二七日 花柳散華
明日といわず、今宵にでも斬り死にするかもしれぬのが、わしらの勤めであった。
そういう己を儚んだものか、非番の隊士どもが繰り出すところといえば、まずは廓であった。
だいたいからして、局長の近藤がずいぶんな艶福家であったものだ。
多摩の田舎には女房と妾があり、京洛に入ってからは次から次へと名だたる太夫を落籍しておった。
まあ、己の裁量で女を抱こうが囲おうが、わしの知ったことではない。
しかし思い起こすにつけ、気狂い沙汰のように廓だけは繁盛しておったな。
ほう。そなたの世でも変わらぬか。
まあ、人間の欲などはたかがしれておるものよな。
うまいものを食いたい。
好い女を抱きたい。
崇められたい。
どれ程のものでもあるまいよ。
さようなあさましさは、わしの大嫌いな志士どもも新撰組も、何一つ変わらなんだ。
隊が大きくなるにつれどんどん新入りが増えると、いつのまにか古参の部類になっておったわしも、そやつらの面倒を見ねばならなくなった。
だがまあ、何をするでもない。
食うや食わず、着の身着のままのような体たらくで京にたどりついた連中ばかりだ。
飯を食わせ、湯浴みをさせ、髭と月代をあたらせて、死んだ隊士の古着でも着せておけばまずは一段落よ。
そうして、ともかくもお登りの一隊を引き連れ、紅灯の巷へ繰り出すのだ。
夜の洛中というのは、わしらが捕物に出向かねばならぬ、いわば勤め場といってもよい。
右も左も分からぬ、では今宵にでも命に関わろう。
盛り場を歩くのは、手っ取り早く道を覚えるこの上ない術であろう。
また、そんなところに集まる有象無象は、何ゆえか抱いた女には軽々に大事をもらすのが常であった。
無縁の場所、のように思い込むものなのであろう。
したがって、耳をそばだてておればあらゆる情報が手に入る、またとない漁り場でもあったのだ。
何々楼、などと名前だけは立派な廓に上がって酒を飲ませ、京洛警備の大義についてすっかり諳んじた請け売りを一席ぶつ。
そうして女どもを呼び入れて盃を重ね、あとは銘々臥床へと消えていってもらうだけだ。
わしが賢しらに語ることなど、さしてあろうはずもない。
京洛を知るには、夜の女どもほどよくできた師匠はあるまいよ。
何よりわしは、大勢のお守りなどまっぴら御免だったのだ。
そうして取り敢えず廓に放り込んでおけば、一晩で何とはなしに一皮剥けたようになるのだから造作もない。
新入りの隊士どもには、存外と初ぶな者が多かったように思う。
食いっぱぐれた百姓の次男三男、よくても郷士のせがれや国元を追い出された浪人どもだ。
大義らしきものを求めて入隊した者ばかりではないにしろ、気張ったままで脂粉の匂いにあてられては、まあ平静でおられぬでも無理はない。
花街というものは、京という魔界の中にあって、なお恐ろしい魔窟のようなものと言えよう。
わしが連れて行った廓で、初めて女を知った者も大勢おった。
そしてその魔力に魅入られ、早くも大義を取り違えた者もまた、おったのだ。
あやつが入隊したのは、もうさして若くもない頃であった。
そうであったが見るからに初ぶで、新入りの振る舞いでようやく女を知ったらしい。
ぜんたい、わしらの稼業でよく働く者は、女との遊び方が二通りに分かれていたように思える。
狂ったように夢中になる者。
まったく夢中にならぬ者。
一見相反するような振る舞いだが、そういう連中はもう、実によく働いたものだった。
あやつはまるっきり、夢中になる方の男であった。
初めて登廊した明くる日、この世の浄土を見てきたように惚けて、それからしばらくの間同じような夢見心地の体たらくであったわ。
隊士としての訓練や稽古の最中もうわの空で、さすがのわしも気に病んで、失神するまで道場の羽目板にぶち投げたのも一度や二度ではない。
ところが。
わしとは違う隊に割り振られたあやつを、久方ぶりに見かけた。
それも夜の小路で起こった捕物で、鉢合わせる格好になってのことだ。
巡察中に幾人かの浪士風を見かけ、誰何したところ一斉に逃げ出したため、暗がりの裏小路へと一人ずつ追い詰めた。
そこにたまたま近くを通りがかったあやつが、騒ぎを嗅ぎ付け血相変えて走り込んできたのだ。
鎖帷子はおろか、鉢金も胴も着けていない、まったくの平服のままでだ。
わしらはちょうど、袋小路で進退きわまった不逞の一人に手を焼いていたところだった。
新撰組はやむを得ない場合を除き、生け捕りが原則だ。
ところが、死にもの狂いで暴れる人間一人を捕らえるのは、生半なことではない。
むやみに長い刀を何度も突き出しては、わしらの足を止める。狭い路地が、かえって不逞の味方をしていた。
だが、そこに平服のあやつが割り込んできたのだ。
「御免、御免、御免」
そう叫んでどたどたどたっ、とわしらをかき分けつつ実に器用に抜刀し、走りながらも中段に構えた。
不逞が突き出した刀を手元に引く瞬間、まるで糸でつながったかのように、左の片手突きを繰り出した。
その切っ先はするりと不逞の胸へと吸い込まれ、引いた刀はもう、二度と突き出されることはなかった。
あまりの手際のよさに、わしらは呆気にとられてしもうたものだ。
そもそも、突きというのは難しい太刀筋だ。
まともに当たれば一撃で死命を制するが、存外に読まれやすく捌かれやすい。
外れたら横薙ぎに変化できる?
