第26話 貴女の為の宵の夢を
生前の父と母は教員で、それ故か娘である私には取り分け二人は厳しく育ててくれた。
厳しくと言っても近年問題になっている行き過ぎた躾やらからの虐待などでは無い。ただ、両親が口々に馬鹿になるなと、そう徹底して教えられた。
テレビ、マンガ、ゲームは全て馬鹿になる要素だ。居間にあったテレビは、夕飯の食事後二時間ニュース番組しか映さない。
娯楽なら本がある。本を読めと沢山本を与えられた。
スポーツをしろと言われたが、残念ながら私にその才能はなく、こればかりは珍しく両親もそれを悟ってか早々と撤退してくれた。
立派な大人にならなくてはならない。立派な人間にならねばならない。そう、呪いの様に教えられて来た。
立派な大人になる為に勉強をしろ。そう言われて常に私は勉強をした。しかし、これにも私には才能がなかった。机に向かうのは苦ではない。本を読むのも苦ではない。しかし、私には得意なものが何もなかった。秀でたものが、一つもなかった。
勉強を頑張った所で中の上が関の山。
いくら本を読んだ所で、周りの子供達の会話は常にテレビやゲームに漫画ばかり。混ざれず一人だけ取り残される。
そして、私は容姿も人以下だった。
そんな子供が義務である教育過程を何事もなく過ごせるわけがない。
会話に入れないブスは虐められるのがこれまた関の山だ。
まして、私には意気地が無かった。
他人は他人だ。自分のしたいことをすれば良い。然し乍ら、自分のしたいことも無い人間が、割り切れるはずもない。
出来ることと言えば、平気なふり。
何をされても、平気なふり。
それぐらいしか、悲しいかな自分の心を守れる術がなかった。
それは、子供だからだと自分に言い聞かせる日々の子供時代を送っていた。
しかし、大人になった私も、何も変わらなかった。
十年近く務めた会社でも、私には友と呼べる人はいなかった。
就職を機に親元を離れたが、子供の頃から染み付いてきた教育の賜物で買ったはいいがテレビなどに今更興味もない。漫画やゲームは馬鹿になると言われていたから、それらにも手を出す気にはなれなかった。
だって、私はまだ立派な大人になっていないのだから。
立派な大人とは何か。明白なゴールのないまま、人に言われるがままの私。
上司から押し付けられる仕事を淡々とこなし、寿退社をしていく先輩同僚後輩をなんの思い入れも出来ぬまま見送り、上がらない給料に良くならない待遇を誰にも嘆くこと無く八年間。
そんなある日、上司が苛立たしげに私を自分のデスクに呼びつけた。
『お前さ、何やってんの?』
貴方に押し付けられた仕事をしていました。そんな事を言える度胸もなく、何の意味も含まない挨拶のようなすいませんが私の口から無意識に出て行く。
『お前のせいで、俺は部長に怒られた。如何してくれるんだ』
また、すみませんが口から出るが、未だ話の内容が分からない。無能だのなんなのと罵られた後、上司は大きな溜息をついて私に言った。
『お前法律って知ってる? ルールって知ってる? お前が決められた有給を取らないから、俺が代わりに怒られたんだけど、どうしてそういう事するわけ?』
この時、長年働いた会社は他会社と合併する事となり、社内の見直しが行われていたらしい。そこで私の有休消化の悪さが指摘される運びとなったようだ。
そもそも、有休消化など入社して以来一度も使った事はない。休む用事もないが、一日でも休めば山の様な三、四人分の仕事が滞る為、多少の体調の悪さでは休む気すら起きなかった。
朝から晩まで、休みなく働く。手取りは二十万行くか行かないか。
不幸自慢なわけではない。その時、私は不幸だとはこれっぽちも感じなかった。ただ、何もない私は、必死にここにしがみつかなければ死んでしまうと思っていた。でなければ、私は大人になれない、いや。人間になれない様な気がしていたのだ。
馬鹿な話だ。そんな訳がないのに。
上司は私にキツく怒り、強制的に五日間の休みを取らせた。
土日も来るなと言われたら、丸々一週間の休みである。
その日、帰路に着いた私は途方に暮れた。
