第33話 貴方の為の嘘つきを

 アリス様が私になりたい。

 憧れの人に嘘みたいな言葉を掛けて頂き、私は一人まるで夢心地の様な気持ちで、牢の中にぼんやりと座っていた。

 なんという事だろうか。

 俄かに信じがたい事が今ここで起こっただなんて。

 まるで、白昼夢を見ていた様だ。幻だったのではないだろうか。呆れた事に、頑なに幸せな時間を素直に受け入れられない自分に愛想がつきそうになる。

 いや、でも、そんな私でも彼女は……。彼女の言葉を思い出し、私は両手で顔を覆う。

 私は、弱い人間だ。

 その証拠に、すぐに暴力に屈し、心が折れそうになった。

 争い事を得意とせず、誰ともぶつからない様に道を避けて歩いてきた。

 生まれ変わって、自分自身が変われた事なんて一つもない。何処まで行っても、生前積み重ねた私が、ローラを運用しているだけだと思っていた。

 だけど、アリス様の為にと振るい立たせた勇気は、確かに私の胸に宿ったのだ。

 立ち向かう勇気をくれたのは、いつだって貴女への思い一つ。

 何も変われず、ただ、流されてるだけの私を変えてくれたのはアリス様なのに。

 そのアリス様が……。

 涙が、止まらなかった。

 夢は未だ叶わない。彼女を安全に、彼女の未来を助ける私の夢は未だ道半ばだ。

 でも、私は今満たされようとしている。

 貴女が私に気付いてくれた。あのゲームのエンディングの様に。振り向いて、誰かが見守ってくれていたと、画面の向こうで私に笑ってくれたあの時の様に。


 恥の多い生涯を送ってきた。


 これは、太宰治著書の人間失格の一文である。エゴイズムに溺れた主人公。彼を表す全てがこの一文にはある。

 私も彼とは違うベクトルで、自分を守る為のエゴイズムに溺れた人間だ。

 私は二度目の人生も、同じ道を歩いていた。人間は簡単には変われない。変われもしなければ、失った無垢は二度と戻っては来ず、欠如したまま、私は歩いて行くしかない。

 ずっと、ずっと。そう思っていたのに。

 人の言葉一つで涙を流せる無垢が、私の中にまだあると、画面越しの彼女は気付かせてくれた。

 そして、今も。貴女の温かさの感じる事の出来る世界で彼女は私を気付かせてくれるのだ。

 

 どれ程の時間、こうしていただろうか。

 扉の方から足音が聞こえて来る。

 こんな所にくるなんて、ランティス達でなければ、候補生の誰かだろう。

 ああ、そうだ。私は本来の目的を忘れそうになっていた。

 何故、私がここに戻ってきたのか。

 この顔を洗う事なく、このままでいたのか。

 信じがたい奇跡の陰に忘れてしまう所であった。

 あいつが居たら助かるが、今日のくじ運は最悪だと顔に出ている。残念だ。


「ローラ・マルティス」


 矢張り、あいつではない。

 誰の声かなんて聞き覚えはないが、あいつの声だけは覚えている。

 致し方ないと、私は息を吸い残り少ない体力を腹筋に注ぎ悲鳴をあげる。


「きゃああああっ!!」


 怯えていたら、こんな綺麗な悲鳴なんて出来ないのは先ほどの体験で分かっているが、今はリアリティを突き詰める時ではない。

 取り敢えず、怯えていると思わせればいいのだ。


「おい、どうしたんだ?」


 私が顔を伏せて叫べば、私の名を呼んだ男以外の声が聞こえる。

 候補生が全員揃ってないのか?

 面倒だな。

 しかし、ここで計画を中断するつもりは毛頭ない。


「もう、殴らないでっ!」


 私は喚きながら、身体をジタバタさせる。

 まるで、今にもあの女に殴られるかの様に。


「何を言ってるんだ?」

「さあ? 気でも狂ったのか?」


 候補生達は、あらからここに足を運んではいないのだろう。

 私とアリス様がすり替わった事も知らなければ、私が王子を助けたのも知らない。

 好都合だ。


「やめてっ! また私を殴りに来たのでしょう!?」


 気でも狂ったと思う言葉を吐き出し、顔を手で覆って怯えながら男達を盗み見る。

 一人は、あの時の先頭にいた候補生のチビが一人。もう一人も、あの時確かにいた候補生の一人だ。

 二人だけで何故ここに来たのかは知らないが、アイツを呼び出す駒には持って来いと言ってもいい。


「おいおい、気が狂ったらどうすればいいんだ?」

「気が狂ったのなら、自分でここに入ったと公爵に伝えれば良い。問題ないだろう」


 馬鹿な会話に呆れそうになるが、こちらの方が都合がいいだろう。

 そうだな、私が狂っただけならそれで終わる。

 しかし、お前らが捕まえていた間に私が誰かに暴行を受けたとなれば、どうなると思う?

