終章
最悪な日々の中で
週末の正午過ぎ。
病室に入った真弥は、お見舞い品がまた増えていることに気づきました。
一般病棟になって、以前よりまわりに物が置けるようになったのです。千羽鶴だって、すでに二つ目。
「ほんと、愛されてるよなぁ、おまえって……」
『へへ、まあね! これが人徳ってやつ?』
……起きていたら、そんな風に言うでしょうか?
「いや……人徳なんて言葉、知らないか」
バカにされているのも知らず、今日もねむり姫は、すやすやと夢の中――
「早く帰ってこいよ。勉強ついてけなくなって大変だぞ? おまえ、頭悪いんだから。……ってか、留年になるぞ? 一年でいきなり留年」
からかいながら頭をなでます。以前より、明るい話題を話せるようになりました。
「進級、待っててやらないからな? 早く来いよ、怪談ちゃんもさびしがってるぞ。せっかく友達になったのに、ほったらかすなよな」
そう言って、今度はおでこに軽くデコピンします。
「……知ってるだろ? あいつ、いろいろと背負ってるみたいだから……おまえみたいに、一緒にいると頭の中、からっぽにしてくれるやつが必要なんだよ」
いつか、自分を癒してくれた時のように……。
「とりあえず、復帰するまで、おれが責任もって守っとくからさ。でも、あんまり遅いと、遠慮なく横取りするからな?」
それから、学校であった出来事や、真陽瑠が毎週楽しみにしていたドラマのネタバレなどをひとしきり聞かせてから、真弥は病室をあとにしました。
「じゃあ、また来るからな」
真弥が去ってから少しして、病室に一人の少女が姿をあらわしました。
……光莉でした。
光莉はベッドに近づくと、お見舞いに持ってきたフルーツの籠を千羽鶴の横に置きます。
そして、真陽瑠の顔を見つめました。
「……こんにちわ、真陽瑠ちゃん。今まで顔を出さずにごめんなさい。それと……この前は、助けてくれてありがとうございました……」
最初、優しくそう語りかけた後……。
「でも……もう、あんなことはしないで。心が傷を負ってしまうから……」
真陽瑠の手を握り、祈るように言葉をつむぎました。
「あなたは……名前のとおり、真昼のひだまりみたいに、あかるくて、あたたかいままで、真弥さんの元に帰ってきてください。……あの人には、あなたが必要なんですから……」
自分にとって、彼女といる時間がそうであったように……。
「それまで、真弥さんは……必ず守ります。だから、今は安心して身体をなおしてください。わたしも、待ってますから。……もどったら、一緒に部活やりましょう」
そして、「また来ます」と告げて、光莉は病室をあとにしようとしました。
ですが、入り口付近で足を止めると、体半分だけ振り返って――
「……それと……あの人、もうかなり苦しんだと思います。だから――」
返ってくるはずのない返事をわずかばかり待ってから、光莉は去りました。
白く、澄んだ色の月が浮かぶ夜でした。
久が身支度を整えていると、パジャマ姿の光莉が歩み寄ってきました。
「おや、まだ起きていたんですか? 睡眠不足は美容に悪いですよ?」
「……出掛けにごめんなさい。父さんが、スクールカウンセラーになった理由……今回の案件以外にも、土地柄的に専属で対応したほうが良さそうだからってことでしたけど……」
「ええ、そうですね」
「本当にそれだけなのかなって、実はずっと気になってたんです。それで……思い出したんです。何年か前に、わたしと父さん、道で女の人に出会って……」
「…………」
「その人、以前、父さんにお世話になった……って。大学を出たら、教員として働くつもりだって……」
「……光莉、その人は――」
「顔が……似ていた気がします。もし仮にそうなら……そのことで、父さんが責任を感じていたのなら……」
