おわりのびがく
早瀬 コウ
おわり
——こんにちは。こうしてご本人を前にすると緊張してしまいますね。なんといってもいまやこの地球上で知らぬ人のいないスターなんですから。
エウク・デュプロイ(以下エ):スターだなんてやめてくれよ。それは本当のところ私が望んだことではないんだ。どちらかといえば、私はむしろ本業の俳優業の方で評価されたかったからね。こういう形で評判を得てしまって、業界の中じゃかえって売名行為だのなんだのと噂されて困っているくらいだ。
——いえいえ、いち市民として言わせていただきますが、ああした決断が耳目を集めないのは難しいと思いますよ。まるで20世紀スターの再来めいていますし……
エ:それだよ。私はその「20世紀スター」っていう物言いが気に入らないんだ。君は演劇史を誰から教わった?
——お恥ずかしいことに独学ですね。大学では法学を専攻していまして……
エ:独学でも恥じることはない。20世紀の演劇はなんと言われている? 商業主義演劇の時代だろう? そもそもスターシステムなんてハリウッドの映画会社が始めた商業戦略じゃないか。誰もを惹きつける美貌の男女に対して羨望を焚きつけて、銀幕の向こうにいる神格的存在に仕立てた。まるで人間じゃないみたいにさ。私を捕まえて「20世紀風スター」だかなんだか言うということは、そうやって身体を映画業界に奪われた哀れな演劇人たちのラインナップに加えるということなんだ。まさに、今日の取材がいい例だけどね。
——申し訳ありません。ではあなたを表すのにより適切な表現を見つけないといけませんね
エ:いや、こちらこそ申し訳ない。そうだね、私はスターでもなんでもない、ただのエウク・デュプロイだ。だから気軽にエウクと呼んでくれればそれでいいさ。
——わかりました。ではエウク、これについては尋ねるまでもなさそうですが、あなたの老化に対する決断についての世間の注目をどう感じていますか?
エ:概ね二つの反応があることは承知しているよ。一つは私が庶民派だとする見方で、もう一つは私が自然主義だという味方だ。でも残念ながらそのどちらも間違っていることは伝えてあげたいね。私はむしろどこまでも役者であり、私そのものが私の描く私という役柄のストーリーをなしていると考えている。だからあえていうなら、ここにあるのは美学だね。
それに、今になって老化を自然主義だなんて言ってみせるのは、人類の進歩に対して悲観的すぎないかと思うんだ。たとえばなんだけど、人類は過去にたくさんの病に苦しんできただろう? でも病というのも結局のところ細胞やウイルスの侵入とか、遺伝子転写の失敗なんかが原因なのであって、それ自体は地球という環境の中で発生する当たり前の現象だったわけだ。なら、繰り返された細胞分裂の末にテロメアが短くなって細胞分裂が停止してしまうという当たり前の現象と、それら「病」との間になんの違いがあるんだ? だからもし私が本当の意味で“自然主義者”だったら、私はとうの昔に破傷風か何かで死んでいるはずだよ。
——その通りですね。だからこそ疑問もあるわけです。なぜそうした普通の投薬は受け入れるのに、抗老化治療だけを拒絶なさったのか。
エ:それは紛れもなく老化して死ぬためということになるね。だがもし世界で描かれた舞台脚本の大部分の登場人物が、年齢層の散らばりもなく皆20歳や30歳で肺結核で死んでいたなら、私は今すぐ結核菌の移植を望むことになる……こう言えば伝わるかな?
——つまり古典的作品に登場する人々を演じるためにこそ、老化を選んだということでしょうか?
エ:それが半分だ。もう半分は、この時代にもそうした古典のような人間が現れ、自らの命を作品として捧げたという奇天烈な物語を生み出したいという渇望だね。
——命を作品に……?
