが、分からないんですよ。彼女が最後に狙ったのは王子です。標的が、王子に向いた可能性もあります」
「ロサが主犯格でない理由は、文字が読めないからか?」
「それもありますが、彼女の死が出来すぎている事が一番の理由ですかね。考えてもみて下さい。彼女は死んだのにも関わらず、彼女の謎は何一つ残ってない」
「そりゃ、あれだけ残ってたらな」
「そこが可笑しいんですよ。彼処まで残す必要が何処にあるのか。王族に不満があった。それを変える為に死んだ。ならば、そこまでて良いのでは? 何故、アリス様への嫉妬や、今迄彼女に対して行った悪事まで残す必要があったのでしょうか。私だったら、残しませんよ。本当にアリス様が王子のお気に入りであり、彼女だけ特別扱いを受けているのならば、最悪王族への不満よりもアリス様への悪事の方が大きく取り沙汰され兼ねない。自分の命を掛けると決めた人間が、そこの可能性を考えず死を選ぶなど、そんな浅はかな事をすると思いますか?」
最初の違和感は、そこにある。
まるで、彼女の残したものは我々の答え合わせに必要なものばかりが揃っていた。
それは、我々がアリス様への一連の事件を追っていたのを知るかのような内容だ。
親切すぎるだろ。
私のいた時代の推理小説でえ、探偵側の推測の部分が必ずあったと言うのに、現実で全て答えが揃っていたらそれは小学生時代にやらされたドリルそのものだ。
「俺たちの為に用意した答えだと?」
「ええ。少なくとも、それらを用意した人間は私達が調べているのを知っている。ただ、誰が調べているか迄は、分からないんじゃないのでしょうか?」
「何故?」
「それを炙り出す為かもしれないですが、普通なら遺書があれば遺書以外を読みますか?」
「この国の王子が狙われたとなれば、重罪だからな。調べられるんじゃないか?」
「遺書があるのにですか?」
私の言葉に、ランティスは口を閉ざす。
そうだ。調べる必要がないのだ。何も知らなければ。
「犯人は既に死んでいる。遺書にはその旨を記している。なのにわざわざ掘り返すのは、この一連の事件を知っている人物だけのはずですよ」
王族への思いも、簡単だがアリス様への下りもある。
普通なら、その遺書を見るだけで人は納得する。
もし、深掘りするのならば、その遺書だけでは足りない部分を補わなければならない人物。
そう。私達だ。
学園長が起きていれば話は別だが、彼は犯人達の手によって王子共々眠っていた。
ならば、学園長以外で、この学園の、こんな些細な事件に気付く人間とは、どんな人間か。犯人はそれを見越して餌を巻いた。
無様な話、我々はまんまとその餌に飛びついたわけだ。
「私達にはアーガストの入手先などの疑問が残っていた。寧ろ、それが無ければ彼女が一連の犯行を全て巻き起こしたとは言い切れない。そこを、狙われましたね」
「嫌な所を狙われたな。食い付いたのはタクトか俺か。いや、二人ともが調べてる人物だと犯人達に暴露た可能性が高いと」
「ええ。私達が犯人達の顔を知らないように、犯人達も自分達を調べている人間の顔は知らない。彼方は下を切り捨てる事で、貴方とタクト様の顔を見たわけです。次に狙われるのは、貴方かタクト様のどちらかかもしれない。この件に関しては、もう貴方は危険な領域まで来ている。手を引いた方が、良いのでは?」
「そうだな。次に刺されるのが俺なら……」
ランティスは私の目を見て、大きく笑った。
「次こそ、捕まえてやるさ」
全く。答えは分かりきっていたと言うのに。
「手を引くつもりは無いと?」
「勿論。ローラとの同盟もまだ続いたままだろ? 途中で捨てる程、無責任じゃねぇからな」
「ランティス様らしいな」
「止めないのか? 危ないですか。普通ならあるだろ? 色々と」
「何を仰ってるのか理解に苦しみますね。私が止めた所で聞いてくれる程、貴方は聞き分けがいい方では無い。それに、私が居ますよ」
私はランティスの手を握る。
「ランティス様。貴方は私が守ります。絶対に、死なせはしない。ご安心を。実績ならご存知でしょう?」
「……ああ。ローラ、お前が居たら百人力だよ」
「お任せあれ」
醜くて、誰にも愛されず、誰にも必要とされず、誰にも声が届かず、誰にも見てもらえない悪役令嬢。
それが私、ローラ・マルティスだ。
だが、きっと、ランティスの前では違う。
彼が私を信用している、信頼している。それだけで、私は私でいられる。
醜さを理由にせず、人を愛し、必要とし、声を上げ、彼を見る。
ただのローラ・マルティスだ。
「守りますよ、必ず」
この命に代えても。
貴方の為の、ローラ・マルティスなのだから。
_______
次回は8月16日(金)22時頃に更新予定となっております。お楽しみに!
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