久は、一度、息を吸って笑顔をつくり、光莉の頭をなでました。
「なんでも、世の中には同じ顔の人が三人いるらしいですよ。そのうち一人は、生き霊だったなんてこともあるかもしれませんが」
「……そうですよね。変なこと言って、ごめんなさい」
「いえいえ。これですっきり眠れるのなら、それに越したことはありません」
そう言って、久は、
「じゃあ、そろそろ行ってきますね」
「はい……。気をつけて」
玄関先まで光莉に見送られて、出かけていきました。
*
あの夜から……繰り返されている光景があった。
屋上から、一人の少女が宙に舞って、そのまま夜の闇の底へと消えていく。
次の夜にも、同じようにして、少女は悲鳴もなく――しかし、その表情には恐怖と深い絶望が入り混じり、落下が始まる寸前に伸ばした手は、結局なにもつかむことはできず――また、闇に堕ちていく。
次の夜も――
次の夜も――
次の夜も――
ただ、次の夜への苦しみを循環させるためだけに、堕ちて――消えて――
その存在が摩り減りなくなるまで、それは、毎夜ごと繰り返されていくのだろう。
そして、今夜もまた――
自分の意思を廃したゼンマイの人形のように、少女はフェンスへと歩みを進め――まるでパントマイムのように、一人で勝手に見知らぬ力に突き飛ばされる。
月の光に照らされて黒い影となった身体を、一瞬だけ無重力のように宙に浮かばせ。
フェンスに向かって伸ばした手は、ただ虚空だけをつかんで。
また、闇への重力に引かれて――――
*
「――――だめッ」
……フェンスから乗り出して伸ばした右手は、ぎりぎりで、少女の左手を繋ぎ止めました。
少女――由香は顔を上げ、自分の手をにぎる彼女の姿を目にします。
誰なのかは、すぐにわかりました。
「由香……。やっと……やっと、見えた……」
垣原は――千種は、うれしそうに泣きました。
「約束、破ってごめんね……。それでも、わたしをずっと待ってたんだよね? それなのに、ごめんね……」
あふれ出る涙の雫が、たえまなく由香の顔へと舞い落ちます。
「あなたに……人を傷つけさせてしまって……死なせてしまって……こんなに苦しませてしまって……ごめんなさい……」
由香の頬を、千種のものではない涙がつたい落ちました。
「でもね……由香、こんな最悪な日常なのにさ……わたし、それでもダメだったの。……逃げ出すことができなかったから……だから――」
千種は、由香をつなぎとめる腕に力をこめました。
由香の身体は、羽根のように軽く――手を引いた千草より高く舞い上がり、千草はそれを抱きしめて、フェンスの内側へと引き戻しました。
「――だからね、由香……おねがい、わたしと一緒に生きて……」
そうして、よりいっそう強く抱きしめます。最初、とまどい気味だった由香は、やがて目を閉じて小さくうなずきました。
『……うん、わかった。それでもいい。千種と一緒なら……』
由香も千種を抱きしめ――
『ずっと、一緒に――――』
二人の過ごした日々が、つらい思い出さえもが幸せな追憶となって、欠けた日々を埋め、この瞬間までを紡いでいきました。
そして……。
月明かりの下――腕の中にいた由香は、いつの間にか、まぼろしのように消えていました。
その消失の憂いを静かに受け止める垣原の元に……久が歩み寄ります。
「……あなたが、この方法を選んでくれて、本当に良かった……」
「……臆病なだけです。こんなことになっても……死ぬのは怖いんです。由香は……わたしに来てほしかったはずなのに……」
「いいえ……。きっと、彼女の本当の望みは、死ぬことより、あなたとともにいることだったんですよ。それが叶ったから……旅立って行けたんです」
旅立った――どこへ?
もし、天国があるとして、彼女はそこに行くことはできるのでしょうか?
