桜花一片に願いを

@chauchau

僕はなにより人間が嫌いなのだから


 人里離れた山のなか。

 唯一存在していた小さな村が過疎化の影響で廃村となって久しいその場所に、美しく咲き誇る一本の大きな老桜。

 どれだけ花を咲かそうと、もはや見る人誰も居ないその木の根元にただじっと老桜を見上げ続ける一匹のタヌキが居った。

 ただのタヌキではない。それは、彼(もしくは彼女かもしれないが)がまるで人間のように後ろ脚二本で器用に立ち続けていることも理由なのだが、それ以上に。なんとこのタヌキ、日本酒一升瓶を前足で握りしめているではないか。

 平成での狸合戦ではあるまいし、普通のタヌキが酒瓶を持っているわけがありませんことぽんぽこぽん。


 酒を飲むでもなく、人を化かして埋めるでもなく、キツネに追われるでもなく、逆にネズミを追うでもなく、そのタヌキは流れる刻のままに老桜を見上げておりました。

 どれだけの時間が経過したかは定かではありませんが、見事な満月が下り坂へと転がり始める頃、小さな地響き鳴らしながら大きな大きなクマが現れた。

 そんなことなど気にも留めず、やっぱりじっと老桜を見上げ続けるタヌキの背後まで歩み寄ったクマは、その巨体に見合うこれまた大きな口をくまっと開けて、


「こんなところに居たのか、道の神」


 良かった、スプラッタ展開にはならかったようだ。

 そもそもクマが言葉を話すのもどうかとは思うのだが、タヌキが酒瓶を持つような時代である。クマが話すことも、きゃぁぁクマがしゃべったぁぁ!


「誰かと思えば山の神かい。僕になにか用事かな」


「なに。用というほどのものではないが、見事な満月だろう? 一献どうかと探していたのだよ」


「僕以外の友人を探せば良いというのに、暇だね君も」


「君ほどではないさ」


 立ち尽くすタヌキの隣に御上手にあぐら座りを決め込んだクマは、どこからか大きな盃と小さな盃を取り出して、小さな方をタヌキに渡す。

 そんなクマの行動に、ため息交じえながらも盃を受け取ったタヌキは持ち続けていた日本酒を開けてさっさと自分の盃に注いでしまう。


「こういう時はお互いの盃に淹れるものだと思うがな」


「人間が決めたことを守る必要がどこにある。さ、飲みたいなら勝手に飲むことだね」


「少しは友人を大切に想ってほしいな。ところで、千年ほど前から気になっていたんだが、どうして道の神はタヌキなんだ?」


 大きな盃へなみなみと酒を注ぎこみながらクマは言う。余談だが、注がれる酒の量と瓶の中の残りにズレがあるように感じられるが、その辺を気にしても仕方ないのかもしれない。


「それはそのまま君に返すよ、山の神。君だってクマじゃないか」


「いやいや、山に於いてクマの強さは上位に在る。山の神たるこの俺がその姿を用いるのはそれほどおかしなことではあるまい。しかし、君は道の神だ。道とタヌキに関係性はないだろう。また人間たちがタヌキ狩りをしたらどうするつもりだい」


「それは彼らがやれ御国のためにと他の地の同族を殺し合っていたころのことだろう? いったい全体いつの話をしているんだい」


「いったいもなにも、百年も経っていないじゃないか。他と比べ合い優位に立つことを信条とし自分が正しいと思い込むことを生業としているような生き物だ。またいつ殺し合いをしても不思議ではないじゃないか」


「否定はしないけど、仮にそうなったとしても今の彼らの技術は目を見張るものがある。寒い場所に行くからとタヌキの毛皮が必要になることはないだろうさ」


「うぅむ……」


「むしろ、山の中でクマに出会ったとなれば猟師が出張ってくるのではないだろうか」


「鉄砲如きで傷つく俺ではない」


「なおさらさ。鉄砲の効かない獣なんて噂になれば愚かな人間がどれだけこの山へやってくるか」


「地盤を崩して埋めようか」


「興味深いがやめてくれ。いったいどれだけの道を作り直さないといけないと思っているんだい」


「道の神だろう? 役目を果たせよ」


「尻ぬぐいはごめんだと言っているのだよ。さ、この話はこれで良いだろう。どうしてもというのなら僕はタヌキが好きなんだ」


「なんだそれを最初に言えよ。俺もクマが好きなんだ」


「そうかい、それは悪かったよ」


 それからしばらくタヌキはだんまりを決めこんだ。そんなタヌキの様子をクマが気にするはずもないため、彼の彼による彼のための近況報告が延々と続けられることになるのだが、そこに相槌一つも返さないタヌキもタヌキだし、それを一切気にも留めずに話し続けるクマもクマである。

 どぼどぼと酒を飲み干していくクマとは対照的に、タヌキは最初に注いで一杯に口すらつけずやはり老桜を見上げ続けていた。


「この桜になにかあるのか?」


 東の空が明るさを思い出し始めた頃、ようやくタヌキの状況にクマがメスを差し込んだ。


「…………僕は、桜が嫌いだったんだ」


「嫌いなものを見続けているのか? 相変わらず君はおかしいな」


「君ほどではないさ」


「同じ返しだな」


 がはは、と笑うクマにようやく視線を下げ、たようであまり下げていないタヌキがクマに向き合うようにこれまた御上手にあぐら座りをする。


「人間と言う生き物は、花に興味を持たないくせにこの花が咲くとやれ花見だと酒を飲む」


「ああ、昔からそうだな。普段は食えるか役に立つものばかりを気にするくせに。しかも最近じゃ自然そのものを気にしない。自分たちの都合の良いように作り変えていくことだけに熱心だ。まったくもって気持ちの悪い生物だよ」


「その生物がつくった酒を飲んでいるじゃないか」


「旨いものに罪はない」


「ああ言えばこう言う。まあ、だからかね、昔から僕はこの花が嫌いだったんだ。この花には悪いがね」


「それで?」


 ぐい、っと盃を飲み干して続きを催促する。


「いつだったか忘れたが、この花に願ったんだ。頼むから人間たちが騒がないように少しでも早く散ってくれと」


「ああ、いつ頃からかこの花がいやに早く散るなと思っていたが君の仕業だったのか」


「潔い散り際が美しいとまさかさらに人気が出たのは予想外だったけどね」


「増えたもんなぁ、この花」


「そういうわけさ」


「うん?」


「僕の我がままでこの花に迷惑をかけてしまったからね。だから、咲いている間はせめて見続けていようと思っている、それだけだよ」


 そう言って、タヌキはまた老桜を見上げるために視線を上げていく。


「なるほど、そういうことか。……お」


 ひらり、と一片の花びらがタヌキの盃へと舞い降りた。


「そうだ。また願えば良いじゃないか、今度はもっと長く咲いていてくれと。そうすれば問題は解決だろう?」


 名案だと喜ぶクマの隣で、揺蕩う桜花一片そのままに、


「ごめん被る」


 タヌキは盃を飲み干した。

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