第17話 貴女の為の悪い子を
「む、無茶苦茶だわ」
髪についた葉っぱを払い落とす気力も忘れて、私はフィンの腕の中で思わず呟く。
最上階からの物理紐なしバンジージャンプは大分私の心臓を摩耗させてくれた。
彼女の体幹力は大変素晴らしいらしく、私を抱えたまま木に飛び込んだかと思えば、器用に足を使って下へ下へと木々を飛び降りる。
こんな所を見られて仕舞えば、フィンがアリス様の部屋に忍び込んだと言われても私には庇いきれないぐらいである。
こんなチートキャラクターがいるなら、ゲームに出て来てくれれば良かったのに。地味なミニゲームで苦しめられた身としては、使えないタクトやアスランを切って、性能お化けのフィンの実装を説に願いたくもなるものだ。
「ローラ様は、流石でございますね。悲鳴一つ出さないなんて、立派な淑女の鏡でございますわ」
フィンが私を褒め称えてくれるが、人間本当に怖いと悲鳴が遅れる。寧ろ、声が出てくれない。よくよく考えてみれば、脳内が現状を処理出来ていない状態で、大声なんて出せるほどのバッファが用意されていないのだ。当たり前のことである。
それを褒められた所で、なんの名誉になると言うのか。
「ありがとう。でも随分と、乱暴な馬車ではなくて?」
私は漸く湧いてきた気力を、先に立つよりも髪についた葉っぱを取ることに注ぎ込む。
確かに有難いけれども。私一人なら抜け出せなかったけれども。けど、もっと違う道はあったと思うのだが……。せめて、二階から飛び降りるとか。色々あっただろ。
「ええ。私は、ローラ様の騎士であり、万能の鍵であり、貴女だけのユニコーンでもありますから」
力強くて、獰猛で、勇敢で、足が速く、長く鋭い尖のある剣もある。成る程。それでユニコーン。
誰が上手いことを言えといったのか。
しかし確かに、ユニコーンを擬人化すればフィンのような奴だろうに。
「次は悲鳴を出せるように努力致しますわ」
これは何を言っても無駄だと思い、私は彼女の腕から立ち上がる。
さて。
「もうランティス様が待っていてもおかしくない時間だわ。フィン、急ぎましょう」
「はい」
私達二人は星空の広がる闇の中を走り出した。
「おい、遅いぞ」
そう言いながら待ち合わせ場所に既にいたランティスが私達を手招きする。
「二分も過ぎてる」
そう言って彼が見せて来た懐中時計は、確かにきっちりと約束の時間よりも二分先を表していた。
細かい奴だと言いたいところだが、どちらかと言うと私もランティスの様に時間厳守の誓いを守る方である。
遅れたのは、自分の度胸のなさが原因だ。ここは素直に申し訳ない気持ちを伝えよう。
「ごめんなさい。寮を出るのに手間取ってしまって」
「でも、大丈夫です。ローラ様には白馬の私がいますから」
そう言って胸を張るフィンを見ながら、自身が白馬で王子ではないのかと思ってしまわなくもないが、ここはひとまず置いておこう。
「ええ。フィンのおかげで無事に寮からの脱出は出来ました。ランティス様は大丈夫でしたか?」
「子供の頃からここにいるからな。抜け出すなんてお手の物だ」
それもそうか。ここに不慣れであるのは、私一人である。
年長者であるというのに情けないが、中途採用だと思えば致し方ない。年下の先輩だって世の中普通にいるのだ。こんな事を気にしていたら身がもたない。ここは、二人に付き従おう。
「研究室は、あの建屋にある。一階の窓で空いてる場所があるから、そこから入るぞ。でも、研究室の鍵は空いてないだろうな」
「こんな時間にも空いているだなんて、随分と無用心ね」
「そうか? こんな所に入っても宝があるわけじゃないだろ? 普通じゃないか?」
現代の様なセキュリティ義務もなく、また産業スパイと言う概念もないのか、この国の警備体制は随分と甘い。
時代背景も違うのだから当たり前かも知れないが、どうしても生前の感覚でいると一種の平和ボケみたいな錯覚を持ってしまうのだ。
「それもそうね」
「無駄話も後にして、取り敢えず行くか」
そんな錯覚を持ったとしても、今だけは助かっているのだ。良しとしようじゃないか。
ランティスは空いている窓に私達を案内する。
「ここだ」
「では、ローラ様。私におつかまり下さいませ」
「あら、フィン。いいのよ、自分で入れるわ」
「どうでもいいけど、早く入れよ」
私の胸より少し上にある窓を開けると、ランティスは軽々と飛び込んでしまった。
まあ、これぐらないなら、私だって。
「ローラ様、お先にどうぞ。私は後ろを見張ってますので」
「ありがとう」
えいっと、窓のサッシに手を掛けて腕に力を入れるが……。
「……」
嘘だろ。全然持ち上がらないじゃないか。
まだ、ローラは16かそこらだぞ!? 衰えた筋肉まで前世からコンテニューしてきたわけじゃないだろうに!
