第11話 貴方の為の幽霊令嬢を

「いいから、答えて!」

「落ち着けって。アスラン伯爵の婚約者だろ? 一度、女子生徒と話している時に話題に上がったんだが、その女子生徒も母親から婦人会での噂のまた聞きしたものと言ってた。情報の正確性までは保証できない」

「そんなに、アスランの婚約者様は正体を知らない人なの?」

「何と言うか……。……いや、難しいな。君は何か事情があって、婚約者を知りたいみたいだけど、その事情を俺に教えてくれる気はある?」


 私は、思わず口を閉じてぐっとスカートの裾を握る。

 ランティスには取引だと言われて話だが、対象者であるリュウに迄素直に話すべきなのかが躊躇われる。

 内容が内容だ。いくら現段階ではリュウのアリス様への直接的な関与はないものの、アリス様の行動次第ではリュウはアリス様と恋仲になる可能性だってゼロではない。

 しかし、情報は喉から手が出る程今は欲しい。

 私が困っていると、リュウは溜息を一つ落とし、私に座るように促した。

 落ち着いた彼の声に悪手を指した様に、背筋が凍る。私は千載一遇のチャンスを不意にしたのか?


「そんな顔をしないでくれるか? 顔面蒼白だぞ」

「ごめんなさい……」


 でも、矢張り、リュウに話すのは正しい事だとは思えない。

 無邪気な本好きの彼には、過ぎたる情報でもあり、何よりもこんな問題に今は彼を巻き込むべきではないのではないかと、同情に似た感情が芽吹き出している。

 それはきっと、ゲームで描かれていた記号の様な彼ではなく、本当の彼を見てしまったのだからだろう。

 ランティスの言葉を借りるなら、彼は良い人だ。良き、読書人である。些か、その為に行動は突飛だが、悪意があるわけではない彼の行動に嫌悪が湧かない。それが、その証拠だ。


「いいよ。聞かない」

「えっ?」

「何も君に聞かない。君は俺を本好きの仲間だと言ってくれた。俺も、ローラの事は本好きの仲間だと思ってる。はじめての、仲間だ。君が困ってるなら助けるよ。それが、今日君に失礼を働いたせめてもの謝罪の気持ちだよ」

「ま、待って。そんな、別に貴方は悪くないわ」

「じゃあ、要らないの? その情報」

「それは、欲しいですが……」


 でも、謝罪の対価として貰うなんて出来ない。

 彼は、何も悪い事をしていないのだ。言うなれば、私が勝手に泣いただけ。それだけで、そんな、私ばかりが受けるなんて理にかなっていないだろうに。

 それに、誤解はお互い様だ。私だって、彼を他人の情報だけで大きく見誤っていたではないか。


「ローラの優しさは愚かにも似てるな」


 口籠っている私に、リュウが小さく笑う。

 自分でもわかっている。わかっているけども、彼をただの駒として、いや。登場人物として扱いたくはないのだ。


「じゃあ、こうしないか? 俺は今からローラに頼み事をする。君がそれを引き受ければ、俺は代わりに情報を君に渡したい。これなら、お互いの利害が一致するし、一方的だと言うこともない」

「頼み事?」

「ああ。ローラには、これを読んで欲しい」


 そう言って差し出されたのは、彼の鞄から出てきた紙の束である。


「これは?」

「笑わないで聞いてくれる?」

「勿論」


 私が真剣に頷けば、逆に彼があーとか、はーとか、随分と言葉を選び始めた。

 一体、何が書かれているのだろうか?

