第3話 貴女の為にハンカチを

 一体何故、今、私の容姿の話をこの人はしているのか。

 あまりの言葉に、思わず生前の苦い記憶と相まって身体が凍りつく。

 トラウマと言うには些細かもしれないが、大勢の前で容姿の事を酷く言われる経験は私にとっては息がつまる程の苦しさを同時に思い出させてくれた。


「な、何か問題でもありまして?」


 絞り出した言葉は、余りにも稚拙極まりなく虚構の強がりから漏れた様な言葉だったと自分でも思う。

 何故、今容姿の話を? そう切り出せばいいもを、それだけの勇気が出せない自分が恨めしい。


「何か問題でもだって!? 貴女は自分のした仕打ちに対して心が痛まないのかっ!?」


 仕打ち? 何のことだと私は首を傾げる。


「こんな所まで僕を追ってきて、剰え、僕と交流がある彼女に身分を振り翳しこんな非道な仕打ちをするだなんて……っ!」


 益々、王子が何を言っているかわたしには理解出来なかった。

 仕打ちとは、なんだ。

 しかし、その疑問は簡単に私は知る事となる。


「わざと彼女の食事を悪戯にはたき落とし、憎々しい態度で彼女を陥れるなど、許される行為ではないっ!」


 まさか、王子はこの事故を故意に私が起こしたと言っているのか?

 そして、あろう事かそれは自分に恋い焦がれる私が嫉妬心を燃やして行った非道だと思っているのか?

 憎々しい態度でって……。

 そこまで考えて、私ははっとする。何故、あんなにも人混みに溢れた食堂で私の舌打ちが響き渡ったのかを。

 みな、彼女が食器を落とす音に意識を向けられ静まり返っていたのだ。そこに、自分の不甲斐なさに舌打ちする私。

 それを王子が見ていて、勘違いを?

 なんて誤解だ! あり得ない! 私がアリス様に向かって悪意だなんてっ!

 直ぐにでも言い返そうと私が口を開くより先に、私の思いの人が口を開く。


「ティール王子、食器を落としたのは私のぼけっとしてた私が悪いからです。人のせいにしないで大丈夫です」


 凛とした口調で、アリス様が王子に言う。

 私は直ぐに自分の口を手で塞ぎ、私の女神を目に焼き付けた。

 何と、素晴らしい方なのか。

 落とした要因は、私にあると言うのに。

 

「アリス……」

「それに、この方は私ではなく私の後ろにいた方を追っている様に見えました。何故、貴方がこの方を責める必要があるのか、私には分かりません」


 言葉が出ない。

 息をするのを忘れるぐらい、この食堂の何よりも光り輝く彼女を前に、私はただ彼女を見つめるしかなかった。

 お礼を言わなければならない。でも、私なんかが……。


「それでは片付けも終わったので、私は失礼します」

「あっ……」


 お待ちになって。

 そう言おうと口を開けば、王子は私から彼女を守る様にマントで彼女を隠した。

 お礼すら、この場で私は彼女に告げる事すら王子は許してくれないらしい。


「ローラ嬢、次は無いと思って頂きたいっ」


 そんな王子の罵倒など通す耳など、今の私には持ち合わせてはいない。

 ああ、矢張り。

 この世界でも、貴女はなんと美しい。




「そんな事が?」

「はい。入学早々にこんな事になるなんて、申し訳ないのですが、少しだけ知恵をお貸し頂けると助かります」


 あの後、すぐに学園長から呼び出された私は、今学園長室にいる。

 舌の根が乾かぬうちに問題を起こすだなんてなんたる事かと叱られると覚悟していたのだが、彼は意外にも興味深く私の言葉に耳を傾けてくれた。

 一連の流れを話し終わった後で、私はコトリと音を立ててテーブルの上にあの小瓶を差し出した。


「これが、女子生徒がアリス嬢の食事に混入した小瓶でございます。この様な嫌がらせは、この学園ではよく起こる事なのですか?」

「いや、聞いたことはない。一体、中身は?」

「流石に口にはしていませんが、匂いは無いものです。一見、水の様にも見えますし、残りも底に溜まった程度しかなく、これが何か調べて頂けませんか?」


 私には、残念ながらこれが何かを分析する程の知識はない。


「……やってみましょう。しかし、何故彼女を……」


 彼女を?