一週間、どうやって過ごせばいいんだろうか。今思えば、外に出る服はスーツのみ。旅行だって、家族と行った一、二回しか体験はない。
休みだと言われても遊び方がわからない。
何かしたいこともない。
一週間、生きたし心地がせずに一日一日を過ごさなければならないのか。
まるで、迷い子の様だった。
このまま、私は消えていくのかとも思えた。
そんな時だ。とあるゲームの広告が目に入ったのは。
ゲームなんてやったこともなければ、見たこともない。どんなゲームがあるか分からないし興味はないはずだった。
ぼんやりと、いつもの癖で広告の小さな文字を
読み始める。
君が導く物語。
そう、大打った文字に、迷い子の私は引き込まれた。
何となく、本当に。何となく。
そのゲームをやってみたいと強く思った。
今思えばおかしな話だ。ゲームなどになんの興味もない私が、やってみたいだなんて。でも、この時、何故かこのゲームに私は強く惹かれていた。
私でも、導けるのか。
迷い子の私でも、誰かを導けるのか。
ゲームの話だと言うのに、真に受けるなんて何て間抜けだろうか。でも、それでも。
誰かに必要とされなければ、生きてはいけない気がしていた私にとっては、その売り文句は救いの様に感じられたのだ。
私は何かに取り憑かれるようにふらりと駅を降り、電化製品屋でゲーム機とそのゲームを店員に聞きながら買った。
あの時の私から見れば、信じられないぐらいの行動力である。
そして、家に帰り何とかゲームを始めると、そこには見たこともない世界が広がっていた。
私は無我夢中でゲームを続ける。寝る間も食事も惜しんで、主人公であるアリスを必死に導いた。
アリスは可愛らしかった。私に持っていないものを全て持っている様な少女。
三十をまじかに控えているというのに。私は、存在しない少女の為に必死に慣れないゲームを進める。
それから三日ぐらい経った頃だろうか。アリスは美しい王子と恋に落ち、彼女は彼を守る為に奮闘し私は微力ながらも力を貸す。主人公はアリスだが、ゲームの中の私は妖精の様なもので、アリスを正しい道へと導く役目を背負っていた。
誰も気付かない努力は、得意だ。
ゲームとは言え、それは日常でも同じで、きっと彼女は私が彼女の為にどれ程頑張ったなんて知りもしないんだろうな。
そんな事を思いながらエンドロールを進めると、アリスが木漏れ日の中振り返るスチルが出てきた。画面の中の彼女は私なんて知らない。
私なんて見ていない。
それでも、何故か私を見て、笑ってくれているきがした。
しかし、そんな杞憂はすぐに吹き飛ぶ。
彼女は、真っ直ぐ私を見て笑い、こう言ったのだ。
『誰かが、私を導いてくれた気がするの。ありがとう。見守ってくれて』
その言葉は、私が生きてきた人生で一番の衝撃を与えてくれた。
ゲームの中なのに。
全てプログラムの中なのに。
なのに。
彼女は現実で誰も見つけてくれなかった私を見つけてくれたのだ。
気付いたら、私は泣いていた。声を上げて、泣いていた。
迷い子の子供が母親を見つけた様に、大きな声で安堵を確かめる様に泣いていた。
ずっとずっと、誰かに見つけて貰いたかったんだ。私は。
努力を他人に認めてもらうなんて烏滸がましい。恥じるべき行為だと言われていたのに。それでも、彼女の言葉が嬉しかった。烏滸がましくあっても、恥じるべき事でも、そんな事、どうでもいい。一番、欲しかった。私が、一番欲しかった言葉だなんだ。
その後の事はあまり覚えていないが、私は時間を許す限りアリス様に会いにゲームの世界へ降りていく。
繰り返される世界だが、何度出会っても彼女は美しく気高く、そして優しかった。どんどん好きになって行った。そして、のめり込む様にアリス様にハマって行ったのだ。
けど、連休も終わる日曜日。少しだけ憂鬱になる。休みを言い渡されたあの日には考えられないぐらいの進歩だが、憂鬱の原因がこれからアリス様と離れて仕事をしなければならないのか、である。馬鹿馬鹿しい理由なのは千も承知の上で、だが流れ出るため息は止められない。
彼女とずっと一緒ならばいいのに。
