第9話 貴女の為に一冊の本を
さて、何の収穫もない事には変わりがないが、ある程度の方向性は見えてきた訳だ。
ここらで一つ、ランティスに情報を共有して彼の見解も聞いてみたい所である。
矢張り、ランティスに一度会うべきか。
そう思った私に、一つの問題が浮かび上がる。
それは、酷く間抜けでいて、何とも私の頭で悩むには過ぎた問題であった。
その問題とは、如何にしてランティスと連絡を取り合うかである。
自分を呼べと豪語していた彼は、私同様にとんだ間抜けだった様だ。
すっかり忘れていたが、ランティスの近くにはアリス様もいるが、ディール王子もいる事となる。これが如何に問題か分かるだろうか。
彼の身内、いや、それも最も親しい弟王子に私が声でも掛けてみろ。それこそ、火がついた様に私を捲し立てるばかりか、ありもしない事実をアリス様の前で大声を張って主張し、尚且つ自分に飽き足らず弟までもその毒牙にかけようと言うのかっ! と、貴方がいつその毒牙とやらに掛かったのかと言う陳腐んな言葉を並べるに間違いない。
そして、その愛しい弟王子と私が知り合いだとバレてみろ。弟を唆して、それまで自分に近づきたいのか! と、自意識過剰極まり無い被害妄想が飛び出してくる。
それだけならば、私が我慢をするだけで済むが、ランティスと私の接触を良しとしない王子は弟を城へ強制送還してしまうかもしれない。彼なら、やり兼ねないし、そんな事になったら目も当てられない。
まだ、ランティスを利用してもいなければ、今後アリス様を守るのも難しくなってくる。
それだけは、どうしても避けなければならなかった。
そうなってくると、此方からのランティスへの接触は迂闊に出来ない。したところで裏目にでるのはこれ以上に目に見えているだけに、私に出来る事は彼が私へ接触してくるのを待つと言う事以外にないわけだ。
いつランティスが私に接触を試みるかは、私でもわからない。たが、それを待つしか今はない訳である。
全く、頭が痛くなる。
空いた時間でアスランを探すかと思ったが、選択移動範囲の狭いゲームと違い現実の学園は広過ぎる。犬も歩けばアスランに当たるが、ローラが歩いてもアスランには当たらないのだ。
私はアスラン探しを早々に脳内の選択肢から外し、自分がいた教室に戻る事にする。
アスランを追って出てきたのだ。荷物は持っている筈もない。荷物と言っても、図書館で借りた薬草の本だが、今の私には必要がなくなってしまっている。本を取りに行って、図書館に向かうのが今日の仕事納めと言う事にしよう。
小腹が減ったが、まだこの時間、王子がいたらと思うと食堂へ行く事は大いに躊躇われる。今日もいつもみたいに、食堂へは本を返しに言った後に、誰もいない事を見計らい萎びたサンドイッチを頬張るしかない様だ。
私が教室に着くと、人影が見える。
こんな時間に一体誰が? しかし、そんな事は考えなくても分かりきっている事に他ならない。
この学園では、現代では考えらないが昼の授業と言うのが稀にしかない。だがよくよく考えてみると、実に理にかなった話でもある。特定の研究学科は昼間でもあるのだが、研究する必要のない生徒の多くは既に幼少期から家庭教師を付けている貴族の子供達である。それ程勉強を詰め込む必要はないのだ。
少なくとも、勉強が必要ない貴族にとって、この学園では幼い貴族達の社交場である。ここで親しき友を作るも良し、集団に於ける自分の役割を確認するのも良し、貴族は既に未来が決められている故に青春に身を焦がすのも良し。その為の時間と場所をこの学園は提供している。
私には無用の長ものだが、彼には意味があるのだ。
少なくとも、この教室の中にいる彼にも。
私は扉を開けると、顔を近づけている男女が目に飛び込んできた。
「あら、失礼。誰か居たのね」
ゲームでこの教室に来て会うのは彼だと決まっている。驚く事でもない。そう。リュウである。
私の声に、リュウと女子生徒はハッとして身体を離すが、声の主が私だと知り、女子生徒は悲鳴を上げてしまう。
失礼この上ないなと思っていると、女子生徒はすぐさま私の横を抜けて廊下の向こうへと走り去っていった。
残ったのは、リュウ一人。
だが、今の私には関係ない。今日の監視は閉店である。私は図書館に本を返して萎びたサンドイッチを食べると言う予定があるのだ。
どうせ、リュウも飛び出していった彼女の様に教室の外へ出て行くだろう。是非ともそう願いたい。
しかし、私は自分の席に向かおうとすると、予想外の事が起きたのだ。
「俺を脅すつもりか?」
耳を疑いたくなる様な言葉が降ってくる。
歩みを止め、リュウの方を見ると彼は私を睨みつけているではないか。
今、彼は確かに脅すだのと言う物騒な言葉を私に言ったのか? それとも、空耳か?
いつまで経っても口を開こうともしない彼に、私は空耳だったと結論づけて顔を背けた。いや、正確に言えば背けたのではなく、背けたかったが正しい。
「俺を脅すつもりなのだろ? 噂に違わぬ悪党ぶりだ」
背けようとした瞬間、二度目の言葉が降ってくる。
噂は置いといて、この男は何を言っているのか分かっているのだろうか?