信じられない現実を受け止めれず、もう一度腕に力を入れるが、持ち上がる気配は何処にもない。
嘘だろ。
令嬢と言う生物は、何でこんなにも非力になるのだ? 私が高校生の時ぐらいはもっと身軽だったはずだぞ?
遠い昔を思い返してみるが、そもそも令嬢と言う生き物は、動かざること山の如し……、いや。動かざる者山の如しである。重い物を持つこともなければ、大きな運動なんてしないし、身体を動かす機会がまずない。
なのに、飯だけは食うのだ。上質な栄養豊富な餌だけを。これは、確かに、ヤバイかもしれない。
いや、まずはこの窓を上がる事を考えなければ。生活改善なんて後回しに決まっているだろう。
「ローラ様」
「フィ、フィン」
「勝手ながら、力を貸させて頂くことをお許し下さい」
言うのが早い。フィンは軽々と私を抱き抱えると、助走をつけて窓に向かって飛び上がる。
どうなっているんだ。本当に。この飛躍力は。
「一人で入れるんじゃなかったのか?」
フィンが見事に着地するのと同時に、それを見ていたランティスがニヤリと私に笑いかけてくる。
随分と意地が悪いことを言ってくれるものだ。
「私が勝手に、ローラ様を攫っただけでございますので、その言葉は適切ではないと思いますよ」
「次は俺が抱えて入ろうか?」
「もう、ふざけないでください。次までには私もアレぐらい出来るようにして参りますから」
なんたる無様な姿を二人に晒してしまったのか。
これでは足手まといもいい所ではないか。
「そう落ち込むなよ。ローラの役割はそこじゃねぇーだろ」
「え?」
「さ、行くぞ」
ランティスはそう言うと、スタスタと手慣れた様に鍵を開けて廊下に出て行く。
どう言うことだ?
それに、聞き返したのにもう一度言ってくれないなんて、ひどい話である。
彼はなんと言ったんだ?
役割はそこじゃないと、言ったのだろうか。
私の役割は、アリス様を守るである。それ以外は存在しない。でも、今のままでは、肝心な所でアリス様を守り切れない可能性が出て来てしまう。
そこじゃないってなんだ。ならば、何処だと言うのだ。
「ローラ様」
「フィン?」
「ローラ様が私を仲間にして下さったのですよ。ローラ様に出来ないことは、私がします。ローラ様は、ローラ様にしか出来ない事をして下さい。その為に、私はいるのですよ」
そう、彼女は笑う。
「多分、あの男も同じ事が言いたかったのかと。どうでもいいですけど」
そう言いながらも、ランティスのフォローもしっかりしてくれるフィン。確かに、そんな事はやりたくても私には無理なオーダーだ。
ランティスも、きっと。フィンと同じ事を言いたかったのかもしれない。
私にしか出来ない事をしろ。それ以外は、任せろなど、生前の私では信じられない言葉である。
なんでも一人でしなければ、隙を見せれば、甘えを見せれば潰される。そんな強迫観念に長年苦しめられていたと言うのに。
差し出された手を取れば、そのまま手が吹き飛ぶと思っていたのに。
何だか、随分と自分が甘えたな人間になってしまったような気がする。
「ありがとう」
こんなにも素直に、二人の手を取れる自分が信じられない。
「研究室は、二階だ。この時間なら誰もいないとは思うが、一応顔を隠して行こうと思う」
「ローラ様、私の提案ですよ。これ」
こっそりフィンがランティスの言葉に補足を付けるが、成る程。彼女が舞踏会と言っていた意味がわかった。差し詰め、仮面舞踏会といったところか。
「隠すものは、俺が用意したから各自被ってくれ」
「ありがとうございます」
「気がきくじゃない」
王族の用意した仮面なんて、大層価値がありそうなものだから怖いもがあるな。
弟王子とは言え、ランティスだって金銭感覚は王族だろう。
兄のティール王子が金銭感覚がかなり可笑しく、ゲーム内でアリス様に国宝級のアクセサリーをプレゼントしたのは記憶に深く刻み込まれている。
しかも、それに二人の頭文字を素人である王子が彫ると言う偉業までやってのけたぐらいだ。
そのイベントを何万回も見てきた私に取っては、弟王子のやんちゃな狂った金銭感覚故の宝石まみれの仮面が出てきたとしても、ちょっとやそっとのことでは、驚かない。
どんと来い、宝石ども。突っ込む事もしないからな。
「まあ、取り敢えず目は開けて置いたから小さかったら自分で調整してくれよ」
そう言ってランティスは私とフィンに二つの穴の空いた紙袋を手渡す。
「早く被れよ、行くぞ」
「何で紙袋っ」
これ、購買で貰える紙袋だろ。
狂った金銭感覚は何処に言った。
「何でって、部屋にあったから」
そう言うと、ランティスは我先にと紙袋を被り前を歩く。
「まあ、悪くありませんね」
