貴女の為に、悪役令嬢

富升針清

第1話 貴女の為の悪役令嬢

 私は取り分け明るい人間では無かった。

 美人では無かった。愛想が有る人間では無かった。話がうまい人間でも無かった。

 両親に清く正しい人間になりなさいと、育てられた。

 真面目さだけが取柄だった。両親に言われたように、誰にも迷惑をかけずに生きていくだけで必死だった。

 皆は、私を強い人間だと言った。

 一人で生きていける、強い人間だと言うのだ。

 誰かが私の事を何でも涼しい顔で、文句も言わずに取り組んで、淡々とこなして、自分には到底真似が出来ない、無理だと笑う。

 その言葉に、私には針の先にも似た痛みを覚えた。

 きっと、私は風船だったら弾け飛んでいた程の言葉が、人間の私にはチクリとした眉を顰める様な痛さだけが残る言葉だった。

 私は、取り分け明るい人間ではない。美人でもなく、愛想もない。話が上手い人間でもなかった。

 ただ、誰にも迷惑をかけずに生きる為に、清く正しいと親に教えられた事を淡々とこなし、その為には涙さえも痛みさえも堪えて、誰一人知られる事なく生きていた。

 人間、万人がそうあるべきだと、思っていた。

 それが正しい事だと思って生きてきた。人生の、いや、人としての、正解だと思っていた。だって、私よりも辛い人は沢山いる。私はこの程度で済んでいるのだ。最早これが正解以外、何もでもないだろう。

 勉強でも、仕事でも。何でも。一人で生きなければ、誰かに迷惑がかかるのだから。

 これは全て自分の為だ。

 誰かに感謝される為に行う善は全て偽善だ。偽善は恥じるべき行為だ。風船みたいに膨らんだ、私の『人』と言う認識が、誰の言葉かも分からない誰かの言葉を吸い込んでいく。

 褒められる事も認められる事もなく、上司に言いつけられた仕事を、私は一人パソコンに向かいこなしていく。

 時計の針は深夜を指していて、周りには私一人。文句も言わずに、淡々とこなすのは果たして、仕事なのだろうか。人生なのだろうか。

 そんな疑問すら、持つのは悪だと思っていた。


 そう。『貴女』に会うまでは……。




「ローラ様」


 侍女の声で、心地良く揺られた馬車の中で私は目を覚ます。

 ああ、どうやらまた、昔の夢を見ていた様だ。


「……あら。早いのね」


 ぼんやりと微睡んだ頭で馬車のカーテンを捲り外を見る。

 広大な緑の向こう側に、私を待ち構える様に建っている建造物が目に飛び込んで来たではないか。

 三日三晩を掛けた旅路のゴールがそこにはある。


「はい。そろそろ、ご用意を」

「ええ」


 私は侍女へ軽く返事を返して、手鏡を取り出した。

 そこには、美しい金色の髪に美しいドレスを纏った纏った私が居る。

 でも、残念ながら美し顔は持ち合わせていなかった。雀斑が見て取れる低い鼻を擦りながら、諦めにも似た溜息が口から漏れる。


 嗚呼、乙女ゲームに転生してもブスはブスなのか、と。



 

「ローラ様」


 名を呼ばれ馬車を降りれば、目の前に聳え立つこの旅の終点の扉が開く。


「これは、これは。マルティス公爵のご令嬢、ローラ様。遥々の旅路、お疲れ様でございます」


 出迎えてくれたのは、こじんまりとした老人が一人。


「ご歓迎痛み入りますわ、学園長」


 私が軽く膝を折ると、この建物、いや。正しくはただの建物ではない。この国が保有する王族・貴族学校の学園長が小さく驚いた顔をする。

 少しだけ嫌な予感が頭の中を掠めたが、気付かないフリが賢明だと思いここは目を瞑ろう。


「こ、これは、ご丁寧に……」

「この度の私の入学は、無理を承知で通して頂いたのです。学園長にはいくら感謝をしても、しきれませんわ」

「いやいや、無理をだなんてとんでもない。貴女様はマルティス公爵家のご令嬢。この学園に通う資格は十分にお持ちだ。拒む理由など御座いませんよ」


 拒む理由はないと、学園長は笑うが私には心当たりが大いにあった。

 きっと、『彼』が私を拒む理由とリンクしているのだ。

 その証拠に、年頃になってもこの学園からの入学招待は一向にやってこなかったのだから。


「簡単ながら中を案内させて頂きます」

「ええ。是非に」


 少しだけ浮かれた声になった自分に、驚く自分。

 しかし、致し方ないだろう。なんだって私はこの学園には、少しばかり思入れがあるのだ。


 勿論、生前に。


 私は今、生前に大いに嵌った乙女ゲームの世界にいる。

 信じられない話だと思うが、今当に目の前に広がった景色がそれなのだから仕方がないだろう。

 のめり込むよに始めたこの世界を題材にしたゲームは二十代後半に始めてコントローラを持った私には、余りにも衝撃で、余りにも目新しく、余りにも眩しい世界が画面の向こうに広がっていた。そんな世界に嵌らない訳がない。

 現実世界で男性など個人的には縁が無かったが私が、ゲームの中で眩いばかりの少年達と会話を楽しみ、惹かれ合い、恋に落ちる姿は側から見たら滑稽だったと思うかもしれないが、私が心底狂酔したのは残念ながら煌びやかを待とう彼らではない。