「……何を仰られているか、私には分かりかねます」
何故、私がリュウを脅さなくてはならないのか。理由もなければ、言われもない。
一体どこの王子だと言いたくなる様な被害妄想である。これでは、どこぞ王族の血が流れているのかと疑いたくもなる。
そして、脅されるのを想定しているのならば、何故そんな強気の態度で私に接しているのか。間抜けなのか、何なのか。危機感と言うものがまるで感じられない言動に私は呆れていた。
「しらばくれても無駄だ。ローラ・マルティス、君は俺をずっと見ていただろ。気付いてないと思ったのか?」
授業中に盗み見したのがバレたのか? いや、しかし、ずっとは見ていない。割合的にもアスランが9.9だとするなら、精々リュウは0.1ぐらいだろうに。
「見た覚えは無いですし、たまたま貴方の方を向いてしまっただけではなくて? それに、貴方を脅して私に何の得があると言うのですか」
例え監視対象が接触してきたと言っても、このタイミングで、この内容では、流石に勘弁してくれと言いたいところだ。
それに、今はリュウに構うよりもアスランの秘密を探りたい。現在出ている被害状況から見ても、リュウは女を取っ替え引っ替えしているのだし、その彼女達が何の被害もなくピンピンしているのだから、この男が関係でアリス様の命が狙われているとは到底考えにくいのである。
あくまで、攻略対象者故に、一応監視対象にしとくかぐらいの立ち位置であるのだ。こんな絡みは必要がまったくもってないと言うのに。
ますます、何処かの王族と同じ匂いがしてくる。
「君の得だって?」
リュウははっと鼻で笑う。
「君は、俺を脅して俺と付き合えと言うのだろ?」
「……はぁ?」
意味がわからない。どうやら、本当に彼は王族の血を引いているらしい。
どうやったらその自意識過剰に自分が好きになられる可能性を考えれるのか是非とも教えてほしいものだ。参考には全くもってしたくはないが、こう言う危ない思考を持った人間もいるのだと納得はしておきたい。
「馬鹿馬鹿しい。有り得ないお話はやめて下さい。私には既に婚約者がおりますので」
似た様な厄介な人種二人なんて欲しくもない。
「王子は君を嫌っているのは周知の事実だろ? それに、君は色々な男に言い寄ってると聞く」
「え?」
それは、初耳だ。
「私が、ですか?」
「ああ。俺の周りにも何人もの言い寄られた証言者がいる」
何だそれは。
そんな言葉よりも、大きなため息が肺の底から出てくるのを私は止められない。
事実無根に言い寄られた証言者。事実は簡単に捻じ曲げられてしまうものだ。
「……そうなんですね」
諦めにも似た感情が湧いてくる。
何故そこまで。醜さ故に、何故そこまで。
「彼らは、口々にこう言ったんじゃありませんか? お前みたいに心まで醜い女なんてゴメンだと、吐き捨ててやったと」
「言われた言葉を随分と覚えてるんだな」
「ええ。そうですね。私がマルティス家なのに、皆様随分と毒を吐かれる。お覚悟が素晴らしいと思いますわ」
ここまで来れば、否定なんて馬鹿馬鹿しい。
其処迄私は疎まれていて、嫌われているのだ。何をしていなくても、存在だけで馬鹿にされているのだ。
「彼らは勇敢に戦った証拠だろ」
「ええ。そうなのね」
随分と笑える矛盾だ。感情的に家の力を使い、地位を振り回し、人々を力と恐怖で従えてる? なのに、勇敢な彼らは何故無事でいられるのだ。言い寄った男の数が数多いるのならば、何故私は未だにティール王子を追いかけていると言われるのか。
私がそんなに愚かな女に見えるのか。
そんなにも、愚かしい女の顔をしているのか。
馬鹿馬鹿しい。
馬鹿しかいない。
この世界にも、私の事なんて……。
『でも、お前はいい奴だって知ってる』
何かが私の中で引きちぎれそうになった時に、ランティスの言葉が蘇る。
悪役令嬢である私が、いい奴だって。
こんな噂を立てられるぐらいに嫌われている私を、いい奴だって。
いい奴だって、彼は言ったのだ。
「……おい、何で泣いてるんだ」
「え……?」
私はリュウに言われて自分の頬を触ると、そこには涙が。
「何で……」
「おい」
「何で私、泣いてるんだろ……」
どんな酷い事を言われても、どんなに言い掛かりを付けられても、どんなに過酷な仕事を押し付けられても、淡々に文句も言わずにやってきた私が。
馬鹿しかいないと、諦めて生きていれば感情なんていつかは冷めていく。そうやって生きてきた私が。
機械みたいだと揶揄されて、自分でも機械のように生きていると思っていた私が。
何をされても涙すら枯れたように出てこなかった私がっ!
そんな私が、何故今泣いているんだっ!
