第13話 貴女の為に一輪の百合を
「君は、何をしたのかわかっているのかっ!」
王子は声を荒げると、私からアリス様を庇うような仕草を見せる。
どうやらすっかり頭に血が上っているらしい。出来れば早々に下ろす事をお勧めしたいが、聞く耳はついていないだろうな。
「王子! 何故、私を信じてくれないのですかっ!」
私は王子に詰め寄り、負けじと声を荒げた。
「証拠が出ているのに、シラを切る気か!」
「証拠とは、一体何なのですか!」
初めて、王子向かって大声を張り上げ必死に食い下がる私に、王子は一瞬戸惑うものの、すぐに軽蔑の色を灯した瞳で私を見てくる。
この人の中では、考えるよりも先に私と言うだけで何かとてつもない巨悪があると盲信しているのだ。
これも、一種の宗教ではないかと思ってしまう。だって、そうじゃないか。思考より先に悪役令嬢と言う記号を見て判断を下す。何か巨悪があると信じている。そこに現実なんて一欠片も存在しない。
なんと馬鹿馬鹿しい話だ。
この後に提示される私のハンカチに、何の意味があるのかすら、彼は見えていないのだから。
「アリス達の部屋から、君のハンカチが出てきた。この意味がわからないほど、君は馬鹿ではないだろ?」
私は、わざとらしく大きなため息を吐く。
馬鹿ではないと願いたいのは、こっちだと言うのに。
「君は、やりすぎたんだ!」
「わかりかねます。何がやりすぎたと?」
「君は、昨日の晩にアリス達の部屋へ押し入っただろ!? 何故、直ぐにバレる嘘をそうも平気な顔でつけるのか、僕には意味がわからない!」
「……やり過ぎなのは、何方かしら? 意味がわからない馬鹿は、貴方ではなくて?」
私の暴言に、周囲が息を飲む。
王子は言いと、信じられないと言うように目を大きく見開いた。
私に取っては、今この場が信じられないが。
「なっ!? 君は何を言ってるのか分かっているのか! 侮辱するきかっ!」
「脅しですの? 弟君から聞きましたわ。そんな馬鹿な話がありまして? そんな取ってつけたかのように置かれていたハンカチを、貴方は証拠だと言うのだから、馬鹿はどっちだと伺った迄ですわよ。それとも、貴方は本気で私が犯人だと思ってらっしゃるのかしら?」
ここまで来ると、笑い話にもならない。そうは思わないだろうか。
「私が、何のためにロベルトさんの部屋に押し入るのですか?」
「彼女が僕と……」
「では、何故、私は貴方に詰め寄らない? 相手がすぐそこにいるのですよ? 何故、回りくどく彼女を攻撃するのですか!」
「それは、君が……」
貴方が好きだからだと? そう、続けるつもりなのか。
そんな戯言を聞きたくなて、私は彼の言葉を遮った。
「貴方にとって、私は酷く性格が歪んだ女なのでしょうね。事実を捻じ曲げても、そうでなくては困る存在なのですね」
本気で、彼と恋愛が出来るなど思ってもいなかった。この世界で、貴方の婚約者に成ったとしても、貴方が私を選ぶ筈がないと思っていた。
画面越しに、アリス・ロベルト越しに、何万回出会っても落ちても、何万回貴方と恋に落ちても。
そんな都合の良い事なんて起きないと、分かっていた。
でも、少しだけ。本当に少しだけ、仲良くなれたらと思っていた。それは、貴方にとっては恋ではなくても。私に貴方が少しだけ、ゲームの中のローラよりも、少しだけ、心を開いてくれると、少しだけ、下らない希望を抱きながら、ここまで来た。
でも、やっぱり、私は悪役令嬢で、貴方はヒロインを救う王子様で。
相容れない関係で、分かり合えない場所にいて、私なんかただの飾りで、貴方に取ってはただの登場人物でしかなくて。
それでも、それでも。ずっと、心の何処かで、期待していた。
そのもしもをすっと信じていた。
それを壊すのが怖くて、見ないふりをして、聞かないふりをして、身を縮めて、ずっと逃げ来たのは私だ。
貴方だけが悪いんじゃない。けど、頭の中ではいくら分かっていても、貴方を思う気持ちに今、私は私の手でトドメを刺さなければならない事実に、こんなにも胸を痛めるだなんて思っても見なかった。こんなにも、貴方に対して私を思ってくれなかった憎しみにも似た感情を理不尽に抱くなんて思ってもなかった。
左様なら、私の王子様。
左様なら、私の初恋の人。
甘くない世界で、私は泡になるわけにはいかない。ナイフを今、振りかざして貴方の胸に突き立てます。
嫌って欲しくない。
少しでも、私を見て欲しい。
餞の代わりに、私のその気持ちにも、貴方と共にナイフを。
「何故、私が貴方に好意を抱かねばならないのですか。王子」
言の葉のナイフは、ブスリと音を立てて沈んでいく。
「何故、貴方の為に私が悪役になってでも、私の事を毛嫌いなさる貴方に、貴方の為に、そこまでする必要があると言うのですか」
