第4話 貴方の為に駆け引きを

 件の小瓶の中身の解析は私が考えていた以上に難航していた。

 ただの水ではない。しかし、中の成分が何か三日が経った今でも分かっていない。

 この三日間と言う期間は決して短い期間ではないと言っても良いだろう。

 ただの水ではないと言うのも大分問題なのだが、この国で一番優れた大規模な研究機関でもある学園の叡智を持ってしても、毒か薬かさえ分からないのが一番の問題なのだ。

 新種の薬? そんな単語はあのゲームで聞いた覚えは一度もない。

 だが、その話も迅速な対応を約束してくれた学園長を信じるならばの話だが。しかし、今は信じるしかないのが現状。知識がない私が出来る事など今は何もない。自分の力不足を恨みたくもなる。

 図書館で薬草の資料を漁ってみても、未知の成分など載っているわけがない。でも、何かしていないと落ち着かない。


 一体、何がどうなっていると言うのだ?


 既に初日からゲームとは大きく脱線しているじゃないか。

 いや、一つだけゲーム通りなのは、 あの食堂での事件。随分とゲームとは違う背景で中々結びつかなかったが、アリス様の食器をはたき落すローラのイベントはゲームの初期に登場している。

 だが、ゲームではあの場面で王子とアリス様は知り合う手筈になっていた。

 違うのは背景だけではない。日にち的にも、ゲーム内では随分と進んだ日にちだ。そもそも、入学に手こずった私とは違い、ローラはこの学園に王子とアリス様と同時に入学している。そこから既に不協和音は始まっていたのではないだろうか。

 ローラがいない事により、この学園で何かが狂い始めてしまったのか。

 幸い、時間はもどかしさを募らせるほど、用意されている。私に近づこうなど考える奇特な人間がいないのが救いだ。現状、広まっていた悪名は、あの食堂での出来事に輪を掛けた形となっている。

 その事について、私には不満はない。

 あの食堂事件で良かった点は、王子を始めとした取り巻き達が彼女の周りを常に固めている。彼女に悪意を持って近づける輩が彼女の前に現れにくい事が救いと言えよう。

 その王子についても、私への接触はこれと言って発生していない。例え腐っても婚約者である私に好き好んで会いに来る筈はないとは思っていたが、彼女への非道の容疑は晴れていない。彼が正義心に駆られて、乗り込んで来るのではないかと今か今かと内心怯えていたが、飛んだ取り越し苦労となってしまった様だ。

 そんな彼に対しての対応だって、まだ答えは出ていない。言い争いが苦手な私にとっては、取り越し苦労の方が随分と救われるのもまた事実である。


「素人では、無理があるわね……」


 読み終わった薬草の本を閉じながら私は溜息を吐く。

 聞いたことも見たこともない薬草が数多く載っていた本は、知識を得るにはとても有意義な存在であったが、今の私に必要な物ではなかった。

 また、人がいる図書館では人目を気にして大きく行動は出来ず、本を借りてはこうして人のいない教室に入り読み耽ると言う作業を続けている。

 これだけ続けても成果は出ていないのに、私はまた次の本へと手を掛ける。


 何か、突破口だけでも欲しい。その一心で。


 学園長を全面的に信じる他ないのは確かだが、ゲーム内でも学園長の登場はセリフのみである。前世でも現世でも、彼の事を知り行く過程が何処にもない今、彼が信用できる人物かどうかすら分からないのが正直な所。

