暖かい手

 見ていられない。


「西沢、厚着して下さい」


 季節は秋。

 とはいっても、十分に寒い。寒がりな俺は、堅苦しい学ランを脱ぐ気にもならないくらいだ。動き辛さよりも、防寒が大事。


「えー?」


 俺の忠告も聞き流す西沢は、俺にしてみれば信じられない薄着だ。

 ほんと、なんで、女の子なんだからもっと暖かくしたほうがいいんじゃないのか。


「まだ寒くないよ」


 ノートではなく、ぺらぺらの一枚紙に問題を解く癖がある彼女は、紙束と一緒に机に座っていた。

 書き心地を大絶賛していたボールペンを片手に、それなりのスピードで参考書を消化する。俺が高校生だからだろうか、書き直しの聞かないペンで問題を解き進めると言う行為が信じられない。


「竜太郎君、そんなんで冬越えられるの?」


 すらすらと動かしていたボールペンの動きを止め、頬杖をついた西沢は呆れたようにため息をついた。くそ、それをしたいのはこっちだっていうのに。


「無理です。俺は越冬できません」

「……竜太郎君、今までありがとうね」

「ええ、だから西沢。最後に俺のお願い聞いてください」

「なあに?」


 彼女は俺より三つ年上の大学生で、西沢。

 お勉強的な意味では大変に優秀であるが、生活能力では万年補習組だ。

 俺がどうこう言っても、改善しようという気がまったくない。あんたのためを思って言っているというのに。


「厚着をしなさい。すぐ体調崩すんですから」

「いやあ、まだ大丈夫だよ。まだ」


 へらへらと何の根拠もない言い分をして、西沢は作業を再開した。

 あれは課題をしてるわけでもなく、暇つぶしに問題を解いているだけだと俺は知っている。そんなに時間を潰したいなら、俺と話でもしてくればいいのに。

 素直に言うのはしゃくで、ぶすくれるだけになる俺は、我ながら情けない。


「へぐしっ」


 どうすれば彼女の気を惹けるか。

 なんて、本気で下らないことを考えていた俺の思考をとめたのは、野太いくしゃみと、ぐずぐずと鼻をすする音。


「……」

「……」

「……言うことがあるでしょう?」

「竜太郎君、中間どうだったの?」

「まだ返却されてません」


 どうにもくしゃみをしたことを認めたくないらしい。ここまで変に誤魔化されると、追求する気も起きない。

 そもそも、くしゃみどうこうを認めさせたいんではなく、俺は彼女に暖かい格好をして欲しいだけだ。


「あんなに頑張ってたんだから、きっと伸びてるよ」

「……そうだといいですけど」

「大学受験かあ。正直、今の竜太郎君の成績だと、より取り見取りではないね!」

「知ってますよ!」


 俺は受験生で、こうやって駄目な大人に構っている暇があるなら、勉強をした方がいいのは分かってる。

 ある程度進路は固まっている。そして、どの選択肢を取っても、俺はこの町からは離れることになる。

 西沢とこうしていられるのは、今しかできないと思うと、ここからは離れられない。

 からん、とボールペンが机の上に投げ出される。


「どうしたんです?」

「うーん、と」


 西沢は立ちあがると、ゆらゆらと身体を揺らしながら近づいてきて、俺の隣に収まった。ぽすん、とソファーから間抜けな音がする。


「頭の運動は終わりですか?」

「いやあ、まだまだ延々続けられるけど」

「けど?」

「竜太郎君、構ってほしそうだったからさあ」


 見ていないようで、きっちり見ている。俺が分かりやす過ぎるのか、西沢が聡いのか。

 ……あれ、っていうことは、分かってて無視してたのかこの人。


「西沢の癖に」

「え、何、急に暴言?」


 肩口にぐりぐりと後頭部を押し付ける彼女から、シャンプーの香りがして、変な気分になる。


「俺は暖房じゃないんですけど」


 西沢の肩を引き寄せるように腕を回して、頬をつねり上げた。せめてもの仕返しだ。


「いはい、いひゃいよ」

「ええ、つねってますからね」

「あんかよくわはんないへど、ごへんへ!」


 それが謝罪している顔なのか。

 頬を摘むのを止めてやると、西沢は攻撃性を失った手を取り、ぺたりと頬に戻した。その上から自分の手を重ね、大口を開けて笑う。

 俺は彼女の、こういう唐突に甘え出すところが嫌いだ。

 俺が拒否できないのを知ってる。


「はは、竜太郎君、あったかい!」

「……もう」


 頬ずりする西沢が、可愛くて、なんかもうどうでもよくなってくる。

 この人は仕方のない人だから、彼女が風邪を引くようなら、俺が面倒を見てあげよう。そして、子守代わりに説教をしてやらねば。


「ねえ、竜太郎君」

「はい」

「私の暇な時間、全部、あげるよ。受験勉強しよう」


 俺の手を取ったまま、見上げる彼女の瞳に映る俺はきょとんとしていた。


「暇って、貴女、就活終わって――」

「あれ、院に進むって行ってなかったけ?」

「は!? 初耳ですよ!!」


 俺がここを離れる前に、彼女の生活能力を平均まで持っていくのは、俺の仕事だと思っていたのに。彼女の半引きこもり生活は、延長戦に入るのか。


「……そうですか。ちゃんと先のこと、考えてたんですね」

「うん」

「じゃあ、俺も頑張らないと」

「そうだよ。頑張ろうね、竜太郎君」


 二人で少しのんびりした空気を堪能した後、西沢の定位置である机に座らされた。彼女が手をつけていたのが、センター試験の対策問題集だと分かって、思わず机上に頭を打ち付けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

竜太郎くんと西沢 真名瀬こゆ @Quet2alc0atlus

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