横を見るとフィンも既に被っており、どうやらランティスの提案を受け入れたらしい。
まあ、悪くはないと思う。安いし、手軽だし、軽し、何より被った二人の正体が既に不明だ。全く見えないのだから当たり前ではあるが。
しかし、部屋にあったとは、使った後のものだろ。
別に、宝石まみれの仮面をかぶりたかった訳ではないが、特別紙袋を被りたいとは思っても見なかった。
兄であるティールと弟のランティスのこの違いは一体何なのだろうか……。
「……よし」
つべこべ言わずに、私も二人に習い紙袋を被ってみた。視界は少し狭まるものの、悪くはない。多分。
これで、誰にあっても一先ず安心と言った所だろうか。
しかし……。
「お腹の減る匂いがするわね」
パンの香ばしい匂いが何処と無く漂ってる気がする。
とてもじゃないが、これから研究室を荒らす様な気分にはならない匂いだ。どちらかというと、ピクニック気分になってくるじゃないか。
「こっちだ」
ランティスが合図を送ってくれると、私達はコソコソと後を付ける。誰もいないと言うのに、二人ともいやに用心深い。
よく考えてみれば、昼間の騒動があった後だ。私が捕まってみろ。即打ち首になってもおかしくは無い。二人とも、それを心配してこんなにも用心になっているのだ。
「今のところ、人の気配はしないですね」
「こんな深夜に研究する馬鹿もいないだろ」
電気がない世界だ。夜に頼りになる明かりはロウソクの炎などになる。それ故に、夜の作業は何かと効率が悪い。
現代の様に、朝から晩までは、働きたくとも働けないわけである。
ガシャガシャと紙袋が擦れる音を立てながら、いや、矢張りこちらの方が目立つ気がしなくもない。人が居ないし、取りたいと言いたいところだが、私以外は発案者と用意した人間しかいないのだから諦めるしかなろうに。
「ここだ」
そう言ってランティスが止まった部屋の前にはこの国の文字で関係者以外立ち入り禁止と書かれている。
なるほど、セキュリティ概念が低いこの世界でさえ、こんな文字を立てるぐらいなのだ。余程秘密裏な事が行われているのだろう。
「では、扉を壊すのでお下がりください」
「ええ」
矢張り、漫画の様に扉を剣で切り刻むのか。ファンタジーもクソもないこの世界で、そんな道理が曲がり通るのかは疑問であるが、先程から見せられているフィンの身体能力を持ってしてならば可能であるかもしれない。
日本刀には程遠い、レイピアに近い剣がこの扉に耐えれるかは実に興味深い。
かの有名な怪盗の孫の仲間の剣士宜しく、何でも切れる剣なのかもしれないな。いや、蒟蒻は切れなかったか。あやふやな記憶だが、今は確かめる術がないので、そこは気にしないでおこう。
「では参ります」
フィンは剣を握る。
ふむ。お手並み拝見と行こうか。
私とランティスが見守る中、フィンは剣を……。
「はっ!」
剣の持ち手側を力一杯ドアノブにぶつける。
ん?
え? 切らないの?
その後、フィンはガチャガチャと音をたててドアノブを引き抜き扉を開けた。
「開きましたよ」
いや、確かにドアノブに鍵が付いているからドアノブを引き抜けば鍵は開くのだが……。
これって、騎士ってより盗賊の技では?
「どうか致しましたか?」
「剣で切らないのかよ」
「そんな事をすれば、犯人の目星がつきやすくなるでしょうに。不特定多数を巻き込まなければ、意味はありませんからね。ローラ様、如何いたしましたか?」
「……いいえ、入りましょう」
いや、考え過ぎだ。悪い方に考え過ぎだ。
でも……。
この学園にいるのだ。何処ぞの令嬢かと思っていたが、私はフィンの血統すら知らない。
ゲームには存在しなかった彼女。
なのに、これ程の規格外の力と技術を持っているだと? この力を何故あのゲーム終盤の局面で、出てこないのだ。
ゲームだから? 今更そんな御都合主義な話があるものか! シナリオは、歪に、でも確実に回収されているのだぞ!
彼女は一体……。
私は必死に頭を振るう。
いや。やめよう。これ以上はここで考える事ではない。
私は、彼女の腕を信じる。彼女の忠誠も信じている。今はそれでいいじゃないか。
何かが、何かがおかしい。でも、言葉にすればするほど、靄が掛かる。ある事が分かっているはずなのに、そこにあるはずなのに、靄がかかって先に進めない。
その答えがいま、この部屋の中にあるとするのならば、私は見極めなくてはならないだろう。
この世界の全てを。
「行くわよ、二人とも」
_______
次回は5月6日(月)22時頃に更新予定となっております。お楽しみに!
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