エ:ああ。たしかにまだ労働市民の間では老化は不治の病だけれど、だからといって私たち永久民を神格化する必要はないんだ。さっきのスターシステムみたいなものさ。永久民は労働市民の間ではもはや同じ人間とは思われていない。20世紀市民が銀幕の向こうのスターのことを人間と思っていないみたいにね。
こんな皮肉はあると思うかい? 永久民は自分の体にしがみつくあまり、身体のない虚構の存在になってしまっているんだ。この間200歳を超えた人に会ったけどさ、あれはもう自分の顔も忘れていると思うよ。何度手術したか知れない引っ張り上げたような顔で……わかるだろ?
——ちょっとお答えは差し控えさせていただきます。
エ:勤め人は大変だな。とにかく、だ。私はそういうのが何か、私の美的感覚とは違うなと感じていたんだ。だから私なりの表現として、老化とそれによる死を受け入れてみることにしたというわけさ。
——そこがわかりませんね。まるで酔狂に突然そのアイデアが浮かんだようにも聞こえてしまいます。たとえばですけど、整形手術だけを止めて表情の老化だけを経験することも可能だったわけです。つまり……何も死ななくてもいいのではないかという問いが生まれてしまうのです。
エ:もっともな問いだね。そして私はそれに対する答えを持っている。アジアの古い思想が直接のきっかけだ。私たちはともすれば不変のものに価値を見出してしまうだろ? 宝石、石像、絵画、小説……デジタルアートなんてのもコードが変わらなければ不変は不変さ。演劇だってそうかもね、コード、つまり脚本が変わらないのだから、ハムレットは無数に演じられて、その優劣もあるけれど、やはりハムレットであることに変わりはない。クラシック音楽も……この辺にしよう。
でもある思想では違うんだ。それは消滅することに意味がある。その思想に基づいたら、宝石なんかよりも川に転がっている丸い石の方が価値があるって言うんだ。なぜならそれはそのうち少しずつ削れて小さくなって、いずれ砂になって消えるからさ。
——ちょっと待ってくださいね、つまり価値の逆転が起こったということですか? あなたにとっては永遠の命よりも、いずれ消えゆく命の方に価値があると?
エ:そういうことを身を以てアートとして宣言した人はいないからね。だから私がこの時代にふさわしいアートとして体現することにしたんだ。素晴らしいアジアの古い思想を改めて紹介してみようと思ってね。
——命を張って?
エ:ああ、まさしく。
——僕のような
エ:そうかい?
——といいますと?
エ:私は私と同じようにいずれ死にゆく労働市民たちに、自分たちの生を肯定的に考える方法を提案しているのかも知れないと思ったんだ。それに実際、私はそれを望んでいる気がするよ。
世界の全員がいずれ死んでしまった時代とは、死が持つ意味が変わりすぎたんだ。ましてやそれが生まれて50年ぽっちの間に築き上げた富の量で決まるなんて……まぁあまり今の政治を批判してもいけないかな。それを不満に思う労働市民がいるのも不思議な話ではないと思うよ。
だけどその時は必ず来るし、最後のその瞬間まで自分の生まれがいけないとか、50年の努力が足りなかったとか、永久民が搾取するからとか、そういう後悔と嫉妬で生き続けるのは苦しいことじゃないかってね。だったら、そんな自分の人生もまた一つのアートだったんだという肯定感と共に老いてほしいんだ。
——いやあ、私にはとても考え及ばない思想かも知れません。しかし、たいへんに興味深い話を伺ったなとは感じます。最後にあなたの将来を案じる声も多く聞かれます。そうした方々にお伝えしたいメッセージをいただければと思います。
エ:これから私は間違いなく老いるだろうけど、それを見て嘆かわしくは思って欲しくないかな。そこには人間性の輝きがあって、生きているという事実そのものがすでに芸術なんだ。かわいそうとか、きっと決断を後悔しているだろうとか、そういう目では見ないでほしい。永久民が皆の羨望を集めるのと同じように、私のこの生き方も、きっと羨望を集めるものであってほしいと願っているよ。
——貴重なお話をありがとうございました。
エ:そうだね、私の時間は限られているから(笑)
おわりのびがく 早瀬 コウ @Kou_Hayase
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