第32話 貴女の為の変化を

 シャーナ嬢の泣き噦る声に紛れて、二つの足音が遠ざかる。

 カツンカツンと、踵が鳴る音に私はゆっくりと瞳を開けると、医務室の白い天井が目に入って来た。

 成る程な。

 少しだけ、背景が見えてきたぞ。


「シャーナ様」


 私はゆっくりと、シャーナ嬢の手に自分の手を重ねて、彼女の名前を呼ぶ。


「ロ、ローラ様の意識が戻られたのですね! ローラ様しっかりして!」


 私が名前を呼ぶと、彼女は泣いていた顔を上げて、私に声を掛けた。

 余程、心配していたのだろう。いや、訂正だ。今もなお彼女は私を心配している。

 その証拠に、今にも私が死の淵からの往復をしていると思って必死に泣き声を隠し声掛けをしているのだ。

 彼女を見ていると、いくら悪気は無かったとは言え、私が遂行した行動に彼女の心に少なからず衝撃を与えしまったと言う事である。

 これは少々申し訳がない。


「いえ、私は大丈夫ですので」

「え?」


 心配をする必要が無いことを速やかに彼女に伝える為に大丈夫と言う単語を使ったのがよく無かったのか、私を抱きかかえる様に看護していたシャーナ嬢が、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、私を見る。

 気持ちは分からなくもない。

 なんだって、私はあの女にナイフで刺されて血まで噴き出してしまったわけなのだから。

 そんな女に大丈夫と言われても、何が何だかわからないだろう。少なとも私なら、分からない。

 心配するなと言う方が無理だろうに。


「勢いよくナイフで刺されたので、倒れただけですよ。ご心配には及びません。よれよりも、貴女が無事で良かった。怪我はありませんか?」


 取り敢えず、彼女には私は無事である事を先程よは具体的に且つ、簡潔に伝え私は彼女の身体を見る。

 首にも顔にもナイフの切り傷や、打ち身などの跡は無い。

 自分の暴力への耐久性の低さもだが、シャーナ嬢にナイフを向けられた時は、本当に驚いた。

 特に、シャーナがロッカーから飛び出した姿を見た時は、肝が冷えたものだ。

 もし、彼女に傷一つ負わせていたら、きっと私は自分を許せなかった事だろう。

 私を信じてくれた人達を裏切った私を。


「はい……。でも、何で? ナイフ刺さってますよね?」


 未だに信じられないとばかりに、何度も瞬きをしながらシャーナ嬢が私に問いかける。

 そう言えば、刺されたままだったな。

 私は胸に刺さったままのナイフを見ながら頷いた。

 ナイフは確かに刺さっている。


「ええ。服は残念ながら穴が開いてしまいましたし、汚れましたね」


 折角、アリス様とシャーナ嬢が用意してくれた服だと言うのに、傷や埃などの汚れ、赤色塗れで酷い有様になっている。


「血は……? そんなに血が出たら、駄目じゃないんですか?」


 ああ。この血色か。


「これは、血ではないです。私が見せた薬草を煎じた汁の色を覚えてますか?」


 あのミントの様な爽快感がある薬草を。

 私は服を脱ぎ、シャーナ嬢に種明かしを見せる。


「もしもの為に、仕込んでおいたのですよ」


 私の胸には、小さな銀出てきたトレーと、その上にはタオルで包んだ赤い薬草の入った袋が仕込まれていたのだ。

 ナイフは見事に銀のトレーで止まっているのを見れば、流石貴族学校御用達の一流品である。


「えっ!? いつの間に?」

「シャーナ様が隠れている間に、この細工をしました。勿論、王子にも」


 アリス様の予言が『王子が刺される』と、聞いた時私はすぐにこの作戦を思いついた。

 前も言った通り、アリス様の予言は外れる事はない。必ず、彼女が夢で見た事が現実に起こる。

 だから、王子が刺されると言われれば、必ず王子は刺されるのだ。

 その行動は変わらない。だが逆に、結果はどうだろうか?

