第十一話 神への思い

 魔国ガルフバーンの北方に位置するラガーンダイは魔の棲む岩山とも呼ばれる。

 険しい岩肌がそそり立ち、吹き上げる強風と厚い雲に覆われた寒さとで草木さえも生えない。

 他を寄せ付けないような威容を見せる山の中腹にハザメたちのいう宮殿があった。

 黒灰色の石が積まれたその建物で一人の男の行方を捜して騒ぎになっていたころ、そこから二十タルザン(約三十メートル)ほど下った岩場に緋色の人影があった。

 ローブをまとったギャラナだった。


「もとより無事に済むとは思っていなかったが、ここまで滑り落ちてしまうとはな」


 そうつぶやくと岩に頭をもたれかけ山肌に沿って見上げた。その顔にはいたるところに擦り傷が見える。

 彼の視界には、山から突き出るように建てられた宮殿のが映っているのだろう。

(もう少し回り込んで死角に入らねば)

 体を起こしたとき「うっ」と短くうめいた。どうやら足を痛めたらしい。左足に手をやりながらゆっくりと体全体を使い、山を背にして右へと移動していく。

 直したばかりの緋色のローブも所々にほつれが出来ている。

 しかし、そんなことを気にする様子も見せず、ギャラナは口を真一文字に結んで岩肌を伝っていった。



 時をさかのぼること六日。

 ハザメたちの思惑に感づき、館から脱出するすべを模索していたギャラナにとって、決め手となったのはダリエとのやり取りだった。


「お前……クスゥライ正教の信者なのか?」

「は、はい」


(これは使える。俺はまだ運に見放されていないらしい)

 クスゥライ正教の教えは自己犠牲に基づいている。聞けば、ダリエも自らがここでハザメ達に仕えることで、残された家族たちが幸せに暮らせればと願ってのことだという。


「お前の心持ち、まさに神の教えに沿う素晴らしいものだ。なればこそ、お前にだけ相談したいことがある」

「それは……いったいどのようなことで」


 ギャラナの過去を知らないダリエは、信仰をともにする者として目の前の男を疑うそぶりも見せない。


「どうやらハザメ達は俺を生贄として、ディレナークを復活させるつもりらしい」

「えぇっ! 何やらあわただしいとは思っておりましたが、まさか……そんな……」

「みすみす命をくれてやるつもりはないが、この体だ。ハザメだけでなく、三導師ティガランジャとやらもそろっているのでは俺に勝ち目はないだろう」


 言葉を挟まずダリエはじっと聞いている。


「このままではディレナークは復活してしまう。そうなってしまったら王都だけでなく国じゅうに災いが及ぶだろう。お前がここで犠牲となってきたことも


 家族への思いを新たにしたのか、ダリエが身を乗り出した。


「私に出来ることがあれば何なりと」


(よしっ、掛かった!)

