第53話 貴女の為の私の変化を

「は?」


 今、王子は結婚と言う単語を口にしなかったか?

 いや、流石に私の聞き間違いだろうに。

 我々は、両者共に望まない婚約をしている。結婚して欲しいも何も、このままだと最悪結婚してしまうと言うお互いの認識である。これは、長年の積雪であり、唯一の真実だ。

 王子が少しだけ、私にとっては本当に今更で尚且つ横暴に私と歩み寄りを見せようとはしていたが、良くてそれは今迄の誤解についての事。

 しかし、私は今更何の為に誤解を解くのか、利点が見出せずそれすら拒絶していた筈だ。

 つまり、我々二人の現状は何一つ変わっていない。

 なのに、結婚?

 いやいや。やはり、それは聞き間違いだろうに。


「聞こえなかったのかい?」


 王子の言葉に、私は首を縦に振ると、彼は呆れた顔を作って笑う。

 笑顔なんて見たいと思う季節は遠の昔に過ぎ去った。

 何なんだ。一体。


「僕は……」

「兄貴、ローラはやっぱり望んでねぇんだよ! もう、やめろよ!」


 私がただただ呆然としていると、私と王子の前にランティスが割って入ってきた。


「ランティス、何を言っているんだ。お前が大声を出すものだから、ローラが僕の声を聞こえなかっただけだよ」

「ちげぇよ! ローラは、兄貴が何で今更模擬結婚を申し込んできたのか意味がわからなかっただけだよ!」


 模擬結婚?

 申し込み?

 いやいや、待ってくれ。

 ランティスこそ、何を言いだしているんだ。


「ランティス。これは僕たち夫婦の問題だろ」


 夫婦?

 誰と誰が?

 何を言ってるの?

 なんて、カマトトぶって無知な女の子の振りを出来たらどれ程幸せだっただろうか。

 しかし残念ながら、前世今世合わせて五十近い歳を取ったおばさんには無理な話だ。

 ここまでの王子とランティスの会話で大体の察しはついてくる。

 王子はどうやら、本当に結婚して欲しいと私に言ったらしい。

 しかも、その言葉の本当の意味は模擬結婚を行なって欲しいになる。何故かランティスは王子が私に模擬結婚を申し込む事を知っていて、私が望む筈がないと止めていたと言ったところか。

 概要は分かった。

 年の功のお陰で、そこら辺は理解早い。

 しかし、肝心な所が全くわからない。

 何故、王子が私に模擬結婚を申し込んでいたのかがわからない。

 そこが一番重要で、王子は一番私に伝えなければならない所であろうに。

 そして、少なくとも王子は私がこの話を断らないと思っている。

 思慮深い人間ならば、この模擬結婚を断れば、私は王子との子を成せずに死を待つ身となる。また、断れば断ったで、王族に刃向かう行為とみなされ、最悪死罪。婚約破棄なら、国外追放で済まされるが残念ながら模擬結婚迄話が進めば其処で止まってくれる可能性は格段と低い。寧ろ、頭が余程アレでなければ、脅しに死罪を使った方が効果がある事ぐらい分かる事だろうに。

 上記の理由から、私は王子の模擬結婚を断れないと普通なら思うだろう。

 だがしかし、そんな普通を簡単に跳ね飛ばすほどの自由発想を王子はいとも簡単にやってのける。そう、いつだって。

 そして、これが一番厄介なのだ。


「兄貴は、ローラを見ろよ! 困ってるじゃないか!」

「聞こえてなくて、内容がわかってないからだろ?」

「ちげぇよ! 言っただろ、兄貴はいつでも唐突過ぎるんだ」

「人の思いに時間なんて問題じゃない」


 そう。王子の発想が分からなければ、私達は一生彼を止める事が出来ないのである。

 何と言うか、同じ時間軸にいないのだ。

 例えば、ここに一つのショートケーキがある。

 王子は、ショートケーキが好きだが、この季節のイチゴは甘くなく嫌いだとしよう。

 しかし、我々に与えられた情報はショートケーキが好きしかない。

 王子が喜ぶと思って買ってきたショートケーキは、勿論イチゴが嫌なので王子は食べない。

 我々はショートケーキが嫌いなのか。好きではないのかの理論に至るが、王子はイチゴが嫌なのだ。しかし、その発想は我々では推し量ることは出来ず、王子は一般的にこの季節のイチゴは酸っぱいなんて誰でも知っていると思っているお陰で、誰にもイチゴの事は触れない。