 普通、刺されれば死ぬだろう。

 例え心臓を刺さなくても、傷口が開けば出血多量で死に至る。今、人はいないのだ。その傷口を塞ぐ手立てはないのだから。

 では、刺されて生き残る為には何をするか。

 刺された跡、直ぐに傷口を塞ぎ適切な治療を受ける。それが一番良いのだが、私とシャーナ嬢がそんなスキルを持っているわけがない。

 だとすると、残るは刺されてもいい様にするしかない。

 口で言うのは簡単だが、刺されてもいい様にするとなると、王子に甲冑を着せるのが万全だろう。しかし、ここには甲冑もないし、刺された後にあの女が血が出ていない事に気付けば、他の方法を試す懸念も出てくる。

 だから、私は王子の身体にトレーを敷き、上から鮮血の様に見えるあの薬草の液を仕込んだ。ナイフが深く刺さる様に、王子の身体をクッションなどで斜めにし、タオルやシーツを敷き詰める。これが功を奏し、女は王子が死んだと疑う事なく去って行ったわけだ。

 私にも同じ仕掛けを仕組んでいたのは、フィンの助けに行く為だが、まさかこんな形で助かるとは思っていなかっただけに、備えあれば憂いなしという言葉を深く噛み締めざる得ない事になってしまたが、結果だけを見れば自分で自分を褒めたいぐらいの出来である。


「じゃあ、王子は!?」

「勿論無事ですよ」


 そう言って、王子の仕掛けを見せれば、今度こそシャーナ嬢は力なく座り込んで泣き出してしまった。

 彼女もよく頑張ってくれた。

 彼女がいなかったら、王子は兎も角私は死んでいたかもしれないのだから。


「私、もう、ダメだと思って……」

「大丈夫ですよ、シャーナ様。貴女はとても頑張られた。貴女の決意に私は助けられてたのですからね」


 私はシャーナ嬢を抱きしめ背中を摩る。

 本当は、彼女が落ち着くまではこうしてあげていたいが、私には時間がない。


「私、ローラ様の足を引っ張って……」

「そんな事はないのですよ。ねぇ、シャーナ様。今一度、私を助けて貰ってもよろしいでしょうか?」

「私が、ローラ様を?」


 涙に潤んだ瞳が私を捉える。


「ええ。貴女が、私をです。今から、人が来ると彼女達が言っていた。私は今から牢に戻りアリス様と入れ替わります。この事件は、貴女とアリス様が王子を助けた事にして欲しいのです」

「え!? 何で!?」


 そんなに驚く事かと思うが、彼女の中では私の発言は意外なものだったのだろう。

 その証拠に、彼女は大きく目を見開き、信じられないと言った様に私を見る。


「私は、囚われの身ですので、ここにいる事が分かってしまったら打ち首になってもおかしくない。また、今の姿なら、あの牢から出る口実が出来る」


 そう、ボコボコにされた顔も、役に立つと言う事だ。


「ここに助けに入った人には、私をアリス様に置き換えてお話しください。また、アリス様は今犯人を追いかけたと言って頂ければ大丈夫かと」

「でも、身体を張って守ったのはローラ様ですよね? そんな、手柄の横取りなんて」

「シャーナ様、これは手柄ではないですよ。ただ、王子を助けただけ。それに、横取りもなにも、貴女達二人の協力があったからこそ、出来た事です。本来なら、私はなにも知らずに今も牢に居た事でしょう。だから、謙遜されなくてもいいのです。シャーナ様、貴女はとても立派だった。胸をお張りなさい」


 私がシャーナ嬢の手を握ると、シャーナ嬢は涙に濡れた目元を袖で拭い、コクンと頷いた。


「ローラ様が言うのなら、私頑張りますっ!」

「ありがとう。そして、お願いばかりで、ごめんなさい。必ず、この恩を私は返すから。では、失礼するわ」


 私はそう言うと、ここをシャーナ嬢に任せ、一人アリス様の元へ走る。


 それにしても、あの女は一体何者なのだろうか?