「王子は、彼女を懇意にしている様な節がありました。ただの嫉妬でしょうかね」

「……そうですね。ただの悪戯ならば、その可能性は高いかと」


 何とも可笑しな言い回しをする。

 少なくとも、学園長はただの虐めの線以外にも思い当たる節があるという事だろう。

 だが、逆に私にはない。

 この世界を一度ゲームの中とは言え体験していた私には、ないのだ。

 少なくとも、大きな事件に巻き込まれるのは学園生活後半。こんな序盤ではローラの嫌がらせぐらいしか問題は無かったはず。

 私がローラになってしまったことにより、何か私以外の不協和音がこの学園に、いや。この世界に響いてるのか?

 しかし、ここで疑問を投げかければ藪蛇になるのは分かりきっている。ここは賢く、引き下がるだけに留まるべきだ。


「私の話は以上でございます。学園長からは?」

「そうですね。貴女様は余り王子に関わらない方がよろしいかと。それぐらいの助言しか今は出来そうにありません」

「ええ。出来れば不要な接触は避けたいところです。彼の方は、弱き者への正義に狂酔している。強き者を悪とする。今、私が彼の近くにいけば、全て私のせいとなってしまう事でしょう」


 ティール王子と言うのは、アリス様が主役のこのゲームではメインを張る攻略キャラクターである。

 ゲームのパッケージは勿論のこと、全員集合絵や果てやイベントに至るまで、全てこの王子が中心となっている。最早ゲームの顔と言ってもいい。

 そのせいか、やはりファンは誰よりも多く私はよく知らないのだが、声優も彼だけ格が違うらしい。

 前記の様な運営側からのチート力を持った彼の役所は弱き者の為に強きを挫く、正義心の強い男性である。

 王子であるが故に崇高なる正義心の一方で、世間には疎く、年の割には考えの幼い面が数多く見て取れた。しかし、その反面迷いも多く、王子である自分しか見てもらえないと思っていた彼に、ありのままの彼を受け止めるアリス様に心惹かれて恋に落ちる。彼女だけ見せる弱気な所もあり、ゲーム後半では初期の頃の誰に対しても一枚壁を作っていた彼の印象は良い方への人間身を帯び、好感度も上がっていく。そして、ゲームを背負っているだけあって一番容姿にも恵まれているキャラクターなのだ。

 それ故に少しだけ、私は彼に特別な気持ちを持っていた。

 勿論、メイン故に最初に攻略したキャラクターと言うのはまでもないが、それだけじゃ無い。烏滸がましく、誰かに言うのは憚れる事ではあると思うが、ここだけに胸の内を開ける言うのならば彼は些か、彼女と出会う前の私と重なる所があるった。また、彼女への狂信も、良く似ていると言っても差し支えないだろう。

 そんな共感から、赤の他人とは思えずこの世界に来ても私にとっては酷い態度を取ってくる彼を嫌いにはなれなったし、咎める事など考えもしなかった。

 寧ろ、前世の罪の清算だとも感じていたぐらいだ。

 しかし、アリス様を前にすると話が変わってくる。

 彼は私を強者だと見ている。

 私の身分は王族の次に高い公爵の令嬢だ。彼にとっての強者と弱者は酷く単純に身分によって振り分けられている。問答無用で私などは強者に入るのも仕方がないと言えるだろう。

 皆にとっては良き王かどうかはさて置き、今の私にとっては彼は邪魔者である事以外他ならない。

 出来れば、今後も接触を避けては行きたいものだと、私は学園長の言葉に同調する。

 話が終わると私は頭を下げて部屋を出た。

 初日だと言うのに、これ程迄に迷惑極まりない事となってしまった。

 王子への対応は後日改めて誤解を解く方向に考えるとして、問題なのはアリス様である。

 あの場では庇って下さったが、出会いは最悪だと言っても良いものとなってしまった。

 何とか挽回する機会が出来ないものか……。

 唸りたい気持ちのまま歩くと、私は誰かと肩をぶつけてしまう。


「あら、ごめんなさい」

 

 顔を上げると、そこには褐色の肌をしたシャーナ嬢がいた。


「貴女は……」


 シャーナ嬢は私の顔を見るなり怯えた顔をする。


「も、申し訳ございません、マルティス様っ」

「謝らないで頂戴。謝るのは、私が前を向かずに歩いていた私の方です。貴女には非はございませんよ。それよりも……」


 私は急いで自分のハンカチを取り出し彼女に渡した。

 マルティス家の家紋が刺繍された白いレースのハンカチだ。

 前世ではそんなハンカチなど買う事など絶対にないと断言出来るほどの自分の趣味と真反対なハンカチを、私はシャーナ嬢に渡す。


「シャーナさん、これを同室のアリス様にお渡しくださいませ。食堂での件でスカートの裾に染みが付いてしまっておられました。宜しければこのハンカチで染みを落とす様にお伝え願えませんか?」