ほう、土方がそう言ったと伝わっておるのか。
無論、「刃のあるほうに敵が逃げれば」さもあろうの。
棟の側に捌かれたら、いちいち刀を返して横に薙ぐか。
斬り合いそのものは単純な喧嘩だが、さほどに容易くはいかぬよ。
あやつはほんの少し見ぬ間に、おそるべき手練れに化けておった。
それになにやら、人相までが様変わりしていたのだ。
入隊直後はこう、少し頭の足りぬような、人の好さが滲んだ顔だったものが。
眉間に深い倹をたたえ、それでいて目尻だけは人を嘲るように下がって、ぜんたいがぬめりと脂ぎっておった。
つまるところ、ずいぶんな凶相へと変貌しておったのだ。
あやつについてその後聞いた評判は、さんざんなものであった。
わしらの勤めでは普段の給金のほか、斬り合いや命に関わる任務につくと特段の手当てが配された。
お清め代、などと言う者もおったな。
あやつがよく働いたのは、そんな手当て欲しさのことだったらしい。
稼いだ金は、惜しみなく登廊のために使ったという。
先だっての袋小路に、非番のあやつが突然現れたのも、まさしく廓通いの道中で騒ぎを嗅ぎつけたゆえだった。
あやつは常々、勤めに出ることを、
「花代を稼いでくる」
と、嘯いていたそうな。
女を買いに行く金を、人斬りで稼ぐという悪い冗談だ。
さしものわしらも、それには鼻白んだ。
だがあやつには、一たび太刀を振るえばこの世の浄土に一夜遊べるという、その一念のみが拠り所だったのであろう。
そんなあやつも、やがて殊勝にも本気で惚れ合う女ができたようだった。
無論、相手は廓の女であるから、いわゆる「間夫(まぶ)」という御身分ではあるが。
そういう女に惚れた者は、苦界の勤めから足を洗わせ、己だけのものとして囲いたいと考えるものだ。
しかし遊女を落籍するというのは、とんでもない額の金子がいることだった。
それは無論、廓からすれば金の卵を生む鳥を手放すわけであるから、年季明けまで勤めた後にどこぞのお大尽にでも引き取られるのが一番儲けになるにきまっておる。
近藤くらいの大身になればまあ、できぬこともないが、あやつのような平隊士には生半なことでできる芸当ではない。
だが、かいがいしくもあやつは人斬り稼業の目標を、気に入りの女を落籍することに定めてせっせと勤めに励んでおった。
ところが、花街をうろつくのはわしらだけではない。
当然のごとく、きなくさい志士どもも跳梁しておる。
命からがらの志士を助けて、維新回天の功をなさしめた日陰の女どもは枚挙に暇がない。
ほう。そなたらの世では美談であるか。
いや、なに。わしが無念というのもお門違いよ。
つまり、遊女の中には志士どもの間者のごとく働いた者も多かったのだ。
苦界の己を懸けるのに申し分ない、真の間夫だったのであろうよ。
あやつが惚れた女は、名も知らぬ志士の手先であった。
落籍の前金を持って女の元へと赴き、同衾して眠り込んだあやつは、一息に刺されて事切れておったそうな。
女はそのまま廓を足抜けし、手引きした間夫の志士とともに都落ちを企てた。
が、それすらも筒抜けで、木津川のほとりで共々に斬られたという。
惚れた女に刺されたことも分からず眠るあやつが、ただ一人幸せだったのかもしれぬ。
わしはそれから新入りの隊士どもを廓で労うとき、一献だけ、あやつに影膳を供えるようにしたものだ。
無論、新撰組のさような羽振りも、泡沫のものではあったがな。
ただ、それだけの話であるよ。
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