「おいっ!」
「……ごめんなさい。私自身でも、何で泣いているのか分からないの。止められなくて、その、ごめんなさい……」
拭っても拭っても、涙は止まらない。
止まるどころか、涙は増すばかりで喉さえも震え始めた。
「ごめんなさい……」
私は力なくその場にしゃがみ込むと、リュウに構う事なく子供のように大きく泣き噦る。
何度も何度も、ランティスに言われた言葉を思い出しながら。
信じてくれてる人がいる。
胸を張れと言ってくれる人がいる。
私を知ってくれている人がいる。
それだけで、私は、私は……。
「……ほら、ゆっくり息しろよ」
泣き噦る私を宥めるように、リュウが私の背中を叩く。
「泣き止もうとしなくていいから。ゆっくり、息して。ほら、深呼吸しろ」
トントンと優しいリズムで叩かれる心地よさに、私は目を瞑り息を深く吐く。
「そうそう、上手。ほら、もう一回」
彼に言われるまま、私は何度も深呼吸をすると、不思議に嗚咽は止まり、涙は引いていく。
「ほら、ハンカチ。鼻かんでもいいから」
そう言ってリュウに差し出されたのは、一枚のハンカチ。
「……ありがとう、ございます」
「いいよ。落ち着いた?」
「……はい。ご迷惑をお掛けして申し訳ございません……。自分でも、何で泣いたのか、わからなくて……」
「君は本当にローラ・マルティス?」
「はい。貴方と同じクラスのローラ・マルティスです……」
ズビズビと鼻を鳴らしながら答えると、リュウはプッと笑い出す。
ランティスとも同じやり取りをしていたなと、ぼんやりした頭で思うと手を差し出された。
「立てる?」
「はい。でも、其処迄ご迷惑はかけられません。自分で立てますので、大丈夫です」
「いや、泣かしたのは俺だし」
「貴方の言葉で泣いたわけじゃないですから……。お気になさらないで下さい」
それは本当だ。私が泣いたのは、ランティスにだ。でも、何故ランティスで泣いたのかはよく分からないが……。
「どうやら、俺は無実の人間に石を投げたようだ……」
「石?」
キリストの話かと思ったが、この世界にキリストの話は存在しない。
だが、似た様な物語は存在している。
「……ああ。ロズ・ルティム氏の『花束の中の棘』に出てくる一節ですね」
そう言えば、この遊び人は読書が趣味だと言う意外な一面もあったな。
ゲーム内ではイベントの折に、リュウはアリス様に一冊の本を送っている。その本のタイトルは『白花の君へ』。作者は同じロズ・ルティムであった。
本の中身は流石にゲーム内では出てこなかったが、この世界で同じ本があると分かった時には随分とその内容に興味をそそられたものだ。
「……知ってるのか?」
「ええ。本は好きでして、一通りは氏の作品を読ませて頂きましたわ。私は、『籠の中の百合達』が一番好きですの」
生前から本は好きだった。好きと言うか、それぐらいしか私には出来る事がなかった。
友達はおらず、親はゲームやテレビは悪いものだと疑わない。本を矢鱈滅多ら勧め来る。私にはその選択肢しか与えられなかったからだ。
お陰で本を読む事は私の幼い頃からの趣味と言ってもいい。それは、こちらの世界に来ても変わらず、私は時間が許す限り本を読み続けた。
お陰で、作中の本を手に取る事が出来たわけだが……。
私は、がしりと肩をリュウに掴まれる。
「本当に?」
一体なんだと言うのだ。
何故彼は、こんなに真剣な顔で私に迫っているのか。
彼の顔つきは、先程の疑いの時よりも、真剣そのものである。
「え? ええ。好きな本の話で、嘘などついても仕方がないのでは?」
だから、どうして何の得が私にあると言う疑いばかりをこの男は持つのか。
「ロズ氏の新作の題名は?」
「『雪に花咲く』、です」
「その主人公の名前は?」
「ピエール・クリス……」
「ヒロインは?」
「ナスティー、ですけども」
「氏の最初の作品である『井戸の中の薔薇』の結末は!?」
「主人公が井戸の中に落ちて、母の夢を見ながら死ぬ」
「では、その母親の名は!?」
「ジャスミン・ローズ・マリアナル・サンケット・マジャスティーナ、ですけど?」
私は一体何を答えさせられているのか。
私が怯えながら主人公の母親の名を言うと、リュウは私を抱きしめる。
「……え?」
ちょっと待て。今、何が起こっていると言うのだ。
何だ、この最初と最後のこの落差は。
「ローラ!」
呼び捨て? いや、そんな事はどうでもいい。なんだ、お前のその満遍の笑みは。先程私を罵倒したお前は今どこにいるんだ。
この変わり様、最早気持ち悪いを通り越して不気味すぎる。
「君は、合格だっ!」
「な、何の、ですの!?」
悲鳴に近い声で問いかけると、がばっと、彼は私から身体を話しうんうんと頷き始める。
何だ。本当に、何なんだ。
只管、この男がわからなすぎて怖い。
「まずは、友達から始めようか!」
「だから、何のっ!?」
ちょっと待て! お前の攻略対象は、私じゃないっ!
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次回は4月27日(土)22時頃に更新予定となっております。お楽しみに!
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