 ここの制服を着ていたが、少なくともここの生徒ではないだろう。

 しかし、部外者ではない。

 何故なら、女はあの棚にお茶がある事を知っていたからだ。

 誰か薬剤の入った棚にお茶があると思うのか。私がメイドでないとバレた切っ掛けにもなった棚だが、あの女もその棚お陰で見えてくる。全くもって、難儀なものだ。

 部外者でもなく、この学園の生徒でもない。となると、選択肢はだいぶ限られて来る。

 いや、それよりもあの女が主犯格かどうかだ。

 私達が思い描く犯人像と大きくかけ離れている彼女が、今日迄の様々な事件を起こしたとは矢張り考え難い。

 そうなると、彼女は犯人の仲間だと考える方が自然だ。

 しかし、王子を狙うのだ。下っ端ではミスをした時のリスクを背負う可能性だって低くない。

 今回の件がいい例だろう。

 彼女は少なくとも、殺しのプロではない。そのお陰で私達は無事なわけだが、手練れでない彼女が何故送り込まれたのか。

 一緒にいた男も謎が残る。

 少ししか姿も見えなかったし、声しか聞けなかったが、彼女達の会話は主従関係がはっきりとした物であった。

 主犯格は彼女で、自分が素人であるが故にプロの用心棒である男を雇ったとも考えられるが、あの会話ではあり得ない事だとすぐにわかる。

 女の提案を、男は直ぐに却下し、男側の提案を女にのませた。

 プロの意見を素人が聞いたとも取れるが、もし契約関係であれば女は一度だけしか自分の提案を推さないのには少々無理がある。

 金で雇ったならば、立場は女の方が上だ。いくら理にかなっていない事でも、もう一度我を通すだろう。なんだって、自分の正体が見られているのだから。そのまま放っておいて大丈夫だと言われても、はい、そうですかと引き下がる筈がない。

 でも、女はそれだけで引き下がったわけである。

 それは即ち、女よりも男の方が立場が上だと言う事。

 ならば、何故、フィンを退けられる程の手練れが自ら王子を殺しに入らないのか。

 犯人が分かったと言うのに、何故こうも謎ばかりが増えていくのか。

 しかし、悪い事ばかりではない。

 良い事もある。

 男が入ってきた時、フィンが無事だと分かった。

 彼の服には血の跡がない事が何よりも証拠だ。

 彼女はどうやら男から逃げれたのだろう。

 それに、あの女に付けられたこの顔の傷だ。

 これさえあれば、私はこの牢から出れる理由が出来てしまう。

 私は校舎を飛び出し、制服に着替えてアリス様のいる牢に入る。


「アリス様っ!」


 私は牢に入ると、鉄格子の向こうにいる聖女の名を呼んだ。


「ろ、ローラ様っ!? そのお顔は!?」

「ええ、大丈夫。それよりも、アリス様はご無事ですか!? ああ、こんな場所に長い時間も閉じ込められ心細かったことでしょう。今、お開け致しますからっ!」

「そんな、私は何もないわ。ローラ様こそ、早く手当をしなければっ」

「いえ、私は大丈夫。このままで良いのです。それよりも……」


 私は鉄格子の鍵を開けると、アリス様からカチューシャを受け取ると、手早く説明を始めた。

 それは大体の事件の内容と、アリス様に私の代わりをして頂く為の説明だ。


「詳しくは、シャーナ様が知っております。彼女が上手く貴女を導くと思いますので、シャーナ嬢の言葉に乗って頂ければ大丈夫かと」

「私はいいけど、でも、そんな大それた事、私がしたなんて皆んな信じないでしょ?」

「そんな事はございませんっ! 皆、アリス様が聡明で勇敢である事を知っております!」


 私が力を入れて彼女に言えば、彼女は困った様に笑った。

 何か失礼な事を言ったのかと、慌てて彼女に頭を下げれば、アリス様は頬を掻きながら笑う。


「違うの。そんなに真正面から褒められた事なくて、ちょっと照れちゃったの」


 えへへと可愛らしい笑みを、私に向けて。

 こんな聖人のような彼女を褒めぬ馬鹿など居ないだろうに。


「では、学園長にメガネの配布を提案いたしましょう。皆には目を養って頂かないと」


 皆、何を見ていると言うのか。


「あははは。ローラ様は、他の令嬢とは違うのね」

「私がですか? そうですね。だから、嫌われているのでしょう」

「何を言ってるの? それこそ、皆んなメガネを掛けるべきだわ! ローラ様は私が会った中で一番素敵な令嬢よ!」


 私が?


「王子を助けても鼻にかけず、身分が違えど礼儀を尽くし、真実を見極める聡明さを持っていて、誰にでも手を差し伸べる優しさを持ってる。私、貴女に憧れてるの」


 アリス様はそう言って、私の手を握る。


「アリス様、汚れて……」

「汚くないよ! 皆んなをを助けた勲章じゃない!」


 彼女は私の手を握って、笑うのだ。

 女神のような微笑みで。


「私、ローラ様の事を尊敬してるわ。私もいつか貴女みたいな人になりたい」

「アリス、様……?」

「私、もう行かなきゃ! ローラ様、また今度ね!」


 アリス様は、私の手を離し、労を出て行く。

 アリス様が、私を?

 私に、なりたいって……?


「嘘でしょ?」


 貴女になりたかった私が、貴女になりたい人になるなんて……。


「嘘、でしょ……?」


 そんな幸せがあると言うのか。

 私は自分の腕を抱きしめ、静かに涙を流す。

 貴女の為に、私は何か変われたのかな……?




_______


次回は6月7日(金)22時頃に更新予定となっております。お楽しみに!

 

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