 この議論をお互いがした所で、我々はショートケーキについて、王子はイチゴについてでお互いの正解にはどれ程時間を掛けても至らない。

 つまり、根本的な解決がさらないばかりか、更なる誤解が誤解を生み、尚且つ王子の説得が何一つ出来ないのである。

 この季節のイチゴが嫌いなら、イチゴを退ければいいだろ。その発想すら、王子が至らなければ我々は何一つショートケーキに対して出来ないのだ。

 このタイプの人間は大いにいるが、王子と言う立場でこれをやられたら我々はどうしても太刀打ちが出来ない。

 だがそれは、死刑を嫌えばの話だ。

 残念ながら、その点私はその枠に席を設けて居ない。

 ならば、答えは簡単だ。


「王子。模擬結婚の申し出ならば、お断り申し上げます」


 この場で打ち首は嫌だが、そこはランティスに掛けてみようではないか。

 私の言葉に王子は信じられないものを見るような目で私を見てくるが、最早その目にも幾分慣れてしまったのが現状だ。

 そんな目で見られた所で、私の心は何一つ動くわけがない。


「この言葉が死罪であろうが、何であろうが受け入れますわ」

「な、何故だ!? ローラ!」


 説得しようと思えば思うほど、このタイプは深みに嵌ってしまう。

 ならば、そこら辺は一切合切コストカットだ。

 異論も出さず、結論だけ、渡せばいい。


「何故と言う理由が必要ですか?」


 私はソファーから立ち、王子と距離を取る。

 いつしかの社交場とは真逆だな。

 常にお前の後ろを歩いて居た私が、お前と距離を取るために先に歩くだなんて。

 皮肉なものだ。

 あの時、少しでもいいから彼を受け入れず、今みたいに自分の意見を言えば、もしかしたら、私達は友達になれたかもしれない。

 私が思い描く、彼が少しだけ私を逃げ場にしてくれていたもかもしれない。

 でも、そんなものはそれこそ絵に描いた餅だ。

 相容れない二人が、今だって相容れれないんだからな。


「私は、貴方が何を考えているか分かりません。分かりたくもない。そして、分かって欲しくない」

「何故、そんな悲しい事を言うんだ。僕と君は人間同士で話せばわかるだろ」


 話せば、わかる?


「ならば、何故、今迄分かって来なかったんだ?」


 私は、思わず素で王子の言葉を返してしまう。


「ローラ?」


 わかる? 話せば?

 長年、その席に決して付かなかった男が、何を言うのか。

 そうか。私を人間だと思って居なかったのか。言葉を通じるはずもない、交わせない人間だと、いや、人間ではないと、思って居たのか。

 何だよ。

 下だと、ずっと思われていたんだろ?

 私を人扱いしなかったのだろ?

 何だよ!

 何なんだよっ!


「お前がそれを、言うなよっ! 話し合いすら、しなかったのはお前だろっ! なのに今更どのツラ下げて、話し合いで分かり合うだっ! 人間と思ってなかったら、話し合わなかったんだろっ! 馬鹿にするのも大概にしろよっ! 馬鹿だとずっと思っていて、話したらそんな事がなかったから友達になろうと言われて、手を取る馬鹿が何処にいるんだっ! その行為すら、私を馬鹿にしてると、何故思わないっ!」


 知らない顔で、無知なように、愛想笑いをして、相手を受け入れろ?