 そう思って、紙を数枚めくれば、それは隅から隅まで文字で埋め尽くされていた。

 文字の所々には、煌めくばかりの文字が埋められているではないか。


「これは、小説、ですか?」


 私がそう問いかければ、彼は恥ずかしそうに顔を上げてコクリと頷く。


「俺が書いた、小説なんだ。まだ、途中だけど、これを読んで感想なんかを、どうしても聞かせて欲しくて……」


 はにかんだ笑顔で彼は私に笑う。

 どうやら、彼は純粋に読書仲間を探していたわけではない様だ。

 自分が書いた小説を、きっと誰かに読んで欲しくて、感想が聞きたくて、それに相応しい相手を探していた。

 何とも素敵な下心をこの男は女好きと言う仮面で隠していたと言うのか。


「喜んで。頼み事でもなくても、読みますよ」

「いや、初めて書いたものなんだ。そんな、依頼もなく読める代物じゃないよ。恥ずかしいんだ、早くしまってくれ」

「そんなに、謙遜しなくても。物語を愛する人の話は、どれも素敵な話ですよ。大事にお借りしますわ」


 上手いも下手もないのが、小説だろうに。

 厳密に言えばあるかもしれないが、読者にとってはそんなもの関係はないのだ。

 物語が好きならば、下手も味だと思う程に。


「最初の読者が君で良かったよ、ローラ」

「光栄ですわ」

「次はアスラン伯爵の婚約者の話だが……、ローラ。君は何処まで噂を知ってる?」

「伯爵の血筋の娘で、アスラン様が一方的に婚約を破棄し、婚約者側が激怒している、ぐらいですかね?」

「俺も知ってるのはそれぐらいだ。えっと、少し待ってくれるか? 今、名前を見るから」

「見る?」


 そう言って彼が取り出したのは、数枚の紙である。


「これは、ここに通う女子生徒の名前の一覧だ。君は最近入って来たばかりで、まだ追加していないが……。おい、そんな顔をするなよ」

「……一覧、作ってるんだと思いまして」


 そこは素直に気持ち悪い。何より、この一覧を持ち歩いている事実も少し、気持ち悪い。

 遊び人みたいな印象だったリュウが、今では本好きのやばい奴にシフトチェンジしそうな勢いである。


「失礼な事を思っているな、その顔は。まったく、これはただの女子生徒だけの図書館利用状況だよ」

「その時点で、ただのと言う言葉が可笑しい気もしてますが、そんなものを何故?」

「本を読むかどうかの確認をこれでしてるわけだ。前聞いた話によると、女子生徒は俺たちよりも一つ下らしい。名前は……、あった。フィシストラ・テライノズだ」

「フィシストラ・テライノズ……」

「だけど、本当に彼女かは分からない。噂はあくまでも噂だ。しかも、俺たちにも身に覚えがある最悪な形でのまた聞きで広まってる噂だからな」

「ええ。承知しておりますよ。それより、このフィシストラと言う女子生徒が、アスランの親戚?」

「ああ。それは、本当だな。そこら辺の一族では一番力のある貴族の娘だ」

「爵位は、伯爵?」

「ああ。それは、一緒なんだが……」

「他にも何か?」

「いや、先程俺が言った言葉を君は覚えているか?」

「私は悪名高いローラ・マルティスと言うよりも、噂のアスラン伯爵の婚約者殿と言われた方が納得できる、でしたっけ?」

「そうだ。フィシストラと言う令嬢も変わり者で有名なんだよ」

「変わり者?」


 私が首を傾げると、リュウは頷く。


「テライノズ伯爵は、最近頭角を表した貴族なんだ。彼には二人の息子と一人の娘がいる。息子二人は彼の開く夜会や茶会などの社交場に父親と共に顔を出すが、一人娘のフィシストラは一度たりとも社交場に姿を現したことがない」

「待って。私達の下の年代ならば、幼少からここにいるはずで、それは不思議ではないのでは?」


 私はランティスの事を思い出しながら言うと、彼は顔を振る。

 私もそれほど社交場には顔を出さない方だが、それでも王子であるランティスの記憶はない。フィシストラもそうなら、特に問題はないなでは?

 しかし、彼の答えは信じられない内容であったのだ。


「この学園に通う前である幼少期でも、一度もない」

「一度も?」


 それは可笑しい。

 貴族というものは、結婚をすれば、結婚相手を。子が生まれれば親は子を引き連れて社交場に出るのが一般的である。狭い社会といって仕舞えばそれまでなのだが、狭い社会で彼等はこの先人間関係を築かなければならない。それは、婚約と言う意味においても重要なものであった。

 女は子を産むのが役目だと言うこの時代に、娘を社交場に連れてこないと言うことは、その娘の運命は絶望的となる。


「この学園に彼女の名前はあるが、見たものは誰もいない」

「そんな、幽霊じゃあるまい……」

「事実上の幽霊だな。まるで本の中の様な話だよ。と言っても、実際会っていても分からないだろうがな。一度も顔を見た事がないと言うのは、そう言う事だ」


 そう、狭い世界だからこそ、この世界の学園ではわざわざ自己紹介と言う概念がない。

 皆、社交場では当たり前の様に顔を見ているのだ。社交場にそれほど積極性を持ち合わせていなかった私は例外だが、それこそ皆、何処かで仲間の誰かが会った事がある人物のみ。それ以外は平民だと片付けられる。


「顔を知っているのは、この学園ではアスラン伯爵だけだろうな。いや、本当にそのフィシストラがいればの話になるが」

「そんな雲を掴むような話が、あると言うの……?」


 折角、アスランの婚約者の名前が分かったと言うのに。

 でも、誰も見た事がない彼女ならば、それこそ、アリス様を……? 彼女の動機と気配だけが私の中で加速して行く。


「と、言ってもあくまで俺が聞いた噂話だ。事実は違っているかもしれないし、案外友達もいて普通に学園生活を送ってるかも知れない。貴族は暇な子供達が多いんだ。本を読めばいいものを、下らない噂話に皆んな貴重な読書時間を失ってまで、噂を無駄に費やしては作って広げる」