……あるいは、彼女の最後の言葉のように、これからもずっと一緒なのかもしれません。由香が消えた時……千種には、彼女の欠片が自分の中に溶け込んだような、そんな感覚が残っていたから……。
「……あの子の罪は、これから、わたしが背負っていきます。償いきれるものではないけれど……それが、わたしが生きていく条件だと思うから……」
「どうか、必要以上に気負わないでください。あなたは、あなたが選んだ道で、自分のできることをしていきましょう」
「……はい……」
「……ぼくも、そうしますから」
屋上入り口の屋根に、白ワンピースの少女が座っていました。彼女は一部始終を見届けた後、夜空を見上げて何かをささやきました。
――……おやすみなさい。
そんな声が、聞こえた気がしました。
次の日の放課後――
カウンセリング室に呼ばれた真弥は、久から今回の一連の出来事の、その終結を聞かされました。
「あなたや、真陽瑠さん……ご家族の方を巻き込み、多大な苦しみをあたえてしまいました……。まだ、その傷が癒えていないことはわかっていますが――」
一つの節目を迎えたことを告げ、また頭を下げようとする久。そして光莉を、真弥は制止しました。
「二人が謝る必要はないですよ。おれも、光莉さんを危険な目に合わせてしまったし……今回のことは、本当に……」
そう言って、逆に真弥が頭を下げました。久があわてます。
「真弥さん、その件はもう……」
「いえ。それだけじゃないんです……」
真弥は深々と頭を下げたまま――
「今回のこと……解決してくれて……おれたちの学校を守ってくれて、本当にありがとうございます……」
思いがけないことに、久はしばらく言葉を失いました。
やがて、眼鏡の位置を直します。レンズの奥の瞳が輝いていました。
「……こちらこそ……ありがとうございます……」
久も、それにこたえて頭を下げました。そんな二人を見て、光莉もこみ上げる感情にさらされた顔を隠すように、彼らのとる謝意の姿勢を倣いました。
真弥と光莉は二人で帰路をたどります。
きれいな横並びではなく、光莉は真弥よりわずかに後ろ手に歩いていました。
「なんか、久しぶりだよな。一緒に帰るの」
「……ですね。……そういえば、お見舞いは?」
「今日はもう遅いしさ。なんか、一般病棟に移ったし、たまにでもいいかなって。人がせっかく行っても、のんきに寝てるだけだし」
「のんきにって……真陽瑠さん、怒りますよ?」
「まあ、明日は報告がてら顔出すけどさ。……良かったら、一緒に行かないか?」
「……そうですね」
「あと……さ。今週の休みに、あいつの墓参りにも行こうと思うんだ。それもさ……」
「ええ……。ご一緒します」
紅葉に色づきはじめた木々のアーチの下を、光莉は毛虫の落下に警戒しながら、そわそわと歩きます。
少し遅れた彼女を振り返り、
「――そうだ。すっと聞きそびれてたけど、あの日、どうしておれが学校に居るってわかったの?」
「あー、
すると、真弥は思い出したように、問題のトーク画面を光莉に見せました。
「たしかに……機種変えした直後で、この時は位置情報の設定オフってなかったんだけど……」
「なかったんだけど?」
「……このスタンプ、送った記憶がないんだよ。あの時は、気を緩ませたくなかったからさ……悪いとは思ったけど、返信しなかったような……」
「……え……」
蝉が鳴いていました。
たった一匹だけでの独唱――二人にはそれが、今年、最後の蝉であるかのように思えました。
「……ちょっと前まで、あんなにうるさかったのにな」
「暦的には、とっくに秋ですから……」
「そうだな……夏も……」
「…………」
「…………終わったんだよな?」
「……はい」
蝉が、鳴き止みました。
しばらくして、二人は別れ道へと差し掛かかりました。
「……では、わたし、ここで……」
光莉はそう言って足を止め、会釈します。
「……ああ、それじゃあ……」
言葉を交わし合いながらも、二人は少しの間、その場にとどまっていました。
ようやく、光莉が帰る方向に向きを変えた時、
「……あのさ……」
振り返った光莉に、真弥は笑いかけました。
「……また、明日。………………怪談ちゃん!」
町を茜に染める夕日を背にした真弥の顔が、真陽瑠の笑顔と重なりました。
「……はい。また明日!」
最悪な日々の中での、たしかな幸福をかみしめ――光莉は、笑いました。
学校の怪談ちゃん 黒音こなみ @kuronekonami
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