 私がそう伝えると、シャーナ嬢はハンカチと私を交互に見つめる。


「あ、あのっ」

「はい、何か?」


 シャーナ嬢の言葉に耳を傾け様とすると、遠くから今は聞きたく無い声が聞こえてくる。


「マルティス様は……」

「シャーナさん、話の途中で申し訳ございません。私が今会うと大事になりそうな方がこちらに向かっている様です。貴女が巻き込まれる可能性もありますので、私はこの場を離れさせて頂きますね。では、御機嫌よう」


 私はシャーナ嬢に頭を下げて足早に廊下を進んで行く。

 僅かだが、王子の声が聞こえて来た。今ここでまた対面をするなど冗談ではない。今の彼への対応は胃と頭を心を酷使するものだ。

 それに、シャーナ嬢と喋っていては、また平民を虐めいたと誤解されるに決まっている。彼女は平民ではなく貴族出なのだが、王子にとっては平民と同じ分類である事には間違いないだろう。

 醜い容姿は本当の事だが、私は本当の事を言われて傷付かない程、自分に無頓着なわけでもない。

 シャーナ嬢には悪いが、話はまた今度伺う事にしよう。



 * * *



 慌ただしく廊下を駆けていくローラ・マルティスを呆然と見送りながら、シャーナは手の中にあるハンカチを握りしめていた。

 地方の小さな領地を持つ程度の貴族であるシャーナでも、ローラ・マルティスの悪名だけは知っていた。

 自分の顔が美しくない故に、自分よりも美しい女性が王子に近づけば虐め倒し、父親の地位を使って何人もの令嬢をベッドの中の住人にし、中には自殺にまで追い込まれた令嬢も数多くいると言う噂はシャーナが顔を出せる地方貴族のお茶会にまで届いていのだ。

 現に今日、シャーナの同室でもあり、親友のアリスがその悪名高きローラ・マルティスに虐めを受けていた。アリスは違うと言っていたが、あの悪名高い令嬢の事だ。自分の婚約者であるティール王子がアリスと親しげに話している姿に嫉妬して、あんな事をしたとしても可笑しくはない。

 アリスは世間知らずで、ローラ・マルティスを知らないから、彼女を庇っているのだ。彼女に虐められたか弱き乙女達は沢山いて、今も彼女に見せられた悪夢に苦しんでいると言うのに! そう、誰もがローラ・マルティスを憎々しく語っていた。

 勿論、シャーナもその一人だ。

 アリスに向かって舌打ちをした時、本当に顔の様に心まで美しくない人だと思った。絵に描いたような傲慢な公爵の娘。気に入らないと言えば何でも許され、思い通りなって来た歪んだ性格が、その顔に表れていたと、ティール王子達と一緒に彼女の悪口を言ってしまった。


 しかし、今あった彼女はどうだろうか?


 自分の家紋の付いたハンカチを、染み取りに使ってくれと言っていた。

 自身よりも遥かに低い身分のシャーナに謝罪もすれば、頭も下げる。

 まるで睨まれる様に見られていたし、口調も冷たく感じたが、言っている事は酷くまともで、礼儀が正しい。

 あれが本当に、ローラ・マルティス?