「一種の病気ですね」


 被害者の会と言うわけではないが、それこそ我々が身をもって知る事実なのだ。


「君は、そのフィシストラを探しているのかい?」

「そうね。探しているわ」

「ふむ。だったら、もう少し詳しく聞いてみるか」

「そんな、悪いです」

「いいよ。噂を聞いた女子生徒には本を返して貰わねばならないし、なによりまだ一つ下の女子生徒達には余り声を掛けれてないからね。それに……」

「それに?」

「幽霊令嬢なんて、如何にも小説の題材になるものを他ってはおけないよ」

「まあ、それは。頭が下がる事」


 これは有難く、リュウの話に乗らせて貰おう。

 しかし、アスランとは謎の多い人物だ。探し物はおろか、婚約相手だって幽霊かもしれないなんて。

 ミステリアス担当は、違ったはずなのだが……。

 私はその後残っていたサンドイッチを平らげると、リュウに礼をいい彼と食堂で別れた。

 今日は随分と勤勉に働いた気がする。この後は、寮の自室に戻り、リュウの小説でも読んで夜まで過ごそう。

 明日の事は、その後だ。

 私はそんな呑気な事を考えながら帰路につく。

 とんだ厄日だが、そんな日の夕日にしては随分と美しいではないか。そんな事を思いながら。

 この後起こる、ある事件の事など何も知らずに……。




 翌朝、寮は随分と騒がしかった。

 大抵の令嬢は朝食を自室まで届けてもらい、自室で食べるのだが、私もその一人である。

 夜遅くまでリュウの小説を読んでいたため、まだ眠気が抜けない頭で朝食を運ぶベルに扉を開ければ、随分と廊下が騒がしい。


「何かありましたの?」


 毎朝朝食を運んでくれる寮母手伝いに声をかけると、彼女は声を顰めて私に教えてくれた。


「ええ。何でも、昨日の夜にある寮の部屋に誰かが押し込んだらして……」

「まあ。その部屋の人たちは無事だったのかしら?」


 こんな平和な学園に、そんな事が?

 驚く私に、寮母手伝いは眉を下げる。


「ええ。部屋にいたお二人はご無事だったようですよ。随分とここよりも下の階なのですが、ローラ様は夜中にガラスが割れる音をお聞きにならなかったですか?」

「ガラス? 特には聞こえなかったわ。窓を破って侵入したの?」

「はい。どうやら、その様です」

「一階の窓から寮内に侵入したのね……」

「いえ、それが……。三階にある部屋の窓を割って、直接その部屋に」

「三階に?」


 私は寮母手伝いの言葉に違和感を覚える。

 三階までわざわざ窓を割って?


「ええ。怖い話ですよ。ローラ様が言うように、一階から入ればローラ様の部屋までも簡単に来られますので、くれぐれも戸締りはしっかりとなさってくださいませ」

「え、ええ。そうね。ありがとう。お仕事頑張って下さいね」

「いいですよ。また、何かあったらお声を掛けてください。ここにいる令嬢の中では、ローラ様が一番女神様だわ」

「そんな事は、なくてよ」


 私が笑うと、彼女は笑って次の部屋へと朝食を届けに向かう。

 彼女は貴族ではなく、ごく普通の平民だ。アリス様の様に、この学園に学ぶ為に来たわけではなく、仕事をしに入ってきた若者である。

 平民故、ローラ・マルティスの噂を知らないのか、私には随分と当たりが良い。

 それにしても、強盗とは些か物騒だな。しかも、三階と言う中途半端な階層に。

 セキュリティからか、この寮は上へ行く程身分が高い令嬢が部屋を借りている。勿論、公爵である私の部屋は最上階だ。他の公爵令嬢もこれは同じである。

 逆に、二階からは平民、まは地方貴族に貸し与えられている部屋となる。

 三階と言う中途半端な階にわざわざはいるぐらいならば、もっと上の階に入った方が金目の物を狙うのならば、効率がいいのに。

 暴行目的ならば、強盗とは言わないし、何を思って三階なのだろうか。おかしな話だ。

 この時、私は三階に何があるのかなんて考えもしなかった。

 まさか、アリス様とシャーナ嬢の部屋に強盗が入ったとはつゆ知らず、私は一時の休息を楽しんでいのだ。ああ、なんて呑気な脳なのだ。

 物語は、既に始まっていると言うのに!




_______


次回は4月30日(火)22時頃に更新予定となっております。お楽しみに!

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