けど、そんな夢物語は叶わない事は十分に知っている。そんな気分を紛らわす為に、私は、初回特典として付いてきた王子のチャームを会社では用のない携帯につけてみた。
小さいフィギュアの様な人形がついたチャームだ。
何故だかそれを付けると、何処でもアリス様達と繋がれる気がした。王子はアリス様を守る為に懸命に戦った謂わばアリス様の守護神。何だか私も守ってもらえる気がして気分が良い。
それに、王子の事は嫌いではない。
王子はアリス様の事が好きだ。私なんてきっと眼中にもなく気付いてもいないだろう。それでも、彼の優しさと気高さに小さな恋をした。自分でも気付かないぐらいの、小さな恋を。
正直、ゲームをやって馬鹿になったかと言われればなったかもしれない。こんな事を考えるぐらいだ。賢さのかけらも無い。
でも、心は満たされた。
馬鹿って、悪い事なのかな? そんな疑問が飛び出るぐらいには。
こうして、私とアリス様達の生活が始まった。
仕事はあいも変わらず上司に押し付けられるが、アリス様達が私を待っていると思えば、気持ちは軽やかになる。
怒られても、鞄の中で王子のチャームを見れば、心が穏やかになる。
きっと、周りの誰も知らないだろう。私がこんなにも潤いのある生活を送っているなど。
すっかり、そのゲームは私の生活に浸透していた。
だから、気が抜けていたのだ。
当たり前の光景に、何ら疑問を持つ事も忘れ去ったある日、私は不意に鞄の中を漁っているうちに携帯を机の上に置いてしまう。
大人になってゲームやアニメなんて恥ずかしいと言う気持ちはその時もあったのだが、見慣れたチャームは既に日常に溶け込んでいた。
だから、本当にその時は冷や汗をかいたものだ。
『あ。これって、エルドラインの鐘がなるってゲームでしょ? 安田さんも、乙女ゲームやるんだ』
顔を上げれば、隣の部署のリーダーが一人。
私の携帯を持っていた。
馬鹿にされるっ! 笑われるっ! 反射的に身を構えると、彼女はにかっと笑って私に言った。
『このゲーム、面白いよね!』
それが、私と先輩の始めての出会いだった。
先輩、今、貴女は元気ですか?
「ローラ、ローラ」
誰か私の名を呼んでいる。
「おい、ローラっ」
誰だろう。こんなにも眠いのに、居心地の良い温かさに包まれているのに。
お母さんかな? でも、もう実家には何年も帰ってないよね。
暖房、付けっ放しで寝ちゃったんだっけ? そう言えば、先輩が使わない小さな炬燵をくれたんだけっけ。
そこで寝るなよって、悪戯っぽく笑ってたなぁ。私がそこで寝ちゃう事、先輩はわかってたんだろうな。まだ、ちゃんとお礼も出来てないなぁ。
先輩。私……。
「先輩……」
私ね……。
「……あれ?」
ゆっくりと目を覚ませば、見慣れた家具はどこにもなく、辺り一面はひどく暗く仄かな月明かりが無機質な石の壁を照らしていた。
「ローラっ」
再度、私の名前を呼ばれ、はっと起き上がるとそこには私を抱きかかえていたランティスがいた。
「ら、ランティス様っ!?」
「しっ。声がでかい」
そう言われて私は慌てて口を抑える。
どうやら寝ぼけていたらしい。
そうだ。私はあの世界で死んだのだ。死んで、ゲームの世界に転生して来た。
何を言っているんだ。十数年間、ローラとして生きていた人間が、何故今更そんな事を再認識しているのだ。
私は小さく肩を落とし、ランティスを見る。
どうやら、あのまま寝てしまったらしいのは天井近くの小窓を見れば明白である。しかし、何故ここにランティスが?
「すみません。何故、ランティス様がここに?」
「はぁ。牢に入ればお前が倒れているから焦っただろ。お前迄兄貴達と同じ様になったのかと思ったぞ」
「ああ。すみません。眠くて」
「寝るならベッドに行けよっ。紛らわしいなっ」
「ええ、次から力尽きなければそうしますわ。で、どうしてここに?」
私はランティスの腕からすり抜けると、彼の前に座る。
もう、寝惚けてはいない。だから、明白な答えが欲しかった。
「タクトに聞いて、走って来た」
「何故に?」
「何故って、お前が心配だったからに決まってるだろ」
はぁと、これ見よがしに大きなため息を吐かれてしまう。
私が、心配?