王子は言葉なく私を見る。
まるで、私の言っている意味が分からないとでも言いたいのか。
「おかしいでしょ? 少しも考えて見なかったのですか? 動機もそうですが、ロベルトさんの部屋には窓から侵入されたと仰っていましたが、同じ寮内にいる私がわざわざ窓から? 可笑しくはありませんか? 私なら、迷わずドアをぶちやりますよ。それとも令嬢自ら木やら梯子に上って窓から入るとでも? そんな身体能力があれば、今貴方に捕まえる前にこの窓から飛び降り逃げているとは思いませんか?」
私の責め立てる言葉に、王子は口を開く。
「人を、人を雇ったのかもしれないだろ!」
「何故、雇った人間にわざわざ自分のハンカチを渡すのですか! また、雇った人間は自分に結びつく証拠を何故持って歩くのです!」
私の正論に、周りは只々王子を見た。
皆、薄々気付いていたのだろう。取って付けたような証拠の可笑しさを。
それでも、王子に意見を告げる強さを持ち合わせていない取り巻きたちは、只々王子の言うがままに動くしかなかった。いつもの様に黙って私が受け入れれば、いつもの様に波風が立たずに目出度し目出度しで幕を引く。それを、只管口を噤んで待っていた。
でも、今回はそうは行かない。
護るべきアリス様が居る今、恋心やら贖罪やら下らない自分よがりの感情など糞食らえだ。
私の言葉に、王子は必死に言葉を探す。
既に、彼は気付いていないのだ。自分が今、何故私を責める言葉を探さなければならないのかを。
最初は、ただの正義感で私を責めていた。弱き者を守る気持ちだけで、私に詰め寄っていた。でも、今は違う。彼は気付いていなくても、彼は今、明らかに自分を守るだけの為に、私を責める理由を探しているのだ。
もう一押しだ。
「貴方は、そこまでして私を、ローラ・マルティスを犯人に仕立て上げたいのかっ!! 嫌うだけなら未だしも、このように多くの人を巻き込んで迄、何故、其処迄私を憎むのですかっ!」
王子はもう、鉾先を変えるわけにはいかない。私を刺し殺さないと、自分が死ぬ。それが、分かっている。
周りの反応を見ていれば、それは一目瞭然だ。
私を断罪する為に、人を引き連れて探していたとなれば、それがここまで裏目に出たのを悔やむ他ないだろう。
もし、二人だけならば、彼は少しだけ今、冷静になったかもしれないと言うのに。
それこそが、私の狙い目になってしまったのだから。
「君は、君は、シャーナにハンカチを渡したじゃないか……。共犯に巻き込もうとした彼女にっ!」
「ええ。確かにハンカチはお渡ししました。でも、共犯の為と言う訳ではございませんわ。ロベルトさんが、私がぶつかって食器を落としてしまった際に、スープがスカートに付いて仕舞われましからね。事故とは言え、あの場で私は彼女に謝り、染みを取る為にハンカチを貸すことさえも王子が許されなかったので、シャーナ様にハンカチを託した迄でございます。そうですよね、シャーナ様」
皆がシャーナ嬢を見るとシャーナ嬢は緊張のあまり肩を張る。
ランティスの話だと、私が彼女に託したハンカチは何故かティール王子が持っていると言っていた。結論を見れば、彼がシャーナ嬢の言い分を聞いていなかった事は明白である。
シャーナ嬢が過程を話せば、彼は彼女からハンカチを奪う事はしなかっただろうし、近くにアリス様が居れば、アリス様はそれを良しとは絶対にしない。
私のことを極悪非道と言うのならば、彼の行動は一体、どうなると言うのか。
シャーナ嬢は、視線を外し、恐る恐る口を開けた。
「確かに、マルティス様の言う通りです……。私は彼女に、アリスにハンカチを渡すようにと頼まれました……」
「なっ! 君はそんな事、一言も言わなかったじゃないかっ!」
「だって、王子が聞いてくれなくて……っ」
「君は、怯えてなにも言えなかったんじゃっ」
「やめて下さいっ!」
私は声を張り上げる。
潮時だ。これ以上王子が喚けば喚くだけ、アリス様が悲しまれる。
きっと、私が今叫ばなかったら、彼女の口からこの言い争いを止める言葉が出てきてしまっていただろうに。
それでは、意味が無いのだ。
私と王子の立場をすり替えるには、それでは意味が無いのだ。
「王子、ナーシャ様を責めるのはおやめください。彼女は、ロベルトさんの良き親友でございます。彼女はロベルトさんを大切にしている。だからこそ、昨晩の蛮行の時でさえ、一人で逃げれば助かる確率が上がると言うのに、危険を冒してまで彼女を起こして、彼女の身を守った。そんな誇り高き貴族のナーシャ様が、何故親友を私に売る真似が出来ますでしょうか! 私が、彼女を騙して取り入る? そんな事をすれば、彼女は間違いなく私の手を払いのけハンカチなんて受け取るはずが御座いませんっ! 彼女は勇敢です! 何故、彼女を信じられないのですかっ!」