 候補生の一存だけで、勝手に私の罪を決めて、そこで私が怪我を負った。大問題だ。

 考えただけで、笑えて来る。

 しかし、ここで笑いは厳禁だ。


「助けて……」


 私はゆっくりと、顔をあげる。

 このボロボロに殴られ、血だらけの顔を。


「ひぃっ!」


 男の一人が私の顔を見て、悲鳴をあげた。

 私は嘘つきだ。

 自分が助かる為に、罪もない候補生達に今から罪をふっかける。

 でも、それはお互い様だろ?

 仲良くやろうじゃないか。同じ穴の狢同士な。


「その、顔……」


 男達は喉を引きつらせて私の顔を指差す。


「貴方達が、私を殴ったのでしょう!? 夜の闇に紛れて、ここに入り、私を、私をっ! 貴方達が……っ!」

「違う! 俺じゃないぞ!?」

「俺でもないっ!」

「嘘おっしゃいっ! この顔の傷、必ずお父様にも、いいえ。王にも伝えなければ! 不当に拘束し、貴方達が私に暴力を振るったと! 覚えておきなさいっ! 許しも致しませんよっ!」


 怯えていたのに、随分と強気な事を言うのだと突っ込まれたら困ってしまうが、その心配はない様だ。

 父、いや。王の名前迄も出せば、候補生達は酷く狼狽し、自分の無実を主張し始めた。

 馬鹿か。

 今、そんな事をして、何になる。


「私が、ここに幽閉されているのを知るのは、貴方達でしょ! 外に見張りも付けず、公爵令嬢を一人ここに閉じ込めて、どう責任を取るおつもりですかっ! 人を呼びなさいっ! もし、呼ばないのであれば、貴方達が犯人だっ!」


 暴挙の極みだ。

 我ならがら、笑い出しそうなぐらいな無茶苦茶な事を言っていると思う。

 だが、それが大切だ。

 この男達が、その責任から逃れたいと思えば思うほど、私が必死に喚けば喚く程、彼らの行動は狭まっていく。


「おい、どうするんだ!?」


 チビが声をあげると、もう一人は怯えて顔を振った。


「これが王にバレたら俺たちは……」

「俺たちは何もしてないだろ!?」


 責任のなすり付けは、目を覆いたくなるほど醜事極まりないが今の私には好都合だ。


「私を閉じ込めようと言ったのは誰!? その方の責任ですわっ!」


 鶴の一声ならぬ、籠の鳥の一言に、男達ははっと顔を上げる。

 馬鹿だな。被害者がそんな事を言うわけないだろ。お前ら二人も、地獄に落とすに決まってるだろ。

 考えれば分かる事ばかりだと言うのに。本当にこいつらは脳が死んでいるのではないだろうか?


「あ、アクトだ」


 男の一人がボソリと言葉を吐いた。

 そうだ。

 私はそれを待っていた。


「アクトがお前をここに閉じ込めろと言ったんだ!」

「ああ! そうだ! アイツの案だ! アイツが此処に一番詳しいっ!」

「では、アクト様に暴行をされたの……?」


 そんな訳ないだろ。

 いい加減、自分に突っ込みをするのも疲れてきたな。


「あ、アクトを俺は呼んでくるっ!」

「ま、待てよっ! 一人にするなよ!」


 私がいるのに一人とはおかしな話だな。

 だが、これで役者が揃う。

 私は二人が出て行った牢で一人、ため息を吐いた。

 悪いが、存在しない犯人探しを延々とさせるつもりはない。

 私を不当に此処に幽閉したのは、タクトを除く候補生全員の総意だ。王にも王子にも報告もせず、私の話も聞かず、彼らが独断で動いた。その結果、私は暴行を受けた。

 さて、ここで問題に上がるのは、私が暴行を受けたのは誰の責任かと言うことになる。

 勿論、勝手に不当を働いた候補生の責任という事になるのだが、そうなればタクトの立場が悪くなる。

 何故か。

 候補生全員で仲良く責任なんて、取るわけがない。それは現代の社会でも同じだろう。偉い人間が責任を負う。それは、偉い人間がその決断を許可した立場にあるわけだが、今回はタクトではなく弟のアクトが遂行及び許可を出している。