 もし、あの小瓶の成分が分かっていて私に告げれない理由があるとしても、私にはそれが分からないし、知る由も無い。

 少しでも、誰よりも一歩先にいなくては、彼女を守りきるだなんて夢物語となってしまう事が目に見えているこの状況。

 それを何とか打破したい一心で、私はまた別の本を開く。

 だれの力も借りれない。それは、現代でも同じだった筈なのに、ここでは酷く私の心を消耗させていた。

 消耗する原因は頼る相手がいない事ではない、頼る手段すら探せれない故の焦りが、私の心を消耗させる。

 不便さを補うだけの時間はあっても、所詮は限られた時間に他ならない。


「もっと、別の何か……。彼女の核心に触れる何かが、必要なの……?」

「彼女って、誰の事だよ。ブス令嬢」


 私一人だけの教室から、男の声が聞こえる。

 出入り口の方を見れば、赤毛の、こんな事を言ったら相手に悪いが、随分と不良の様な制服の着崩した男が立っていた。

 ブスとは、間違いなく私の事だろう。こんな輩に生前もよくブスだと言われてからかわれて来たのを思い出した。

 だが、空いていたこの教室が、彼が予約をしておさえていた教室かもしれない。だとしたら、私はとんだお邪魔虫だ。


「……申し訳ございません。この教室が使われるとは知らず、長居をしてしまいました。今、片付けますので、少々お待ちになって頂けますか?」


 私は頭を下げ、いそいそと本を閉じて店じまいの用意を始める。


「一応、兄貴以外でも王族には強く出れないって訳。この卑怯者のブスがっ」


 そう罵りながら、男は本を片付けていた手を掴む。


「痛っ!」


 思った以上に強い力で握られて、思わず悲鳴にも似た声が私の口から漏れてしまう。


「や、やめて下さいっ! 離してっ! 人を呼びますよ!?」

「誰がお前みたいな性悪女を助けるんだよ」


 一体、何だと言うのだ。


「私が、貴方に何をしたと言うの……っ?」

「何って? 俺じゃないだろ? お前が邪魔をしたかったのは、アリスにだろ?」

 

 アリス?

 この男、今アリス様の名を!?


「貴方が犯人なのっ!? 貴方こそ、あの薬を使って、アリス様に何をするつもりなのですっ!?」

「はっ?」


 男は驚いた顔をした瞬間、握った手の力が弱まった。私はそれを見逃さず、男の手を払いのけて距離をとる。

 武器は、この分厚い薬草の本一冊。振り回せば、距離を詰めてくることも出来ないだろう。


「貴方が、あの薬をアリス様の食事に混ぜろと命令したの!? あの薬は、何!? 彼女をどうするつもりなのっ!?」

「……ちょっと待て」

「早く言いなさいっ! 誰であろうが、彼女を傷つける人は、私が許さないっ! 私が、あの方を……、アリス・ロベルトを守るんだからっ!!」


 本を振り回しながら叫べば、男は両手を挙げる。


「分かった。お前は今、何か誤解している」

「何をっ!? だって、貴方が言ったのよ! アリス様の嫌がらせに邪魔をするなとっ! 貴方、一体、何者なの!?」


 最早、私の言葉は悲鳴に近かった。

 こんな事、生前でもした事はない。相手に詰め寄る事なんて、私には想像がつかない程の怖さがあった。

 だがしかし、アリス様を守るためならと、震えた心を叱咤し勇気を振り絞る。

 こんな素行が悪そうな相手、最悪殺されるかもしれない。でも、件の犯人ならば刺し違えても私は彼女を守るんだっ!


「俺はランティス。お前は、ローラ・マルティス、だよな?」

「私を知っていて、私があの薬を持っているからここに来たのでしょう!?」

「叫ばなくていい。俺はお前に近づかないし、さっきは悪い事をしたと謝りたい」

「謝る? 謝る相手が間違っているわ! 貴方は、アリス様に嫌がらせをした……」

「その話なんだが、詳しく聞かせてくれないか? 取り敢えず、椅子に座ろう。立ち話も何だろ?」


 男は椅子に座り、私にも座る様に勧めてくる。

 これは、罠だろうか?

 私が躊躇していると、男はため息を吐く。


「お前は俺を知らないのか?」

「……私がここに来たのは、三日前だもの。貴方なんて、知らないわ……」


 何処かで会った事があるのだろうか?