 疑って仕方がないだろう。


「あら、シャーナ!」


 呆然としていると、後ろから自分の名前が呼ばれて声の方へ顔を向ける。

 そこには、アリスとティール王子、あと、その取り巻き達。


「あ、アリス」

「こんな所で、どうしたの?」

「どうしたって……」


 何と説明していいか分からず、シャーナは口をモゴモゴとさせてしまう。

 何時もの明るく、元気なシャーナには似つかわしくないその様子をアリスはおかしく思い、彼女の持っていた見慣れぬハンカチに気付いた。


「このハンカチ、どうしたの?」

「あ、えっと、これはっ!」


 咄嗟に、シャーナはハンカチを隠そうとして落としてまう。

 アリスに見られて問題なわけがないが、何故か、どうしてか、ローラにもアリスにもシャーナは後ろめたい気持ちになったのだ。

 なのに落としてしまうだなんて、なんたる失態か! しかし、自分に怒った所で、時が止まるはずがない。


「落ちたわよ。見た事ないけど、素敵な紋章ね。シャーナの?」

「あ、えっと……」


 アリスの持っていたハンカチに、白い手袋をした手が伸びる。


「この紋章は、マルティス家の紋章だ」


 ぞくりと、冷たい声がする。

 シャーナが恐る恐る顔を上げれば、今にも誰かを殺さんばかりの王子が、そのハンカチを持っていた


「あの女は、君に迄嫌がらせを……?」

「あ、違んですっ! 私がマルティス様にぶつかってしまって……」


 嫌がらせなんて、とんでもない。そんな事は無かった。

 彼女は誰よりも、礼儀正しかった。


「君まで、アリスの様な事をされたのかっ!」


 廊下に響き渡る王子の怒鳴り声に、シャーナはピクリと身体を震わせる。


「君は身分から彼女を悪く言えないのだな? なんて、非道な事をするんだっ! あの女はっ! 何人、自分勝手に追い詰めて、殺せば気がすむんだっ!! この学園まで追って来て、剰え、関係ない彼女達を巻き込むだなんてっ! そんなに、僕を追い詰めて、楽しいのか……っ」


 もう、これ以上シャーナの口は開く事は無かった。

 否定なんて許されない。そう、思ったからだ。

 あっと、小さくシャーナが声を漏らす。

 彼女が会ったら大事にな事になると言っていたのは王子の事なのかと、一人で納得した。

 でも、随分と聞いていた話と違うではないか。彼女は、少なくとも王子を追いかけてはいないし、身分を振りかざしてもいない。けど、間近で見ていた王子は噂通りの彼女だと言い張る。

 これって、どちらが本当でどちらが嘘なの?

 

「ねぇ。シャーナ、本当にそんな事されたの?」

「えっ?」

「だって、シャーナが嘘を言ってる様には見えないし……」

「アリスに嫌がらせが出来ない腹いせに、シャーナを利用する事を考えたかもしれないっ! 彼女はそれぐらい平気で人を騙すのですっ!」


 シャーナは自分に問い掛けて来たアリスのスカートの裾を見ると、ローラが言っていた染みが見える。アリス自身には死角となる後ろ側の裾の小さな染みを、かの悪役令嬢は見逃さずにハンカチを寄越したのだ。

 騙すにしては、随分と愛がある細かい気遣いだと、シャーナは思った。

 

「でも、今朝アリスは階段から突き落とされそうになったと言ってなかった? それも、あのブス令嬢のせいじゃねえの?」

「え……?」


 最初騒いでいたのは王子だけだったのに、突然取り巻きの一人が声をあげた。


「……彼女なら、迷いなくやるだろうな。何と非道な……」

「ちょ、ちょっと待ってよ! あれは、私の勘違いかもしれないって言ったじゃない!」

「いえ、あの悪名高きローラ・マルティスですよ。逆に、彼女が犯人ではないとも言い切れないのでは?」

「もう、それは言い掛かりの粋じゃないっ! いい加減にしてっ! 貴方達、貴族だが王族だか知らないけど、可笑しいわっ! 寄ってたかって見知らぬ人を犯人にして、何が楽しいの!? 付き合ってられないわっ! 行きましょう、シャーナ!」


 アリスはそう彼らに怒鳴りつけると、シャーナの手を引いて王子達から去っていく。


「アリスは、彼女の事を知らないから……」


 一体、誰がローラ・マルティスと言う名の令嬢の事を知っているのだろうか。

 彼女の名前と容姿と家柄以外に、何を知っていると言うのだろうか。


「仕方がありませんよ、王子。彼女は世間知らずですからね」


 世間とは、噂の話が世間と言うつもりなのだろうか。


「このままだと、アリスは何も知らずにローラの嫉妬の餌食になってしまう……」


 心優しき王子は嘆き悲しみ、肩を落とす。

 もしかしたら、彼も先見の能力を持っているのだろうか。

 そんな様子見かねて、取り巻きの一人が肩を竦めた。


「……しゃーねぇーな。俺がブス令嬢にガツンと言ってやるよ」

「ランティス王子?」

「マルティス家が公爵でも何でも、王族には強く出れないだろ? それなら、第二王子の俺がアリスの為にガツンと言って泣かせてやるよ」


 王子と言うには似つかわしくない口調で、赤毛の男が笑う。

 果たして、歪な物は何なのか。

 あべこべな不協和音が学園に響き渡る。

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