第2話 貴女の為に最善を

 アリス・ロベルトという少女は都にほど近い、とある田舎町で生を受けた可愛らしい少女である。

 両親は彼女の幼い頃に流行りの病で愛しい我が子を残し天に召された。その後孤児となった彼女はその後村に唯一ある教会に引き取られ、自分よりも幼い子らの面倒をよく見、シスターになる道を選ぶ。

 だが、彼女にはシスターにしては過ぎる才を持っていた。

 残念ながら魔法という概念も存在もしないこの世界だが、私がいた生前の現代社会程技術も科学も進歩していない。その為、一つだけスピリチュアルな特別と言う名の不可思議な力が認められていた。

 それが、占いである。

 彼女には『先見』の力があり、夢の中で未来を見る事が出来た。偶然にしては些か確率が高い程度であったが、その占いの当たる確率の高さから国が彼女に目を付けるには十分な実績を彼女はシスター時代に築いて来た。

 その噂を聞きつけて、国は彼女を王宮に入れる事を検討したのだ。

 科学が進歩をしていないこの世界では、一概に占いだと言って馬鹿には出来ない。国側も必死なのだ。

 平民でもある彼女に、国はこの学園への入学を勧め、王宮勤に相応しい学力を付けさせ、平民では遠い世界の王族、貴族の習慣を身につけさせようとする。

 こうして、王族、貴族が通うこの学園に彼女は入学することになったのだが……。


 これが、私が生前大いに嵌った乙女ゲーム初めである。

 ゲームでは私はアリスになり、この学園にて学生生活を送っていた。

 そして、主人公アリスに、いや。アリス様にそのゲーム以上に乗りめ混んだ。

 彼女は、平民で、平凡だ。

 田舎町で育った事もあり、王族や貴族の仕来りに馴染みがなく、おかしなか話、ここでは世間を誰よりも知っているはずなのに世間知らずな娘と評されることとなる。

 しかし、彼女の真っ直ぐで慈愛に溢れた性格に、数々の名のある貴族や王族達は心動かされ彼女に惹かれる様になって行く。

 それは、攻略キャラクター達だけではなかった。

 プレイヤーである私も、彼女に惹かれて行ったのだ。

 煌びやかを纏う少年達よりも、誰よりも。

 アリス・ロベルトと言う少女に狂酔して行った。それは側から見れば宗教と言うものに近かったかも知れない。かも知れないが、このゲームを始めてから、私が彼女が全てだった。

 私は、彼女の様になりたかった。

 生まれて初めて、変わりたいと彼女に出会って願った。彼女の様に、真っ直ぐで優しい、誰の言葉にも惑わされない強い彼女の様に。

 現に、私は彼女のお陰で変わる事が出来た。冷たくて、何を考えているか分からないと不気味がられた私に、彼女を切っ掛けにして一人の友人と呼べる大切な人が出来たのだから。

 この世界に転生したと分かった時、その理由も自ずと分かったのはその為だ。

 私は、この世界で彼女を救わなければならない。

 私が王子の婚約者である様に、ゲーム通りに事が進むのであれば、彼女は大きな事件へと巻き込まれていく事となる。

 ゲーム内では、プレイヤーとして私が力を貸せたが、ここでは私はローラとして、彼女の為に彼女を救わねばならない。

 現代社会で、一人ぼっちの私を救ってくれた様に、今ここで、私が貴女を救うのだ。


「案内は以上となります」

「そうですか。ありがとうございます」


 学園長の案内に耳を傾けながら、私は周りを見渡す。

 出会った生徒の中にアリス様の姿は無かった。

 ゲームであれば、既に彼女は入学してこの学園に席を置いているはずだ。

 はてさて、どうやって彼女を探し出すか。

 そんな事を考えていると、礼を告げたはずの学園長がまだ私の目の前に立っていた。

 下がっても大丈夫なはずなのに、他にも何か?