今度は、私が彼女と王子の前に立ち塞がり、彼女を守るような仕草をする。
皆の目が明らかにここから変わり出した。
悪役と正義の味方が今、この場から変わったのだ。
と、すればだ。私が取る行動は正義のヒーローであった王子と同じ行動を取らねばならない。逆に、悪役である王子には、私と同じ行動を取ってもらわないとならない。
王子が反論を返して来る前に、私は正義を振りかざして彼を弾糾しなければ。
「私の事は、どう思われても構いません。貴方が私を悪者にしたいのならば、すればいい! 私一人が我慢をし、涙を流せば済むことでございましょう。貴方がそれで満足をすれば、父にも、周りの人間にも害が及ばなかった。しかし、今は違いますっ! なんの批難の覚えもない、ご令嬢が責められているのを黙って見過ごすだなんて、私には出来ませんわ!」
私は王子を睨みつける。
「貴方は、貴方の為だけに、地位を使って人を傷つけて笑う方ではないと、信じていたのに……。今、私は裏切られた気持ちを隠しきれませんわ」
人を責める事は苦手だ。いや、苦手よりも嫌いである。
よく、王子の様に他人の事を捲したてる人を生前もよく見かけていたが、どうすればそこまで言葉が出るのかと逆に関心を覚える程だ。
人と喧嘩をした事はない。記憶にある限り、親にもない。穏やかな性格と言えばそれ迄だが、実際は人を責める事が怖い。
もしかしたら、少しでも私に非があるのでは?
責めるのは間違いなのでは?
もし、言い負けたら?
全てが怖い。私が悪者になってしまったら、人から嫌われるのでは? 全てが敵になってしまうのでは? そんな恐怖が何処からともなく私に這いずり上がって来る。
笑えない話だ。
味方なんて最初から誰もいないのに。好いてくれる人なんて一人もいないのに。
でも、今は違う。
ランティスがいる。全てを知って、味方で、良い人だと背中を押してくれた彼がいる。
何ともおかしな話だ。
味方なんていなかった人生よりも、信じてもらえる人がいる今の方が強く出れるなんて。
自分でもおかしくて笑ってしまう。でも、それが事実だ。現実だ。
守る物がない人生よりも、守る物がある今の方が強くなれる。
そんな歌詞みたいな事を思いながら、私は王子を見た。
貴方の守りたかったものは、一体何なのか。今の私には分からないけど、貴方がどれだけ強かったかは今になって分かります。
「勇敢な彼女を責める貴方に、私は立ち向かいます! 王族には向かう事が罰だと言うのなら、私は罰せられても構わないっ! どうぞ、今すぐに首でも何でも斬り落として下さいませ! でも、彼女には指一本触れせはしないっ!」
大層な正義感だと自分でも思う。
まるで本に出て来る主人公が吐く陳腐な台詞。
他人の為に首を差出せる訳なんかないのに。それぐらい、擦れた気持ちが私にはあった。
だけど、今ならその主人公の気持ちが分かる。アリス様が守りたいものは、私に取っても守らなけばならないもの。彼女を悲しませる事は、私にとってはどんな罪よりも重い。
そして、彼女を守る事は、自分の命を賭ける事なのだ。こんな所で足踏みしている暇はない。今も、アリス様を狙う不届きものはのうのうと、彼女を次に襲う手立てを考えているのかもしれないと言うのに。
王子には悪いが、私の邪魔をするならばここでご退場願わねばならない。
「ローラ……」
王子は、顔を強張らせ私の名を呟く。
今、貴方にはどんな感情が渦巻いているか、私には推し量る事さえ出来ない。私に裏切られたとでも思っているのかもしれない。今まで、なにを言われても人形の様に押し黙っていた私にここまで言われることがショックなのか、自分の考えが間違っていたことにショックを覚えているかすら、私にはわからない。
でも、彼が少なからずショックを覚えているのに、私は安堵してしまう。矢張り、ティールはゲームの中のティールと一緒なのだ。私の知る、彼なのだ。ただ行き過ぎた正義感が暴走していただけなのだ。身も蓋もない、只々私が醜いから憎くて仕方がなかった訳じゃないんだ。
恋心なんて、遠の昔に投げたはずなのに。それだけで彼の全てを許しそうになってしまう。
「兄貴、ここは引こう。確かに、今は証拠が少ない。今、シャーナを責めたところで解決にはならないぞ」
そんな私の心情を知ってか知らずか分からないが、ランティスが打ち合わせ通りに王子を止めに入る。
正直、これ以上責める言葉が思いつかなかっただけに、有難いタイミングだ。
「しかし……」
お願いだ、ここで引いてくれ。
でなければ、これ以上の言葉は貴方の人格否定しかない。
「兄貴。本気で続ける気か? それとも、本気でこいつの首を斬るつもりか」
「そんな事はっ! 彼女は……」
彼女は? 私は? 私が、一体、なんだと言うの?