 相手を受け入れて、何になった!

 その結果が、前世での死じゃないかっ!

 馬鹿だと思っていたのに、知恵が付いたから掌返した。それを分かっていて、争うのが嫌で、笑って許した。壊れた心すら戻ってこなくて、自尊心すら崩壊していても、それが嫌で許した。馬鹿の様に振舞って、怒らず、泣かず、ただ、許した。それだけなのに、私の前世は殺されたんだぞ!

 雪の降る中、赤信号。背中を押されて、気付けばトラックの前。痛みを感じるよりも先に死を感じ、最後に見たのは、ざまあみろと笑ったクソ上司の顔だっ!

 最悪な最期だよ!

 我慢をして、自分を殺して、関わりたくないと距離を取って、それでも許すと口に出してやったのに、私は、殺されたんだっ!

 巫山戯るなよっ! 皆んな、何処まで私を馬鹿にすれば気がすむんだっ!

 皆んな、皆んな、皆んなっ!

 そこ迄、私が悪いのかっ!

 最早、発作の様な感情の爆発に、私は耐えきれず金切り声で叫んだ。

 もう、嫌だ。

 生きているだけで、何故こんなにも馬鹿にされなければならないのか。

 生きている事が罪なのか。

 ヒステリーた。こんなものは、ヒステリーだ。

わかっている。だけど、止まらない。

 叫ばなければ、私はまた誰かに馬鹿にされ、殺されるんだ。そんな恐怖が足元から這い上がってくる。

 何処かで、こんなものは脳の誤認識だ。そんな事はない。どうせ死ぬのに、殺すも何もないだろ。そんな事でパニックになるな。冷静になれと自分が自分に囁いているが、それすらもパニックの元だ。

 自分を守らなければ。

 自分自身を守らなければ。

 私の背中はまた簡単に押されて、私は殺されるんだっ!

 私は……。


「ローラっ!」


 ランティスの声が聞こえる。

 

「ローラ、落ち着けっ!」


 聞いたら、私はっ!

 私は……っ!

 耳を両手で塞ぎ、屈もうとすると、両手首を強く握られた。

 痛い。

 大きな手か与える痛みに、私は上を向くと、ランティスが私を見ている。


「誰も、お前の事を馬鹿にしないっ! 馬鹿にしてる奴が居たら、俺がぶっ飛ばしてやるからっ!」


 ランティスの言葉に目を見張る。

 落ち着けと、言っただろ。冷静になれと、言っただろ。何処かで自分が笑っていた。

 ランティスが、居てくれるんだから。信じてる奴等が、居てくれるんだから。

 思い出せば、どんな酷い仕打ちでも、私の心はもう壊れないだろ?

 そんなクソみたいな綺麗事なんて、嫌いなはずなのに。


「……ご、ごめんなさい。取り乱しました……」


 大嫌いな言葉に、今だけは頷ける。


「ローラ、一体どうしたんだ?」

「急に話を急ぐから、こうなったんだろ。兄貴、言ったはずだ。ローラは今まで虐げられてきた記憶があるんだ。俺や兄貴が今、どうこう言ってもこいつの中でそれは消えない。それぐらいの事を俺たちはやってたんだ。本当にこいつの事を知りたいと思うなら、ローラの事をよく考えてやってくれよ」


 ランティスの手は直ぐに離れてしまったが、痛みと暖かさは残っている。

 そんなに庇ったら、王子になんと思われるか分からないだろ。

 少しばかり、軽率すぎないか。

 そんな言葉が喉元までせり上がってくると言うのに、口元はぐっと閉じたまま。

 何故、口を開かないのか。

 馬鹿みたいだろ?