 最悪なことに、アクトは候補生でもない。そうなると、身内のタクトが責任を取る羽目になってしまう。

 そして、序でに全員分の責任も押し付けられて。

 それは、随分と今の私達には困る事でもある。タクトにはまだまだ仕事をして貰わなくては困るのだ。こんな所で手放すには惜しすぎる。

 その為、私は私の暴行の犯人の責任としたいのである。

 閉じ込めて起きた責任よりも、暴行を行った犯人が責任を負うべきだと言う方向へ流すのだ。

 しかし、犯人はあの女だ。いや、あの女でもなくても、部外者ではないかと言われると責任を追及出来ない。

 その為、候補生の中に犯人がいるとしなければならない。

 候補生の中の誰かが私に暴行を働いた。

 タクトはアクトに見張られていて、アリバイはあるはずだ。

 彼が疑われる事なく、私が無事に外に出れる。

 今回の目的はそこなのだ。

 私は急いで最低限の用意をし、アクト達を待ち構える。


「暴行って、ただ転んだだけじゃないの?」


 外から、腹が立つ声が聞こえた。

 アクトだ。

 気の抜けた声で、随分な事を言ってくれるな。


「やあ、ローラ・マルティスさん。転んだって聞いたけど、大丈夫?」


 牢に入ってきた第一声がこれだ。

 頭が良いのか悪いのか。未だに判断は難しいが、今は良い事を願いたい。


「アクト様」


 私が振り返れば、アクトは言葉を失った。


「これが、転んだ人間の顔ですか?」


 そんな訳がない。実際殴られてきたんだ。再現度は何処よりも高いだろ?


「……誰がっ?」


 本当に、これ程酷いとは思ってなかったのだろう。アクトが動揺の中で、漸く吐き出た言葉であるのがよく分かる。


「闇夜で顔はわかりませんでした。でも、ここに私が閉じ込められたのを知ってるのも、決めたのも貴方達だ。貴方達の誰かが、私を……っ」


 震える声で責めれば、アクトは信じられないモノを見るような目で私を見る。

 いや、違うな。この目は、違う。

 こいつは、私の言い分に綻びがないかを探しているのだ。

 どうやら長期戦に持ち込まれて困るのはこちらだと言う事だろう。

 下手な芝居は、ここで終わりにした方が賢明ということか。


「アクト様、私のここへの幽閉は、本当に不当ではないですか?」

「いや、でも、それは、皆んなで」

「先程、貴方が言い出したと聞きましたが?」

「僕が!?」

「ええ。貴方は、候補生でもないのにそこにいると言う事は、そう言う事では?」


 参加資格のない者が、その輪にいる。発言権がないのなら、元々そこにはいないだろう? 誰だって分かる事だ。


「飛躍してるね」

「それは、私をここへ幽閉したこ自分へのお言葉ですか?」


 アクトの狙いは分からないが、私がこんな姿になっているのは、彼の想定外の他ない。

 アクトはタクトと張り合っているならば、この不祥事をどうにか穏便に済ませたいはずだ。

 私なら、全てを認めてタクトに責任を押し付けるが、彼はそうはいかないだろう。なんだって、タクトがうまく処理出来ればアクトの面目は丸つぶれ。そして、タクトならば残念ながらそれが可能であるのだから。

 なんたって、私の父であるマルティス公爵とタクトは個人的な付き合いがある。言い包めれる可能性は極めて高いのだ。

 逆に、アクトは父と交流はほぼ無いだろう。あったのならば、あのアーガスト事件でタクトが真っ先に犯人だと疑うはず。それをしないのが何よりの証拠。


「アレは、皆んなの総意であり、僕の独断じゃ無い。責任があると言うのならば、僕達全員にあるさ」

「なっ! アクト、話が違うじゃ無いか!」


 外野が騒ぎ出すが、アクトはどこ吹く風。

 なかなか早い段階での自分の信用を切り捨てたな。まあ、こいつらが仲間で採算があるのかも随分と怪しいだろう。

 賢い選択と言えなくも無い。


「では、この私への暴行も皆様の総意で?」

「それは、知らないよ」

「おかしいですわね。私がここに幽閉されたのを知るのは、貴方達だけだ」

「部外者が入ったとは考えられないの? 最近物騒だしね」


 当然、そこはついてくるか。

 しかし、私だって何も考えていない訳じゃ無い。


「証拠は、ここに」


 私は、ランティスが残したマントの端を彼らに見せる。

 候補生及び、王族関係者は制服の上に羽織るマントの種類が違うのだ。

 勿論、アクトは一般生徒と同じマントだが、候補生達は違う。

 このマントを私が持っていると言うことは、王族あの及び、候補生がここに入ったと言う事。

 実際はランティスだが、誰も私達の関係を知らないのであれば、彼がここに入ってくるとは夢にも思わないだろうに。


「この証拠を見ても、貴方は言い逃れが出来ると思っているのかしら?」


 言っただろ? 嘘つき同士仲良くしようじゃないかと。

 親睦を、深めようじゃないか。地獄の底までな。




_______


次回は諸事情で三日空きます。

6月10日(月)22時頃に更新予定となっております。お楽しみに!

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