 怪しんでいると、モゴモゴと学園長の口が開く。


「ご令嬢様は、ご賢明であらせられますな」

「……ありがとうございます」


 何故褒められているのか分からない私は、鳩が豆鉄砲を食らった様な驚きで学園長に返事を返す。

 一体、どうしたと言ったのだか。


「お褒め頂き光栄ではありますが、如何なされましたの?」

「いや、何と自分の恥ずかしい事かと思いまして」


 それは、私の噂に耳を傾けた事を指しているのだろうか。


「いいえ、賢明な判断だと私は思います」


 もし、そうなら学園長は何も間違っていない。経営者としては当然の決断だ。

 自分が生前社会人だから思う所も多い。きっと、記憶のないローラのままであれば私は無体にも喚き散らしている事だろう。

 それに、それは不正解ではない。

 私は息を吸い、強くスカートを握りしめる。

 言わねばならぬタイミングを逃したら私はきっと、彼女と会う前の自分に戻ってしまう。


「学園長。私はこの学園でやるべき事があります。然し乍ら、それは些か……、いいえ。事によっては大きな騒ぎになる事もあるかもしれません。でも、これだけは覚えていて頂けると幸いです。私は、誰も傷つけない。守る為に、ここにいると言う事を」


 私は、アリス様を守る為にここにいる。その為には、手段を選んではいられない。

 もし、これで入学を断られたら元も子もないが、告げず、隠れずでは彼女は守れない。彼女の為なら、どんな事でもすると決めたのだから。


「それは、一体……?」

「申し訳ございません。今は深くは申し上げることは出来ません。しかし、必ず、何かあれば学園長にお話を通させて頂きます」

「……ローラ様。貴女は聡明な女性だ。貴女様にはご自身に地位も立場もある事が深く分かっていらっしゃる。時にはその立場を捨ててまで、守るべき者とは、王子の事でありましょうか?」


 深くは言えない。

 前にも話した様に未来予知は、この世界では大きな力となってしまう。

 それに、私が知るのはこの一年余りのここでの生活のみ。だから、全てを学園長に話す事は叶わないが、守るべき人を教えるだけなら、彼の誠意に少しでも向き合える事と、なるのならば。


「いいえ。私が守りたいのは、心優しい少女一人でございます」


 驚いた顔を見せた学園長に、私は少しだけ目を伏せた。


「どうか、少しだけ、一年だけ、私にお力をお貸しください。彼女を守る、時間を、下さいませ」




 あの言葉の後の学園長の返事は、大いに迷いがあるものではあったが、条件を付けての許可を得る事は無事出来た。

 条件とは、私には説明をする義務がある事。それを放棄しない事。

 また、何かする前には事前に相談をする事。仕事で言うプレゼンの様なものだと私は思った。

 そして、私が困った時は迷わず学園長に聞く事。自分が出来ない範囲で事が起こった時、言葉は悪いが無知である事は悪となる事が多い。その為、有識者である彼に聞くと言う事だ。

 何とも、心優しき処置か。


「……こんな制服、向こうの世界にあったら大変ね」


 侍女達が用意してくれた寮の自室にて、ドレスと現代社会の制服の間の様な服を着替えながら、私はため息を吐く。

 人と話すのは得意じゃない。

 まして、今日の様に強気に出る場面であるならば尚の事。

 でも、ここで引き下がればアリス様にも迷惑を掛けるかもしれない。もしもの時、アリス様を守れないかもしれない。ずっと、三日三晩馬車の中で踠き悩んでいた事が終わってよかった。

 貴女の為に、勇気を振り絞る事が出来て良かった……。

 大仕事をやり終えた様にほっと胸を撫で下ろしながら、この学園の制服を一人で纏い、私は自室を出る。学園にいる間は侍女を連れては来れないのは助かった。人に世話をされるのは得意ではないのだ。こうして、誰にも迷惑を掛けずに動く事が出来るのは実に喜ばしい。