 少し嬉しいと思ってしまって、少しでも口を開けば口元が緩んでしまいそうになっているからだなんて。

 馬鹿げてるけど、どうしようもないじゃないか。


「何を言ってるんだ。ローラの事を考えていないわけがないだろ。彼女の為じゃないか」

「だから、ローラの話聞いてたか? ローラは兄貴に分かって欲しくないって言っただろ。分かりたいは、兄貴の勝手な気持ちなんだよ」

「分かり合えるのに?」

「それこそ、今迄分かり合えなかったのにだろ?」

「今の僕は違う。今は、ローラの力になってやりたい。僕は彼女を誤解していたんだから、誤解を解かせてあげなくてはいけないだろ?」


 この言葉のお陰で、すっかりニヤけそうになる心が氷点下迄冷えてきた。

 凄いな、こいつ。

 瞬間冷凍の機能まであるのかよ。


「僕は……」

「王子、先程は取り乱して申し訳ないと思いますが、誤解はそのままで結構です。貴方は、私を人間だと思わない方がいい。貴方には、私より相応しい結婚相手がいるでしょうに」


 このまま平行線で話が進めば、また私の心の扉が音もなく開き出す。

 ショートケーキの話の例えそのままだ。

 それに、これ以上ランティスが私のために大好きな兄と言い争いをする姿を黙って見ているのも心が堪える。

 不毛な争いは、もう終わりにしてくれ。


「模擬結婚をする必要もないでしょう?」

「何故、其処迄意地を張るんだ?」

「意地ですか。そうですね……。私が、私である為でしょうか? これでも、昔は貴方の事が好きだったんですよ。婚約者としてではなく、人として。真っ直ぐ、前を向く貴方が」


 枯れた花の色なんて覚えていないが、一人心細い私の心の支えだった小さい貴方のキーホルダーの恩は覚えている。

 小さく手のひらの中に居てくれた、私だけの王子様を。


「お慕い申しておりました。でも、今はもう枯れ果ててしまった気持ちに他なりません。どうぞ王子は私の事を忘れ、新しい婚約者をお決めください」


 好きだと言えば、何かまた勘違いをするのではないか。

 また、何かあるのではないか。

 そんな心配ばかりをしていたが、もうどうでもいい。

 起きるのならば、起きればいい。

 怯えて事態が好転なんてする事が無いのを思い出した。

 はっきりと気持ちを伝え、はっきりと意思を出しても変わらないのならば、私は少なくとも顔を上げて歩きたい。

 大丈夫。

 私を馬鹿にする奴がいるなら、殴ってくれる心強い味方がいるのだから。


「これ以上、婚約者でも無い女と同じ部屋にいては何かと問題になるでしょう。私は、ここて失礼致します。では、タクト様に宜しくお伝え下さいませ」


 私は頭を下げて、部屋のドアノブを回す。

 流石に、王子が戻ってくる生徒会室にも居るわけにはいかないだろう。廊下で二人を待つか。


「待ってくれ、ローラ」

「これ以上、私は貴方と話す事が御座いません」

「いつから、僕の事が好きだったんだ?」


 いつから?

 ああ、そんなもの、決まっているだろ。


「前世からですよ、私の王子様」


 上手く笑えたかも分からない笑顔を残して、私は部屋を後にした。

 さて、これで私の死刑台への道が縮まった訳だが、どうするべきか。

 無言の視線に刺されながら生徒会室を横切り、廊下を出てその場に座り込む。

 少しばかり、気が抜けた。

 でも、少しだけ自分が変われた様な気もする。


「馬鹿みたい……」


 こんな事で、変われたとか思うなんて。


「それは、自分の事か?」


 振り向くと、私の後ろににランティスが立っていた。


「なら、やめとけ。お前の事も殴り飛ばさなきゃいけなくなるからな」


 そう言って、ランティスが私に手を差し出した。

 変われたんじゃないかもしれない。


「それは、怖い」


 私は彼の手を取り、笑った。

 変わったんじゃない。変わらされたのだ。この男に。

 リュウの時も、どんな時も。昔の私では出来ない事を、ランティスに背中を押して貰ったのだ。




_______


次回は8月14日(水)22時頃に更新予定となっております。お楽しみに!

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