「ローラ様、この学園には王族、貴族は勿論のこと、一部の才ある平民達が学んでおります」

「あら、平民も?」


 勿論、十分に知っている。

 気になるのは、何故ここで学園長がその当たり前の知識を私に与えようとしているのか。

 学風すら知らずに私がここに飛び込んで来たと思っているのだろうか。


「はい。学には階級などないとの教えを」

「では、平等にと言う事かしら?」

「ええ。この学園には身分は通用しないのです」


 まるで、これは最後の選択だとでも言った風な口の利き方に、私は最初に感じた嫌な予感が的中したのだと確信を持った。

 目の前の老人は、この学園の中に入るだけの覚悟はあるのかと私に今、問いている。

 致し方ない事かもしれない。

 なんたって、私は……。


「そう。では、案内を続けて頂けるかしら?」


 この世界の悪役令嬢なのだから。


 このゲームでローラ・マルティスと言う女は主人公に嫌がらせを働く役割だ。

 彼女は攻略キャラクターの一人であるティール王子の婚約者で、美しくないこの容姿にコンプレックスを抱き、我儘で傲慢。平民で凡人な可愛らしい主人公に様々な嫌がらせと言う名のイベントを担当している。

 言うまでもなく、主人公でもあるプレイヤーは勿論のこと、各攻略キャラクターからのヘイトも満遍なく集めてくれる、大物だ。

 私が彼女に転生、と言っていいのか自分では分からないが、その言葉で以外説明が付かないのだから致し方ない。ゲームのキャラクターに転生したと分かったのはいつだったかは明白ではない。ただ、物心着いた時にはこれはゲームの世界と同じで、私は悪役令嬢である彼女になっていると分かった。

 不思議と、悲惨なエンドロールを迎える彼女になった事に絶望はなかった。

 我儘放題、傍若無人で根拠のない虚空な自信を生み出した環境は少しばかり気になったが、なんて事はない。

 彼女は両親に愛されてすくすくと育ったのだから。些か、使用人や客達から容姿のことで陰口を叩かれる事もあったが、どれも前世よりも悲惨なものは無かった。

 そのお陰か、私はこの環境でも前世の性格のまま影響を受ける事なく、育っていった。

 身分は公爵。貴族では一番高い等級の彼女に王族への婚姻は生まれる前から約束されており、今もなお、私は王子の婚約者でいる。

 然し乍ら、王子はそれを良しとしなかった。

 気持ちは、同情にも近いものがある。自分が生まれる前から約束された婚約者がこんなのであれば、誰だって運命を恨み、自分で切り開きたくもなるだろう。

 王子は大層私であるローラを毛嫌いしていた。決められた婚約の理不尽さを王に問い、嘆いてはいた。初めて会った私の目の前で。

 これには些かローラ自身にも同情をしてしまうが、容姿はどうしようもない。地位もどうしようもない。そう、全てが全て、どうしようもないものなのだ。それは持って産まれてきてしまったのだから。

 少しすれば、彼は私に取り乱し、言い過ぎだと謝罪をしてくれた。私は彼を許す他ない。

 しかし、彼はそんな私を好んではない。今もこうして毛嫌いされている。

 社交場で顔を合わせれば、私は彼に着いていくしかない。公爵の令嬢と言っても相手は王族なのだから、不満などは言える立場でもない。立場を弁えたつもりの私に振る舞いは、彼にとっては少しだけ鬱陶しく感じたかもしれない。場を離れて他の客人達に話すときも、傍にいるのだ。

 そんな彼は、私を傲慢だと言った。

 彼女は、自分の話す他の令嬢を睨みつけて、意地悪をしていると言った。

 睨んでいるつもりはないが、残念ながら目付きは良い方ではない。それに、私はこの世界に来ても笑顔を作るのが下手だった。

 可愛くない笑顔など、鏡で見るのも億劫だと努力を怠った結果だと自分でも思う。

 その後ろめたさから申し訳なさが手伝って、彼が他の者に嘆いていた時に私は反論すらしなかった。否定すら出来なかった。

 いつしか真逆であるはずの私が、社交場で私はゲームの悪役令嬢である彼女と同じ印象を持たれるようになったのだ。

 このように、私の悪名は何もせずにも高くなっていった。この学園長も、きっとその噂を信じ、学園に入れるには問題外だと私の入学招待を見送ったのだろう。

 きっと、すでにここにいる王子も私が入学するのを良しとしなかった。実に想像に容易い。

 学園長がこの話を切り出したのも、私が平民と平等に過ごせとは屈辱だと怒りを露わにし、馬車に飛び乗ると思ったはずだ。

 しかし、そんな事は何も問題ではない。

 寧ろ、平民と平等でなければ、私は必死になってこの学園に入ることは無かっただろう。


 全ては、私を救ってくれた彼女の為に。


「……良いのですか?」


 驚いた顔を隠さない学園長を見ると、矢張り先程の私の推理は当たっていたのだろう。


「ええ。戴いた案内にその旨は書かれておりますので。送って頂いた案内は全て目を通させて頂いておりますから。私も承知の上ですわ」


 学園長はしどろもどろになりながら、私をこの学園の中へと案内する。

 何故、私がこの世界に来たか。

 何故、私がローラ・マルティスなのか。

 その理由が、ここにはある。


「アリス様……」


 学園長の後ろで小さく私はつぶやいた。

 愛すべき、希望の名を。

 今、私が貴女を助けに参ります。

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