 社交場では、王子の近くから離れれなかった為、顔見知りと言えば王子に群がる少女達しかいない。


「三日? 三日前の朝は?」

「……ここについたのは、昼前よ。朝はまだ馬車に揺られていたわ」

「となると、お前じゃないな……。お前、アリスと知り合いなのか?」

「……一方的にね。でも、アリス様は私の事を知らないわ」

「平民のアリスと公爵令嬢のお前にどんな接点があるんだよ」

「それは……っ、言えないわ……」

「そうか」


 男は両手をまた上げた。


「俺は何もしないし、話をするだけだ。少しは落ち着いたか?」

「まだ、貴方が犯人じゃないとは決まってないでしょ!?」

「あー……。お前、人を疑うのに向いてないな。犯人かと思う奴に素直に情報を渡すなよ」


 ランティスと名乗った赤毛の男の言葉に、思わず私は口を抑える。

 そうだ。私は何を普通に答えていたんだろうか。


「う、五月蝿いっ! 矢張り、貴方が犯人なの!?」

「だから、俺はその事について聴きたいんだよ。俺は、アリスの友達だ」

「友達……?」


 私は彼を見返すが、彼を知らない。

 つまり、彼はゲームには出ていなかった事となる。アリス様の友達であれば少なからず姿絵はなくとも会話には出てくるだろう。

 しかし、ランティスと言う名にも心当たりはない。


「嘘よ。だって、貴方の事、私知らないわ」


 そこから導き出す答えは、この男が嘘を付いていると言う事だ。


「……何でお前こそ、アリスの交友関係を知っているんだ?」

「それは……、言えないけど」

「怪しいなら、お前だって一緒じゃないか。俺は、お前がアリスに嫌がらせをした犯人だと思ってここに来た。懲らしめてやろうと思ってな」

「私が、アリス様にっ!?」

「その様付け、何なんだ?」

「彼女は、私を助けくれた恩人なのよっ! そんな彼女を守る為に、やっとの思いでこの学園に来たのに、彼女を傷つけるのが目的なんて、とんでも無いわ!」

「……話が噛み合わないな。お前がこの学園に来たのは、ティール王子の為じゃないのか?」

「彼は関係ないでしょ。それに、彼は私を嫌っている。自分から近付くほど、馬鹿じゃないわ」

「……アリスの食器を落としたのは?」

「彼女の食事に、薬を入れた女子生徒を捕まえようとして、手が当たっただけ。でも、結果的には食事を食べなくて良かったかもしれないけれど、事故とは言え申し訳ない事をしたと思うわ……。今も謝れてないのが心苦しいぐらいよ……」

「お前、本当にローラ・マルティスなのか?」

「顔を見れば分かるでしょ? こんな不細工な令嬢なんて、私ぐらいしかいるわけないじゃない……」

「……ブスと言ったのは取り消す。すまん。悪かった。だから、そんな風に自分を卑下するなよ。俺は、もっとお前が傲慢で高飛車で、性格の悪い奴だと思っていたんだ。でも、違うんだな」

「……分からないわよ。そんな事を言われても、私は自分でも気付かない傲慢で高飛車な所があるかもしれないし、性格が悪い奴かもしれない。そんな事、わかるわけないじゃない……」


 私はギュッとスカートを握りしめる。


「……はぁ。これじゃあ、どっちが悪者わからねぇじゃん。お前は、いい奴。すげぇ、いい奴だから自信持てよ」

「……あ、あり、が、とう……」


 思いがけない優しい言葉に、私が礼を呟けば、ランティスは堰が切れたように笑い出した。

 もしかして、これって揶揄われたの?


「貴方、思ってもない事を……っ!」

「いや、違う違う。さっきまで、あれだけ警戒して犯人だと思ってる奴に普通に礼を言うんだもんな。お前、やっぱり凄くいい奴だよ」

「それは、その……」

「で。まだ、俺が犯人だとお前は思ってるわけ?」


 私は彼の言葉に小さく頷く。

 いくら褒めてくれたとは言え、疑惑が晴れた訳ではない。


「お前とは、話し合いができる気がする。取り敢えず、話がしたい。でも、それじゃあ、お前のメリットは何も無いよな」


 私が頷くと、彼はんーと唸り、ぽんと手を叩く。


「じゃあ、こうしよう。俺は、お前が欲しい情報をやる。お前が知らないアリスの情報だ」


 アリス様の?


「そんな情報なんて、要らないわ。私は、彼女を知り尽くしているものっ」

「本当に?」

「ええ」


 これだけは、断言出来る。この一年を、私は何周もゲームで繰り返してきた。

 目の前にいる男よりも、アリス様の事は理解しているし、分かっている。


「じゃあ、三日前の朝、アリスに何が起こったか知ってるか?」

「三日前の朝?」


 私はランティスの言葉を繰り返すと、彼は小さく笑った。


「アリスはこの学園で、階段から突き落とされそうになった」

「何ですって!?」


 私は持っていた本を音を立てて落とし、彼に詰め寄る。


「犯人は!? 犯人は誰なの!? 許せないっ! アリス様に、なんて事をっ」

「なあ、ローラ・マルティス」


 ランティスは詰め寄った私の手を取り、名前を呼んだ。


「俺と取引、する? しない?」


 まるで乙女ゲームの選択のような問い掛けに、私の震えた口はボタンを押すのだ。


「す、するわっ」




_______


次回は4月18日(木)22時頃に更新予定となっております。お楽しみに!

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