 内心のほくそ笑む思いをおくびにも出さず、ギャラナは神妙な顔つきで言葉を継いだ。


「この古い部屋着を持ち帰って、丈夫な紐を作って欲しい」

「紐……ですか?」

「あぁそうだ。それを使ってあの物干し場から逃げる」

「それは無理です! 下まで届くには八タルザン(約十二メートル)ほどの長さが必要ですが、部屋着これではいくら頑張ったところで四タルザンも作れればいい方です」

「分かっている。それでもいいのだ。俺が仮に命を落としたとしても、ここから出ることさえできればディレナークの復活を妨げられる。


 その言葉を聞いたダリエの両目に涙が浮かんだ。

 クスゥライ正教の教えを感じ取ったのだろう。


「分かりました。出来るだけ丈夫で長い紐を作ってみせます」

「よろしく頼む」

「他になにかお手伝いすることは?」

「俺が逃げた後、物干し場に行って紐をほどいて谷底へ捨ててくれ。それだけでいい」

「どうぞご無事で」

「お前にここで出会えたのも神の思し召しだ。あらためて礼を言う」




 それから五日後の夜、ダリエがギャラナのもとへ紐を届けに来た。

 細く切った布を親指ほどの幅に折り込んで縫い合わせてある。


「五タルザンほどの長さがあります。ひと一人を支えるには十分な強さかと」

「いつチャザイたちが俺を捉えに来るかと心配していたが間に合ったようだな。明日の朝にはここを出る。お前はいつもと変わらぬようにふるまってくれ」

「分かりました。神のご加護を」

「もしも命を落としてもみなが救われるのだ。おそれるものはない」


 部屋を出るダリエを見送り、寝台に腰を下ろしたギャラナは思った。


 あの男は何があっても俺のことをハザメ達に話したりはしないだろう。

 奴らは恐怖で支配できているとうぬぼれているが、人の心とはそう簡単なものではない。わずかでもいい、よりどころとなる支えがあればどんな怖れにでも耐えられるものだ。

 それが信ずる神への思いであれば決して揺るがない。

 俺は司祭として、そういう者たちをずっと見てきてきたのだから。




 翌朝、食事を運んできたダリエにギャラナは笑顔を見せた。

 言葉を交わそうとしたところへチャザイが現れたため、二人の間に緊張が走る。

 しかしギャラナは目顔でダリエに退室を促し、それに気づいたダリエは黙礼して部屋を出た。

 すぐにチャザイもいなくなり、一人残されたギャラナは朝食に手を付ける。


(次に食べ物を口にできるのはいつになるか分からないからな)


 食事を終えると立上り、緋色のローブにそでを通した。懐にはダリエが作った紐が入っている。


 物干し場へたどり着くまではわざと足を引きずるように歩いていた。

 万が一、誰かに見とがめられても歩く練習と言い逃れることが出来る。

 幸いにも誰にも会わずに物干し場へたどり着いた。

 ちょうどこの頃、ハザメの部屋で起きている騒動をギャラナは知る由もない。

 冷たい風が吹きすさぶ中、手摺の透かし積みに紐を通ししっかりと結ぶ。

 その先を谷へと垂らし、両手でしっかりと握ると両足も使って慎重に降りはじめた。


 この時のために両手、両足の鍛錬を毎日欠かさずやってきた。とはいえ、手を滑らせば八タルザン(約十二メートル)も落下してしまう。

 吹き付ける風が体も揺らし、寒さの中にあっても額には汗が浮かんでいた。


 ようやく紐の先まで降りてきた。

 しかし真下の岩山まではまだ三タルザンほど(約四メートル)ある。

 ギャラナは足を紐から離し、手だけを使ってさらにゆっくりと降りた。

 両手で紐にぶら下がる格好になると体を前後に揺さぶり始める。

 振り子のように徐々に振れ幅が大きくなっていく。


(真下に落ちるよりは、この揺れを利用して岩肌の斜面に飛び降りた方が衝撃も少ないはず……今だっ!)


「うがっ」


 岩山へしたたかに足を打ちつけ、その反動でさらに下へと転がる。

 何とか体の回転を止めた後も急な斜面を滑り落ちていった。



 それ以上すべり落ちることもなく、なんとか宮殿からの死角まで回り込んだときには、さすがにギャラナの端正な顔にも疲労が浮かんでいた。

 少し開けた岩場へしゃがみ込むように体を預ける。

 痛む左足は骨が折れているのか、赤黒く腫れてきていた。


(何といったか……あの使も俺がどこにいるか分からなければ使いようもないはず。いきなりそこにチャザイが現れることはないだろう。

 今は体をやすめなければ……)


 眼下には急斜面の岩肌がまだ続いている。

 そこから吹き上げてくる風は強く冷たい。

 ほつれの目立つ緋色のローブの襟ぐりをしっかりと合わせ直し、ギャラナは左目を閉じた。

 やがて息の音さえも聞こえなくなっていった。 






      ― 第三章 完 ―



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

七人の魔導士 ― 魔国ガルフバーン物語 ― 流々(るる) @ballgag

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