 取あえず、校舎にでも向かってみるか。私は足早に校舎へと足を進める。

 流石に入学してきて直ぐには何も授業もないが、一刻も早くアリス様を探さねばならない。

 彼女が足を運びそうな場所はゲームをやっていた私には多いにある。

 この時間ならば食堂だろうか。

 学園長からの案内の時にせっせとご婦人達が厨房で用意をしていた所を見ると、ランチタイムはそう遠くないはずだ。

 ゲーム内では彼女は食堂を利用していたし、行ってみる価値は大いにある。

 私は真っ直ぐに廊下を進んだ。

 彼女に出会ったら何と言おうか。

 友達になってくれるだろうか。いや、それは些か烏滸がましい願いかもしれない。

 接触を避けるのが善かもしれない。

 でも、もし、友達と言う椅子に彼女が私を座らせてくれるのならば、私はどんな時でも彼女の盾となり、槍にもなろう。

 椅子がなくてもいい。遠くから、眺めるだけで十分幸せだ。それだけで、私は、生まれて来た喜びを噛み締められるのだから。

 進んだ先の食堂では、ランチタイムの為か生徒達が大いに賑わっていた。

 自分の食事は取らずに食堂を見て回る。食事を抜くのは慣れている。人間一日ぐらい食べなくても死ぬ事はないのは前世で確認済みだ。

 しかし、この人の多さは予想外もいい所。ゲームのスチルでは分からなかったが、こんなにも食堂は生徒で溢れていたのか。

 人を掻き分け、周りを見渡すがアリス様の姿はない。

 ゲームであれば、初期の頃は寮の同室であるシャーナ嬢とよくランチタイムを共に過ごしていたはずだ。

 アリス様だけではなく、私は目を皿にしてシャーナ嬢も探し出す。

 シャーナ嬢は異国の血が混じった少女でこの国の人間よりも少し肌が濃い。その事を気にしている彼女を知ってる立場としては心底申し訳ないが、アリス様を探すよりもシャーナ嬢の方が探し出す方が早いだろうと目を細める。

 多少肌が濃いくらいで気にすることなど何も無いが、年頃の彼女は周りと違う自分の肌にコンプレックスを抱えている。彼女を目印が変わりに使おうだなんて、なんて酷い人間なんだと自分を思うが優先順位は変えられない。

 私の非道な作戦は功を奏し、早々にシャーナ嬢を見つける事が出来た。

 近くにはアリス様が?

 しかし、人混みで彼女の姿が見えない。

 あと少し近づかなければ。

 私は、人波に逆らう様に少しづつ距離を詰める。

 もう、少し……。

 その時だ。後ろから、澄んだ泉が湧き上がる様な透明感のある清らかな声が聞こえる。


「シャーナ!」


 振り返ると、彼女がいた。

 画面の向こうにしか会うことのできなかった、貴女がいた。

 

「アリスさ……」


 突然の事で、思わず美しい名前が口に出そうになる。

 でも、ここで友達になれるのならば……。知ってもらえる事が出来るならば。

 しかし、そんな浮ついた気持ちはすぐに凍り付いた。

 誰かが、いや、同じ制服を纏った女が、アリス様が持つトレイの上にのっていた食器に何かを入れた。

 それは水の様な、透明な液体。

 背筋が凍る音がするかと思うほど、私は目を見開き、咄嗟に手が出た。

 その女が持っている小瓶に向かって。

 こんな事をするのは、決まって良い事はない。向こうの世界もこちらも世界も、それは統一されている。例えジョークであっても、これが毒ではないとは限らない。

 何とか、小瓶を掠め取った瞬間、食器が割れる大きな音が食堂中に響き渡る。

 アリス様の持っていた食事が私が伸ばした腕に当たって落としてしまったのだ。


「あっ……」


 いや、今はそれどころじゃない。この小瓶を持った女を!

 振り返れば、既に女の後ろ姿は人と人を掻き分けていた。


「……ちっ」


 私の舌打ちが食堂に響く。

 騒ぎに乗じて逃げるつもか? アリス様に何をするつもりだったんだっ!

 逃がさないっ!

 私は小瓶を握りしめ、女の後を追う。しかし、食堂を出て直ぐにその女を見失ってしまい捕まえる事は出来なった。

 不甲斐ない。

 まさか、取り逃がすなんて。

 少しだけ、彼女の騎士になったつもりでいた自分が恥ずかしかった。どれだけ彼女の為に思っても、身体は超人にはなってくれない。

 いや、今は考えるのをよそう。

 早く食堂に戻って、彼女の落とした食事の片付けを手伝わなければ。そして、非を詫び、彼女に挨拶をしなければ。

 私が食堂へ引き返し、扉を開けようとすると人垣が、出来ていた。


「ローラ嬢」


 人垣の中心は扉を開けた私の名を冷たい目で呼ぶ。


「ティール王子……」


 私の婚約者でもあるティール王子が、アリス様を庇う様に私の前に立ち塞がる。

 そんな暇が、一体どこにあるかわからない。後ろにいるアリス様は落とした食器を拾っており、そのせいでスカートに小さな染みを作ってしまっている。

 早く彼女に教えて、食器を拾う仕事を変わらなければ。ここは、素早く挨拶をして、直ぐにでも……。


「御機嫌よう、王子。お会いしたかったですわ。私は貴方……」


 私は貴方の後ろにいる彼女の手伝いをしたいので失礼しますと続けたかった言葉が、王子の怒鳴り声で掻き消される。


「貴女は、何処まで醜いんだっ!」


 一体、何がどうなってしまったのか。

 彼の吐き捨てる様な言葉に、私は思わず彼を見つめることしか出来なかった。

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