聞きたかった彼の言葉が、冷たい声でかき消される。
「首を削ぎ落とせばいいだろ。彼女自らそう願ったんだから」
「タクト!?」
黒髪の眼鏡の男が王子の肩を持つ。
タクト……。
王子の幼馴染であり、この国の大臣息子でもあり、そして、アリス様の攻略対象キャラクターの一人の、タクト。
画面越しで見るよりも、王子とは対象的なサラリとした髪にキツイ目つきが何とも威圧的だ。
「剣を取れ、ティール。王族への侮辱は、叛逆行為だ」
「おい、タクト! お前、何を言ってんだよ!」
筋書きとは違うルートへ導くタクトに、ランティスは声を上げる。
ランティスの言葉にはっとして、タクトを見ればその冷たい緑色の目が私を見下している。
「彼女は、ただ不可能である事を述べただけに過ぎない。こちらと同じで現状証拠に似たものだ。決定的なものは何もない。であれば、ここで首を斬って次の事件が起きなければ犯人ではないと言えるな。いい機会だ。今ここで斬っておけばはっきりするぞ」
「タクト! お前、巫山戯るなよ!」
ランティスは、タクトの腕を掴み睨みつける。
「ロ……いや、相手はマルティス家の令嬢だぞ!」
きっと、彼は今、ローラはそんな奴じゃないと言い掛けたのだろうな。
上手い切り返しだ。だが、問題はそこではない。
「だから何だ? ただの公爵の娘だろ? こちらは王族だ。気兼ねする方が間違っている。国を治めるならば、ティール、やるべきだとは思わないか?」
「っ!」
不味いな。ランティスが、押されている。
形勢逆転したつもりが、これでは何も変わっていない。
ランティスは必死に私に逃げろと視線を送るが、逃げ出したら、それこそ首を刎ねられるだろう。
ならば、こうするしかない。
「そうですね」
私は膝を折り、首を垂れる。
「どうぞ、首をお刎ねくださいませ」
命がかかっていると言うのに、私の心は冷静そのものだ。慌てふためくわけでもなく、こんな理不尽がと怒り狂う気さえ起きない。不思議なものだ。
ここで死んでも構わない。
アリス様を託せる仲間は今ここに居る。
全くもって、私と言う人間は生まれ変わろうが、世界が変わろうが、自分を変える事が出来ない女だとつくづく思う。
もし、王子に楯突くだけの勇気がもっと早く出ていれば、リュウと仲良くなろうと勇気を出していれば違う未来は見えていたかもしれないと言うのに。
苦手な事、嫌な事は何でも後回し。だから、こんな皺寄せがくるのだ。
何とも笑える話だな。
「ティール、剣を持て」
「兄貴、止めろ!」
どうか、ランティス。私の意思を貴方が継いでくれ。貴方になら、私の全てを託せれる。
「兄貴、やめてくれっ!」
有難う、ランティス。私を信じてくれて。
有難う、ランティス。最後まで、私なんかの為に声を張り上げてくれて。
有難う、ランティス。貴方が居なければ私は……。
「ローラ様、顔をお上げください」
上から、聞きなれない声が降ってくる。
凛とした、百合のような美しい声が。
「……貴女は」
一体、誰だと思い顔を上げると、そこには銀色の長く美しい髪を揺らした女子生徒が剣を構えて立っていた。
「騎士、様?」
そこには、確かにあの中庭で出会った女騎士が居たのだ。
「ローラ様、お立ちください。こんな下らない茶番に、首を差し出すことなどございません。貴女はただ、立ってこの大馬鹿どもを笑っていれば良いのです。貴女に似合うのは笑顔だけです」
一体、どうなっているんだ!?
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次回は5月2日(木)22時頃に更新予定となっております。お楽しみに!
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