「どうして?」
「おい、まだ寝惚けてるのか? お前はまた理不尽な事をされたんだぞ?」
「ええ。でも、いつもの事ですし」
「いつも牢になんか入れられないだろうが。お前、捕まったんだぞ? 自覚があるのか?」
「はい。それよりも、ここにランティス様がお越しになる方が問題では? 外には誰も居ないのですか?」
「城じゃないんだ。見張りの兵士なんていないし、アイツらが自ら進んでやるわけねぇだろ」
確かに、温室育ちの候補生達が寝ずに私の番をする程根性があったら驚きだ。
「確かにそうですけど、不用心ですわね」
「お前が逃げれるなんて考えてもないんだよ」
「いえ。それもそうなのですが、タクト様が居るのに」
「は? なんで今タクトが出てくる?」
「ランティス様が何処までお話を聞いたかは分からないですが、私をここに閉じ込めたのはアクト様なのです」
「それは聞いた。尋問も何もなくお前を幽閉したんだろ?」
「ええ。その話し合いで、タクト様はアクト様達に尋問の是非を説いていたんです。アクト様なら、タクト様が秘密裏にここに来て私と接触すると考えると思ったのですが……」
あの腹黒眼鏡が、タクトにそんなチャンスを与えるだろうか?
私とタクトの仲を疑ってはいなくても、ここでタクトが私の証言を取り真実に辿り着かれたらアクトの立つ瀬などない。
何が何でも、彼はそれを阻止すると思ったのだが、私の取り越し苦労だろうか。
「ああ、そういう事ね。それは大丈夫だろうな。アクトはタクトを監視してる。お前は眼中にはなさそうだ」
「タクト様を?」
成る程。監視の対象を罪人予定の私ではなくタクトにした訳だ。
だとすると、本当にここに私を閉じ込めたのは他意はなくタクトへの嫌がらせの一環と言う事になる。
実に兄にそこまで喧嘩を売りたい気持ちは理解できないが、他人迄巻き込むなんていい迷惑だ。
「それは、タクト様も災難ですね」
「他人事みたいに言うなよ。お前にも関係ある事だろ?」
「私は、閉じ込められただけですので」
「だけってのも可笑しな話だろ。でも、問題はそこじゃない」
「と、言いますと?」
「思った様にタクトが動けないのが問題だと俺は言ってるんだ。お前は、タクトに全て託したつもりだろうが、今タクトはお前の冤罪を晴らす為に動けないんだよ」
「ああ。確かに」
「俺だって、何とかアクトの隙を見てタクトに話を聞いたが、明日からはもっとタクトへの監視は強くなる。これ以上の接近は無理だ」
「成る程。確かにそれは問題ですね」
私の疑惑をタクトが晴らしてくれると思っていたから、寝ていられたのだ。その手を封じられるのは確かに痛手である。
「お前、どっか他人事過ぎやしないか?」
「そうですか?」
「閉じ込められてるんだぞ?」
「でも、ランティス様はここに入っておりますし、何より、ここから出ようと思えばいつでも私は出れますので」
「は?」
「内側から開くんですよ。この鉄格子。ゲームでアリス様がローラの嫌がらせでここに閉じ込められる話があるんですが、その時に鉄格子が開くカラクリを見つけるんです」
「はぁ?」
「なので、それ程絶望的ではないんですよ。いざとなれば、自分からいつでも外に出れるので」
私が淡々と鉄格子が開くカラクリを説明すると、ランティスは自分の額を抑えながら大きなため息をまた吐いた。
「俺が焦ってここに来たのを、馬鹿みたいだって思ってるだろ」
「まさか。心配して頂けて嬉しかったですよ」
それは本当だ。
私が笑うと、ランティスは私の頬に手を伸ばす。
「ランティス様?」
「ローラ」
段々と、ランティスの顔が近付いてくる。
「本当にお前が無事でよかった」
コツン。小さく額と額がぶつかり合う。
ランティスの長い睫毛が目の前に。
「そして、有難う。兄貴達を救ってくれて。お前が居なかったらどうなってたか分からない。本当に、有難う。あんな奴でも、俺のたった一人の大切な兄貴なんだ」
少しだけ、長い睫毛が水気を帯びて行く。
ああ。彼もまた、私を人間にしてくれる。
私がここに居ていいと、居場所をくれる。
「ええ。私、頑張りました」
自分の努力をひけらかす事は、酷く愚かで醜くて恥ねばならない事なのに。
馬鹿がする事だと酷く教え込まれたと言うのに。
「うん。頑張ってくれて、ありがとう。ローラ」
貴方がそう褒めてくれるなら、私は馬鹿になってもいいと思えてくる。
ああ、温かい。貴方の温もりが、ただただ温かい。
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次回は5月24日(金)22時頃に更新予定となっております。お楽しみに!
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